銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第十三章 負の遺産



「これが『巫女』……」

鬼の将、ウルサは俺と初音ちゃんに直接相対して、戸惑い混じりの感嘆の声を発した。

「捕虜、っていうつもりはないからな。俺達だって無力じゃないんだ」

異彩を放つウルサを目の前にして萎縮している初音ちゃんとの間に立ちはだかるように俺は軽く前面に出ると、少し強がるように言った。
俺は全くの無力って訳じゃないが、実質的な脅威を与えることが出来るのは俺ではなくこの初音ちゃんだ。
一応俺達の乗ってきたスレートはそのまま敵の母艦に収容されたが、初音ちゃんの指揮下にあるのは変わらない。
一度初音ちゃんがその気になれば、この巨大な船は一瞬にして破壊し尽くすことが出来るだろう。
その意味で、俺が目にしたこの船のクルーは皆、一見平凡な少女の初音ちゃんよりも、スレートの方を伝説の銀の守護船として畏怖しているように見受けられた。

「無論、我等はあなた達を女王とその夫として遇するつもりだ。ですから――」

態度を改めて、ウルサが膝を折る。

「正式な戴冠はまだですが、こうして忠誠を尽くします」

見慣れぬ物々しい仕種だったが、どうやらそういうことらしい。
俺は背後の初音ちゃんに促すようにして言った。

「手を取るんだ、初音ちゃん」
「えっ、でも……」
「これが最後じゃないんだ。恐らくこんなことが何度も続く。もう、戻れないんだよ」
「う、うん」

もう戻れない。
それは半ば自分に言い聞かせた言葉なのかもしれない。
初音ちゃんがこいつらの女王になるのと同時に、俺もただの三流大学生から初音ちゃんの夫として崇められる立場になる。
あくまで初音ちゃんあっての俺だけど、それでも心中は複雑だった。

「こ、これでいいですか……?」

片膝立ちになって頭を垂れているイサドの手を恐る恐る初音ちゃんが取る。
ウルサは伏せていた目をそっと開くと、そのまま初音ちゃんの手を軽く引き、手の甲に口づけた。

「光栄です、女王陛下……」
「え、あ、はい」

初音ちゃんは馴れぬことにかなりうろたえながらも、小さく応えて手を引っ込めた。
いつまでも続くと思っていた日常が大きく変化する。
これが、その第一歩だった。



「なんだか凄いことになっちゃったね、お兄ちゃん」

俺と初音ちゃんは宛がわれた一室でようやくくつろいでいる。
俺達に与えられたのはそれぞれに一室と言うよりも、二人で一区画というような感じだ。
こっちの価値観とかそういったものはまだ全然わからないけれど、俺達で言うところの一戸建て相当の高級マンションを提供されたと言ってもいい。
ドアの外には衛兵じみた者が立っていたものの、それ以外では完全にプライベートは保護されていると言ってもよかった。

「まあ、こんなもんじゃないかな。初音ちゃんももう少し女王然としてた方がいいと思うけど」
「そ、そんなこと急に言われたって……わたしはわたしだよ」

俺の言葉に初音ちゃんは困った顔を見せる。
そして居心地の悪さを示すように、俺達が言うところのクッションのようなものをぽこぽこと叩いていた。

「それはわかるけどさ、初音ちゃん。でもこれからは少しずつ意識して変えていった方がいい。初音ちゃんに求められている姿、ってものがあるんだろうからね」

初音ちゃんの戸惑いもわかる。
実際俺だって今の状況に戸惑っている。
でも、いつまでも子供のようなことは言っていられない。
こうなってしまった以上は自分に出来ることを果たすだけで、俺は初音ちゃんの保護者としてしっかりこの娘を守ってあげる必要があった。

「……うん。わかったよ、耕一お兄ちゃん」

頭では解ってくれたのか、初音ちゃんはしぶしぶ俺の言葉を受け入れた。
しかし俺の知っている初音ちゃんは人の上に立って喜ぶような性格じゃない。
俺の要求は初音ちゃんの初音ちゃんらしさとは明らかに相反するものだと言うことくらい、この俺にだってわかっている。
だから言葉とは裏腹に、そういう意味ではこれからの苦労が予想された。

「それよりもスレートはどう? 何か言ってる?」

俺は初音ちゃんを気遣って、話題を変えてみる。

「うん。何だかスレートさん、満足してるみたい。やっぱりずっと地下だったからね。基本的に目立ちたがりやさんみたいだから」

表情を変えて初音ちゃんは愉快そうに俺の問いかけに答えた。

「女王の専用艇だからかな?」
「そうみたい。スレートさん、プライドはかなり高いよ。だからわたしとしてはアゼルさんの方が話し易いかな」

初音ちゃんは少し辟易した顔をして見せた。
その言葉から察するに、スレートは自分に自信たっぷりの少し高飛車な女性らしい。
初音ちゃんからしてみれば、長年地道に自分の仕事に励んできたアゼルの方が、しっかりとした大人を感じさせて話していても楽なのだろう。

「なんとなく、俺にもわかるよ。そのアゼルさんとは直接会ってみた?」
「うん。別に見ても見なくてもわたし達にはあんまり関係ないんだけど、それでもやっぱりうれしかったよ」
「そっか。で、おしゃべりはしてるの?」
「時々だけどね」

初音ちゃんは嬉しそうに言う。
やっぱり今の初音ちゃんにとっては女王の立場よりも、星船と語り合うことの出来る『巫女』としての自分を楽しんでいるような感じだ。
でも、それが初音ちゃんらしい。
俺は楽しそうに語る初音ちゃんを微笑ましく見守っていることにした。



「何だか困ったね」

初音ちゃんは言葉ほど困った様子も見せずに、笑顔で俺にそう語った。

「何が?」

既にこのイサドの母艦に来てから数日。
旅立ちの時の悲壮な感じとは裏腹に、俺達は何事もない安穏とした日々を過ごしていた。

「うん。何だかすることもないし。わたし、そういうのって苦手なんだ」
「初音ちゃんらしいね。俺にはそうでもないけど」

実際大学生なんて暇の塊のようなものだ。
初音ちゃんと違って暇なことには馴れている。

「そうなんだ。でも、ここには楽しみとかそういうものはないのかな?」
「あるにはあるんだろうけど。でも大衆のものは女王には相応しくないってウルサの奴が思ってるんじゃないか? 実際この船には他にもいっぱい人がいるけど、直接まともに話したのはウルサだけだし」
「うん……何だかそういうのって寂しいよね」
「ああ」

軟禁、とまではいかないと思う。
しかし、俺達の行動の自由はかなり制限されていた。
かといって、日常生活に不自由があるわけではない。
俺達に与えられた居住空間があまりに立派すぎるために、そこから一歩も出なくても全てが事足りる状態だった。

「わたしね、時々思うんだ」
「……何を?」

初音ちゃんが遠くを見るように言う。
喪われた昔を思い出すことは、俺達にとって禁じられたことでもあったのだが。

「うん、リネットさんのことなんだけどね」
「ああ」
「リネットさんも今のわたしとおんなじだったのかなぁって」
「同じって?」
「女王だか巫女だか知らないけど、特別扱いされて一緒に話すお友達もいなくって……」

そこには寂しそうに語る初音ちゃんの姿があった。
俺は少し居たたまれなくなって、初音ちゃんと同じように視線を下に向ける。

「きっとね、リネットさんにはヨークしかお友達がいなかったと思うんだ。もちろん、お姉さん達はいたんだけどね」
「そうかもしれないな」
「今のわたしもおんなじだよ。お友達って言うのはアゼルさんとそれからちょびっとスレートさんってだけで、あとはお兄ちゃんがいるだけだから」
「…………」

何となく、リネットの様子が目に浮かぶ。
寂しそうに部屋にぽつんと佇むリネットは、まさしく今の初音ちゃんそのままだった。
全てを諦めている節のあるリネットとは対照的に、初音ちゃんは気丈にも笑顔を絶やさない。
でも、それも時間の問題かもしれなかった。
このままずっとこうしていれば、いつか初音ちゃんも笑顔を忘れてしまう。
何故なら、笑顔を見せるべき相手が俺以外に存在しないのだから……。

「初音ちゃん」

真剣な眼差しで見つめる。
初音ちゃんは俺の声の様子の違いに気付いて顔を上げた。

「なに、耕一お兄ちゃん?」
「初音ちゃんがそう思うんだったら、これから変えていけばいい」
「変える……?」
「ああ。初音ちゃんにはその権利があるんだ。何も全部が全部、ウルサに従う義理はないだろ?」
「お兄ちゃん……そ、そうだよねっ!」
「そうだよ。初音ちゃんには、俺がついているから。言いづらいようだったら俺が代わりに言ってあげるし」
「ありがとう、耕一お兄ちゃん!」

初音ちゃんは俺の手を取って飛び上がるように喜ぶ。
こんな些細なことで喜んでもらえて、俺も少しくすぐったかった。
でも、それが初音ちゃんらしい表現方法だ。
俺は素直に全身でそれを受け止めることにした。



「女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく……」

ウルサに面会を求め、二人して執務室に通されると、仰々しい挨拶に出迎えられた。

「ウルサさんも」

初音ちゃんはにこやかに応える。
これが普段の初音ちゃんだが、実はこの俺がずっとこんな言い方を禁じていた。
ウルサは一瞬目を丸くしながらも、女王らしからぬ初音ちゃんの言葉に不満の色を見せながら応えた。

「この私にどのような御用でしょうか?」

ちらりと視線が動く。
その先にはこの俺がいた。
ウルサにとって、俺は邪魔者以外の何者でもなかったからだ。

「うん、ちょっと気になることがあって」

所謂タメ口って奴だ。
初音ちゃんにとってウルサは年長者だから、普段の初音ちゃんなら敬語で話す。
しかし今回は意識して馴れ馴れしくしてもらった。
実際初音ちゃんが求めている関係と言うのはそんな感じだったから、別におかしくもない。
初音ちゃんも今まで溜まっていたものを放出させるように、本当に楽しそうな顔で言っていた。

「気になること、とは……?」

ウルサの目は初音ちゃんを見ながらも、意識は俺の方に向いている。
明らかに、俺の差し金だと信じているようだった。

「別にウルサさんがわたしを女王として扱ってくれるのはいいんだけど、わたしは他のみんなも知っておきたくて」
「なるほど」
「だから、船内を自由に見て回るのも許して欲しいんだ。一応、そのうち女王の指揮下に入るんだし」

最後の釘を刺すような一言は俺の提案によるものだ。
初音ちゃんの要求は女王としては相応しくないが、それが女王の意志だと言うことを意識させれば、ウルサも承諾しない訳にはいかないはずだった。

「――畏まりました。護衛の者を同行されるのであれば、万が一の時にも安全だと思われますので」

ウルサは恭しく頭を下げて言った。
しかし、その表情はいつもよりも険しい。
俺の予想は見事に的中していた。

「よかった、ウルサさんがそう言ってくれて」
「御用件はそれだけで御座いますか?」
「うん、そうだよ」

初音ちゃんは苛立ちを押し殺しているウルサに笑顔でそう言う。
今のウルサにとって、これは殆ど嫌がらせだろう。
初音ちゃん自身にそんな意はないものの、傍から見ている俺には実に滑稽で爽快だった。

「じゃあ初音ちゃん、もう行こうか」
「うん、耕一お兄ちゃん」
「ではウルサ閣下、我々はこれにて」
「じゃあね、ウルサさん」

俺と初音ちゃんはウルサを刺激しつつ、部屋を後にした。
振り返りまではしなかったものの、歯噛みするウルサの様子が目に映るようだ。
俺は笑いを堪えながら、初音ちゃんを連れて女王用の居住区に戻った。

「楽しみだねっ、耕一お兄ちゃん!」
「そうだね、初音ちゃん」

既に初音ちゃんの脳裏からウルサのことは完全に消え去っている。
初音ちゃんはこの船のクルーとのコミュニケーションのことで頭がいっぱいのようだった。
そんな初音ちゃんを見ていると心からほっとする。
俺は一瞬、ここが地球を遠く離れた大宇宙であることを忘れそうになるところだった。



「クッ……」

小さく声が洩れる。

「猿の分際で調子に乗りおって。あのチカラがなければただの虫けらだと言うのに」

ウルサはきつく拳を握り締める。
はめた白い手袋の皺がその怒りを表現していた。

「『巫女』はともかく、その夫に野蛮な猿は相応しくない。折角手に入れた伝説の『巫女』の血。この俺との交配で産まれし新たな『巫女』を女王の座に据えれば――」

瞬間、音を立てて手袋が破れた。
中からは凶々しい鉤爪が。
それはイサドの科学力でも消し去ることの出来ぬ、エルクゥの負の遺産だった。


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