銀の翼、彼方にWritten by Eiji Takashima
第二章 重み 朝日と共に目が覚める。 いつもだったらこんなことはない。 私にとって、目覚し時計は必須アイテムだった。 「…………」 上体を起こして目を擦る。 これは社交辞令のようなものだ。 いつも眠気覚ましにしていることだけど、今朝は何故か全然眠くない。 かと言って眠れなかった訳ではないから不思議だ。 眠りと覚醒の中間、所謂まどろみの状態がない。 それくらい、頭は明晰だった。 私は目覚し時計のスイッチを切ると、ベッドから出て着替え始める。 昨日、みんなには仕事を休むと言ったけれど、いきなり何の連絡もなしには休めない。 足立さんならわかってくれるとは思うけど、それでも勝手なことをする以上、それなりの挨拶をするのが筋だった。 実際、この私の我が侭のために会長職を降ろされてもいいとさえ思っている。 私みたいな小娘には重責だし、それ以上に今回のことはそれだけの価値があり、義務もあるように思えた。 「これ……も必要になりそうね」 机の引き出しを引く。 その中には宝石箱にしては大きい飾り箱が。 重々しく蓋を開けると――そこにはピストルが眠っていた。 「いざとなったらこれで止めを刺すつもりだったけど……耕一さんにも、そして自分にも」 鈍く黒光りする銃身。 おもちゃではないことを示すその重みは、生命の重みにも感じられた。 そのピストルを、着替えたスーツの内ポケットに仕舞う。 そして何事もなかったかのように、朝の食卓に着くのだ。 「おはよう、梓」 キッチンには梓の姿が。 早くも朝食の準備は終盤戦に突入している。 「っと、おはよ、千鶴姉。今日は早いな」 「ちょっとね」 「って、昨日のアレで眠れなかったとか?」 「そんなんじゃないわよ」 笑って言う。 笑えるような状況でないことは、お互いに重々承知しているはずだった。 でも、笑わずにはいられない。 いつもの生活習慣を変える訳には行かない。 それは致し方ない、人間の弱さだった。 「それよりも耕一を起こしてきてくれよ。昨日のあの話だと、可哀想な悪夢を見てるんだろうしさ」 「そ、それもそうね。わかったわ、梓。じゃあ耕一さんを起こしてくるから」 「頼んだよ。ついでに楓と初音の様子も頼むよ。いつもだったら大丈夫かもしれないけど、一応昨日のこともあったしさ」 梓の表情が陰る。 それを私に見られないように、また背を向けると火のかかったお鍋に取り組んだ。 梓は梓で色々考えている。 でも、それをちゃんと自分の中で解決しようとしている。 今は、私が口を挟む必要などなかった。 「じゃあ梓、朝ご飯の方、お願いね」 「わかってるって。能力に応じて分業しないとな」 「もう、余計なお世話よっ!」 軽く拳を挙げる。 でも、そのまま下に降ろすと耕一さんを起こしに行った。 梓みたいに上手にお料理が出来ないのは悔しいけど――それは別に梓のせいじゃないから。 私は首を軽く振って頭を切り替ようとする。 そして意気揚々と耕一さんの部屋に入った。 「こういちさ……」 「あっ、千鶴お姉ちゃん、おはよう」 「おはよう、千鶴さん」 既に耕一さんは起きていた。 その原因はここにいる初音だ。 二人とも和やかな雰囲気の中で純粋に朝を楽しんでいる。 それが妙にしっくりしていてちょっとだけ妬けた。 「お、おはよう、二人とも。でも初音、今日はどうしたの?」 「えっ? う、うん、ちょっと」 「今日は初音ちゃんがわざわざ起こしに来てくれたんだよな」 うれしそうに耕一さんが言う。 初音は照れて顔を赤くしながらも、敢えて誤魔化そうとはしない。 「なんだ。じゃあ、私は無駄足でしたね」 「そんなことないよ、千鶴さん。美女二人に起こしに来てもらえるなんて贅沢な話だよ」 「それよりもお姉ちゃん、その格好――」 初音が指を差す。 私のスーツ姿に驚いているんだろう。 「そうそう千鶴さん、会社は休むんじゃ……」 「休みますよ。ですからこれから事務所の方にご挨拶に」 「そ、それもそうだよな。でも、それなら俺も一緒に行って説明した方が……」 耕一さんがそう言ってくれる。 でも、世間の理解がないことは、今までの警察の取り調べなどで痛いほどよく知っていた。 「無駄ですよ。それに、足立さんならいくらかわかってくれるとは思いますし」 「そう?」 「ええ、だから心配しないで下さい」 「でも、初音ちゃん達はいいけど、俺はここにいてもすることないんだよな」 確かにその通り。 だから私は、耕一さんに少し私の仕事を手伝ってもらおうと考えていた。 「ですから、耕一さんは街で情報収集などをしていただきたいと思いまして」 「情報収集?」 「そうです。飛来してきた鬼がどういう動きを見せるにしろ、何らかの痕跡が残るはずです。街の人々に目撃されることもあるでしょうし」 「なるほど。それらを分析すれば、あちらさんが何をしようとしているか、そのくらいは何となくわかるだろうしね」 「私も半分くらい、お手伝いしますから」 「そう? 助かるよ、千鶴さん」 耕一さんは純粋に喜んでいる。 でも、きっと私の考えてることを知ったら、そんな顔は二度と出来ないだろう。 確かに私も耕一さんと一緒に情報収集をする。 それは明言した通り半分だけで――残りの半分はもっと後ろ暗いことだった。 私が考えていることは基本的に二つ。 一つは武器の調達。 ここにピストルが一挺あるだけだが、それだけでは足りなさすぎる。 もっと重火器や刃物の類も必要だった。 そのために鶴来屋の会長としての権力と財力を行使する。 極力関係を持ちたくなかった地回り達ともコンタクトを取らなくてはならない。 こういう部分は、他のみんなには見られたくなかった。 そしてもう一つ、これは更に不快感を煽るものだ。 まだ覚醒していない耕一さんと一緒に行動し、鬼の力を目覚めさせること。 また、あらゆる手段を駆使して耕一さんに力を制御させる。 たとえそのために、私の身が耕一さんに滅ぼされるとしても、だ。 まだ男の鬼の力はよく知らない。 父も叔父様も、完全に鬼の力を発動させることなく自らの生命を絶った。 だからその恐ろしさ、強大さを知らされることなく今日にまで至る。 ここで完全に覚醒した耕一さんに対峙したとして、どこまで対処できるかどうか全くわからない。 そんな未知数の危険に、妹達を巻き込むことなど出来なかった。 「じゃあ、私は楓を起こしてきますね。耕一さんと初音は先に梓のところに行っていて下さい」 「わかった。んでは俺も起きるとしますかな」 耕一さんは冗談めかして布団から抜け出す。 先日のハプニングから一瞬耕一さんのあの部分に視線が行ってしまう。 ハッとして慌てて視線を逸らしたけど――どうやら同類が他にもいたようだ。 「は、初音?」 「えっ、ち、千鶴お姉ちゃん、どうかした?」 「な、なんでもないけど……」 「そ、そう。それならいいんだけど」 初音もそういう年頃なのはわかっている。 男性に興味を持つことは悪いことじゃない。 でも、何となく寂しい。 あの初音が、何だか遠くに行ってしまうような気がして―― 「楓、起きてる?」 楓の部屋をノックする。 どうも楓の部屋は入りにくい。 昨日の楓の様子がおかしかっただけに、特にそう思えてしまう。 「返事はなし、か」 楓は叔父様の死に相当ショックを受けていた。 あの子は私と同じく、父や叔父様の死の原因を知っている。 だからその悲しみも突然訪れたものでなく、じわじわと訪れていた。 私抜きで叔父様と話をしたことだってある。 柏木の男の呪われた運命を知っている楓には、叔父様自身包み隠さずに話しただろう。 一体二人の間にどんな会話が交わされたかは知らないけど、それが却ってよくなかったのかもしれない。 楓は叔父様の悲しみを知り、叔父様に共感する。 それを恋とまでは言わないけれど、多感な年頃の楓には重大すぎるものだ。 「入るわよ、楓」 ドアのノブを回す。 ゆっくりと、音を立てずに。 身体を滑り込ませるようにして楓の部屋に侵入すると――楓はまだ起きていなかった。 「楓、朝よ。起きて」 起こそうと思って肩に手をかける。 しかし、途中で手の動きを止めた。 何故なら、楓は突然瞼を上げたからだ。 「なんだ、起きてたんじゃない、楓」 「……おはよう、千鶴姉さん」 「みんな待ってるわよ。ベッドから出て顔でも洗って」 事態を深刻に受け止めているのはみんな同じ。 でも、それにはそれぞれ程度の差がある。 中でも私はかなり危機感を抱いている方だけど、それでも楓には敵わない。 別に楓が何かを言う訳じゃないんだけど、今まで以上に立ち入り難い雰囲気を醸し出すようになった。 だからそれを解きほぐすため、私は必要以上に明るく振る舞ってみせる。 そんな自分が、ちょっと情けなかった。 「後で行く」 「って、もう包み隠さず話したんだから、耕一さんに顔を合わせづらいことはないんじゃない?」 「……そういうことじゃ、ないから」 「そう?」 こくり、と無言でうなずく。 私は覗き込むように楓の顔色を確認して、結局諦めることにした。 「わかったわ。じゃあ、取り敢えず待ってるから。ちゃんと来るのよ、いいわね?」 「うん」 入ってきた時と同じように楓の部屋を後にする。 ドアを閉めると、私は深く溜め息をついた。 「もう、辛いなら自分の気持ちに素直になればいいのに……」 楓が何を考えているのか、私にはわからない。 ただ、色々考えることがあるからあんな顔をしているって言うのは明白だった。 でも、私は今まで黙っていたことを告白した。 基本的に、もう隠し事はない。 そしてまた耕一さんと初音も同じ。 昨日の不思議な出来事を、理解されないだろうと思いつつもちゃんと話してくれた。 なのに楓は未だに何かを隠している。 昨夜の耕一さんからの追求は庇ったけど、もしかしたら楓にとっては逆効果だったかもしれない。 何にせよ、楓が全てを語らなければその苦しみが晴れることはない。 私はそんな楓のために一体何をしてやれるのか――楓の姉としての重みは、今回の事件と等しく私の胸に圧し掛かってきていた。 |