銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第十四章 夜を重ねて



『どうやらご機嫌な様子ですね、初音』
「うん、とっても!」

いつもの恒例となったアゼルさんとのおしゃべり。
傍に耕一お兄ちゃんがいる時は控えてるけど、夜寝る前とかには必ずアゼルさんとお話をしていた。

『最近の初音は元気がありませんでしたから。私も嬉しいです』
「ありがと、アゼルさん。やっぱりアゼルさんはやさしいね」
『いえそんなことは決して……』

こういうことを言ってくれるアゼルさんがわたしは好きだった。
耕一お兄ちゃんは優しいけど、わたしも甘えてばかりはいられない。
大好きなお兄ちゃんの前ではいつも笑顔でいたいし、だから自然と弱音を吐いたり愚痴を言ったりする相手はアゼルさんになった。

「ううん、やさしいよ、とっても」
『それは初音が優しいからですよ。私は所詮、一介の貨物プラントにしか過ぎませんから』
「そんな自分をおとしめるようなこと言っちゃ駄目だよ。アゼルさんはアゼルさんなんだから」
『でも、スレートとは違います』

アゼルさんはきっぱりとそう言う。
わたしとは違って、明らかに線引きをしていた。

「それはそうだよ。でも、わたしはスレートさんよりもアゼルさんの方が好きだな」
『スレートこそ、初音には相応しいと思いますが……』
「どうして?」
『外観も能力も違います。私などとは比べ物にもなりません』
「そんなの関係ないよ。だってわたし、アゼルさんとお話してた方が楽しいもん」
『……光栄です、初音』

そう言う時のアゼルさんは、本当に優しい声だった。
アゼルさんは真面目で冗談も言わないけど、いつも真剣にわたしに接してくれる。
どんな些細なことでもちゃんと答えてくれるし、その発言はいつもためになるものばかりだった。



『もう少し女王らしく振る舞ったらどう、初音?』

そう言うのはスレートさん。
実際スレートさんよりもアゼルさんと話していた方が楽しいんだけど、楽しいからってアゼルさんとばっかり話している訳にもいかない。
わたしは意識してスレートさんとも話をするように努めていたし、向こうもわたしとの会話を求めていた。

「そ、そんなこと言われても……」
『あなたは女王なのよ、初音。人の上に立つ者として、それなりの威厳と言うものを示さないと』
「う、うん……」

スレートさんと話す時は大抵こんなお説教になる。
スレートさん曰く、どうもわたしは不甲斐ないらしい。
偉大なる女王の専用艇たるスレートさんには、それに相応しい乗り手が必要だと考えているようで、現在の乗り手であるわたしを教育しようと躍起になっている。

『リネットもそうだったけど、あなたもあなたね。どうしてそう腰が低いの?』
「わたしは今までそういう環境じゃなかったから……」
『じゃあ、なるべく早く馴れなさい。いい?』
「は、はい……」

やっぱりスレートさんは苦手。
でも、悪気はないんだろうから怒ることも出来ない。
それにスレートさんにはアゼルさんにない重要な点が二つあった。
一つはリネットのことを知っていると言うこと。
そしてもう一つは……わたしの周囲で唯一の女の子だと言うことだった。
女の子って言うにはちょっととげとげしいところがあるけど、それでも女の子同士でしか相談出来ないこともあった。

『あと、あなたの耕一さんのことだけど……』
「う、うん」

あなたの耕一さん、って言われるとちょっぴり照れる。
でも、わたしが耕一さんのことを話したら、スレートさんはわざわざ『あなたの』とつけるようになった。
その辺が如何にも女の子らしくて、友達の沙織ちゃんを何となく思い出させた。

『本当にこのままでいいの、初音?』
「え、えっ?」
『ここに来てからと言うもの、本当に兄妹の関係に終始してるじゃない』
「で、でも……」
『名目上、あなた達は夫婦ってことになってるのよ。このままだと、あのウルサってのが疑い出しかねないわ』
「それは……」

少し、話の角度が変わってきた。
確かに耕一お兄ちゃんはわたしの夫っていう立場にあるからこそ、ウルサさんにも発言力がある。
それを見越しての楓お姉ちゃんのアイデアなのかもしれないけど、このままではスレートさんの言う通りになってしまう。

『ウルサは野蛮な男よ。だから男って嫌いなの』

スレートさんは毒づく。
話していると本当に女の子みたいだ。

「そんな……ウルサさんは礼儀正しい人だよ」

それ以上の誉め言葉が思い浮かばないのが情けないけれど、とにかくわたしはウルサさんを弁護した。
でも、スレートさんは不愉快そうにわたしに応えて言った。

『礼儀正しいのはあなたが私の乗り手だからよ、初音。性根は卑しいわ』
「ど、どうして?」
『あいつ、私のことを調べようとするのよ。まあ、楓みたいに入れてやるなんてことはしないけど。私には女の子とその恋人しか乗せてあげないんだから』
「そ、そんなことがあったんだ」
『ええ。しかも野心たっぷり。今度余計なことしたらレーザーで焼いてやるわ』
「別にそこまでしなくても……」

スレートさんの気持ちもわかるけど、少し大袈裟に感じた。
確かにわたしもウルサさんのことはよく思えない。
そもそもわたしがみんなとお別れしてここに来るようになったのはウルサさんのせいだった。
ウルサさんはわたしのことを柏木初音としてではなく、本当に『巫女』としてしか見てくれない。
あの人に必要なのはわたしの能力であって、わたし個人のことはどうでもいいのだ。

『でも、注意するに越したことはないわ、初音』
「えっ?」
『あなたには私がついているから平気だけど、あなたの耕一さんでは話が別よ。あいつにとって、あなたの耕一さんはいてもいなくても関係ないから』
「…………」

少し背筋が寒くなった。
スレートさんの発言は真に迫っている。
ウルサさんの思考がそういう方向に向かっても、少しもおかしくなかった。

『だから、いつもあなたの耕一さんの傍にいてあげなさい。あなたが意識すれば、それだけで私が耕一さんを守る武器になるから』
「う、うん……ありがと、スレートさん」

わたしにとってスレートさんは少し口煩くて苦手な存在。
でも、わたしのことを考えてくれているのは確かだった。
リネットはあんまり話をしなかったみたいだけど、わたしはスレートさんとも話をしていきたいと思う。
スレートさんなりの優しさは、わたしにもちゃんと伝わってきていたから。



「今日はどうだった、初音ちゃん?」
「う、うん、楽しかったよ、耕一お兄ちゃん」

アゼルさんともスレートさんともお話はするけど、やっぱり耕一お兄ちゃんと話をする時間が一番長い。
起きている時は大体一緒にいるし、本当に心から頼れるのはお兄ちゃんだけだった。

「それはよかった。でも初音ちゃんは凄いよな。もうイサドの公用語は大体わかるんだろ?」
「う、うん、まあね」

お兄ちゃんが驚くのももっともだった。
私自身、ウルサさん達が話す言葉が大体理解出来ることにびっくりしていた。
スレートさん曰く、イサドの言語はかなりエルクゥの言語に似ているのだそうだ。
それが理由の全てって訳でもないけど、何となくわたしにも理解出来た。

「俺は永久にこいつが手放せそうにないよ。これがあれば英会話の講師にだってなんだってなれるのにな」
「あははっ、そうだね、耕一お兄ちゃん」

お兄ちゃんはイサドの超小型言語補助装置に手をやる。
これはイサドの科学力の粋を集めたもので、最初違和感のない日本語には本当に驚かされた。
でも、お兄ちゃんの笑い話も何だか悲しい。
もう苦手だった英語に苦しめられることも、わたし達にはなくなってしまったから。

「まあ、そんなことはどうでもいいとして、問題はあのウルサって奴だよな」
「うん……」

お兄ちゃんもスレートさんと同じく、ウルサさんのことをよく思っていない。
でも、私自身そんな気持ちがなくはないから、強く否定することも出来なかった。

「連中はみんなあんな感じかと思ってたけど、実際はそうでもないしな。他の奴等は結構いい奴も多かったよ」
「そうだね。最初はわたしがあの伝説の『巫女』だってことでおっかなびっくりだったけど、最後の方ではみんなわたしのことかわいいかわいいってほんとにかわいがってくれたし」
「まあ、異なる種族でも審美眼は一緒だってことだよ。初音ちゃんはホントにかわいいんだし」
「も、もう、耕一お兄ちゃんったらっ!」

わたしは恥ずかしくなってぽかっとお兄ちゃんを叩く。
ふざけての発言だっていうのはわたしもわかっているんだけど、それでもやっぱり恥ずかしかった。

「いやいや、俺もこんなかわいい彼女がいて幸せ者だよ。クルーの連中にも鼻高々って奴だな」
「そんな彼女だなんて……」
「違うの?」

意地悪そうに耕一お兄ちゃんが言う。
その意図がわかるだけにちょっと悔しいけど、同時に嬉しくもあった。

「ち、違わない……よ」
「うんうん」
「わたしはお兄ちゃんのこと、好き……だから……」
「俺も初音ちゃんのことが好きだよ」

そんなお兄ちゃんの台詞は何度も聞いてきた。
ともすればあっさりと崩れてなくなってしまいそうなわたしのちっぽけな強さを支えてくれたのは、お兄ちゃんのこの言葉だった。
でも、スレートさんの言葉を聞いた今、それも空回りしているような気がする。
いくら好きだと囁かれていても、客観的に見れば兄と妹の関係でしかない。
それはお兄ちゃんの身の危険にも繋がるし、それに――そんな関係がわたしにはちょっぴり寂しかった。

「耕一お兄ちゃん」
「なに、初音ちゃん?」
「あの……わたしから、お願いがあるんだけど……」
「お願い?」
「うん。いいかな?」
「いいよ。とにかく言ってみて」
「ありがと」

実際自分から言うのはかなり照れ臭い。
でも、お兄ちゃんが気付いていない以上、先に気付いたわたしが言わないとどうなるかわからない。
確かにお兄ちゃんは頼れる存在だけど、だからって頼ってばかりもいれらないし、自分に出来ることはちゃんと果たすべきだった。

「あのね、その……これからお兄ちゃんにね、わたしのこと、『初音』って呼んで欲しいんだ」
「えっ?」
「へ、変な意味じゃないんだよ。スレートさんがわたし達のこと、心配してくれたんだ。夫婦ってことでここに来たのに、いつまでも兄妹みたいなのはよくないって」
「そう……」
「別にお兄ちゃんにちゃん付けで呼ばれるのが嫌って訳じゃないからね。夫婦じゃないってウルサさんに思われたらお兄ちゃんが……」

殺されるかもしれない。
それは口に出すのも躊躇われることだった。

「――ごめんな、初音ちゃん。何だか変な気を遣わせちゃって」
「う、ううん、いいの。わたしの方こそ、変なこと言い出してごめんなさい。もしお兄ちゃんが嫌なら――」
「嫌なんてことはないよ、初音」

お兄ちゃんがわたしの言葉を遮って言ってくれた。
わたしのことを『初音』って。
何だかわたし、それだけで込み上げてくるものを感じちゃって、いい意味で不思議な感じだった。

「お兄ちゃん……」
「それから初音が俺のこと、『お兄ちゃん』って言うのも無しな。そうでないと釣り合いが取れないだろ?」
「う、うん。じゃあ、どう呼んだらいいかな?」
「初音はどう呼びたい?」
「え、えっと……耕一さん、かなぁ? 何だか楓お姉ちゃんみたいだけどね」

クスッと笑う。
でも、言った後でそこに楓お姉ちゃんの名前が出てきたことに驚いた。
お兄ちゃんを『耕一さん』って呼ぶのは何も楓お姉ちゃんだけでなく、千鶴お姉ちゃんもそう呼んでいる。
それなのに楓お姉ちゃんのイメージがあるのはやっぱり言い方の違いだと思う。
楓お姉ちゃんが言う『耕一さん』には何だか特別なものがあるように感じていたから。

「わかった。じゃあ、俺のことは今から『耕一さん』。それでいいね?」
「うん、ええと……耕一さん」
「馴れるまで少しかかるかな。もちろん初音だけでなく俺もだけど」
「そうだね。でも、すぐ馴れるよ」
「そうだといいね」

意外と呆気なくそういう形で落ち着いた。
お兄ちゃん……じゃなくって耕一さんがわたしの言いたいことをちゃんと酌んでくれてリードしてくれたからだと思う。
それは本当にちょっとしたことだけど、そういうちょっとしたことがわたしを安心させてくれる。
わたしはそれで少し気持ちが大きくなったのか、続けて耕一さんに言った。

「そ、それとね、耕一さん」
「うん、なに?」
「え、えっとね、呼び方だけじゃなくて、その……」

もじもじする。
やっぱり女の子からだと、言いづらいこともある。
それにわたしは、そういうのに馴れてないから。

「遠慮しなくていいよ、初音」
「うんっ。わ、わたし達、夫婦なんだし、耕一さんはわたしを気遣ってくれてるかもしれないけど、別に楓お姉ちゃんが言い出したことだからとかそういうのは関係なくって、その、わたしはお兄ちゃんのこと大好きだし、は、初めてじゃないし、ほんとに夫婦ってことで……」
「いいの?」
「う、うんっ!」

わたしは大きく首を縦に振って元気よく答えてしまった。
何だか複雑な心境だけど、やっぱりわたしの気持ちはそういうことなんだと思う。
スレートさんに言われたからとか、耕一さんの身に危険が迫るかもしれないとか、そういうのは関係なくって、やっぱりわたしは女として耕一さんが好きだから、こういう結論に達したんだろう。
かなり恥ずかしいけど、いつまでもこのままじゃ何も変わらない。
耕一さんがわたしにそういうことが言えないくらいにわたしのことを気遣ってくれている以上、わたしの方から変えていくべきだった。

「……何だか男として情けないよな」
「そ、そんなことないよっ! 耕一さんがやさしいのはよく知ってるから」
「いや……」
「わたし達、もう二人だけなんだよ。だから、もっと支え合っていかないと。わたしはあなたに愛されたいし、わたしはあなたを愛したい。もう人目を気にする必要はないんだし、わたしの気持ちはそういうことだから」
「……ありがとう、初音。本来は年上の俺が言い出すべきなのにね」
「細かいことは気にしないで。だから――」

それ以上、言葉は要らない。
いくら言葉を重ねても、お互いに余計な気遣いを繰り返すだけだった。
だから、わたしはそっと両目を閉じる。
軽く顎を上げて、唇を差し出す。
キスくらいは、耕一さんからして欲しかった。

「初音……」
「うん……」

静かに唇が触れ合う。
お互いにどこかで繋がっていても、完全に理解している訳じゃない。
少しずつ少しずつ、ひとつになっていく行為。
こうして夜を重ねて、何か特別なものを見出せたらいいと思う。
優しく夜は更けていく。
遠い銀河の瞬きも、今の二人には届かなかった――


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