銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第八章 接触



一部分だけが異世界と化していた。
それ以外は何ら変わりがないのに、それが存在するだけで特別な空間になってしまう。
それくらい、特異な存在だった。

「こ、こいつは……」

ごくりと唾を飲み込む。
あたしは惹きつけられるように視線を逸らすことが出来なかった。

「UFO……って言っていいのか、こりゃ?」

UFOと呼ぶにはあまりにグロテスクだ。
離れて見た感じでは、表面が硬いのかどうかもはっきりしない。
空気抵抗などを度外視したごつごつしたフォルムは、まるでスプラッタ映画に出てくるバケモノを連想させた。

「しかし、間違いないな。あたしの血が騒いでる。これが星船って奴らしい」

確信はあった。
これが現在地球に存在しているあらゆる物とは全く異なっていること。
そして、あたしはこれに関係があるということを。

「この中に……異星人の鬼が?」

周囲は静けさを保っている。
あたしの呼吸する音が耳障りに感じるくらい、静寂を保っていた。
生物の存在を感じさせない。
もしかしたら野生の動物達は本能に従って、ここから退避しているのかもしれなかった。

「だとすると……危険度は洒落にならないってことか」

全てが謎に包まれている。
あたしには、どうすることも出来ない。
まさかツカツカ歩み寄って出て来いと叫ぶ訳にも行かない。
向こうがあたしなんて遠く及ばない力を持っていたら、犬死にするだけだった。

「――どうする、柏木梓?」

自問自答する。
妙な苛立ちに、ガリッと親指の爪を噛む。
でも、答えは出てこない。
あたしはただ、小さくうめきながらその星船を凝視していた。

「んっ?」

その時、変化が生じた。
どこにも入り口など見えない星船の表面が音も立てずに開いた。

「あれが入り口か。誰か出てくるのか?」

息を殺して観察する。
出来るだけ、情報を集めておきたかった。

「出て――来たか……」

異星人だ。
鬼と呼ぶにはあまりにスマートで、少し拍子抜けした。
が、油断は出来ない。
相手はどんな特殊能力があるか、全くわからないのだ。

「何か手に持ってるな。何かの器械みたいだけど……」

異星人は宇宙服と思しきぴったりとした服を着ている。
それは妙に光沢のある銀色をしており、所々にカラフルなラインが入っていた。
そして手には何やら怪しい器械が。
異星人はその器械をずっと凝視していた。

「もう少し近づけたら……」

接近してよく見たい。
相手の風貌が貧弱なことで、あたしはいつのまにか恐怖を忘れていた。
そして恐怖に取って代わって好奇心が表に出てくる。
あたしはじわじわと音を立てないようにしながら近付いていた。

「んっ、ヤバっ!」

音はしなかったはずだ。
しかし、突然奴の顔がこっちを向いた。
明らかに、あたしに対して向けた顔だ。
あたしは慌てて木立に身を隠したが、向こうがこっちに気付いてしまえばあまり意味はなくなる。

「ニンゲンがそこにいるな?」

初めて聴いた声。
異星人の発した声だ。
綺麗な日本語ではあるものの、どこか機械じみている。
恐らく高性能の翻訳機か何かを通しているのだろう。
それだけでも、今の地球を遥かに上回る科学力だった。

「隠れずともよい。害を加えるつもりはない」

あたしが黙っていると、更にそう言ってくる。
こうなると、もう隠れている意味はなかった。

「わかったよ。出てくりゃいいんだろ?」

あたしは観念して顔を出す。
そして奴の顔を見てやった。

「それでいい。こちらに来なさい」
「って、どうしてだよ? あんたに命令する権利はないね」

異星人の言葉を突っぱねてやった。
まるで下等動物に対するような言い方があたしの勘に障った。

「――済まない。まだ言語調整装置が馴れていない。来て欲しい」

急にたどたどしい言い回しになった。
どうやらそういうことらしい。
手に持っている器械とは別に、何か首筋の辺りをいじっている。
手動で微調整でもしているんだろう。

「日本語は難しいからな。あんたらには大変だろ」

不敵な笑みを見せる。
ここで強がっておかないと、あとでなめられたら困るからだ。

「こちらに来て――いただけないか?」
「ほう、少しはマシになったね。流石はエルクゥの科学力」

エルクゥとは初音や楓が呼ぶ鬼のことだ。
どういうことなのかはよくわからないけど、あいつらのことをそう呼ぶらしい。

「エルク――滅びし古代人を指す言葉?」
「はあっ?」
「我々はエルクではない。エルクは滅び、今はいない」

どうも少し話が違う。
こいつらはあたし達とは違うと言う。
でも確かに風貌からして貧弱で、鬼と呼べるような感じじゃなかった。

「どういうことだい?」
「エルクの支配は終わった。今は我々がレザムを治めている」
「レザム?」
「そうだ」

知ってて当然、みたいな顔をしている。
が、こっちはちんぷんかんぷんだ。
やっぱりどこかしら高圧的な態度は変わらないし、あたしは多少イライラしてきた。

「それはいいとしてあんたら、地球に何の用があって来たんだ?」

用がないなら帰ってもらいたい。
そうすれば安心してこれから暮らして行ける。

「失われし『巫女』を探しに」
「はあっ?」
「エルクの血を引く者の中でも最も強い力を持つ者。それが『巫女』だ」
「それが地球に?」
「そうだ。旧式の信号を受けた。発信源は、ここだ」

断言している。
やっぱり耕一の言っていたことは正しいようだ。
でも『巫女』だって?
そんな話はどこにもない。

「そんなんデタラメだろ。無駄足だったな」
「…………」
「エルクの血なんて馬鹿げた話は忘れて自分達の星に帰んな。その方が絶対いいぜ」

そうだ、馬鹿げた話だ。
鬼の血とかそんな話は忘れてしまいたかった。
そのせいで、あたし達はずっと泣き続けてきた。
大切な人を失い、心は疲れ果てている。
そして何より人が死ぬということに馴れ始めている自分が恐かった。
こんな生活、もう終わりにしたい。
それがあたしの本心だった。

「馬鹿げてなどいない」
「なにっ!」

奴はそう断言する。
そしておもむろに手に持っていた器械をあたしに向けた。

「エルクの血を継ぐ者が何を言う。我らを騙そうと思っても無駄だ」
「なっ……」
「――かなり高レベルの血だ。同族交配が原因か」

器械を見ながらぶつぶつと言う。
何が言いたいのかさっぱりだったが、それでも言い逃れなど出来ないことは明白だった。

「捕獲する価値は充分にある。雌でこのレベルなら、我でも充分――」
「何を言ってやがる!」

あたしは思わず茂みから飛び出した。
こいつは人を何だと思ってるんだ。
こんな貧弱な奴にあたしが負ける訳がない。
宇宙人だろうがなんだろうが、反対にこっちが捕まえてNASAにでも売り飛ばしてやろうと思った。

「あたしの本当の力、見せてやるよっ!」

真の力を解放する。
全身を鬼化することによって、運動能力を格段に飛躍させた。
あたしは相手目掛けて跳躍する。
全体重を乗せた拳は唸りを上げ、風を切った。

「食らえっ!」

岩をも砕く一撃。
現に岩を砕いたことだってある。
なのに相手は余裕をかましている。
よけようとすらしない。
あたしはそれを、こっちのスピードについてこれないからだと思った。
しかし――

「フッ……」

奴は笑ったんだ。
完全にあたしを馬鹿にしている。
もう遠慮など無しに、拳を叩き付けた。

「うわっ!」

が、奴に拳は届かない。
一瞬、何が起こったのか、あたしには理解出来なかった。

「こ、これは……」
「我らはエルクではないが、エルクの能力がない訳ではない。エルクは過去の存在。現在の我がどうして過去のエルクに負けるはずがあろうか」
「クッ……」

奴の外見に騙された。
あたしと自分の力量をちゃんと把握しているからこその、この余裕だったのだ。

「野蛮な雌猿め。偉大なるエルクの血も放置されればここまで堕落するか」
「う、うるさいっ!」
「純度の高い血だと言うのに。こうなっては我らの女王も再交配によって産まねばならぬか――」

おぞましい話だった。
そしてその内容以上に無感情に淡々と喋る様子があたしの恐怖を煽った。

「な、何を……」
「お前の血も実に貴重だ。野蛮人との交配など我は好まぬが、その血のみを好む者もいよう」

そう言って、異星人の手がゆっくりとこちらに伸びてくる。
あたしは慌てて後ずさりするが、何故かその距離は開くどころか縮まる一方だった。

「観念せよ。悪いようにはせぬ」

手に持っていた謎の器械を腰のベルトに戻し、別の器械を手にする。
さっきまでの器械は何かの調査用と思しき形状だったが今度は違う。
明らかに、あたしに何らかの処置をするためのものだった。

「やっ、やめ……」

逃げられない。
身体は動くのに、ヘビに睨まれたカエルのようになっていた。
そして器械の先端が音もなく動く。
恐らく凶々しいそれをあたしに突き刺し、電気か薬かで動けなくするに違いない。

「こ、こうい……」

助けて、と言いたいのか。
しかしその名を全部呼ぶことも出来ずに、あたしは観念して両目を閉じた。
あとは例の器械が突き刺さるのを待つだけ。
そのはずだった。
しかし――

「なにっ!」

驚きの声。
それと同時に、あたしの身体がふわりと浮いた。

「えっ?」

慌てて目を開けてみる。
するとそこには――なんと妹の楓の姿が。

「梓姉さん、平気でしたか?」
「か、楓……」

絶句した。
あのか細い楓があたしを抱えて飛んでいる。
そう、飛んでいるのだ。
それはただ跳躍しているだけなのに、飛んでいるように見える。
それほど力強いジャンプだった。

「独りで近付くなんて、危険過ぎます」
「そ、それよりあんた……」
「話は後です。それなりの距離を取らないと、またアレに捕捉されますから」

楓は淡々と語る。
あたしはもう、圧倒されて何も言えなかった。
大人しく楓に抱えられたままでいる。
その間にも楓は見事な着地を見せ、更に山道を疾走した。
見る見るうちにあの場所から遠ざかる。
そしてしばらくして、楓はようやく停止し、あたしを地面に降ろしてくれた。

「これでもう、大丈夫だと思います」
「そ、そっか……」

楓は呼吸一つ乱していない。
あの異星人ほどではないにしろ、あたしにとっては脅威だった。

「でも、どうしてアレと独りで対峙しようなんて考えたんですか?」
「そ、それは……」
「外見で騙されてはいけません。姉さんほどの力量の持ち主なら、相手の内面くらい量れるはずなのに」

楓はあたしを責めていた。
さもあろう。
あたしは楓に助けられなければ、間違いなく奴に捕まっていたのだから。

「ス、スマン、楓。油断した」
「以後、気をつけて下さい。さっきは私が偶然見つけたからいいけど」
「とにかく助かったよ。でも楓、あんたって凄かったんだな。驚いたよ」

冗談抜きで驚いた。
あたしは千鶴姉が鬼化したところも見たことあるけど、それとは比較にならないような気がした。
とにかくあたしなんかとは別格なのだ。
恐らく楓は奴の強さってもんを量ることが出来たんだろうけど、残念ながらあたしにはそんなことなんて出来ない。
そこで既に、あたしと楓とでは違うのだ。

「――こういうの、嫌いだから」

しかし、楓は自慢するでもなく、恥ずかしそうに言う。
こういうところを見ると、やっぱり楓らしい。

「なるほどな。確かに楓向きじゃないよ。あんた、大人しいし」
「うん」

ようやく変なわだかまりが解け、いつもの姉妹に戻った。
妹の楓があたしよりもずっと強いってのは何となく変な感じだけど、今は気にしてもしょうがない。
取り敢えず明るく話をすることにした。

「それより楓、学校はどうしたんだ?」
「あっ、それは……」
「って、あたしもあんたと同じだけどさ。でも驚いたよ。楓は優等生のイメージがあるから」

少し意地悪そうに言う。
これくらいの反撃なら、楓も許してくれるだろう。

「今は、そんなこと言ってられないから」
「まあ、確かにそうだ。ちっと今回は失敗したけど」
「相手は普通じゃないから。だから姉さんも気をつけて下さい」
「わかってるって。二度と今みたいな無茶はしないよ」
「本当に、意味がないから」

そう言って楓はほっとした顔をする。
あたしもそんな楓を見て、ほっとした。

「ああ、今日はもう帰るよ。あたし独りで何かしても、無駄だってわかったからな。それに今日のこと、耕一達に報告しておかないと。うちにはあたし以上に無鉄砲な奴がいるからさ」
「うん」
「楓は……どうする? あたしと一緒に帰るかい?」
「いいえ――」

あたしの問いに、楓は首を左右に振った。
そこで初めて、楓はあたしに思いつめた表情を見せた。

「少し、したいことがあるから」
「……そっか。あんたのことだから大丈夫だと思うけど、気をつけろよ」
「うん。ありがとう、梓姉さん」

軽くぽんと肩を叩いてやる。
たったそれだけのことなのに、楓の表情は和らいだ。
こういう時、やっぱりあたしが姉で、この子が妹なんだってことを実感する。
しっかりしてはいるけど、あたしの大事な妹に違いはないのだ。

「……何か言いたいことがあったら、何でも聞くから」
「うん」
「遠慮しなくていいんだぞ。特別にカウンセリング料は無料にしといてやるからさ」
「うん」
「だから、たまには姉さんに甘えな。妹には、その権利があるんだ」
「…………」
「どうした、楓?」

一瞬、うつむいた楓が小さく見えた。
その直後、楓があたしの胸にぽふっと倒れ込む。

「か、楓……」
「…………」

泣いて――いるわけじゃない。
でも、その様子は幼子のようだった。

「泣いたって……恥ずかしいことじゃないんだからな」
「――うん」

しばらくして、楓のすすり泣く声が聞こえ始めた。
楓がどうして泣くのか、あたしにはわからない。
でも、わからなくても何も聞かない。
ただ、あたしはこうして胸を貸してやるだけだった。

「楓……」

軽く小さな背中をさすってやる。
あたしは楓の姉としてこんなことくらいしか出来ないけど、今はこれだけで充分のような気がしていた。


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