銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第四章 思い出の欠片



「遅いよ、楓っ!」

ようやく楓と耕一がやってきた。
別に待つ必要もないと思うんだけど、千鶴姉が『特に』と念を押したからだ。
どうやら今回のことで、家族の団結力を強めたいらしい。
何だか今更って気もするけど、あたしはあたしでそういうのは嫌いじゃない。
だから出来立ての朝食を少し保留にして、今に至っている。

「ごめんなさい、梓姉さん」
「ったく、耕一に起こされるなんて情けないよ。柏木家の恥だね」
「おいおい梓、そりゃないんじゃないか。楓ちゃんだってたまには……なっ?」

何がたまにはだ。
耕一の奴は人に起こされるまでグースカ寝てるくせに、楓を同類のように言うとはな。

「まあ、楓はいいよ、楓は。偉そうに言う耕一が悪い」
「って、悪いのは俺かよ、梓」
「そうだな。ま、今日のところは楓を起こしてくれたってことで、帳消しにしてあげるけど」
「なんだかなぁ……」

ぶつくさ言いながらも耕一は自分の席に座った。
次いで楓も着席し、これで全員が揃ったことになった。

「初音も早く来な。別に味噌汁ぐらぐら沸騰させなくってもいいからさ」
「う、うん。すぐ行くよ、梓お姉ちゃん」

少し離れたところから初音の返事が聞こえてくる。
初音は家のことをよく手伝ってくれるし、本当にいい妹だと思う。
あたしなんかの妹にして置くには勿体無いくらいだ。

「そういうのは梓がすればいいのに……」
「って、あんたが言えることかい、千鶴姉?」

横に座っている千鶴姉にジロリと視線をくれてやる。
別に初音を甘やかすのは悪くないけど、自分の立場を考えて発言して欲しいもんだ。
まあ、出来の悪い姉がいると妹の出来は自然とよくなると言うか、初音はその典型だった。

「い、いいじゃない、別に」
「よくない。あたしはちゃんと今朝の朝食を作り、みんなに提供してるじゃないか。それなのに千鶴姉と来たら……」
「わ、私は耕一さんと楓を起こしたわよ」
「違うだろ。耕一の話によると起こしたのは初音だって言うし、楓についても結局ちゃんと起こしてこないで耕一がとどめを刺してる。これをどう説明してくれるんだ?」
「そ、それは……とにかく起こしたの!」
「ったく、無茶苦茶だな、千鶴姉は」

流石に呆れてこれ以上突っ込めない。
やれやれと言ったところか。
でも、こういうボケっとしたところに惹かれる奴もいるから世間ってのはよくわからない。
それに千鶴姉は単なるボケ姉でもないしな。
その辺は、昨日のことでもよくわかる。
怒らせても手がつけられないほど狂暴だし。

「そ、それより早くごはんにしよ。冷めちゃうし、時間もなくなるし」
「そうだぞ、梓。初音ちゃんの言う通りだ。折角の梓の手料理だしな」
「わかったよ。じゃあ、いただきまーす!」

初音と耕一、セットでこんなことを言われると弱い。
それに悔しいけど道理にも適っている。
あたしが悪いように言われたのは癪だけど、ここで逆らっても意味ないしな。

「んっ、美味い!」

貪るようにして食いながら耕一がそう言う。
いつもそう素直にしてればいい奴なのに、あたしに対してはひねくれてるから考え物だ。

「当たり前だよ、何せあたしの手料理だからね」
「いや、梓は料理の腕前だけは凄いよな」
「だけって言い方はないだろ。でも、あんたは起きてくるの遅いから、あったかい朝飯なんて初めてだろ。違うか?」
「そう言えばそうだな」
「ったく、今度から耕一を起こすのは初音にお願いするよ。千鶴姉はとにかくどん臭くて」
「って、そこでいきなり私を馬鹿にしないでちょうだい、梓っ!」

千鶴姉が顔を真っ赤にしている。
唐突に現実を指摘されて参っている様子だ。
でも、どっちかって言うと耕一よりも千鶴姉の方がからかいがあるんだよな。
だからこそ、ついつい千鶴姉に話を持って行きがちになるんだけど。

「でも、楓お姉ちゃんって食べるの早いよね」

割り込むように初音が言う。
この子はかなり周囲の雰囲気に気を遣うタイプだ。
だからこそ、うちの中は全体的に上手くやっていける。

「そう?」
「そうだよ。ほら、もう全部食べ終わっちゃって……」

見ると楓の茶碗は既に空だ。
初音の発言を受け流しながらもう暢気にお茶などを啜っている。

「楓、ちゃんと味わって食べたか?」
「うん」
「って、怪しいなぁ」
「梓姉さんの料理、いつも美味しいから」
「ったく、お世辞言っても駄目駄目。ちゃんと千鶴姉みたいにマズイ料理を作ってみてから人を誉めないと」
「梓っ!」

結局こういう感じで落ち着く。
別に何事もなかったような日常だった。
ただ、千鶴姉がもうスーツに着替えているってことくらいで、何も変わらないように見えた。
でも、現実は変わらない。
気を抜くと、みんなが神妙な面持ちで箸を動かしている。
嫌な雰囲気だった。



「初音、行くよっ!」
「う、うん!」

初音と一緒に家を出る。
いつもは少しずれてるけど、時々こうして並んで歩く。

「でも、耕一お兄ちゃん、よかったのかなぁ?」
「いいんだって。初音にはあたしがついてるから大丈夫!」

初音はまだ名残惜しい様子だ。
あたし達――って言うより初音が目的なんだろうけど、耕一は途中まで送ると言ってくれた。
でも、あたしは素っ気無くその申し出を拒絶し、こうして今、初音と一緒に登校している。
鬼がその辺を徘徊してるかもって言う耕一の心配もわかるけど、意識し過ぎに思えた。
それよりも、今は千鶴姉についていて欲しい。
いつもはボケボケっとしてるくせに、思い立つと行動が極端に大胆になる。
そんな千鶴姉には、やっぱり支えが必要だった。
でも、楓はおろかあたしでも役不足で、そのことは痛いほどよくわかる。
だからこそ、千鶴姉には耕一が必要だったんだ。

「……梓お姉ちゃん?」
「んっ、どうした初音?」

初音の不安そうな面持ち。
あまりこういう表情は見ていたくない感じだ。

「わたし達……どうなるんだろうね?」
「どうなるってなぁ……」

子供らしい、容赦のない問いだ。
それはあまりに核心を突いていて、言葉を詰まらせる。

「その、鬼って恐いんでしょう? わたしはよくわからないけど」
「ま、まあ……所謂バケモノだしな。でも、安心してていいよ、初音。あんたにはあたしや千鶴姉がついてるんだから」
「耕一お兄ちゃんじゃなくて?」

初音は小首を傾げて問う。
一般的な見地から言えば、あたしや千鶴姉みたいな小娘よりも、まともな成人男子の耕一の方が頼りになるように見える。
しかし、あたし達が向こうのことをバケモノって呼ぶなら、こっちもバケモノなんだよな。
年頃の高校生が自分のことをバケモノ呼ばわりするのもなんだけど、それでも現実なんだからしょうがなかった。

「んー、まあな。あたしとか千鶴姉もバケモノみたいだからな」
「でも、血の話をするんだったら、わたしとか耕一お兄ちゃんも同じなんでしょ?」
「そう言えばそうだけど、でも、初音とかでも実感湧かないだろ? その、自分がバケモノじみてるとか、そういうのさ」
「うん……どうだろ? バケモノっていうのも違うけど、やっぱりちょっと変だよ。昨日あの洞窟でも……」

初音は言葉を濁す。
同時に視線もあたしから逸らす。
あまり口にしたくはない体験だったらしい。
確かに、どことなく初音は変わった。
それがあたしや千鶴姉の言う『鬼の血』とはまた少し違っているようにも思える。
考えてみるとそれは楓も同じで、随分前から『鬼の血』を意識しているにも関わらず、具体的な変容を見せない。
その辺の難しそうなところはあたしにはよくわからない。
でも、現実問題として千鶴姉はあたしなんかよりも遥かに楓のことをあてにしている。
これがどういうことなのか――答えが見つかれば、初音についてもはっきりするような気がした。

「まあ、あんまし初音が気にすることはないよ。あんたは一番年少なんだしさ。あたし達に任せてでーんと構えてりゃいいのさ。特に千鶴姉なんてのは重荷を背負うのが好きみたいだし」
「うん……」

少し言い方が悪かったかもしれない。
特に千鶴姉に関しては。
あたしが言ったことは事実なんだけど、初音はそれをよしとするようなタイプじゃない。
結果として今、明らかに難しい顔をして考え込み始めてしまった。

「って、そんな顔するなって。取り敢えず学校行ってちゃんと授業受けるんだよ。いい?」
「わ、わかってるよ、梓お姉ちゃん」
「初音のことだから、授業をサボってふらふらしてるなんてことはないだろうけど」
「もちろんだよ」
「よしよし、あんたはホントにいい子だよ。千鶴姉の妹にしておくには勿体無いね」
「あーっ、またそういうこと言ってる。千鶴お姉ちゃんが聞いたら怒るよ」
「まあな。でも、たまには怒った方がいいんだ、千鶴姉も」
「そうかなぁ? でも、怒った後は笑顔を見せてくれるからね。梓お姉ちゃんの言う通りなのかもしれない」
「だろ? だから初音もあたしを見習って千鶴姉をからかうんだ」
「またそういうこと言う」

くすくすと笑う初音。
やっぱり初音にはいつもこんな顔でいてもらいたい。
そのために、あたしや千鶴姉がいるんだしな。
千鶴姉はまた今回のことも全部自分で背負って行くつもりらしい。
でも、この柏木梓、駄目な姉を放って置く訳にも行かない。
千鶴姉の手前、学校に行くふりはしたけど。

「じゃあ、梓お姉ちゃん、この辺で」
「ん、ああ。気をつけろよ、初音」
「大丈夫だよ。わたしだってもう子供じゃないんだから」
「そうだな」

こうして初音と別れる。
ぽつんと独り残されて――あたしは学校のある方向とは逆に歩き始めた。
まだ夏の名残を多分に残す緑の峰々が見える。
初音と耕一が語った『星船』。
あたしはそれを求めて、奥深く探索の手を伸ばすことにした。



「ふぅ……」

雨月山。
そう呼ばれているらしい。
あんましこういうのに興味のないあたしも、一応名前くらいは知っていた。
きっと楓辺りなら見事に解説でもしてくれるんだろう。
でも、あたしは独り。
不思議と、恐怖はなかった。

「ったく、なんだいこの残暑は……」

汗をぬぐう。
隆山は比較的夏でも過ごしやすい。
しかし、流石に山に入って歩き回るとなると話は別だった。

「でも、考えてみると雲を掴むような話だよな。山はアホみたいに広いんだし」

とは言ってみても、他の方法など考えつかない。
そもそも相手は飛行物体だ。
また他の場所に動いている可能性も考えられる。
耕一達はただ目撃したって言うだけで、具体的な場所まではわからなかったのだ。

「千鶴姉はまあ、鶴来屋の力を使う気だろ。で、耕一は街の聞き込み。ってことは、この地道な作業をやるのはあたしだけってことじゃないか」

それが結論。
一番疲れる仕事だけど、やっぱり誰かがやらねばならない。
鬼の力は強くても千鶴姉はやっぱり運動不足だし、グータラ大学生の耕一も同じようなもんだ。
だからここはスポーツマンのあたしがやらないとね。

「取り敢えず、UFOの着陸出来そうな開けた場所をメインに探ってみようか。着陸するのかどうかも不明だけど、まあ、とっかかりってことで」

山の中で開けた場所なんてたかが知れてる。
山じゃなく街を着陸場所に選んだなら、もうとっくに噂になっているはずだ。
と言うことは、相手は場所を選んで着陸している。

「雨月山付近で開けてる場所と言えば……あそこしかないか」

あそこ。
そう、あの思い出の場所だ。
あの水門。
小さな子供時代の淡い思い出と言うには、あまりに複雑すぎる。
耕一の脚に今尚残る痕は、あいつの力の発現の証でもあるのだから。

「何か――いる?」

水門に近付くにつれて、何かを感じる。
うなじの辺りがチリチリっとする感覚。
あたしの血が、あたしの本能が、警告を発していた。

「もし何かがいたとして、あたしは……どうしたらいいんだろ?」

ふと湧きあがる疑問。
それは不安と言い換えてもよかった。

「殴っておしまいだったら簡単だ。でも、そういう訳にも行かないよな。相手は独りじゃないだろうし、そもそもバケモノなんだし」

確認しただけで一時撤退すべきなのか?
それとも――

「あたしは女だ。男じゃない。だから耕一……」

助けてくれ、と言うのか?
言葉には出なかったものの、あたしは何かを欲していた。

「ただの馬鹿大学生なのに、グータラするだけしか能がないのに……」

でも、初音はその耕一を頼っている。
何があったのか、あたしにはわからない。
唇が乾く。
殆ど反射的に舐める。
緊張で、喉が焼け付くように渇いた。

「ちくしょう……」

見えない恐怖と闘いながらも、先へと進んでいく。
そしてあたしがそこで見たものは――

「あ、あれはっ!」

声を上げてはいけないことなどすっかり忘れていた。
驚きという単語だけでは表現し得ない激しい感情が込み上げてくる。
そのくらい、衝撃的な光景だった。


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