銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第十五章 優しさを力に



『おめでとう、初音』
「え、あ、うん……ありがと、スレートさん」

一夜明けて、少しだけ心境の変化。
その結果がこれ。
こういうのはスレートさんの方がいいかと思って、アゼルさんよりも先に話をしようとしたんだけど、何だか失敗だったみたい。
スレートさんはどうやってかは知らないけど、全てお見通しだったみたいで、昨日の夜、わたし達の間にどういうやり取りが行われていたのか知っているかのような発言だった。

『まあ、あなたにしては上出来ね。リネットの時はもうどれだけイライラさせられたことか……』
「リネットさんもスレートさんに相談したの?」
『しないわよ。リネットはそういうの、嫌いみたいだったから。必要がある時以外は私と話そうともしなかったわ』
「そ、そうなんだ……」
『その分初音はいい子ね。ちゃんと私の忠告を毎日聞こうとしてくれるんだから』
「忠告って……」

別に忠告を聞こうとしてる訳じゃない。
わたしはただお話がしたかっただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
でもスレートさんはそうじゃないみたい。
自分をわたしの助言者としての位置に置いて、わたしに色々言ってくれる。
別に嫌な訳じゃないけど、相手をしていて疲れるのも事実だった。

『それより初音も案外積極的ね。まさか自分から抱いてって言うとは思わなかったわ』
「って、そんなこと言ってないよ!」
『そう?』
「そうだよっ!」
『でも、似たようなもんじゃない。違う?』
「うっ……ち、違わないけど」
『ならよし。リネットは初音みたいに言えなかったから、次郎衛門と結ばれるまで一体何年かかったことか……』
「そ、そんなに?」
『ええ。やっぱり私に相談したかしないかが大きかったのかしらねぇ』

結局自分が偉いと言うことらしい。
でも、リネットさんがスレートさんとお話をしなかったのはちょっと勿体無いような気がする。

「でも、これでウルサさんがお兄ちゃんを狙うなんてこと、なくなるかなぁ?」

スレートさんはいざ知らず、わたしにとってはそっちの方が問題。
しかしスレートさんはあっさりと私に答えた。

『無理ね』
「えっ?」
『ウルサにとって初音と耕一さんがどういう関係だろうと関係ないから』
「じゃ、じゃあどうして……」
『それは単に私がそうなった方がいいと思ったから。それに呼び方に関しては真実よ。私もそれ以上のことは期待してなかったし』
「そ、そんなぁ……」

何だかスレートさんに一杯食わされた感じ。
少しだけ、むっとした。

『でも、目敏いあいつのことだから、あなた達の変化にはすぐ気付くと思うわ。変にこの船に馴染む前に行動を起こすかも知れない』
「ってことは……」
『とにかく初音は耕一さんから目を離さない。実際ウルサは狡猾なだけじゃなくこの船随一の使い手だから』
「じゃあ、わたしは……」
『もしウルサが仕掛けてきたら話は簡単。初音が意思を傾ければ私がそれに応じてあいつを貫くから』
「でも、船内でそういうことをするのは……」
『あなたは初音で私はスレート。選ばれし者なのよ。だから誇りを持ちなさい。あなたはまだ自分の力を駆使したことないから知らないかもしれないけど、あなたが望めば何だって叶うわ。『巫女』とはそういう特別な存在なのよ』
「そ、それは……」

わたしは戸惑いを隠せなかった。
自分の力なんて、ちょっとスレートさん達とお話が出来るだけだと思っていた。
でも、スレートさんははっきりと『選ばれし者』と言う。
別にわたしはそんなのじゃなくてもいいのに。
ただ、普通にみんなと楽しく暮らしたかった。
それなのに現実はこう。
お話の中だけの世界に今こうして存在している。
わたしは今更ながら、この状況に恐れを感じていた。

『私にとってこの船の人工隔壁なんて薄紙にも等しいわ。爆発させずに初音の思った箇所に風穴を空けるくらい造作もないこと』
「別にわたしは……」
『そういうところもリネットそっくり。全く私の乗り手はどうしてこうも腑抜け揃いなの? ウルサが害を加えようとするなら排除すればいい。簡単なことじゃない』

スレートさんがじれったそうに言う。
確かにスレートさんの気持ちもわかるけど、とにかくわたしはそういうのが嫌だった。

「でも、よくないよ、そういうのは」
『ウルサを消さなければ、耕一さんが消されるのよ。それでもあいつを擁護するの?』
「そういう訳じゃないよ」
『ならどうするつもり?』
「話して……わかってもらえないかな?」

わたしはそうとしか答えられなかった。
スレートさんの意見に理があるのはわたしにもわかる。
でも、人の命はそんなに軽いものじゃない。
困難だとわかっていても、話し合いで解決したかった。

『無理ね』
「どうしても?」
『どうしても。まあ一つだけ、方法がないこともないわ』
「それって?」
『初音がウルサに抱かれて新たな『巫女』を産むこと。あいつの望みは自分が『巫女』を発見した人物になるのではなく、耕一さんのように『巫女』と直接関係する人物になりたいのよ。そうすれば、あいつがイサドの王になれるから』
「…………」

おぞましい話。
でも、スレートさんの考えは真に迫っている。
わたしがそうすれば、誰も死なずに済むかもしれない。
そして傷つくのはわたしだけ。
それはここに来ることを決めた時と同じなのに、何故か今回は自分の身を捧げようという気になれなかった。

『嫌な話よね、初音。もしあなたが認めても、この私が許さないわ。誇りあるスレートの乗り手にそのような辱めは受けさせない』
「……ありがと、スレートさん」
『ウルサを粛正なさい、初音。あなたにはその権利があると同時に、義務もあるのよ。だから――』

わたしはそこで、強制的にスレートさんとの会話を打ち切った。
基本的にわたし達の会話は、わたしの方にその意志がないと成立しない。
わたしの意志なくしては、スレートさんがわたしに話し掛けることは出来ないのだ。

「ごめんね、スレートさん」

独り呟く。
スレートさんがわたしのことを想って言ってくれているのはよくわかった。
だからこそ、これ以上話をするのが辛かった。
スレートさんに何を言われても、わたしがその意見を受け入れることはないだろうから。



「初音」
「…………」
「初音っ!」
「……え、えっ?」

顔を上げると、わたしの正面に耕一さんが立っていた。

「どうかした? 何だか顔色悪いけど」
「う、ううん、何でもない、平気」
「そう?」

耕一さんは半信半疑の表情。
アゼルさんやスレートさんとお話する時はこうして周囲が見えなくなることがよくあるけど、残念ながら今はそれだけじゃない。

「それより何か用?」
「ああ、また少しこの船を見て回ろうかと思ってね。初音も一緒に行く?」
「うん!」

少しだけ、気晴らししたい。
誰かと接していれば、今頭の中をぐるぐるしているものも忘れられるような気がした。



「これは女王陛下、ようこそいらっしゃいました」
「お嬢さんいらっしゃい。また見回りかい?」
「また色々話を聞かせてくれよ」

クルーのみんなのところに行くと、出迎え方は千差万別。
礼儀正しい人もいればざっくばらんな人もいて、それがわたしに人間味を感じさせてくれた。

「みんな初音のこと、歓迎してるよ。一躍人気者だな」
「そ、そんなぁ。そんなことないよ、耕一さん」
「いやいや、奴等の表情を見てればわかるって。ウルサとは大違いだろ?」
「う、うん……」

確かにウルサさんとは違った活気があった。
表情が伴っているから、その言葉も偽りではない。
耕一さんの言う通り、明らかに歓迎されている節があった。

「でもみんな、いきなりわたしみたいなのが出て来ても平気なのかな? わたし、イサドのことは全然知らないし……」

それがわたしの率直な疑問。
いくら伝説の『巫女』だからと言って、いきなり受け入れられるはずもない。
しかし、わたしの呟きを耳に入れた一人が、そんなわたしの疑問に答えてくれた。

「初音さんは誤解していらっしゃる。『巫女』とは単にエルクの生体兵器と語らう能力を持つ者ではないのですよ」
「えっ、それってどういうこと?」
「エルクやイサドのみならず、全てにおいて現在の人心は荒廃しきっている。それは即ち、優しさが力を持たなくなったからです」
「優しさが力……?」
「そうです。優しさに力がないから価値を失う悲しい世の中です。しかし、『巫女』は違う。生体兵器との交信は優しさを力に具現化することに等しいのです。全てを優しさで包み込むことで、皆を幸せに導くことが出来る。我々はそう信じているからこそ、辺境調査団を編成してまで『巫女』の探索に当たっていた訳です」
「そ、そうなんだ……」

素敵な話だった。
別に力が全てじゃないけど、優しさが全てに勝る力になるという考えはわたしの胸を打った。
そしてこの人達はそれを信じてわたしを慕ってくれる。
わたしは純粋に、そんな彼らの想いに応えたくなった。

「しかし、それは全て伝説の中の話でした。もう歴史が伝説となって久しい。我々の行動は夢物語を信じて彷徨うにも等しかったのです。現に『巫女』の存在を疑う声もありました。星船と語らう者などいるはずもない、と。しかし、ここには今、あなたとスレートがいます。私はあなたと言葉を交わし、伝説が真実であったことを確信しています。あなたなら、イサドを優しさで楽園に変えてくれるかもしれない。そう思うから、あなたを我等の指導者として女王の椅子に着いて欲しいと願う訳です」
「な、何だか照れ臭いよ……」
「いえ、言葉はどうあれ、皆想いは同じです」
「そ、そうかな?」
「信じて下さい、我々を」

そう言う時の私を見る目は本当に澄んでいた。
わたしには彼らの言葉を疑うことが出来ない。
スレートの言葉との板挟みになって、わたしは困惑した。
そして助けを求めるように耕一さんに視線を向ける。

「よかったね、初音。こういう話を聞くと、ここに来てよかったと思うよ」

耕一さんは笑顔でそう言ってくれる。
わたしの気持ちも同じだった。

「うん、わたしも。みんないい人だよね」
「ああ。イサドの連中のイメージが大きく変わったよ」
「そうだね。でも……」

そこで言い淀む。
わたしにはウルサさんの問題が重く圧し掛かってきていた。

「どうした、初音?」
「う、うん。ウルサさんはね、どうなのかなと思って」
「奴か……」

耕一さんは表情を強張らせた。
イサドの人達の悪いイメージが払拭されても、未だにウルサさんを警戒している姿だ。

「イサドの上下関係がどうなっているのかわからない。だから、こんないい奴等に迷惑をかける訳にも行かないよな、初音」
「そうだね。わたしもそう思う」
「ウルサのことは俺達で何とかしよう。それが一番だ」
「…………」

何とかするとは何なのか?
それはわかりきったことだけど、はっきりと口にしたくはなかった。
優しさでみんなを包み込む第一歩がこんな形で始まるなんて考えたくない。
それでは今までと何にも変わらないような気がする。
イサドの人達の熱い期待に背くことなんて、わたしには出来ない。
でも――そのための解決法が、わたしには少しも思い浮かばなかった。


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