ぞくり。
背中に、冷たいものが走る。
どくん。
心臓が、大きく鼓動を打つ。
ざわざわ。
肌が、あわだつ。
コツコツコツ
ハイヒールの足音が近づいてくる。
柳川は、自分の中の『鬼』が自分を出せと騒いでいるのを感じた。
やけに周囲が冷たい。
空気がピンと張り詰めている。
隣りにいたセリオが、そっと音も立てずに立ちあがる。
「来客のようです。裕也さん。応対のため少し出てまいります。」
「僕達の背に羽根は無いから」
作:山田@失楽園
千鶴が、獲物・・・つまり、柳川の病室の前にさしかかった時。
部屋から、一人の女が出てきた。
正確に言うなら、「一人」では無く「一個」であり。「女」では無く「機械」であったが。
美しい二人の女性は。
しばし無言で睨み合っていた。
「そこをどきなさい。」
長い黒髪が、少し浮いている。
鬼気が周囲を満たす。
「ご主人様は、只今、安静にしなければなりません。お引取りを。」
能面のような、表情の無い顔で、機械が答える。
「どきなさい。」
爪が少し、伸びている。
目が赤く・・・そして少し金色を帯びてくる。
鬼は、本性を顕わしつつあった。
「いいえ。」
扉に背をつけ、機械のように答える。
しかし・・・彼女の左手のスタンガンは準備状態にある。
どこまでも美しい二人は・・・しかし、どちらも「ひと」では無かった。
(ウグッ・・・グワァァァァッ!)
部屋の中から苦悶の声があがる。
柳川の、自分の中の鬼と戦う声が。
千鶴は、何の感情も持たず、その声を聞いた。
「間違い無いようね。
鬼の血が、私に反応して目覚めようとしている。」
千鶴は、冷たく。事務的に「機械人形」に告げた。
「どきなさい。あなたの主人は、
もはや、あなたを買った主人では無いわ。
安らかに眠らせてやるのがせめてもの慈悲。」
セリオは。
「いいえ。何があろうとも、
ご主人様は、ご主人様。
最後までお仕えするのが道理。」
事務的に返す。
冷たい空気が辺りを支配する。
辺りの病室は、全て静まりかえっている。
中から聞こえてくる、柳川の苦悶の声だけが響いている。
「ほら、メイドロボなら、ご主人様を見に行かなくて良いの?
・・・このガラクタ人形。」
「残念ながら、貴方への応対が優先されます。
あなたが居なくなればご主人様もきっと良くなりますわ。
・・・柏木千鶴様。」
目を細める、千鶴。
「私のこと、知っているの?」
その反応から、セリオが何を計算したか・・・考えたのか・・・
「はい。25歳にして鶴来屋のオーナー会長。
家族構成は、姉妹4人のみ。
両親を亡くしてからは、叔父の賢治様に育てられた・・・
写真週刊誌に記事が載っていますわ。
『呪われた柏木家』と。」
千鶴には、セリオが薄笑いを浮かべているように見えた。
「き・・・機械人形の分際で・・・」
千鶴は、平静を失いつつあった。
「ああ、耕一という従兄弟がいますわね。
父親の賢治様を若くしたような・・・りりしい御方ですね。
死んだ叔父様が帰ってきたように思ったのではありませんか?
いえ。もしかして、叔父様の代わりに・・・」
千鶴には、セリオが薄笑いを浮かべているように見えた。
「そ・・・その薄笑いを止めてやるわ!」
セリオは、平然と返す。
「私には、表情を変える機能は与えられておりません。
私が笑っているようにみえるのは、あなたの錯覚。
私の顔は、能面と同じ。
あなたの心を映す鏡のようなものですわ。
・・・お認めになられてはいかがですか?」
千鶴には・・・やはり笑っているように見えた。
『私は全部知っているのよ』と。
耕一への想いも・・・叔父様への想いも・・・
違う。私はそんな女じゃ無い。全てはデタラメだ。
そう想う自分がいる。
でも、この機械人形の言葉がのしかかる。
心のどこかで判っている。
私は寂しいのだ。
父親が欲しいのだ。
『守ってくれる誰か』を求めている自分を見透かされているようで。
だから、千鶴は、セリオが笑っているように見える。
「機械人形の分際でっ!」
衝動的に。
千鶴は『鬼の力』を全開にして。
セリオ胸を突き刺した。
あっさりと。
間抜けな映画のように。
千鶴の腕はセリオを貫通する。
正確に心臓を一突き。即死だっただろう。
彼女が人間だったなら。
いくつかの部品と冷却液を撒き散らしながら、
セリオは笑った。
少なくとも、千鶴はそう思った。
セリオは、バッテリーに蓄えられていた電気を開放した。
パン。と。
大きな光と・・・その割には小さな音とともに二人は倒れた。
立ちあがったのは、鬼女だった。
肩で息をしつつ。
動かない・・・人形となったガラクタを睨みつける。
「この程度で・・・私を倒せるとでも思ったの?」
ハイヒールで踏みにじる。
千鶴の息は、荒い。
「忌々しい。心も持たない人形の分際で。」
踏みにじる。グリグリと。
(私の・・・私の心を踏みにじって・・・許せない・・・許せない・・・)
心を踏みにじられた。だから。動かない人形を踏みにじる。
(許せない・・・許せない・・・許せない・・・許せない・・・)
グリグリグリ。
千鶴は、鬼の形相を浮かべて。
踏みにじる。
突然。千鶴はその足をつかまれた。
男に。
何の気配も無かった。
「もう、許してやってくれませんか。」
悲しくて、優しい目が、千鶴を見つめていた。
祖父の目に似ていると思った。
どこまでも優しくて、どこまでも澄んだ目。
そして、
目の前にしゃがみ込んで、自分の足首をつかんでいる柳川は。
落ちついた声でそう言った。
叔父様と同じ声で。
耕一さんと同じ声で。
「もう、許してやって下さい。
あなた自身を。
あなたは、『これ』に写る自分の影におびえているだけです。」
「!」
千鶴は我に返ってしまった。
鬼の気配はしない。
(そっか。鬼は・・・私自身だ。)
千鶴は、なぜだか、そう思った。
全身の力が抜けて、涙が出てきた。
耕一と同じ声を持つその男・・・
つまり、『もう一匹の鬼』柳川裕也は。
そっと千鶴の頭を撫でると、セリオを抱えて歩き出した。
「待って!」
千鶴が呼び止める。
「こういちさんは・・・耕一さんはどうなったの?」
もはや、悲鳴に近い。
柳川は・・・少しだけ立ち止まると答えた。
「アイツなら、僕よりも元気だと思いますよ。」
死んだ叔父のように・・・強くて、優しくて。
死んだ父親のように・・・どこか悲しい表情をして。
柳川・・・そう、千鶴の叔父は答えた。
「貴方は・・・どこへ・・・」
柳川は、優しい表情を浮かべた。
千鶴は、耕一をみているような気分になった。
「ああ、決着をつけようと思います。」
「決着?・・・何の?」
「全ての・・・です。」
柳川は・・・どこまでも澄んだ笑顔で言葉を続けた。
「千鶴さん、あなたには感謝してます。
おかげで迷いは消えました。
ありがとう。
最高に
最悪の気分です。」
「え?」
千鶴は、彼が何を言っているのか、解らなかった。
聞き違いだと思った。
「おかげで思い出しました。
『最初の気持ち』ってやつを。」
笑顔で。
くもり一つ無い優しい笑顔で。
耕一によく似た笑顔で。
この男は何を言っているのだろう。
「僕はね。
憎かったんですよ。全てが。」
曇り一つ無い笑顔。
叔父様に良く似た、すべてを包み込む笑顔で。
柳川は、語る。
「・・・僕を捨てた父親が憎くて・・・
・・・そんな故郷が憎くて・・・
・・・何も知らない柏木のみんなが憎くて・・・
・・・自分より成績の良い友人が憎くて・・・
・・・自分より優った奴が憎くて・・・
・・・勝手に死んだ母親が憎くて・・・
・・・母を追い詰めた世間が憎くて・・・
・・・あのヤクザくずれが憎くて・・・
・・・僕を裏切った貴之が憎くて・・・
・・・こんな世界が憎くて・・・
・・・人類が憎くて・・・
・・・そして、自分が憎かった。」
千鶴は、信じられなかった。
どうしてこの男は、
こんなに優しく、こんな恐ろしいことが言えるのだ?
「そう。僕はね。もともと酷い人間だったんですよ。
僕の中には、憎しみしか無かった。
だから、殺した。」
笑っているように見える。
一瞬だけ。
彼の顔に狂気が見えた気がした。
「そう、殺したいから、憎い奴を殺した。
ただ、それだけだったんですよ。
でも、僕は卑怯者だから。
・・・『こんなのは自分じゃ無い』・・・と。
居もしない『奴』を僕の中に作り上げていたんですよ。」
悲しい笑顔。
セリオを見つめる彼の目は、やさしい。
「でも、セリオが死んだ時・・・ようやく解った。
僕はね。僕でしか無い。
僕自身から逃げ出すなんて、出来ないんですよ。
やっと解ったんです。
この憎しみが、僕自身のものだということが。
これが、僕の本性だということが。」
壊れている。
この男は。
鬼・・・いや、そんな生易しいものでは無い。
喩えるなら、真っ白な闇。
強すぎる光が、何も見えなくしてしまうように。
どこまでも優しい雰囲気で。
どこまでも深い沼を心にひそませて。
わたしはもしかしたら、とんでもないことをしてしまったのではないかしら。
「千鶴さん、あなたには感謝してます。
ありがとう。
僕にはもう、何もありません。誰もいません。
やっと一人に戻れました。
だから、ありがとう。
強くなれそうです。」
「そ・・・それで・・・わ・・・わたし・・・」
柳川は、セリオを見つめた。
千鶴など、存在しないかのように。
「今は、彼女をなんとかしてやりたいので・・・
ああ、貴方にはお礼をしないといけませんね。
また、後程伺います。
その時は、耕一くんの死体を持っていきますから。」
柳川は、にっこりと笑った。
耕一の笑顔、そっくりの笑顔で。
<続く>
素晴らしい作品を下さった作者の山田@失楽園さんに感想を是非。
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