銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第十章 幸せへの想い



(ちょっといい、アゼルさん?)
(何ですか、初音?)
(うん、ちょっとだけ、気になることがあって)
(言ってみて下さい)
(わたし、アゼルさんとこうしてお話することが出来るよね)
(はい)
(だったらアゼルさんを動かすことって出来るのかなぁ?)
(残念ながら、それは無理ですね)
(どうして?)
(私は所詮物質です。そして初音の所有物ではない。だから、初音の命令で動くことは出来ないんですよ。その辺は絶対的なんです)
(そうなんだ……)
(申し訳ありませんが。そもそもこうして初音と対話しているのも私のプライベートの範疇ですから。公務とはまた別の部分です)
(だから、お友達なんだね?)
(そういうことです)

授業を聞くのも忘れて、アゼルさんとのお喋りに夢中になっていた。
ヨークとお話した時は本当に最期の時だったし、お互いにどこか通じているところがあった。
でも、アゼルさんとは違う。
初めて耳にする新鮮なことばっかりで、わたしの好奇心は留まるところを知らなかった。

(家まで送ってもらえたら、なんて思ってたんだけど)
(残念ですが、乗組員がいますから。いきなり私が勝手な行動をとれば驚きます)
(それもそうだよね。それ以前に学校のみんなが驚くよ。残念だけど、この案は却下だね)
(私も助かります。初音に頼まれると、嫌とは言いづらいですから)
(そんなことはないよ、アゼルさん。断っても問題ないんだよ)
(いえ、私にとって、初音は初めての友人ですから。心が痛みます)
(……それもそうだね。ごめん、思い付きで変なこと言って)
(いいんです。初音と対話するのは、私にとって喜びですから)

アゼルさんはわたしの子供みたいな話にも本当に楽しそうに応じてくれる。
最近滅多にいない、いい話し相手だった。
わたしの知っている人は誰も、こうして私の話を聞いてはくれない。
みんなやっぱり自分の話があるし、そっちを優先させる。
取り敢えずこっちの話も聞いてくれるけど、わたしは相手が喋りたそうだと先に喋ってもらう。
だから結局のところ、人と話をする時のわたしは、大抵受け身になっているのだ。
でも、アゼルさんは違う。
アゼルさんは自分のことをぺらぺら喋ることはない。
基本的にわたしの質問に答えるだけ。
とは言っても、それは義務で答えているんじゃなく、アゼルさんが答えたいから答えている感じ。
だからわたし達は非常にいい関係を保っていた。
突き詰めて考えれば、わたしにとって都合のいい相手っていうだけのことなのかもしれないけど。



「じゃあね、沙織ちゃん!」
「また明日ね、初音!」

無事学校も終わる。
わたしは沙織ちゃんと別れると、いつものように家路に就いた。

「でも、わたしは独りじゃないんだもんね」

そう、アゼルさんがいる。
独りぼっちで寂しいことはない。
家にいる時はお姉ちゃん達がいて楽しいけれど、どこか少し違う気がしていた。

「お姉ちゃん達にとって、やっぱりわたしは妹でしかないから」

結局そういうこと。
わたしは一人の『柏木初音』じゃなく、『妹の初音』にしか過ぎないのだ。
常に妹としてのフィルターを通して見られる。
まず最初に『妹』って言うのがあって、それを補足説明する単語が『初音』だ。
何だかそういうのは寂しかった。
妹なんだから対等じゃないのは当然なのかもしれないけれど、どこかでそんな関係を求めていた。
考えてみると、リネットと次郎衛門の関係も、似たような少し悲しい関係だったような気がする。
リネットはあくまで『エディフェルの妹』でしかなく、次郎衛門はエディフェルのいない悲しみを埋めるために『エディフェルの妹』を愛した。
それは愛とは名ばかりの代償行為に過ぎないのかもしれない。
でも、愛だと信じることで、リネットは耐えることが出来た。
リネットの愛は、憐憫の情。
しかし感性豊かなリネットは、次郎衛門に触れることによって次第に想いの形を変えて行く。
エディフェルへの罪滅ぼしにも似た行為が、自発的に次郎衛門その人を愛するようになっていたのだ。
確かに次郎衛門は優しい。
でも、根底では何も変わらない。
やっぱり次郎衛門はエディフェルの愛した次郎衛門のままで、リネットの愛する次郎衛門にはなってくれなかったのだ。

「だけど、耕一お兄ちゃんは違う」

今、わたしはそう断言出来る。
耕一お兄ちゃんは『初音』を好きだと言ってくれた。
お兄ちゃんにとっては子供も同然なのに、他にお姉ちゃん達がいるのに、わざわざこの『初音』を選んでくれたのだ。
うれしかった。
わたしをわたしとして見てくれる。
わたしをわたしとして愛してくれる。
そのことが、わたしには必要だった。
ずっとずっと求めていた。
お兄ちゃんはまだ、楓お姉ちゃんのことをよく知らない。
もっとお姉ちゃんを知れば、どうなるかわからない。
でも、今は初音を愛してくれる。
もしこれから耕一お兄ちゃんが楓お姉ちゃんを好きになっても、初音を好きになってくれた気持ちは変わらないと思う。
わたしはそれを大切にしたい。
耕一お兄ちゃんは、わたしにとって特別な人だから。



「ただいまー!」

無事に帰宅。
でも、誰もいないのか、出迎えはなかった。

「耕一お兄ちゃん、千鶴お姉ちゃんと出かけてるのかなぁ?」

そんなことを考えつつ、何となくお兄ちゃんの部屋を覗いてみようと思った。
が、その時――

「どういうことなんだよ、耕一っ!」

部屋の中に誰かがいた。
声は――梓お姉ちゃんだ。
相手は耕一お兄ちゃんみたいだから、お兄ちゃんがいるのは間違いない。

「弁解の余地はないよ。千鶴さんがこうなったのは、全部俺のせいだ。殴りたかったら殴ってくれてもいい」
「うるさいッ! 言われなくても殴ってやるよ!」

見ると今まさに梓お姉ちゃんが耕一お兄ちゃんを殴ろうとしている。
わたしは慌てて止めに入った。

「やめてっ、梓お姉ちゃん!」
「は、初音?」
「何があったのか知らないけど、暴力はよくないよ!」

わたしの力で梓お姉ちゃんは止められない。
でも、わたしの言葉で梓お姉ちゃんは自らを止めた。

「わかってるさ! だけどこいつのせいで千鶴姉は!」
「千鶴お姉ちゃん?」
「見ろよ。そこに寝てる」

梓お姉ちゃんが指差す。
するとそこには――今まで気付かなかったけれど、千鶴お姉ちゃんが布団の中で寝ていた。

「お、お姉ちゃん、どうかしたの?」
「どうかしたのじゃねえよ。ここにいる耕一が殴って重傷を負わせたんだ。暴走してな」
「暴走……」

言っていることがよくわからなかった。
どうして耕一お兄ちゃんが?
お兄ちゃんが千鶴お姉ちゃんに酷いことするなんて考えられない。
絶対に何かの間違いだった。

「男の鬼は本当にバケモノだって話だからな。暴走させたのはどうせ千鶴姉だろうから、全部が全部耕一のせいって訳じゃないんだろうけどよ」

梓お姉ちゃんは吐き捨てるように言う。
恐らくやり場のない怒りをお兄ちゃんにぶつけただけだと思う。
お姉ちゃんだってわかっている。
でも、本当にやりきれないのだ。

「でも、千鶴さんをこんな目に遭わせたのは俺のせいだ」
「お兄ちゃん……」
「初音ちゃんだって軽蔑してもいいんだぞ。俺はその辺の動物と同じようなもんだからな」

お兄ちゃんは醒めた目をしている。
自己嫌悪を通り越して、既に放心状態だった。

「そんな……わたしにはよくわからないけど、お兄ちゃんはそんなことする人じゃないよ」
「でも、現にしたんだ。初音ちゃんには悪いけどな」
「…………」

わたしは何も言えなかった。
お兄ちゃんが言う通り、事実は絶対に変わらない。
そんな中、梓お姉ちゃんが誰に言うでもなくぼそっと口にする。

「普通の人間なら全治二ヶ月ってとこだ。でも、相手は千鶴姉だからな。二、三日寝てりゃ治るはずだ」
「えっ?」
「もう起きてるんだろ、千鶴姉?」

梓お姉ちゃんが布団の中の千鶴お姉ちゃんに呼びかける。
すると、布団の中ですうっと目が開いた。

「――本当についさっきよ、目が醒めたのは」
「千鶴お姉ちゃん!」

お姉ちゃんが目を覚ました。
綺麗だった顔も今は傷だらけだけど、澄んだ瞳は何も変わっていない。

「私はこうなることがわかっていてこうしたんだから、悪いのは耕一さんじゃないわ。反対に耕一さんに助けてもらったくらいよ」
「助けてもらっただって?」
「そうよ、梓。耕一さんが暴走したままだったら、私が今ここでこうしていることもないでしょうから」

そう言って千鶴お姉ちゃんは穏やかな笑みを浮かべる。
こんな目に遭ったとは思えないほどだ。

「あと、初音にもお礼を言わないと。ちょっぴり悔しいけどね」
「えっ、わたし?」

よくわからない。
どうしてここで私の名前が出て来るんだろう?

「そう、初音、あなたよ。あなたがいなかったら、私はきっと耕一さんに殺されていたわ」
「こ、殺されるって……」
「初音、あなたの存在が、耕一さんの鬼を食い止めたの。私がもう駄目かと思ってあなた達の名前を呼んだ時、耕一さんは初音の名前に反応してね」

千鶴お姉ちゃんはゆっくりと上体を起こす。
わたしは手を貸すべきだったけど、その発言の内容に驚いて何も出来なかった。

「お兄ちゃんが、わたしの名前を?」
「そうよ。昨日の夜、あなた達の二人の間に何があったのかは詮索しないけど、耕一さんを強く結び付けるようなものが芽生えたのね」
「――うん」

わたしは否定しなかった。
実際どういうことなのかはよくわからない。
でも、お姉ちゃんが言ってることは真実。
そしてわたしは自分の想いと同じく耕一お兄ちゃんの想いも大切に思っている。
だから自分にもお兄ちゃんにも、嘘はつきたくなかった。
それに嘘をついたとしても、もう千鶴お姉ちゃんは全部わかっているような感じだったから。

「おい、どういうことなんだよ、初音?」
「う、うん……そういうこと」

ちょっと恥ずかしい。
梓お姉ちゃんは興味津々な顔でわたしを覗き込んでいたけど、もう顔を赤くするだけだった。

「そ、そういうことってなぁ、初音。あんたどういうことか、わかってんの?」
「わ、わかってるつもりだよ。だから、そういうこと。昨日は言わなくてごめんね。別に隠すつもりじゃなかったんだけど、わざわざ言うことでもないと思って」
「おいおいおい……」

梓お姉ちゃんは呆れた顔をして、わたしの顔をじろじろと見回す。
何だか意外なわたしを再発見したみたいだ。
そして千鶴お姉ちゃんは馴れ馴れしく梓お姉ちゃんの肩を叩きながら言う。

「何だか抜け駆けされた気分よね、梓?」
「あ、ああ。悔しいけど、千鶴姉の言う通りだよ。初音なんてまだまだ子供だと思ってたんだけどねぇ」
「そう言うのは見る目のない証拠だよな、梓。初音ちゃんは充分過ぎる程かわいいぞ」
「って、わかってるよ、耕一っ! 初音はあたしの妹なんだよ。かわいいに決まってるじゃないか!」

耕一お兄ちゃんも余裕が出てきたのか口を挟む。
梓お姉ちゃんがそれに応じて、何だかようやくいつものわたし達に戻ったような気がした。

「そうやってふざけてる方がいいよ。ねっ、千鶴お姉ちゃん!」
「そうね、初音。私も命に別状はないんだし、今回のことはこれで……」

千鶴お姉ちゃんが話を締めようとする。
が、耕一お兄ちゃんはそれを遮って言った。

「いや、千鶴さん、そういう訳には……」
「どうしてです?」
「いくら鬼の力を暴走させていたとは言え、千鶴さんを傷つけたことは紛れもない事実だ。だから――」
「だから、罰を与えて欲しいとでも言うんですか?」
「ま、まあ千鶴さんがそう言うのなら」

耕一お兄ちゃんは畳に両手を突いてうな垂れている。
今にも土下座をして謝りかねない様子だ。
千鶴お姉ちゃんはそんなお兄ちゃんの様子を黙って見ていたけど、何か思いついたのか、急に面白いものを見つけたような顔をする。

「なら耕一さん、私のお願い、聞いて下さいますか?」
「お、お願い……ですか? なんなりと」
「初音のことは諦めて、この私と結婚して下さい」
「な、何ですって!?」
「だから、私、柏木千鶴と結婚して下さい」
「って、どうしてまた急に!?」

千鶴お姉ちゃんは妙にニコニコしている。
傍から見るとかなり怪しい表情なだけに、すぐにお兄ちゃんをからかう冗談だってわかる。
でもお兄ちゃんはその内容に完全に気が動転して、冗談だって気付かない様子だった。

「お兄ちゃん、冗談だよ。千鶴お姉ちゃんの冗談」

わたしは小さく助け船を出してあげる。
でも、それを耳に入れた千鶴お姉ちゃんが私を叱った。

「こらっ、初音! あなたは黙ってなさい!」
「でも、耕一お兄ちゃん本気にしてるよ」
「本気に思うくらいじゃないと、罰にならないでしょ」

お姉ちゃんはしれっとそんなことをわたしに言う。
そして改めて耕一お兄ちゃんに向き直ると、例のニコニコ笑顔で言い訳した。

「冗談なんかじゃありませんよ、耕一さん。私は本気ですから」
「何だか千鶴姉ってヒドイ女だよな、初音?」
「う、うん……」
「こら、そこっ!」

わたしも梓お姉ちゃんも呆れている。
流石に耕一お兄ちゃんも気付いたようで、千鶴お姉ちゃんに向かって言う。

「千鶴さん、二人はああ言ってますけど……」
「え? ああ、別に気にしないで下さい。初音はまだ大人のことはよくわかりませんし、梓はほら、アレですから」
「アレって何なんだよ、千鶴姉っ!」
「アレったらアレに決まってるじゃない。梓、あなたはアレなんです。それで決まりっ!」
「そんなんわかるかッ!」

いつもからかわれている仕返しなのか何なのか。
とにかく千鶴お姉ちゃんは楽しそうだった。
でもそんな中、二人のやり取りを遮るように耕一お兄ちゃんが真面目に言う。

「……ごめん、千鶴さん」
「耕一お兄ちゃん?」
「悪いけど、千鶴さんのお願いは聞けない。やっぱり俺、初音ちゃんのことが好きだから……」

真剣な眼差し。
千鶴お姉ちゃんも、同じくらい真剣な瞳で返した。

「その言葉が聞きたかったんですよ、耕一さん」
「済みません、千鶴さん」
「いいんですよ、もう。妹の幸せのためなら、私も姉として祝福してやらないと」

千鶴お姉ちゃんは穏やかな表情で言う。
でも、それには何だか不思議な違和感が伴っていた。

「初音ちゃんの保護者として、千鶴さんに言います。初音ちゃんが大きくなったら俺に下さい」
「ええっ!?」

何だか話が飛躍していた。
わたしは驚いて声を上げたけど、二人とも聞こえていないかのように話を進める。

「私に拒む権利なんてありません。それよりも、初音自身に言ったらどうですか?」
「そ、そうでしたね。つい早まりました」

耕一お兄ちゃんは気まずそうに頭を掻く。
そしてわたしに向き直ると、仰々しく言う。

「初音ちゃん、俺のお嫁さんになって欲しい」
「そ、そんな……」
「今すぐにとは言わない。初音ちゃんが大学を卒業したくらいにでも」
「い、いきなりそういうこと言われても困っちゃうよ、耕一お兄ちゃん」

わたしは恥ずかしすぎて耕一お兄ちゃんの顔を直接見ることが出来ない。
まさかいきなりプロポーズだなんて――

「初音は嫌だってさ、耕一。大人しく諦めろ」
「うるさい、梓は黙ってろ」
「ちぇっ、いいよな、色男はよ……」

梓お姉ちゃんが舌打ちをしている。
でも、耕一お兄ちゃんはもう余計なことを言わずにじっとわたしの返事を待っていた。

「あ、あの……」
「慌てなくてもいいんだよ、初音ちゃん」
「わ、わたし、そういうのはまだ……」
「うん、わかるよ。だから、返事は今でなくてもいい。じっくり考えて、結論が出たら答えてくれればそれでいいから。今はただ、俺の気持ちを男としてはっきりと伝えておきたかっただけでさ」
「……ありがとう、耕一お兄ちゃん。ごめんね、わたし……」

耕一お兄ちゃんが嫌いな訳じゃない。
でも、何となく今は返事が出来なかった。
そしてその理由は――口では言わないけどわかっている。
そう、ここには楓お姉ちゃんがいないから……。

「謝らなくてもいいって、初音ちゃん。そんな顔は似合わないよ」
「う、うん……」

泣きそうだった。
耕一お兄ちゃんの包み込むような優しさがうれしくて、静かに肩を叩いてくれるその手があったかかった。

「もう、勿体無いわね、初音も。そんなゆっくりしてると私が耕一さんを取っちゃうわよ」
「って、洒落に聞こえないぞ、千鶴姉」
「うるさいわねっ!」
「おお恐い。嫌だね、人の恋路を祝福できない奴は」
「あなたはどうなのよ、梓!」
「あたし? あたしは別に。初音が喜んでくれるのならそれでいいよ。まあ、初音は出来のいい妹だから問題ないけど、相手の耕一の方に問題ありだな。初音をくれてやるには勿体無いよ」
「強がっちゃって。耕一さんのこと、好きだったくせに」
「千鶴姉こそ」
「ええ、好きよ。悪い?」
「悪いね。妹の男に手を出す気かい?」
「まさか? 私にだってそのくらいの分別はあるわよ」
「そうかい。そいつはよかった」

周りでは千鶴お姉ちゃんと梓お姉ちゃんが漫才を繰り広げている。
冗談に聞こえないような内容だけど、でも楽しかった。
わたしの隣には耕一お兄ちゃんがいて、温かい家族がそれを包み込んでくれる。
それは一瞬だけでも、わたしに辛さを忘れさせてくれた。

「初音ちゃん、俺がついてるから」
「うん!」
「俺の鬼の力で敵のエルクゥなんて全部やっつけてやるからさ」
「えっ!?」

ふと、現実に返る。
こんなことを言って遊んでいる場合じゃなかった。
わたしとアゼルさんがお友達になったように、きっとアゼルさんに乗ってやってきた人達とも、話し合えば理解出来るはず。
そのことを、耕一お兄ちゃん達に伝えたかった。

「お兄ちゃん、そのことなんだけど……」
「何、初音ちゃん?」

耕一お兄ちゃんの表情は余裕に満ち溢れている。
初めて得た力に舞い上がっているに違いない。
でも、そんなお兄ちゃんはわたしの好きなお兄ちゃんじゃなかった。

「その……エルクゥの人達と、仲良くなれないかな?」
「えっ?」
「だから、戦わなくて済むなら、戦わない方がいいと思って」
「それはそうだけど……相手はバケモノなんだよ」

耕一お兄ちゃんは諭すようにわたしに言う。
恐らく、諦めとも言える固定観念が耕一お兄ちゃんを包み込んでいた。

「でも、そんなこと言ったらそれを殺そうとするわたし達はどうなの? バケモノ以上の存在じゃない」
「そ、それは……」
「わたし達はバケモノじゃないよ。人間なんだよ。人間には人間のやり方ってものがあるじゃない」

憤りにも似た感情。
それはもしかすると、リネットの頃から受け継がれているのかもしれない。
血で血を争う戦いなんて絶対に何も生まない。
生むものがあるとすれば、それは悲しみだけだった。
現に過去の戦いにおいて残ったものは次郎衛門の、そしてリネットの悲しみだけで、それに続くものは虚しい日々だった。

「でも初音ちゃん、俺は暴走して千鶴さんを傷つけたんだ。この君の大事なお姉さんの千鶴さんをだぞ。俺だって、千鶴さんのことは大好きだ。大好きでも、鬼の血の昂ぶりの前にはどうすることも出来なかったんだ。そして俺達の相手ってのは、そんな頭のイカレた連中の集まりなんだぞ」
「だけど耕一お兄ちゃんも千鶴お姉ちゃんもここにいるよ! そしてお兄ちゃんはお姉ちゃんに謝った。わたしはそれでいいと思う。たとえエルクゥの人に何かされても、ちゃんと後で謝ってくれれば――」
「それじゃ手遅れなんだよっ!」

耕一お兄ちゃんが怒鳴った。
わたしはビクッと身を竦ませる。
それを見て言い過ぎを悟ったのか、耕一お兄ちゃんは穏やかに言い直してくれた。

「それじゃ……それじゃ手遅れなんだよ、初音ちゃん。たまたま今回は千鶴さんも生きててくれたけど、もしかしたら俺が殺しちゃってたかもしれないんだよ。もし初音ちゃんが殺されるなんてことにでもなると……」
「お兄ちゃん……」
「初音ちゃんが言いたいことはよくわかるよ。でも、相手は人間じゃない。しかも地球人ですらないんだ。それを地球人と同じ物差しで計るのは危険過ぎる。俺にはそんな危険を冒すことなんて出来ない」
「…………」

耕一お兄ちゃんの言うことは理に適っている。
そして、わたしの言っていることが理想論だということも。
だけど、わかっていても尚、わたしは戦いで物事を解決したくはなかった。

「初音、耕一さんはあなたのことを想って、そう言ってるのよ」
「まあ、あたしも耕一の言うことに賛成だよ。そう簡単に仲良くなれるなら、人間苦労しないもんな」

二人のお姉ちゃんも、お兄ちゃんに賛同していた。
わたしは今、孤立している。
でも、ここで負けてはいけなかった。
ここで負けたら、またあの過去の日の二の舞になる。
わたしは絶対に退けなかった。

「でも、やっぱり戦いはよくないよ。何とか別の方法を――」

と、みんなを何とか説き伏せようとした時、大きな音が玄関の方から聞こえた。

「んっ、何だ?」
「楓かなぁ?」

みんなが疑問に思っている間にも足音が近付き、そしてわたし達の前に姿を見せる。

「楓お姉ちゃん……」

そこに現れたのは、やっぱり楓お姉ちゃんだった。

「は、初音……」

お姉ちゃんは息を切らせている。
そのいつも綺麗に整えられている髪の毛も妙に乱れていて、楓お姉ちゃんらしくもない、妙に慌てた様子だった。

「どうしたの、楓お姉ちゃん?」
「あ、あなたにお願いがあるの、初音。案内するから一緒に来て」

そしてわたしの手首を掴む。
何のことかわからずに、わたしは軽く抵抗した。

「あ、案内するって……どういうことなの?」
「あなたにしか、アレを操ることが出来ないの。あの、エルクゥの遺した小型艇は……」

こうしてわたしは衝撃の事実を知らされることになる。
物事は単純には運ばないという、いい例だった。


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