夏の行方

Written by Eiji Takashima

第六話 風の流れるままに



再び僕と篠崎さんは車中の人となった。
高崎の駅近辺でしばし時間潰しをした僕達が駅まで戻ってきた頃には、ようやく目的のだるま弁当も販
売されていた。

だるま弁当についてはいざ知らず、駅弁に対しての考え方は、僕と篠崎さんはあまり変わらないらしい。
双方全く異論を差し挟むことも無く、だるま弁当その他を買い込むと意気揚々とホームにやってきた最
初の電車に飛び乗った。


「じゃあ、早速だけど食べましょうか」

僕達にとってはもうお馴染みとも言えるグリーンのシートを占拠すると、僕はそう篠崎さんに呼びかけた。
しかし、篠崎さんは自分の分のだるま弁当をちょこんと膝の上に載せたまま、黙ってそれを見下ろしていた。

「…………」
「どう……したの?」

その篠崎さんらしくもない様子に僕はちょっと気になって覗き込むように訊ねてみる。
すると篠崎さんは小さくこう漏らした。

「冷凍みかん……」
「……し、篠崎さん……」

――やはりか。
僕は呆れながらも心の中でそう呟く。
駅でだるま弁当を買いに行く時、明るく自分で買いたいと言う篠崎さんに、僕はお金だけ渡して少し離
れた場所で待っていた。
無論補充されたばかりだったので、売り切れで買えないなんてこともない。
僕達はほぼ一番乗りでだるま弁当を手にし、楽しく旅の続きを満喫しようとしたのだ。

しかし、買ってきてからの篠崎さんの様子がおかしいとなんとなく感じていたらこの有り様。
どうやら冗談半分で口にしたと僕が勝手に思い込んでいた冷凍みかんは、実はかなり本気だったらしい。
だるま弁当が買えなかった時の態度とは正反対だったけれど、それはそれで妙に気にさせられるのだった。

「……残念です。夏には冷凍みかんが必要なのに……」
「そ、そうだね。ははは……」

僕はふさぎ込む篠崎さんに何とか相づちを返す。
現実問題として、電車の旅などしない僕にとっては、冷凍みかんなど学校の給食で食べたことがあるだけだった。
確かに子供心にあれはおいしいと感じていたけれど、それは既に過去の思い出の味だったのだ。

「でも、その代わりに普通のみかんを買ってきたんでしょう? ちゃんと冷やされてるみたいですし……」
「違うんです」
「……やっぱり?」
「はい。冷凍みかんは特別なんです。だから……」
「仕方がないと思って諦めて下さいよ。もう、売ってなかったものはどうしようもないんですから……」

まるで駄々をこねるような篠崎さんに、僕は何とか説得工作を敢行する。
でも、僕はこういう女の子の扱いには慣れていない。
半ば面倒臭くなってぶっきらぼうな物言いになってしまったのは否定できないだろう。
そして自分自身、この説得の成果に期待はしていなかった。
今の僕の言葉と言うよりも、篠崎さんの理性が働くことを待つだけだった。

「……でも、残念です」
「…………」

篠崎さんの言葉にも、僕はもうこれ以上何も言わなかった。
ただ、じっと篠崎さんを見つめるだけだった。

「……大人なんですね、高木さんって」
「えっ?」

僕の沈黙に対して、篠崎さんは思わぬ返事を返した。
まるで僕が作り上げたかのようなこの少々気まずい空気を察してか、上目遣いでちらちらと僕を見ている。
果たして篠崎さんはこの僕に何を求めているのか――
それはともかく、僕はただ、驚かされるだけだった。

「ちょっと……失望しました?」
「い、いえ、そんな……」
「いいんです。高木さんに比べたら私なんてまだまだ子供で……。学校もサボっちゃうし、こんな食べ
物のことくらいで我が侭言って高木さんを困らせて……」
「…………」

僕に比べたら、と言う点はさて置き、篠崎さんの言葉は真実を語っていた。
だから僕も敢えて否定はしない。
そしてまた、だからと言って他に気の利いた台詞も見つからずに、僕はいつものように口を閉ざしているだけだった。

「だから……だから、ごめんなさい……」

篠崎さんはそう言うと、そのまま僕に頭を下げた。
僕は慌ててそんな篠崎さんの肩に手をかけてそれを止めようとした。

「や、やめて下さいよ、篠崎さん。べ、別に君が謝るようなことじゃないから……」
「いえ……謝るべき時に謝らないと駄目ですから……」

僕の制止も聞かずに、篠崎さんは頭を下げ続ける。
電車の窓からだるま弁当、そして今回の冷凍みかんの一連の流れを考えてみると、この篠崎さんは相当の頑固者らしい。
一度こうと決めたらひたすら一途と言うかなんと言うか……。
でも、普通はただ鬱陶しく感じるだけかもしれないけれど、僕は好意的に受け止めていた。
別に相手が年下の可愛い女の子だからだと言うだけでなく、自分の信念があってそれを簡単には枉げないことは、
なかなかどうして立派なことだと思えた。

そして、それ以上に僕が思ったことは、この娘は人にこうやって謝れるという事実だった。
それは「済みません」ではなく「ごめんなさい」。
この二つの違いはさほどないように思えても、実際にはそうではなかった。
僕にとって「ごめんなさい」と言う謝罪はそれだけ重いものだったのだのだ。

しかし、そうだからこそ篠崎さんのその頭を上げさせるのは難しいと思った。
僕は篠崎さんの肩にあまり触れているのはまずいかと思いつつも、何とか頭を上げさせようとする。
だが、その時――

「きゃっ!!」

突然電車が大きく揺れた。
大きくと言っても普通に座っている分には問題ない程のものだ。
しかし、その揺れのためか電車は僅かに減速する。
そしてその勢いで、前屈みになっていた篠崎さんの身体はそのまま前方に倒れ込む形となってしまったのだ。

「ご、ごめん、篠崎さん!!」

僕は慌てて篠崎さんに謝った。
何故なら丁度篠崎さんの正面に座っていた僕は、そのまま篠崎さんを抱きかかえる形となってしまったからだ。
僕は半ば押しのけるようにして自分の身体から離し、篠崎さんの体勢を立て直した。

「…………」

突然のことに、篠崎さんは真っ赤な顔をしている。
これは不可抗力なのだし、別に変なところを触ってしまったと言う訳ではないので、別段怒っている様子でもない。
しかし、さっきまでとは違った意味で、変な雰囲気になってしまったのは確かだった。

「そ、その……ご、ごめん、僕、悪気はなかったんですけど……」
「…………はい」

篠崎さんはそれしか答えない。
僕もそんな篠崎さんの様子を見ると、その顔を見つめるのも躊躇われて、彼女と同じように俯いた。

「あっ……」

俯いた僕は気付く。
もしかしたら、篠崎さんは当の昔に気付いていたのかもしれない。
今の揺れで、篠崎さんの膝の上にあっただるま弁当は、見事に床の上に落ち、中身を広げていたのだ。

僕は今更ながらにだるま弁当の中身を掻き集め、戻そうとする。
篠崎さんはそんな僕の行動にもただじっとして何も言わなかった。

「……二重にごめん。よかったら、代わりに僕のを食べて下さい。篠崎さんは元々僕よりも食べたがっていたんですし……」

床に落ちた篠崎さんのだるま弁当を拾って取り敢えず窓際の小さなテーブルに置くと、僕は済まなそうにこう申し出た。
そして篠崎さんは一方的に謝る僕を見て、困ったように呟く。

「た、高木さん……」
「別に僕のことは全然気にしなくても構いませんから。元々朝は食べない人ですしね……」

どう見ても気にしている篠崎さん。
僕はそれを少しでも解きほぐそうと、少し笑みを見せると続けてそう言った。
だが、僕が半ば予期していた通り、篠崎さんの答えはこうだった。

「そんなの……食べられません……」

僕の側に完全なる過失があったなどと考えることなど、篠崎さんどころか僕でさえ思いもよらなかった。
でも、僕もだからと言って篠崎さんの前で呑気に一人だけ食べることなど出来ないし、一人だけしか食べられないのであれば、
僕よりもずっと思い入れのある篠崎さんが食べるべきであると思えた。

「篠崎さんの気持ちもわかりますけど、それなら僕だって食べられませんよ。だから、篠崎さんが食べるべきなんです」

僕がそう言うと、篠崎さんはようやく顔を上げてくれた。
その目に涙は見られなかったが、いつ泣き出してもおかしくないような顔をしていた。

「でも……わたし……」

その時二人とも思っていたに違いない。
相手を差し置いて自分だけが食べられるはずがない、と。
つまりは膠着状態に陥ってしまったのだ。

僕はすぐにそのことを察すると、今更慌てることなく落ち着いた様子で弁当用に買ってきたお茶のパックに手をかける。
取り敢えず篠崎さんが自分の結論を出すまで、お茶でも飲んで待っていようとしたのだ。

「…………」

わざわざ缶でなく、このパックのお茶にしたのは篠崎さんの選択だった。
ビニールとプラスチックの中間とでも言うような不思議に柔らかいこの入れ物は、お茶をおいしく入れ
ておくにはあまりいい入れ物とは言えない。
しかし、そこは雰囲気が大切と言うことで、篠崎さんはわざわざそれを選んで購入してきたのだ。
この暑い夏に熱々の緑茶というのはなかなか辛いものがあったが、他に飲むものがない以上背に腹は変えられぬ。
僕は不器用な手付きで小さなコップにお茶を注ぐとそれを啜った。

そして僕はまるで他人事のように篠崎さんを眺める。
僕はどういう結果になろうと、篠崎さんの選択に従おうと思った。
それがたとえもうひとつのだるま弁当をゴミにすることになったとしても……。

しかし、篠崎さんがようやく口にした言葉は、僕の想像とは全くの正反対のものだった。

「あの……高木さん?」
「何ですか?」
「そ、その……た、高木さんが迷惑でないのでしたら……」
「…………」
「高木さんのそのだるま弁当、二人ではんぶんこにして……」
「ええっ!?」

考えてみなくもなかった結論だが、それはすぐに頭の中で却下した考えだった。
こんな年頃の女の子が僕みたいなよく知らない男と一つの弁当を分け合うなど、普通は肯んじ得ないだろうと思えたからだ。
しかし、篠崎さんに普通の女子高生の考えを当てはめたのは失礼なことだったかもしれない。
篠崎さんに他とは違った特別さを感じ取った故に、僕は彼女に仄かな興味を抱いたのだから。

「あ、い、嫌だったらいいんです!! でも、私が食べなきゃどうせ高木さんも食べてくれないだろうし、
私が高木さんのを取って一人で食べるのも嫌だし……だ、だからこうするのが一番なんですよ」
「そ、それはまあ、君の言う通りかもしれないけれど……」

篠崎さんの言葉は正論だったかもしれない。
でも、僕は拒んだ。
歩み寄ろうとした篠崎さんに、何故か僕は自分から垣根を築いてしまっていたのだ。
だが、そんな僕に篠崎さんはおもむろにこう言う。

「高木さんのお気持ち、よくわかります。でも、私のためを思って……よろしくお願いしますっ!!」
「えっ!?」
「は、恥ずかしいんですけど、やっぱり私、だるま弁当食べてみたいんですよ」
「だ、だったら篠崎さんが一人で食べればいいじゃないですか」
「でも、それはやっぱり駄目なんです。だから、高木さんにも食べてもらわないと困るんです」

いつのまにか、萎んでいた花が再び咲き始めていた。
さっきまでしおれていたのが嘘のように、熱っぽく僕に語り掛けている。
そんな篠崎さんの姿を見て、何だか僕はほっとしていた。
そして妙に拘り続けていたことが、段々と些細なことのように思えてきた。

「し、篠崎さんがそこまで言うのなら……」
「考え直してくれましたかっ!?」

僕がそう言うや否や、篠崎さんはくっつくくらいに顔を近づけてそう訊ねる。
僕はそんな篠崎さんに気圧されるように僅かに身を引くと、仕方なく了承することにした。

「わ、わかりましたよ。じゃあ、篠崎さんの言う通りにすることにしましょう……」
「じゃ、私が先にご馳走になりますね!! 高木さん、お先にいただきまーす!!」

篠崎さんは両手を合わせていただきますの挨拶を僕にすると、いきなりだるま弁当の蓋を開けた。

「うわーっ、おいしそうです!! でも安心して下さい。ちゃんと高木さんの分は残しておきますからね」

そう言って篠崎さんは僕ににっこり笑顔を向ける。
そういう無邪気な姿を見ると、やっぱり歳相応の女の子なんだなと思えた。
そして僕は目を輝かせて箸を取る篠崎さんの様子を微笑ましく眺めながら再びお茶を啜る。
今の僕にも篠崎さんにも、今列車がどこを走り、どこに向かっているかなど、全く気にも留まらなかった。
でも、それは今の二人には相応しいことなのかもしれない。
目的などなく、ただ、風の流れるままに……。


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