誰かとなかよしになるには、まず相手のことを知らなくちゃいけない。 確か、妹が小さかった頃、晩酌中の親父が偉そうに言った台詞だった。 妹はさも大事そうにその格言もどきを受け止め、即実践に移そうとした。 結果は知らない。 妹も、何も言わない。 そして親父は……ただいつものように、独りグラスを傾けるだけだった。 僕と妹と猫Written by Eiji Takashima
第七話@めざし:全てを、奪う 妹の猫好きはいつからだったか。 気がつくと、妹は捨て猫を拾ってくる子供だった。 妹曰く、何もしなくても向こうから寄って来るらしい。 親父はそれを、猫を拾ってきた時の言い訳だと言っていた。 でも、僕はそうじゃないと思っている。 そして、きっと親父も同じだっただろう。 期末試験も終わり、後は夏休みを待つだけとなった。 鬱陶しい梅雨も明け、陽射しは好き放題にアスファルトをじりじりと焦がしている。 「夏休みはどうするんだ?」 ダイニングの椅子に腰掛けながら雑誌を眺めていた妹に、何となく訊ねてみた。 「どうするって?」 雑誌もただの暇潰しだったようで、妹はすぐに放り投げてこっちを向く。 「だから予定だよ。どっか遊びに行くとか、夏期講習を受けてみるとか」 「うーん、特にないよ。お兄ちゃんは?」 「僕も今のところは何もなし。でも、何か考えておかないと、最後までごろごろして過ごすことになるぞ」 今までの経験を踏まえた上で、妹にそう諭した。 しかし、当人はにへらっと呑気に笑いながら、投げやりな台詞を返す。 「別にいいよ〜。ごろごろするの、好きだもん」 「ったくなぁ……」 僕もごろごろするのは好きだ。 でも、夏休み中ごろごろしっぱなしというのは如何なものだろうか。 「いいか、ごろごろするのは、たまにするからいいんだ。いつもごろごろしてたら、ごろごろの楽しさを満喫できないぞ」 「そう?」 「そうなんだ」 言い聞かせるように言う。 いくら同じごろごろ好きだからと言って、妹をそのままにはしておけない。 今となっては、妹を導くのはこの僕の役目だった。 「じゃあ、お兄ちゃんは何したらいいと思う?」 「さぁな。楽しいことは、自分で考え出した方がもっと楽しくなるってもんだ」 自分で決めたことを自分で実行する。 それがどんな下らないことであっても、ドキドキするものだ。 「いいか、折角の夏休みなんだぞ。いつもとは違うことだって、やろうと思えば出来るんだ」 「うん……そうだね」 「だから、たまには外に出てみろよ。今までとは違った世界が――」 と、僕はそこで言葉を失った。 「いいよ、わたしは。わたしは、このままでいいから……」 妹が俯いたまま、猫の椎茸に向かって手招きする。 椎茸は、いつものように、妹の膝に乗った。 「このままでいいって……」 「うん、ごめんね、お兄ちゃん」 妹は、椎茸を撫でている。 喉元をくすぐられて、椎茸は目を細めながら喉を鳴らした。 「そうやって、椎茸と遊んでいるつもりか?」 ごろごろが好き。 床に転がって、猫と遊んで。 お腹が空いたら買い物に行って、おいしいご飯を作る。 そして、ご飯を食べながら家族でおしゃべりするんだ。 「しーちゃんは、かわいいよね……」 その繰り返し。 何も変わらない。 妹はわかっているのに、変わろうとしない。 そんな姿が、僕には痛々しく映っていた。 「お前にとって、椎茸は何なんだ?」 僕と妹で名前をつけた。 名前をつけて、僕達の家族になった。 妹がそうあることを望んで、僕は椎茸を受け入れる。 そう、椎茸は僕にとって家族だ。 でも、妹にとっては―― 「家族だよ、もちろん。お兄ちゃん、そんなこと今更きかないで」 妹にとって、椎茸は家族じゃない。 ただの猫だ。 「……わかった」 猫を飼うことは、妹のためになると信じていた。 だから、僕は妹が猫を飼うことを許した。 それが妹の慰めになると思ったからだ。 ……慰め? そう、慰めだ。 椎茸は、妹を慰めるために存在する。 そんなのは家族じゃない。 僕の信じる家族であるはずがなかった。 誰かとなかよしになるには、まず相手のことを知らなくちゃいけない。 確か、親父はそう言っていた。 だから僕は、なかよしになるために、まずプレゼントをすることにした。 プレゼントをして、気を許してくれれば、きっと色々教えてくれるだろう。 「ほら、食えよ……」 焦げくさい臭い。 魚の焼ける臭いだ。 「ん、どうした?」 スーパーで買ってきためざし。 妹に内緒で、こっそり買ってきた。 「お前、こういうの、好きなんだろ?」 くんくんと鼻をひくつかせて、焼きたてのめざしの匂いを嗅ぐ椎茸。 猫は皆、こういうのに弱いはずだった。 「ほら、食ってくれよ。お前が食ってくれないとさ……」 なかよしになれない。 だから、僕は必死だった。 今のままでは、椎茸は妹だけのもの。 僕と妹の、家族にはなれない。 「お前の好きな、あいつのためなんだから……」 妹から、猫を奪う。 猫だけは、いつも妹にくっついてきた。 猫だけは、妹を裏切らなかった。 そう、親父も僕も、周囲の人間全てが妹を裏切り続けてきたと言うのに。 「あいつのために、協力してくれよ。なっ?」 妹から、猫を奪う。 猫がいたから、妹は友達なんて要らなかったんだ。 妹には、夏休みに一緒に遊びに行く相手もいない。 ただ、家族と称して猫と遊んでいるだけ。 泣きながら、猫をかまっているだけだった。 「ほら、頼むよ……」 椎茸が舌を出す。 差し出されためざしをぺろぺろと舐めてみる。 そして椎茸は……僕のめざしを、その口に咥えた。 「……ありがとな、椎茸。それでこそ、男ってもんだぜ」 椎茸はめざしを咥えたまま、走り去ってしまった。 でも、今はそれでいいと思う。 きっとそのうち、椎茸は僕の考えに気付いてくれるだろう。 そして妹は……外に出るんだ。 夜。 ふと見ると、妹が椎茸に餌をやっていた。 僕が与えためざしではなく、いつもの市販の猫缶だ。 「そっか……」 椎茸ははぐはぐと美味そうに、いつものねこごはんにむしゃぶりついている。 椎茸が食べるところを見守っていた妹だったが、こっちを向くことなく、そのままの姿勢で僕に話し掛けてきた。 「お兄ちゃん、ちょっといいかな……?」 「ん、何だよ?」 「しーちゃんはまだ赤ちゃんなんだからね。ああいうの、あげちゃダメだよ……」 妹が顔を上げる。 そして、こっちを振り向く。 「……悪い」 「うん、わかってくれればいいんだけど……まだちゃんとしたおさかなは、しーちゃんにはまだ早いから」 「そうだったのか」 「うん……」 小さく頷いて、そのまま下を見つめている。 まるで叱られた時のような顔を、妹は僕の前に晒していた。 「お兄ちゃん、ごめんなさい……」 「うん?」 「お兄ちゃん、怒ってるでしょ?」 「どうして?」 「だって……」 妹はそこで口篭もる。 悔しそうに、ぎゅっと唇を噛み締めていた。 「だって、またわたし、逃げてたから……」 誰かとなかよしになるには、まず相手のことを知らなくちゃいけない。 妹は、みんなとなかよしになりたくて、必死だった。 でも、誰も妹とはなかよしになってくれない。 妹と遊んでくれるのは、猫だけだった。 「せっかくの夏休みなのに、お友達といっぱい遊ばなきゃいけないのに……」 ひとりぼっちの、僕の妹。 そんな寂しい妹の気持ちを、猫だけは黙って察してくれたんだろうか。 猫は今までずっと、妹を慰めてくれていた。 だから妹は、何度も何度も猫を拾ってくるんだ。 「お前……」 妹はいつも家にいる。 元気で明るく、いつも笑っている。 でも、それは僕の前でだけ。 僕は知っているんだ。 妹には、友達なんて一人もいないってことを。 「そうだ、お兄ちゃん、旅行にいこうよ」 妹が笑った。 いつもと変わらない、純粋な笑顔だった。 妹は笑うのがうまい。 でも、僕はそんな妹の笑顔が、いつも嫌いだった。 「旅行?」 「うん、ほら、この前ジャムもらったでしょ?」 「あ、そうだったな」 「そのおかえし、買ってこないと」 「そのために、旅行に行くのか?」 妹が、『お友達』からもらったアプリコットのジャム。 手作りで、甘くてほんのりすっぱくて。 そのすっぱさが何のせいなのか、僕は知っている。 妹の、ささやかな嘘だ。 「家族旅行だよ〜。お兄ちゃんと、わたしと、しーちゃんの三人で」 妹が笑っている。 これからの旅行風景に、胸躍らせている。 「そうだな、楽しいかもな……」 「うんっ、旅行に行くなら、ずっとごろごろしてることにはならないよねっ!」 僕と妹と猫と。 旅行に行っても、その関係は何も変わらない。 「ったく……」 「ダメ?」 「わかったよ。じゃあ、三人で旅行にいくか」 「やったぁ!」 妹が飛び上がって喜ぶ。 僕に抱きついて、その喜びを身体で表現した。 「お、おいっ、やめろって!」 「お兄ちゃ〜ん♪」 払いのけようとする僕に逆らって、妹は僕にじゃれついてくる。 まるで、猫のように。 「って、そんなにくっつくなよ!」 妹は猫だ。 だから、猫と友達になれる。 でも、妹は確かに人の世界に生きていた。 「ふふ〜、お兄ちゃん、だ〜いすきっ!」 人である妹に、猫は要らない。 必要なのは、人間の友達だ。 だから、僕は妹から猫を奪う。 母さんを奪われ、親父を奪われた妹から、猫をも奪う。 最後には、この僕すらも奪う。 そうすれば、妹には人間しか残らない。 妹を裏切った、周囲の人間しか。 最後の旅行が待っていた。 僕と妹と猫と。 僕は旅先で椎茸となかよしになり、僕達の大好きな妹のために、またこの妹を裏切ろう。 妹がこの世界で生きるためには必要なことだ。 僕はそう、信じていた。 |