銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第六章 迷宮



「いってらっしゃい、千鶴さん」
「行ってきます、耕一さん。お昼前には戻りますので、一緒にお昼を食べましょう」
「わかりました。じゃあ俺はそれまでぶらぶらしてますね」
「はい」

最後に千鶴さんを見送る。
俺に見せてくれた笑顔が妙に爽やかで、思いつめた様子など微塵も感じさせない。

「とは言っても……見事に釘を刺されたな」

一緒に昼飯を食おうと言うことは、自分が帰ってくるまで待っていろと言うことだ。
つまり、千鶴さんはさり気なく俺の勝手な行動を制限している。
千鶴さんが出ていったら早速動き始めようと思っていただけに、機先を制された感じだ。

「それに、一緒にメシ? もしかして、千鶴さんの手作りとか? それはそれでうれしいけど、梓の奴が結構言ってるからなぁ」

梓曰く、千鶴さんの料理は人間の食える代物じゃないらしい。
それを言うと千鶴さんは怒るが、梓は素知らぬ顔だ。
でも、千鶴さんもはっきりと否定しないところを見ると、結構図星なのかも?
どっちにしろ、あまりいい気はしなかった。

「しっかしすることもないよな。部屋でごろごろするか」

何だか緊張感の欠片もない。
色々思うところがあるだけに、そのギャップには少しイライラさせられる。
しかし、どうしようもないのが事実で、俺は千鶴さんが帰ってくるまで時間を潰すことにした。



「ぐあ〜、暇だ暇だ! 何かすることはないのかっ!」

畳の上でごろごろとのた打ち回る。
遊ぶものもないこの柏木邸、俺みたいな腐れ大学生には辛すぎる。
すぐに時間を持て余すようになって、俺は半分子供じみた叫びを上げていた。

「つまらん、つまらんぞっ!」

叫んだからと言っても面白くなる訳じゃない。
ただ体力を消耗するだけだ。
それでも叫ばないとやってられないこの状況が、俺を更にイラつかせる。

「もう我慢できん、俺は外に出るぞ!」

そう、千鶴さんが帰ってくるまでに家に戻っていればいいだけの話だ。
鶴来屋まで行って色々話をしたりなんだりしていれば、すぐに二時間くらいは経つはず。
俺は邪悪な笑みを浮かべると、ポケットに財布を突っ込んで早速出陣することにした。

「手頃な時間潰しってーとアレだな、アレ」

言うまでもない、パチンコだ。
それにパチンコ屋には思いの外、人が集まる。
情報収集にもなり、一石二鳥だった。

「さて、行きますかな」

俺は柏木屋敷の門をくぐった。
ここからはただの自由人・柏木耕一だ。
俺を止める者など誰もいない。
思わず笑い出したくなる気分だったが、頭のイカレた奴だと思われるのも嫌なので、我慢することにした。



パチンコ屋の場所はもちろんチェック済みだ。
俺は迷うことなく前進する。
が――俺は見かけるはずのない人物に遭遇してしまった。

「あっ……」
「かえで……ちゃん?」
「は、はい」

楓ちゃんだ。
確か千鶴さんよりも随分前に出たはずなのに、何故かこんなところでうろうろしている。

「ど、どうしたの? 学校は?」
「…………」

俺が訊ねても、黙って視線を逸らすだけだ。
どうもこういう雰囲気は辛い。
俺はわざわざ楓ちゃんの視界の正面に立ちはだかるように回り込んで、再度訊ねてみる。

「学校……行かなかったんだ?」
「はい」
「どうして?」
「――ごめんなさい」

理由を聞いても謝るだけ。
何となく、すれ違いを感じた。

「別に俺に謝る必要もないと思うけど。たまには学校サボりたくなることだって、あるんだろうしね」
「…………」
「なら、ちょっと俺とどこかで話でもしようか?」
「耕一さんと……ですか?」
「そう、俺と楓ちゃんが」
「――わかりました。お供します」
「よしっ、じゃあ行くかっ!」

変に空元気を出す。
しかし、これでも二人の平均を取ってみれば標準以下だ。
楓ちゃんの様子はただ単に沈み込んでいるだけではなく、顔色からして相当に悪い。
初音ちゃんは初音ちゃんで心配だったけど、それ以上に楓ちゃんからは何と言うか、危うさのようなものを感じていた。



「ここでいいかい?」
「はい」

俺が楓ちゃんを案内したのは近くにあった喫茶店。
セーラー服姿の楓ちゃんと一緒に入るにはあまりいい時間じゃないけど、今はそんなことも言ってられない。

「楓ちゃんは何飲む?」
「――アイスティーを。ミルクで」
「オッケー。なら、アイスミルクティー二つね」

手慣れた態度で席に陣取り、ウェイトレスに注文する。
俺は喫茶店なんてあんまし行かないけど、楓ちゃんに今何かを期待するのは間違いだった。

「やっぱ、精神的には辛いよな」

冷水の入ったコップを手にしながら、わかったような顔をして楓ちゃんに言う。
水滴のついたコップを支えにしないと駄目なほど、俺はこういうのが苦手だった。

「笑って何もなかったことにしろとは言わないよ。でも、これじゃ楓ちゃんが苦しいだけだろ」
「でも、仕方ないことですから」
「一体どうしたらいいんだ? 俺は楓ちゃんの笑顔を見てない。だからどうすればいいかわからないんだ」
「別に耕一さんに何かしていただきたいとは――」

嘘だ。
思い上がってる訳じゃないが、俺が何かをしなければ、楓ちゃんの問題は解決しない。
かと言って俺が偽りで何かをしたとしても、楓ちゃんを納得させることなど出来ないはずだ。

「夢を見るのは辛いかい?」
「――辛いです」

ぼそりと楓ちゃんがこぼした。
その表情は言葉で語る以上に辛そうな顔をしている。

「でも、見ないでいる訳には行かないんだろう?」
「ええ。最近では眠れば必ず、エディフェルの夢を……」
「そっか。俺は今日、次郎衛門の夢を見なかったけどな」

実際のところ、俺はあの洞窟で見ただけで、あれを夢だとは断言できないのかもしれない。
単に幻覚のようなもので――だからこそ、昨日今日の俺には楓ちゃんが味わってきた長い苦しみなど、理解出来るはずもなかった。

「耕一さんが、羨ましいです」
「どうして?」
「私はずっと、あの夢と共に生きてきたから……」
「そっか」
「あの夢は私の一部であり、また全部でもあるんです。もう今では夢と現実との区別がつかなくなってきていて」

普通なら、精神科へ連れて行かれるような話だ。
でも、俺は楓ちゃんが正常だってことを知っている。
楓ちゃんがこうなのは、俺なんかよりも遥かに感じやすいからだ。
そしてそれは、決して楓ちゃんの罪じゃない。
むしろいいところだと、俺は言いたかった。

「でも、やっぱり夢と現実は違うしな。結局は、過去の話なんだし」
「そう……ですよね。私もわかっているつもりなんです」

楓ちゃんはうつむいて応える。
自分でわかっていてもどうしようもならないもどかしさのようなものを感じているんだろう。
でも、それは楓ちゃん自身が乗り越える壁で、俺がどうこう出来ることではない。

「っと、ミルクティーの到着だな。ほい、楓ちゃん」

楓ちゃんに銀のミルクポットを差し出す。
彼女は黙って受け取ると、ほんの少しだけアイスティーの中に滴らした。

「ありがとうございます」

ミルクポットが返ってくる。
俺も自分のアイスティーに軽く滴らすと、ガムシロップを拾って中に入れた。
視線を上げると、楓ちゃんがストローに口をつけている。

「ガムシロップ、入れないの?」
「いえ。少しだけ、入れましたけど」

見ると、一応ガムシロップの口は開いている。

「は、早業だな、楓ちゃん」
「そうですか? 普通だと思いますけど」

楓ちゃんはしれっとした顔をしている。
幾分気が紛れたらしい。
表情にも少し穏やかなものが戻ってきた。

「――少し、意識した方がいいのかもしれないな」
「どういうことです?」

唐突に切り出した。
楓ちゃんはストローから口を離してこっちを見ている。

「いや、人間の起きてる時間と眠ってる時間を比較したら、絶対に起きてる時間の方が多いだろ? だったら、夢と現実を対峙させたら夢が勝つなんてことは絶対に有り得ないはずなんだ」
「理屈では、そうなりますね」
「でも、楓ちゃんの場合、夢が勝ってる。だから苦しいんだよ。どうして夢が勝つかって言うと、現実の中でもいつも夢のことを意識しているせいだからだろう。違うかい?」
「――違いません。耕一さんの言う通りです」
「だから、それを変えるんだ。起きている時は夢のことは考えない。現実のフィルターだけを通して物事を見つめるんだ。簡単なことだろ?」
「やってみます。が、自信はあまりありません」
「別に自信なんてどうでもいいって。問題は、やるかやらないかってだけなんだから」

妙に自信ありげに言う俺。
自分にそんな大層な資格なんてないのに、楓ちゃんにカウンセリング紛いのことをしている。
楓ちゃんが悩む原因は、他でもないこの俺だと言うのに。
でも、楓ちゃんはそんな卑怯とも言える俺の言葉を素直に聞いてくれる。
俺は何だか自分が情けなかった。

「私、頑張ってみます」
「ああ、それがいいよ」
「やっぱり耕一さんのこと、まだ好きですけど」
「うん」
「次郎衛門と耕一さんは別人ですけど、根本的なところは同じだと思います。だからエディフェルが次郎衛門を愛したように、柏木楓も耕一さんのことを愛せるようになれたら――と思っています」
「なんか複雑な心境だけど、取り敢えず俺は応援するよ、楓ちゃん」
「はい」

そしてひとまずの結論を見、俺と楓ちゃんは別れた。
楓ちゃんはやっぱり学校に行くと言い、去って行く。
その表情は少し晴れたようだったけど、反対に俺の気は重くなった。

「別に楓ちゃんのこと、嫌いだって訳じゃない。だから慕われるのも悪くはないんだけど……こういうのは辛いな」

胃が痛かった。
もしあの洞窟で一緒に閉じ込められたのが初音ちゃんでなくて楓ちゃんだったとしたら――俺は楓ちゃんを愛するようになっていたかもしれない。
俺の気持ちが本当に偶然の産物だったことに気付くと、何だか身の毛がよだった。
どちらかを選べば、間違いなくもう片方を傷つける結果となってしまう。
それがどちらであっても、目覚めのいいものじゃない。
本当は異星人の襲来という危機に向かって全力で取り組まなければならないのに、俺はこんなところで悩んでしまう。

「くそっ!」

俺は一言厳しく吐き捨てると、柏木邸に戻ることにした。
今更パチンコなんてする気分じゃない。
千鶴さんとなら、真剣に事態に取り組むことが出来そうな気がしていた。

「一体俺はどうすりゃいいんだよ、どうすりゃ……」

答えは出てこない。
まるで出口のない迷宮をさ迷っている感じだった。


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