空高く、星々が瞬く。
夏の終わりの月は雲間に見え隠れし、仄かな明かりをもたらしてくれる。
天――
それは一体何を指すのだろうか?
ふと思い、見上げてみる。
そこにはただ……。





銀の翼、彼方に

Written by Eiji Takashima

第一章 星船



その夜のことを、俺は決して忘れない。
あの、不思議な夜の出来事。
それは単純に不思議と呼ぶには、あまりに現実とかけ離れていた。

「耕一お兄ちゃん……」

か細い声。
そしてそれ以上にか細い手足。
しかし俺はその中に強い魂が宿っていることを知っている。

「大丈夫だって、初音ちゃん。俺が……ついてるから」
「う、うん……」

根拠はない。
ただ、俺が初音ちゃんを守らなければならないと言う気持ちのみが先行していた。
俺の言葉が初音ちゃんを安心させることが出来るのか、それすらもよくわからない。
だが、肩から回された腕が、背中に感じる鼓動が、その身を俺に委ねている事実を強く教えてくれた。

「しかしあれは……」

ヨーク。
天を渡る星船。
俺の体験した出来事は、夢ではないはずだった。
前世……なのかどうなのか、自分でもよくわからない。
ただ、何者かがその前世とやらに固執し、結果として初音ちゃんに危険を招いた。
何とか脱出でき、ヨークも滅んだかに見えた。

「お兄ちゃん、あれ……」

初音ちゃんも、具体的には口に出来ない。
まるで禁忌だった。
しかし、あのダリエリは確かに言った。
ずっと呼びかけ続けていたのだと。
そして……お話にしては出来過ぎている。
でも、あれは確かにヨーク。
天を渡る、星船だった。

「見なかったことにしよう……って訳にも行かないよな」

苦笑いを浮かべる。
夢ならば、どんなに面白おかしい夢になるだろうか。
しかし、これは紛れもない現実なのだ。
奇しくもついさっきまでの出来事が、俺に真実だと強く物語っている。
どう足掻いても逃げられない。
もう観念するしかなかった。

「どうしよう、耕一お兄ちゃん?」
「いや、どうするって言われても……」

俺としても困る。
はっきり言えば、こいつは専門外だ。
そして専門家は……そう、ここにいる。
俺の背中に負ぶさっている初音ちゃんこそが、唯一の専門家だった。

「そ、それもそうだよね……ごめんね、耕一お兄ちゃん」
「いや……」

初音ちゃんが謝ることじゃない。
でも、現実を直視すれば、俺など役には立たない。
せいぜい心の支えになってやれるくらいで、初音ちゃんとは雲泥の差があった。

「それよりも初音ちゃん?」

俺は訊ねる。
この少女に全てを託すには、あまりに過酷な運命に思えた。

「なに、耕一お兄ちゃん?」
「ああ。例の話だけど……千鶴さん達はどうなの?」

例の話、つまり前世の話だ。
俺にも唐突すぎて何が何だか。
ただ漠然と、俺と初音ちゃんが関与しているなら千鶴さん達にも何らかの役回りが与えられているのではないかと思った。

「ごめんなさい、わたしにも急な話だったから……」

さもあろう。
直接は見えないものの、うな垂れる初音ちゃんの様子が感じられた。

「それもそうだよな。こっちこそごめん」
「ううん、いいの。でも……」
「でも?」
「楓お姉ちゃんなら……」
「そうだな」

何となく、言いたいことはわかった。
あのうつつの中で俺に与えられていた役は次郎衛門という侍の役。
そして初音ちゃんはエルクゥと呼ばれる異星人の少女リネットだった。
リネットの姉妹には三人。
リズエルとアズエル、そしてエディフェルだ。
それは不思議なことに柏木四姉妹とぴったり当てはまる。
だからこその、俺の勝手な想像だった。
でも、あくまで推測でしかない。
その類の感知能力は、俺にはあまり備わっていないようだった。

「楓お姉ちゃん、ずっと悩んでたみたいだから。わたしは今までわからなかったけど多分……」

楓ちゃんは知っている。
自分の前世がそのエディフェルであることを。
エディフェルは次郎衛門と愛し合い、そのために同族に滅ぼされた悲運の女性だ。
それが次郎衛門の復讐心を生み、結果として彼は心優しい妹のリネットと結ばれることになる。
果たして楓ちゃんがどこまで知っているのか――そこまでは俺達にはわからない。
ただ、楓ちゃんの悲哀は単純に親父の死に因るものだけでなく、この前世から来るところがあるように思われてならなかった。

「初音ちゃんは……楓ちゃんからそういう話、聞いたことないの?」
「ううん、全然。だっていきなりそういう話を聞かされても普通なら作り話だろうって思うよ」
「それもそうだよな……」

だからこそ問題は難しい。
でも、それも少し変化を迎える。
俺と初音ちゃんが話せば、楓ちゃんも間違いなく語ってくれるはずだ。

「でも……」

初音ちゃんは天を見上げる。
さっきまでのことが嘘のように、夜空は静けさを保っていた。

「なに、初音ちゃん?」
「うん。わたし達……これからどうなるんだろうね?」
「……なんとかなるさ、なんとか……」

そうとしか俺には言えなかった。
何とかならないなら、この俺が何とかして見せる。

「耕一お兄ちゃん……」

初音ちゃんがその身をぎゅっと寄せる。
心細いのだろう。
俺はどこにでもいるようなただの大学生だけど、こうして頼ってくれる女性がいる。
それだけで、男は強くなれるのだ。
いや、俺は強くあらねばならない。
もう俺を助けてくれる親父はいないのだ。
これからはこの俺が初音ちゃんを……。

「わかってるって。取り敢えず、家に帰ろう。それでみんなで考えればいい。それが一番だよ」

天より来たる星船。
馬鹿にして笑っていたUFOの存在が現実のものとなる。
そしてこの俺が不思議な異星人と対峙する。
スクリーンの中の世界が現実になると、それはロマンの欠片もなく、ただ胸を締め付けるような恐怖のみが存在していた。

「恐い……なんて言ってられないよな、親父?」

小さな呟きは夏の夜風に乗って消える。
俺の決意も、儚く消えてなくなりそうなそんな感じだった。





「星船?」

話を聞いた千鶴さんの第一声はそれだった。
俺は柏木邸に着くや否や、全員を集めた。
柏木家の家族会議だ。
最初、俺と初音ちゃんの様子を見て、ただ単に河原に花火をしに行ったとは思えないような状態に驚いた。
そもそも帰りがあまりに遅くて心配していたのだ。
それが泥だらけで疲弊して帰ってくれば、驚かない方がおかしい。
しかし、俺達が帰って来て最初にとった行動に比べれば、それも大したことではなかった。

「そうです。正式名称はヨーク……っていう乗り物みたいなんですけど」

重ねて解説する。
千鶴さんの表情は半信半疑だ。
だが、俺と初音ちゃんの表情を見て、その発言をからかったりはしない。

「あんた達、転んで頭でも打ったんじゃないの?」

梓はけらけらと笑っている。
こういうものはお話の中だけと完全に割り切っているらしい。
だが、それでも辛辣な否定にはならない。
梓は俺なんかよりもずっと初音ちゃんのことを信頼していた。
それが、今の梓を押しとどめているのが現状だった。

「そんなことあるか」

俺はぼそっと梓に反論する。
反論と言うにはあまりに弱すぎるが、根拠がないのだからやむを得ない。
そもそも梓や千鶴さんには左程期待していなかった。
俺が期待していたのは……。

「か、楓お姉ちゃんはどう思う?」

そう、楓ちゃんだ。
俺の気持ちを代弁するように、初音ちゃんが楓ちゃんに聞いた。

「…………」
「お、お姉ちゃん?」
「…………」

楓ちゃんは一瞬じっと初音ちゃんを見つめた。
初音ちゃんは無言の圧力に思わずたじろぐ。
しかし楓ちゃんがしたのはそれだけで、後は目を伏せて黙り込んでしまった。

「初音ちゃん……」
「……うん」

半ば諦めムードが漂う。
初音ちゃんの瞳にはまだまだ意志の色が見えていたが、肝腎の楓ちゃんを欠いては説得力など皆無だ。
だが、これからどうしようと思案に暮れようとした時、突然千鶴さんが口を開いた。

「梓」
「な、なんだよ千鶴姉……?」
「それから楓も。アレと何か関係があるかしら?」

アレとは一体何なんだろう?
ただ、この三人の中に何らかの共通認識があるのは確かだった。

「さぁ……な。あたしにはわからないよ」
「楓は? あなたなら、何かわかるんじゃないの?」
「…………」

楓ちゃんは千鶴さんに問い掛けられても尚、沈黙を守り続けた。
だが、千鶴さんは諦めない。
根気強く、楓ちゃんに発言を求めた。

「楓」
「……ある……と思います、恐らく」
「そうなの?」
「はい」

楓ちゃんの発言にも根拠はない。
だが、楓ちゃんが『ある』と言えば、それは絶対のようにも思われた。

「エルクゥ――我々が呼ぶところの鬼ですが、それらは互いに通じ合うことが出来ると言われています。姉さんがそう感じたのなら、その気持ちは間違いではないはずです」
「そう……かもしれないけど」
「何だか雲を掴むような話だよな」

楓ちゃんはあくまで自分の見解を述べることを避けた。
千鶴さんと梓は揃って肩透かしを食わされたような顔をしている。
ただ、大元のところでは神妙だ。
初音ちゃんを除く三人しか知らないこと。
それは重大であり、ふざけた態度で応じるにはあまりに危険過ぎるのだろう。
だが、それ以上に俺は、ここで楓ちゃんの大いなるミスに気付く。

「楓ちゃん?」
「……はい」
「君は今確か『エルクゥ』って言ったよね? 俺はその単語を知ってる。ついさっき聞いたばかりだ。でも、反対に鬼だとかなんだとか、その辺は全然知らない。これってどういうことなんだ?」

俺の問いに、楓ちゃんはハッとする。
楓ちゃんに投げかける視線は、お世辞にも優しいものじゃない。
逃げを許さない、詰問の瞳だった。

「そ、それは……」
「千鶴さん達は何かを隠している。それは何となく、俺にもわかる。でも楓ちゃん、君はもっと色々知っているはずだ。星船のことも、エルクゥのことも」
「…………」

楓ちゃんはうな垂れる。
唇を閉じ、拳を軽く握り締めている。
明らかに、そこには葛藤があった。
でも、こういう形で語ると言うことは楓ちゃんにとっても不本意なことなんだろう。
楓ちゃんは何も悪くないのに、まるで悪者扱いだったから。

「耕一さん」
「千鶴さん?」

千鶴さんだ。
スッと俺の前面に出てくる。
恐らく、楓ちゃんを庇うつもりだ。

「楓を責めないで下さい。耕一さんや初音に黙っているように言ったのは、楓でなくこの私ですから」
「千鶴さん……」

姉――と言うよりは保護者に近い態度。
こういう時の千鶴さんは本当に強い。
別に俺としては楓ちゃんを責めるつもりなんてなかった。
千鶴さんに誤解を与えてしまったことはショックだったが、それでも楓ちゃんの代わりに喋ってくれるなら、結果オーライと言うところだ。

「私の知っていること全て、ここでお話します。耕一さんの話によると、私達全員、一致団結して取り組まないといけない問題のようですから」
「ありがとう、千鶴さん。助かるよ」
「いえ、私も馬鹿じゃありませんからね。私達家族のため、そして隆山の平和のため、頑張らないと」

千鶴さんはおどけて軽くガッツポーズをして見せる。
場を和ませるための、一つの手段だ。
先の見えない恐怖は皆に平等に降りかかる。
それは千鶴さんも同じだ。
恐らく千鶴さんがこれから語ろうとすることは、あまり楽しい話ではないだろう。
でも、逃げることが出来ないのなら、なるべく気楽に立ち向かうのがいい。
そうでもしないと、狂ってしまうかもしれないから。

「話は色々複雑になってきます。耕一さんと初音には寝耳に水かもしれないけど。あと、梓。あなたに言っていないこともあります。でも、これから私が言うことは本当のことです。ですから全員心を落ち着けて、真っ直ぐ聞いて下さい。いいですね?」
「あ、ああ……」
「では、お話します。まずは少し前、叔父様と私との話に溯ります……」

そして千鶴さんは語った。
親父のこと。
千鶴さんの両親の死因について。
鶴来屋を起こした俺達のじいさん。
そして――俺達の中に流れる『鬼』の血と、そのチカラについても。

「俺達が……鬼?」
「そうです。先程もお話した通り、ここ数日の耕一さんの悪夢は鬼の能力の発露に起因します。そう言えば、耕一さんにも何となく実感が湧くのではと思いますが」

千鶴さんは淡々と言う。
完全に吹っ切れたような視線だ。

「確かに……ちょっとおかしい夢だとは思っていたけど」
「危険な兆候です。でも、耕一さんには申し訳ありませんが、今はその方が助かります」
「よくわからんバケモノでも、闘う時には役に立つ……ってことですか?」
「そういうことです。もし制御が出来なくとも、相手が同じ鬼なら迷わずそちらに牙を向けるでしょうから」

千鶴さんの表情はあくまで冷たい。
こんな顔が出来るなんて俺は知らなかった。
俺が持つ千鶴さんのイメージは、おっとりしていてちょっぴりおっちょこちょいの、優しいお姉さんって感じだ。
でも……よくよく考えてみると、この柏木家は苦難続きだった。
それを乗り切ることが出来たのは、間違いなく千鶴さんの手腕に拠るところが大きい。
厳しい指導者の眼は、昨日今日で作り上げられたものではないのだ。

「ち、千鶴姉、ちょっとそれは言い過ぎじゃないのか?」
「でも、本当のことよ、梓」

梓のフォローもはね返される。
取りつく島もない感じだ。

「気にすんなって、梓。まだピンと来ないけど、千鶴さんがそう言うんだから事実なんだろうし」
「そう言われても……」
「そうだよ、耕一お兄ちゃん。お兄ちゃんがお兄ちゃんでなくなるなんて、わたしは嫌だから」
「初音ちゃん……」

梓に賛同して初音ちゃんが言う。
確かに心情的には、千鶴さんの発言には辛いところがある。
だからそれを全て受け入れろと言うのは、男の俺にならともかく、あとの二人には少し酷な話だった。

「だから、私もこういう話はしたくなかったんです。でも、今はそう言っている場合じゃないんでしょう? 耕一さんと初音の話によると、私達の祖先は宇宙からUFOに乗ってやってきた宇宙人で、ほんの少し前に同じUFOがまた地球に飛来してきたってことですから。つまり、残忍な狩猟者達が大挙して人間を襲うと言う未曾有の危機。私達はそれに対応しなければならない」
「千鶴さんの言う通りだと俺も思いますよ。だからこそ、俺と初音ちゃんもみんなに話そうと思った訳で……」
「ええ、言っていただいて助かりました」
「俺もです」

まるで男と男の対話。
だが、それ故に相互理解が得られた。

「私はしばらく会社を休ませてもらいます。色々準備もしなくてはいけませんからね。でも、みんなは今まで通り普通に生活していて下さい。もちろん、何かしてもらいたいことがある場合には私が直接言いますから、少しだけ私に任せて下さい」
「わかったよ、千鶴さん。でも無理はしないで下さいよ」

俺はすぐに了承した。
そしてあとの人間もめいめいうなずいている。

「では、今日はもう遅いから。細かいことはまた明日の晩にでも」
「そうだな、じゃああたしはもう寝るよ」
「おやすみ、梓」

先に梓が退去する。
どうもこういう深刻なのは梓向きじゃないらしい。
半分逃げるように出ていったのが、少し印象的だった。

「初音と楓も」
「うん、千鶴お姉ちゃん。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ、初音。でも眠る前にもう一度お風呂に入った方がいいかもしれないわね」
「そうだね。じゃあ、そうする」

眠そうな顔こそしていないものの、軽く目を擦りながら初音ちゃんも出て行こうとする。
しかし――

「おやすみ、耕一お兄ちゃん」
「おやすみ、初音ちゃん」

最後に意思疎通。
初音ちゃんが俺に見せた視線は、昨日までのそれとは少しだけ違っていた。
そして、その理由は俺と初音ちゃんの二人だけのものだ。

「初音……」
「どうかした、千鶴さん?」

初音ちゃんの去っていく後ろ姿を見て、千鶴さんがぼそりと呟く。

「あの子、変わりました。どこか強くなったって言うか……叔父様の話も鬼の血も、すんなり受け止めていて」
「そう言えばそうですね」

あの洞窟の中で初音ちゃんを抱いたことは、千鶴さん達には言っていない。
みんなに話をする際にも上手く避けて通った。
初音ちゃんの変化は試練を乗り越えた結果だと言いたいところだけど、千鶴さんの女の目はそれだけではないことを何となく読み取っている。
俺にはそんな気がして、特に口を差し挟むことが躊躇われた。

「初音も大人になるってことかしら? 今の状況ではうれしいことだけど、ちょっぴり寂しい気もするわね」
「わかるよ、千鶴さんの言いたいこと」

初音ちゃんにはいつまでも変わらないでいて欲しい。
でも、それは大人の側から見た勝手な願望だ。
それに初音ちゃんが応える義理はないし、初音ちゃん自身が意識してどうこう出来ることでもない。
誰も流れ行く時間には逆らえないのだ。

「ありがとうございます、耕一さん。じゃあ、私達ももう寝させてもらいますね」
「うん。じゃあおやすみ、千鶴さん」
「おやすみなさい。さぁ、楓も行くわよ」

千鶴さんは楓ちゃんを促す。
しかし、楓ちゃんは着いていこうとはせず、小さく口を開いた。

「耕一さん……?」
「ん? どうしたの、楓ちゃん?」
「……いえ、なんでもありません。では、おやすみなさい……」
「おやすみ、楓ちゃん」
「…………」

最後に楓ちゃんが俺を見つめる。
この娘はどうしてこう全てを見透かすような瞳をするのだろう?
俺と初音ちゃんの関係を責めているのだろうか?
でも、言葉では何も言わない。
視線だけでは、俺には伝わらない。
何も伝わらない、とまでは言わないけれど。


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