雲は高く、空は青く。 陽射しは焦がすように、僕達を照り付けている。 夏の海にはどこか胸躍らせるものがあって、それを求めた大勢で賑わっていた。 真白な砂に手を触れると、さらりと流れて消える。 孕んだ熱も、潮風と共に消えた。 夏は全てに平等で、この砂浜にいる全員に、眩しく降り注いでいる。 そう、悔しいくらいに、平等に。 僕と妹と猫Written by Eiji Takashima
第十話@砂浜:かぷかぷ 「よしっ、これで完成っと!」 海の家で借りたビーチパラソルを砂浜に立て、こっちは持参してきたレジャーシートを勢いよく広げた。 「ごくろうさま、お兄ちゃん。ジュースでも、買って来ようか?」 小さな椎茸を胸に抱きかかえて、僕の作業が終わるのを待っていた妹。 そう言い出すところを見ると、いくら椎茸を抱いておく役目があったとは言え、何もしないで見ているのに申し訳なく感じていたようだ。 「いや、いいって。ジュース飲むために、海に来た訳じゃないからな」 笑って妹の申し出を断ると、作り上げた自分達だけのこの小さなスペースの具合を確認すべく、パラソルの影に座ってみた。 支柱が安定しているかどうか、掴んで軽く揺すってみる。 「うん、問題ないようだな。突風でも来ない限り、まず倒れないだろ」 自分の仕事に満足すると、腕組みして嘆息してみる。 こういうのは男がすべき仕事であって、キャンプでのテント作りと同じで、うまくできると妙に誇らしく感じるものだ。 「へぇ、お兄ちゃん、こういうことも出来たんだね」 妹も、膝立ちでシートの上にあがってくる。 頭上のパラソルの傘を見上げながら、誉めているのかけなしているのかわからない感想をくれた。 「別に難しいことでもないからな。簡単だよ、このくらい」 兄としての余裕を見せて、そんな風に返してみせる。 実はちょっとしたコツとかもあって、言うほど簡単じゃなかったりするが、こんな時くらいカッコつけてもいいだろう。 「ふぅん、でも、凄いよ。すごいすごい」 妹は足の裏の砂を払うと、椎茸を太股の上に乗せ、女の子座りで座り込む。 そして、何をする訳でもなく、どこを見る訳でもなく、空いた手でぱたぱたと暑そうに自分を扇いでいた。 「そう連呼されてると、反対に有り難味がなくなるな」 僕も、妹の隣に体育座りで座る。 支柱を挟むような感じで、すぐ隣には妹が。 たとえ実の妹とは言え、水着姿を眺めていいものかどうか迷いつつも、僕はやっぱり妹を見ていた。 「ん、どうしたの、お兄ちゃん?」 妹が僕の視線に気付いて、こっちを向いた。 僕は慌ててそっぽを向くと、誤魔化すように口を開く。 「な、なんでもないっ」 でも、それは明らかに、なんでもなくない様子だ。 鈍感なのか敏感なのか、いつも判断に迷う妹だったが、こういう時は総じて敏感なのが悔しい。 「あ、もしかして、わたしのこと、見てた? えへへ〜」 にんまりと笑っている。 こんな時は、男の無条件敗北が決まっている。 兄の権威など、全く何の役にも立たない。 「み、見ちゃ悪いかよ? いいだろ、見たって。というか、見えるんだよ、自然と」 無駄だとわかりつつも、言い訳をしてみる。 我ながら、情けない有り様だ。 「見るのと見えるのは、ぜーんぜん違うと思うな、わたしは」 「くっ……」 「でも、いいよ、見てても。見られて困るなら、こんな格好しないよ」 僕をあんまり困らせるのもどうかと思ったのか、妹はにんまり笑いでなく、いつもの笑顔でそう言ってくれた。 そんなフォローが嬉しくて、僕は妹の水着でなく、軽くその目を見る。 妹の目は、いつだって好きだった。 「えへっ、ちょっと大胆だったかな?」 妹はそう言うと、自分の水着に視線を下ろす。 今日の水着はいつも学校で着ているのとは違って、何故か真っ赤なビキニだった。 「……なんでビキニなんだよ?」 何と言うか複雑な感情と共に、妹に訊ねる。 実際、訊いてしまった後だけど、訊いていいのかどうかも微妙なところだ。 「だめ?」 「いや、駄目って訳じゃないけど……」 上目遣いで見るな見るな。 どうも、過剰なシスコンっぷりをからかわれているようで居心地が悪い。 「実はね、このビキニよりも、こっちのパレオがいいなーって思って」 「それで、ビキニにしたのか」 「うん、お店で見たとき、これしかないって感じたの。わたしには、ビキニはちょーっと早いかもしれないけどね」 言いながら、照れ笑いを浮かべている。 まあ、何と言うか、こういうビキニはもうちょっと発育していた方が、より似合うだろうと思う。 妹は妹なりに、肉付きが悪いながらも出るところは出始めていたが、それでもまだまだ子供だ。 少なくとも、僕はそう思っていた。 「くうぅ、バストがあと5センチ……いや、3センチあれば……」 子供だと思っていたけれど、やはり女の子の常というか、胸のサイズは気になるらしい。 上げ底していると思しきカップのところを引っ張りつつ、なにやらぶつぶつと呟いていた。 「おいおい、そんな引っ張るなよ。見えたらどうするんだ」 兄として、というよりも保護者面して忠告していた。 こういうところがシスコンだって言われるんだろうけど、言わずにいられないからしょうがない。 最早、業の域に達しているようだ。 「……かみつく」 「はぁ?」 「がぶーって。そうしたら、誰も見ないよ、うん」 ……どうも、このちっちゃな生き物が、僕には理解できないようだ。 何故そこで噛み付く? さっぱり理解不能だった。 「もしかしてお前……」 「うん?」 「噛み付くの、好きなの?」 我ながらおかしなことを問う。 でも、そんな風にしか聞けないだろ、と頭の中で言い訳していた。 「そんな、好きな訳ないじゃない。かみつくのは、攻撃行動だよ。ほら、むね見られた時にするんだし」 「た、確かにそうだな」 言っていることはもっともだが、どうにもどーぶつチックだ。 確かに、妹は猫っぽいところがあるが……猫は噛み付かないだろ。 「……お前、僕にも噛み付くのか?」 「え?」 「ほら、僕がお前の裸を見たとして――」 あくまで仮定の話だ。 あくまでそうだ。 「……みたの?」 「へ?」 「お兄ちゃん、わたしのはだか、見たの?」 剣呑……というのだろうか。 とにかく、どこか迫力のある表情に変わる。 声は怒っていないような気がしたが、それも錯覚かもしれない。 「み、見てない見てないっ! 例えばの話だよ、例えば」 慌てて弁解する。 まあ、可能かどうかで言えば、妹の裸なんて、見ようと思えばたやすい。 でも、難易度の問題ではなく……とにかく、誤解されるのはマズい。 「……もしかして、逆?」 「はぁ?」 「だから、もしかしてお兄ちゃん……わたしにかみつかれたい?」 真顔でそんなことを言う。 どうやら怒ってはいないようだが、別の意味で誤解されているような気がして驚いた。 「なっ……」 「なら、かみついてあげよっか。がぶーって」 僕の目の前で、なんだか嬉しそうに口を開けて歯を見せている。 端に見えるちっちゃな八重歯が、かわいく僕を威嚇していた。 「いいって、別に」 「がぶーっが嫌なら、じゃあ、かぷかぷ」 「は? かぷかぷ?」 どう違うんだろう? 何となく、ファンシーな響きになったが、噛まれることには変わりがない。 「うん、かぷかぷだよ。攻撃行動じゃないやつ」 「どう違うんだよ?」 「うーんっと……言うなら、愛情表現かな。しーちゃんも、わたしによくやるよ、かぷかぷ」 妹はそう言うと、口をかぷかぷして見せた。 愛情表現というと嬉しく聴こえるが、僕はそう容易く騙されたりはしない。 「猫って噛むのか?」 「うん、噛むよ。なんかうれしいよね」 にぱっと笑って言っている。 この底抜けの笑顔から察するに、正真正銘、本気の発言なんだろう。 如何にも妹らしいが、ちょっとズレていると思うのは、僕だけだろうか。 「……そうか」 とてもじゃないが、お義理でも「そうだね」と賛同では返せない。 妹のコメントは、実にリアクションに困る内容だ。 「だから、かませて、お兄ちゃん。かぷかぷ」 「……嫌だよ」 「かませてくれたら、後ではだか、みせてあげるよ」 順序が逆になっている気がするが、もうそういう問題ではないようだ。 既に妹の目つきが猫科のそれになって、小悪魔なハンティングモードに突入している。 「……簡単に、裸を見せるなんて言うなよ」 「だって、かぷかぷしたいんだもん」 気付けば、椎茸を解放してこっちににじり寄ってくる。 四つん這いになって、まるで猫のように。 「どうして噛みたいなんて言うんだよ?」 「…………愛情表現だにゃん」 ねこ言葉になって、妹が僕の問いに答えた。 でも、それはごまかしだったように、僕には思える。 ほんの僅かな間と、僕を真っ直ぐに見る妹の瞳が、それを語っていた。 「……いいよ、がぶっとやってくれ」 「かぷかぷだよ」 「どっちでも、同じだ」 かぷかぷだろうが、がぶりだろうが、どっちでも同じだ。 それが、妹なりの、愛情表現であるならば。 「どこ、噛んで欲しい?」 「どこでもいいよ」 「そんな投げやりだと、唇をかんじゃいまーす」 ふざけたようにそう言って、妹はぺろりと自分の舌を舐めた。 何かを確かめるような、舌なめずりだ。 「……唇は、駄目」 「じゃあ、どこ? 指定なしだと、唇になっちゃうよ」 ふざけているんだろう。 ただ、僕を困らせたいだけで。 でも、妹の目は、今は、猫でなく、人のそれだった。 「……じゃあ、鎖骨」 「…………まにあっく」 「い、いいだろ、別に! そこしか思い浮かばなかったんだから」 我ながら、馬鹿な指定をしたもんだ。 慌てて言い訳しながら、そう思っていた。 「うん、いいよ。じゃあ、鎖骨、かんであげる」 そう言って、妹が近付いてくる。 四つん這いになって、僕を求めるように。 「……無理、しなくていいんだぞ」 「無理じゃないよ。だって、好きだもん。愛情表現、だもん」 妹の唇が触れた。 ちろりと舌を出して、挨拶するように僕の鎖骨を舐める。 「……こえ、だしちゃえ」 「ば、ばかっ」 「かむよ、お兄ちゃん」 ふざけながら、妹が僕を噛んだ。 ふざけながら、僕の鎖骨を噛んだ。 猫みたいな、僕の妹。 今はただ、微かに震えていた。 僕も、きっと、震えていたと思う。 ついた手が、シートから出て、砂に触れた。 夏の砂浜は熱く、平等に僕達を熱くする。 そう、悔しいくらいに、平等に。 |