夏の行方

Written by Eiji Takashima

第八話 不思議な運命



程なくお昼の時間になろうとしていた。
僕と篠崎さんは例のだるま弁当で遅い朝食を摂ったのでお腹が空いている訳ではない。
しかし、時はいつまでも自分達のものではない。

このまま二人で見知らぬ土地へ……なんて、逃避行の二人、みたいな事を考えてみる。
ロマンスなんてないのに、ロマンスに憧れてみる。
僕は現実を思い出すと、小説の読み過ぎだと恥ずかしそうに頭を掻いた。

「どうしたんですか?」

そんな僕を見て、篠崎さんが訊ねてくる。
だるま弁当以前は僕が真正面にいようと、別段用もなければ窓の外の流れる景色ばかり見ていた。
でも、いい加減飽きたのかもしれない。
情けない話、車窓から見える景色に僕はさほど変化を感じなかった。
ただ、山の緑があり、そして心地よい風が吹く。
それはそれでよかったけれど、でも、それじゃいつまでもずっと満足なんてしていられない。
僕はそんな悟った人間じゃなかった。
やはり、常に変化を求めていた。

「いや……ちょっとね」

僕は照れて話をはぐらかそうとする。
こういうのでこの篠崎さんに敵う訳ないってわかっているのに。
別に篠崎さんも人とのやり取りに人一倍手慣れていると言う訳ではない。
僕がそういうのが駄目なのだ。
まあ、男は女の子にかかったら何も言えなくなるっていうのもあるんだけれど。

「気になりますよ、それって」

篠崎さんは笑って言う。
別に僕に答えを迫っている訳じゃない。
でも、僕に沈黙は許さないような気がした。
それも僕の勝手な思い込みにしか過ぎないのかもしれないけど。

「でも、恥ずかしいですし……」
「やっぱり……あなたは高木さんなんですね」

困ったように言う僕。
それを見た篠崎さんはいきなりこんなことを言ってきた。
僕はただでさえうろたえていたのに、更に困惑させられるような言葉を聞かされて、最早冷静さは取り戻せなくなっていた。

「へっ? ど、どういうことかな、篠崎さん?」
「だから、真面目だってことです。それに不器用で……最近の遊び慣れた大学生なら、さらっと嘘でも言って、
上手くかわしてるんでしょうから、こういう時」
「そ、そう……ごめんね、遊び慣れてなくって……」

別に篠崎さんは僕を責めた訳じゃない。
でも、こうして不意に自分が「普通」とは違うと言う事を知らされると、気後れせずにはいられなかった。
やっぱりこの現代日本社会の常と言うか、いつも「普通」が求められ、また認められている。
そしてそれから逸脱したものは、反社会的として白い目で見られるのだ。

別に何らかの害がある訳じゃない。
でも、普通でない事は罪の一つだった。
たとえ全体が曖昧な灰色で塗り込められていたとしても、ただ一点の白や黒は目立ち過ぎる。
こんな曖昧な世の中だと言うのに、何らかの色を持つ事は許されていなかった。

「いえ……私も慣れてませんから……だから気にしないで下さい、高木さんも」

篠崎さんは笑ってそう言う。
でも、僕としては落第点を取ったのを見逃してもらったような気分だ。
自分に対する世間一般の爪弾き者だと言う印象は持っていたとしても、自分に対して誇りがない訳じゃない。
この辺が複雑なところだけれど、自分で自分を貶めるのは構わないが、人にそうされるのは何となくなけなしのプライドをくすぐられる。
駄目な自分を受け入れ許すのは自分自身であって他者じゃない。
そんなことで腹を立てる僕でもないけれど、でも、篠崎さんの言葉をそのまま受容する事は出来なかった。

「気にしますよ。篠崎さんが慣れてないから、年上の僕がリードしてあげないと……」

僕はそう言った後、感情が顔に出ていないかどうか気になった。
別に篠崎さんが悪い訳じゃなく、悪い奴がいるならそれは間違いなく僕だった。
だから、そんな僕のマイナスの感情を顔には出したくなかった。
たとえそれが篠崎さんに対しての感情ではなく、自分に対してであったにしても、言葉は間違いなく篠崎さんに向けられている。
そんな微妙なところを察してくれるのを期待するなんて篠崎さんには酷だったし、当てにする訳にも行かない。

だから、僕にはまだ他人としての仮面を被る必要があった。
友達と言う名の仮面を……。

しかし、そんな訳のわからない事を考えている僕に、篠崎さんは思いもかけない点で反応を示した。

「そんな……高木さん、そんな台詞はご自分の彼女にして下さいよ」

半分困ったように、でも笑顔で言う篠崎さん。
僕はその言葉に、はっとさせられてしまった。

「そ、それもそうですね……でも、僕、彼女なんていませんし……」

動揺させられながらも、何とか言葉を返した。
今、黙ってしまうのは許されない気がしたからだ。
それは篠崎さんにではない。
自分に許されないのだ・・・

「そ、そうですか……ご、ごめんなさい、私、やっぱり気が利かなくって……」
「い、いえ、いいんですよ。僕が情けないだけなんですから……」

そして、沈黙。
二人とも、何故か俯いてしまった。

「…………」
「…………」

すると、今まで気付かなかった世界に気付く。
電車の揺れる音。
僅かに存在していた他の乗客の話し声。
風を切る音も、何故かさっきまでよりも新鮮に感じられた。

そして僕は思う。
自分は今、旅をしているのだと。
でも、実際のところ、普段と何も変わらない。
別に大胆になる必要がある訳じゃないけど、少しだけ違った角度で物を見たい。
旅を好む人は、それを求めているのかもしれないと改めて思った。

「……篠崎さん?」
「はい?」

僕は声をかける。
篠崎さんは僅かに視線を上げて、僕の方を見た。

「駄目かな?」
「……何がですか?」
「彼女じゃない相手を、リードするのは……」

胸を不安でいっぱいにして言った僕。
明らかに、篠崎さんを意識し過ぎていた。
まあ、僕にとって篠崎さんはそれに値する存在なのかもしれないけど。
でも、分不相応にも自分の彼女にしたい!!なんて情熱がある訳でもない。
ただ、特別に見えたのは確かだった。
だから、僕はもっと篠崎さんの事を知りたかった。

「……そんなこと、ないと思いますよ」

篠崎さんは笑って答えてくれる。
僕の心の中の、やっぱり、という気持ち。
僕は篠崎さんならそう答えてくれると思っていた。

思わぬところで見つけた僕の似姿。
でも、完全に同じ訳じゃない。
ただ、明らかに同じ類の精神を一部分、共有していた。
そして、だからこそ僕は魅かれる。
自分と同じ部分があるからこそ、違う部分が目に付く。
それは得てして鼻につく事もあるかもしれない。
でも、今の僕は驚きと新鮮さに満ちていた。
それが僕を突き動かしているのだった。

「……ありがとう、篠崎さん」
「高木さん……ほら、笑って下さい。私、笑顔の人が好きですから」

そう言って篠崎さんは笑ってみせる。
まるで僕にお手本を見せてくれるように。

笑えない、泣けない、感情の起伏のない、いや、感情を表に出さない男。
自分では誰よりも心動かされやすいと感じていた。
そしてだからこそ、笑えない自分を情けなく思う。

「慣れですよ、慣れ。何でもそうだと思います、私は」

続けて篠崎さんが言う。
きっと今の僕の気持ちを察しているのだろう。
でも、ついさっきの優しい受容の言葉を受け入れられなかった僕だけど、何故か今は自然に受け止められた。

自分を理解してもらう事。
自分で自分を普通と違っていると感じるからこそ、それは滅多に与えられるものではなく、だから心地よい。

そして僕は笑ってみせる。
今の気持ちをそのまま表情に出そうとして。

「これで……これでいいかな?」
「はい。まだまだですけど、高木さんの気持ちは伝わりますよ」

そう言って、篠崎さんはクスっと笑ってみせる。
自分で言うだけあって、篠崎さんの表情に違和感は感じない。
僕はそんな彼女を純粋に羨ましく思った。
今の篠崎さんは、誰が見ても綺麗だろうから。

「そ、そうかな?」
「ええ、そうですよ。だから頑張って、慣れて下さいね」
「え、ええ……」
「私、この旅が終わるまでに、頑張って高木さんを慣れさせてみせますから。だから高木さんも頑張って下さいね」

それは嬉しい言葉だった。
でも、僕は改めて感じさせられる。
今は旅と言う特別な時間であり、それはいつか終わりを迎えるのだと言う事を。

そして、僕は明らかにそのことに対して寂寥感を感じている。
篠崎さんに逢うまでは、そんな風に感じる事など思いもよらなかったと言うのに。

やはり僕は夢を見ているのだろうか?
この見知らぬ不思議な少女と、不思議な不思議な風を探す旅に出て……。
夢が心地よいのは当然だった。
でも、それが覚めてみて……そしてそれでもまだ心地よいのだろうか?
篠崎さんの言葉、旅の終焉の存在を感じて僕はふとそう思った。

夢の世界の住人たる僕。
そして僕は現実に自分を繋ぎ止めてくれる存在として篠崎さんを求めた。
もしかして、この旅が終わって、それでもまだこのドキドキが続いていたら……。
それが、僕の中に存在するこの二つに乖離した夢と現実の世界を二つに融和させる事なのかもしれない。
そしてそれを為してくれるのは、間違いなくここにいる、篠崎さんに他ならなかった……。


「篠崎さん……」

その名を呼ぶ。
でも、それは今までと同じではなかった。
別にそう意識した訳じゃないけれど、そんな自分で導き出した結論の存在は、僕を変えずにはいられなかった。

「どうしたんです? 何だか顔が神妙ですよ」

篠崎さんも、僕の僅かな、しかし重大な変化に何となくではあるけれど気付いて、ちょっぴりおどけて訊ねる。
僕はそれを見て僅かに躊躇する。
自分の思いだけ先走って、暴走しそうな自分にようやく気付いた。

「あ……ご、ごめん、いや、ちょっとね」

恥ずかしそうに答える僕。
篠崎さんはそんな僕を、如何にも楽しそうに軽くたしなめた。

「さっきもそれでしたよ。もう、気になるじゃないですか」
「あ……」
「今度は駄目ですよ、高木さん。一度目は見逃してあげましたけど、二度目は駄目です。ちゃんと学習しないと」
「う……手厳しいね、篠崎さんは」
「ええ、だって女の子ですから」

笑顔で根拠のない事を言う。
でも、何故か説得力はあった。
だから、男にとって女の子は特別な存在なのかもしれない。

「だから、はい。嘘は嫌ですけど、ちゃんと答えて下さいね」
「え……う、うん。しょうがないですよね……」
「はい。諦めも大切です」

篠崎さんのその笑顔で言われると、僕は何も言えない。
そして気分を取り直して言う事にした。

「ええと……嫌だったらいいんですけど、その……」
「なんですか?」
「え、あ……そ、その、篠崎さんの事……彼女じゃないけど、僕がリードしてもいいですか……?」

それはまるで告白。
でも、僕の気分は殆どそれだった。
自分が馬鹿になったみたいにどもりまくって……さらっと言えない自分が情けない。

しかし、僕の勇気を振り絞って言った言葉に、篠崎さんはすんなりと答えた。

「もちろんですよ、高木さん。だって私、女の子ですから……」
「篠崎さん……」
「時にはそうしてリードされたいって夢見る事もあるんです。まあ、いつもじゃありませんけどね」
「…………」
「だって……今は旅ですから……」

そう、それが全てだった……。




『ぬまたー、ぬまたー……』

そして、その時丁度電車は駅へと停車する。
ガクンと言う停車時の振動が、僕と篠崎さんのバランスを僅かに崩す。
体勢を立て直した時、丁度二人の目が合った。
それと同時に音を立ててドアが開かれる。
何故かその時、全ての条件が満たされた気がした。

「行こう、篠崎さん!!」
「え、あっ……」

僕は篠崎さんの手を取る。
篠崎さんは突然の僕の行動に動転したが、逆らう事なく反対の手に鞄を掴んでついてきてくれた。

飛び降りるように車両から出る。
閑散としたホームに立った時、夏の風が僕達の頬をそっと撫でた。
そして僕達の背後でドアが閉まる。
列車は僕達を残して、再び北への旅を続けた。

「いいですね、ここ……」

そう、篠崎さんが呟く。
周囲を山に囲まれた沼田駅のホーム。
この近辺ならどこで降りても同じかもしれない。
でも、僕はこの不思議な運命のようなものを信じる。

「行きましょう、高木さん!!」

まだ繋がれていた手を、今度は篠崎さんが引いた。
僕はそんな彼女に導かれるように走り始めた。
彼女と同じ、風を感じながら……。


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