銀の翼、彼方にWritten by Eiji Takashima
第七章 目醒め 「何だか肩透かしを食わされた気分」 難航すると思った休暇申請。 しかし、どういう訳かあっさり受理された。 「いつまでかかるかわからないから、無期限ってことにしたんだけど……」 それでも足立さんは二つ返事でオッケーしてくれた。 理事会にかけられるかとも思ったけどそれもなし。 実におかしなことだった。 「まあ、結果的には望ましい状態になったんだから、文句を言うつもりもないけど」 そして鶴来屋を後にする。 この車に乗って通勤するのも、しばらくの間お預けになった。 「――出して。行き先は家まで」 これが最後になる。 たとえ勝っても負けても。 そんな予感が、私の中に渦巻いていた。 静かにタイヤが軋む音と共に、門扉に車が横付けされる。 運転手さんにドアを開けてもらい、私は車を降りた。 「もう、明日から迎えに来なくてもいいですから」 「本当に……宜しいのですか?」 「ええ、あなたには本当にお世話になりましたけど」 「そうですか。わかりました。では、私はこれで」 そして車が去る。 また一つ、何かが変わったような気がした。 両親の死、そして叔父様の死もそう。 何かが変わって行く足音は、常に私の耳に届いていた。 「でも、自分のこととなるとそれはそれでちょっとね」 軽く笑って見せる。 笑っている余裕なんてないはずなのに、不思議だった。 「切腹を前にした武士の心境って感じかしら?」 物騒なことを呟く。 でも、ここで家族全員を無事に守れるのなら、私はいつ死んでもよかった。 私の知る鬼ではない『エルクゥ』と呼ばれる存在。 果たしてこれから何が起こるのか、予想もつかなかった。 ただ、何かが変わる。 それだけは、間違いなかった。 「ただいまー」 「っと、おかえり、千鶴さん。早かったんですね」 家の中に入ると、耕一さんが出迎えてくれる。 自分でも思っていた以上に早く帰れた。 まだお昼ご飯には早すぎる時間だ。 「ええ、割と楽に話がまとまって」 「それはよかった。でも、お昼にはちょっと早いですね」 「ですね。残念ですけど――このまま外に出て、時間になったら適当に食べます?」 「俺はそれでも構いませんよ」 実は料理を作ることにならなくてほっとしている。 自分ではそんなに自信がない訳じゃないけど、それでも梓ほど美味しくは作れない。 やっぱり耕一さんは何も言わなくても梓のと比較するだろうし、それで料理が出来ない女だと思われるのは悲しかった。 「じゃあ、行きましょうか。耕一さんは出かける準備、出来てます?」 「まあ、一応は」 「なら決まりですね。レッツゴーです」 私は意気揚々と右手を挙げた。 変に深刻な顔をしていると、耕一さんに不安を与えることになる。 実際は私の方が不安で押し潰されてもおかしくないんだけど、今はしっかりしてないと駄目だった。 「で、これからどう動きます?」 家を出ると、早速耕一さんが訊ねてくる。 ちなみに私の格好はスーツ姿のまま。 この方が、人に話を聞くには都合がよかった。 「そうですね。取り敢えず周辺の聞き込みから始めましょうか」 「了解」 耕一さんは私の意見をそのまま受け入れてくれた。 でも、周辺とは言っても漠然とし過ぎている。 そもそも私の本当の目的は、聞き込みにはなかったのだ。 「じゃあ、まずはご近所さんから」 怪しまれないように話を聞く。 近所に住んでいる人達には、私達もお世話になっているから、世間話も普通に進んだ。 耕一さんとセットだってことで、妙にからかわれたりもしたけど、それはそれでなかなか楽しかった。 「んー、やっぱり深夜だったってのが災いしてるんですかね?」 「ですね。この辺の人は皆さん夜は早いですから」 「なるほど。じゃあ、聞き込みするんなら街の方がいいかな?」 「かもしれませんね」 結局、ご近所での収穫はゼロ。 誰もそんな怪しいUFOなんて目撃した人はいなかった。 私と耕一さんはあっさり断念すると、駅近辺に的を絞ることにする。 あそこなら、耕一さん達が目撃した時間にうろついている人もいるに違いない。 「しかし、駅まで歩くってのもしんどいですね、千鶴さん」 「え、ええ。でもたまにはこういうのもいいんじゃないですか? お散歩は身体にもいいし」 「お散歩ねぇ……」 耕一さんはいまいち面白くなさそうな様子。 まだこのくらいの年齢だと、散歩なんて楽しく感じないらしい。 私もたまにはだからいいけれど、毎日だとやっぱり辟易してしまうと思う。 「なら、駅に着くまで少しお話でもしましょうか?」 「そうですね。これからのことについて色々話すべきこともあるでしょうし」 私がこんな誘いをかけてみると、耕一さんはすんなり同意してくれた。 危機意識としては、耕一さんも私の次くらいに持っているように感じる。 事の重大性を考えると、へらへら笑って歩いている訳には行かなかった。 「俺と初音ちゃんが見たヨークを発見したとして、それからどうしましょうか?」 「相手は鬼です。やはり、全員殺す以外にはないと思いますが」 私は断言した。 鬼の恐ろしさについては誰よりも私がよく知っている。 人間の理性を崩壊させ、ひたすら殺戮を求める野獣と化す。 そしてその力は果てしなく、どんな動物も敵わない。 女の鬼たる私が自分の力を解放しても、その強大さに身を震わせるくらいだ。 真の鬼が出現したら、どうなるか想像もつかない。 「こ、殺すんですか?」 「ええ。それ以外に道はありません」 「で、でもっ……」 「相手は人間じゃないんですよ、耕一さん。しかも地球外生命体と来てます。殺すか殺されるなら、私は殺す方を選びます」 「そ、それは確かにそうかもしれませんけど」 「妹達を守るためなら、私は殺人者の汚名を着ても構いません」 それが真実だった。 私は耕一さんの眼を真っ直ぐ見て、繰り返し言うことだって出来る。 それくらい、私の決意は変わらなかった。 「でも……相手はバケモノなんですよ。わかってるんですか?」 「わかってます。ですから、こちらもバケモノになる必要があるんです」 「バ、バケモノになるって……」 耕一さんは引き気味になっている。 でも、最早後戻りは出来ない。 敵が私達の目の前に存在している以上、戦って活路を切り開く以外にはなかった。 「耕一さんには昨夜、全てをお話したはずですが――」 「うっ……」 周囲の気温が下がる。 いや、下がるというよりも、空気に異物が混ざり始めた。 それを何と言葉で表現するのか、私にはわからない。 ただ、その異物を放っているのがこの私であること、それだけははっきりしていた。 「恐らく、私と梓の程度では勝ち目がありません。だから、あなたが必要なんです。耕一さん、あなたの鬼の力が」 「ち、千鶴さ……」 冷気を纏う。 私の身体が少しずつ変化して行くのを感じる。 骨が軋み、ぴったりと身体に合っているはずのスーツが張り裂けそうになる。 それは、鬼化の兆候だった。 「今、私があなたに、お話した鬼の力をお見せします。鬼の力は互いに呼応するもの。私の鬼に触れて耕一さん、あなたも鬼の力を引き出して下さい。そう、あの幼い日の水門での出来事のように――」 水門。 それは、ヒトとしての耕一さんが、ずっとずっと忘れようとしてきたこと。 私はその場にいなかったけれど、話は全て聞いている。 幼い耕一さんは自らの生命の危機に鬼の力を開花させ、そして――妹達を襲おうとしたのだ。 「ち、ちづ……る……」 耕一さんの声が震える。 震えるというよりも、言葉にならなくなってきている。 「もう少しですよ、耕一さん。遠慮することはないのです。本能のままに。そして妹達のことを想って下さい。あなたがヒトを捨てるのは、全て妹達の身を守るためのことなのですから」 「うっ、ううっ……うあっ!」 空気が揺れる。 力と力がぶつかり合って振動している。 迸るエネルギーが耕一さんの身体を突き破って出てきそうな感じがした。 「耕一さんッ!」 私は膨らんだ風船を破裂させるように、伸ばした爪を思い切り耕一さん目掛けて振り下ろした。 無論、殺すくらいの気構えだ。 一般人なら胸骨を真っ二つにされて即死するほどの一撃。 でも、鬼化し始めている耕一さんにとっては適度な刺激にしかならなかった。 「グアアアッッ!」 私の爪が耕一さんの皮膚を切り裂く。 が、表面を軽く破っただけに留まった。 既に肉体が硬質化し、攻撃を遮る鎧になっている。 「こ、これが……真の鬼なの?」 耕一さんの鬼化は留まることを知らない。 溢れたエネルギーは耕一さんの肉体そのものを変化させる。 その姿は――まさしく御伽噺の鬼そのものだった。 「フウウッッ! ガアッ!」 激しい呼吸音。 それと同時に、私への一撃が繰り出された。 「速いッ!」 油断はしていなかった。 もちろん攻撃が来ることも予期している。 しかし、それでも尚耕一さんの攻撃のスピードについてこれなかった。 私は間一髪でかわしたものの、あとコンマ数秒遅れていたら間違いなく真っ二つに切り裂かれていた。 紺色のスーツは無惨にも縦に切断され、覗く白い肌からは一筋の血条が見えた。 「こ、これは……想像していた以上ね」 私は慌てて距離を取る。 しかし、あのスピードでこの程度の距離では意味を為さない。 「死……ぬの、私?」 殺される。 私は本能でそれを感じていた。 どうやってもこのバケモノには敵わない。 力もスピードも、圧倒的な格差があるのだ。 逃げようとしてもすぐに追いつかれる。 最後の望みは、耕一さんが鬼の力を制御することだけだ。 でも、時間がない。 そうなるように誘導することもままならなかった。 私は自分の軽率さを感じつつ、やっぱり、という気持ちも心の奥底で存在している。 たとえここで耕一さんに殺されようとも、今の耕一さんなら異星人を根絶やしにしてくれるはず。 鬼はより強い相手を求めるのだから。 何となく、こうなることはわかっていた。 今まで鬼の力を制御した人間は、祖父の柏木耕平ただ一人だ。 それも半ば伝説で、真偽のほどは知れない。 私は父と叔父様を間近で見ているだけに、皆こうなるものだと思っていた。 だから私はここで耕一さんに殺されて――そして柏木家の礎となる。 普通に考えれば、鬼としての耕一さんの恐怖よりも、異星人の恐怖の方が始末が悪い。 耕一さんがどうなるのかまではわからないけど、それは何とかしようと思えば何とかなる、一個人のレベルの問題だった。 「ガアアアッッ!」 咆哮と共に耕一さんが眼前に迫る。 咄嗟に私は両腕で防御したものの、ガードの上から思いっきり薙ぎ倒された。 「キャアアッ!」 地面にもんどり打つ。 耕一さんは間髪入れずに私の上に圧し掛かると、馬乗りになって殴り始めた。 「ウッ、ウグッ!」 あまりに強引なパンチに私の身体が地面に跳ねてバウンドする。 最早防御することも出来ずに、私はただ殴られるままになっていた。 意識が明滅し、ぐったりする。 もう、あとはただ嬲り殺しにされるだけだった。 「…………」 鋭い爪で、私の皮膚が所々裂ける。 鮮血が、更に耕一さんの鬼を酔わせた。 ひとしきり私を殴るのに満足すると、おもむろに私の洋服を引き裂く。 血に塗れながらも、私の胸が耕一さんの前に露になった。 「こ、こういち……さん……」 どういうことなのか、私にも何となく飲み込めた。 もう、耕一さんの力の暴風は過ぎ去っている。 血を見ることで、殺戮の欲求も醒めた。 だからその後に来るのは……ただ、獣のように荒々しい性欲しかない。 叔父様は困った顔をしながらも、遺される私のために鬼の性質を色々教えてくれた。 その中には、雌を陵辱したくなるという屈折した欲望もあるのだという。 今まさに、私はそれに晒されているのだ。 「フウッ、フウッ……」 呼気が荒い。 鬼の姿はまだ人間には戻っていなかった。 私はこれから耕一さんに犯される恐怖を感じながらも、既に諦めの境地に達していた。 最後に耕一さんに抱かれるのなら……とまで考えるほど、思考は錯乱している。 「こういちさん……気にしないで下さい。わたし……平気ですか……クッ!」 きつく胸を掴まれた。 無論手は鋭い鉤爪だ。 皮膚が裂け、出血する。 「わ、私を好きなようにして下さっても構いません。で、でも妹は、妹達のことだけは、お願いします。もう、後は耕一さんだけが頼りなんです」 しかし、私の声は耕一さんには届かない。 ぼろきれのようになった私の服は完全に剥ぎ取られ、残されているのは妹達を想う心だけ。 それこそが、私の強さの源だった。 「ごめんなさい、耕一さん。私、やっぱりあなたの鬼をどうすることも出来なかった。あとは梓、楓、そして初音……」 その時、ビクンと何かが動いた。 一瞬私には何だかわからなくなる。 「ハ……ツネ……」 「えっ?」 耕一さんの動きが止まる。 そして、その口はたどたどしく初音の名を呼ぶ。 「――ハツ……ネ……ハツネ……初音……」 「耕一さん、耕一さんッ!」 私が口にした初音の名。 明らかに、その名に呼応していた。 「……リネット、デ、ザ、エルク……ハツネ……」 何だかよくわからない言葉も混じる。 が、明らかに初音の名を呼んでいた。 「耕一さん、初音のことがわかるんですね? 柏木初音のことがっ!」 私は大量に血を流しながらも、その手は耕一さんの肩を掴んでいた。 今、何かが起ころうとしている。 原因は私でなく初音だったけれど、この際どうでもよかった。 ただ、耕一さんがいつもの耕一さんを取り戻してさえくれれば。 「ウウッ、ウっ、うあああっっ!」 瞬間、耕一さんの全身が痙攣した。 苦しみともつかない大きな叫び声をあげる。 そして、見る見るうちに耕一さんの身体が変化して行く。 肥大した肉体の余計な部分が崩れ落ち、元の身体へと戻って行く。 「お、俺は……」 「耕一さん!」 「ち、千鶴さん……俺、俺……なんて――」 「い、いいんです、いいんです、耕一さんが戻ってきてくれたなら」 今、私の頬を伝うものは何なのだろうか? ただ、私の目の前には、あの耕一さんの顔があった。 「ごめん、俺、突然訳わかんなくなって、それで千鶴さんのことを、その……」 「気にしないで下さい。私は……耕一さんが鬼の力を制御できたことだけで、それだけで――」 そして、私はその続きを口にすることなく、気絶してしまった。 もう、悔いはない。 あとは私の代わりに耕一さんが何とかしてくれる。 そう思うだけで、私の心は安らいで行くのだった。 |