ギイ・・・

重い音を響かせて、扉が開く。

真っ暗な部屋の中に、
外の陽光が入ってくる。

光の中に立つのは、女。


彼女が彼に会うのは、数時間ぶりだろうか?
それとも十年ぶり?
それとも・・・・千年ぶり?



懐かしい気がする。
激しい想いがあったような気がする。
水底に沈んだ想いが。



「楓ちゃん・・・」






「僕達の背に羽根は無いから」


 作:山田@失楽園






『彼女』は、彼を探していた。
『彼女』は、彼を感じていた。
『彼女』は。

彼の心を感じていた。


悲しみを。


「耕一さん?」
陽光を背に受けて、『彼女』が訊ねる。

「楓ちゃん?」
お堂の隅の暗闇から、『彼』が訊ねる。

「こういちさんだ・・・ひとに・・・人に戻ったんですね。鬼に勝ったんですね。」
『彼女』は、彼の心を感じていた。
「いつもの耕一さん」の心を。
だから、耕一の元に駆け寄ろうとした。



「止まれ。」


ぞろり、と。
何かが身体の中を這いずるような感覚。
まるで、底無し沼のような暗黒。
『彼』の心が流れ込んで来る。

息苦しい。

暗黒の世界に、全てを引きずり込むような、心。



耕一の身体は、再び、鬼へと変わろうとしていた。



「耕一さん、鬼に、鬼に負けないでっ!」


『彼女』の叫びは・・・『彼』に変化を与えた。

おそらく、最悪の結果だった。



心が流れ込んでくる。
『彼』の心が。

息苦しい。

どろり、と。
汚らしい、黒い汚泥。
底無し沼。
最悪の深淵。
それが、彼女を包もうとした。

「イ・・・・嫌ゃぁっ!」

彼女が叫ぶと、冷たい心が、一瞬、流れた。


「耕一さん、耕一さんっ!自分を取り戻してっ!」


再び、ぞろり。と。
醜悪な心が・・・汚らしい、
忌まわしい、汚泥のような暗黒が。
彼女を沈めようとする。

(これが・・・耕一さんの『鬼』・・・)

「耕一さん!鬼に負けないで!やさしい心を取り戻してっ!」

暗黒は、一瞬止まり、そして・・・
爆発的に、増加した。
一瞬で、『彼女』は闇に飲み込まれた。

  闇。

(違うんだ・・・違うんだ、カエデ。)

  絶望。

(こっちが・・・『本当の僕』なんだ。)

  混沌。

(僕は・・・鬼のままなんだよ。あの時からね・・・)












ほら、梓。
君の靴をとってきたよ。
ちょっと足が痛いけど、大丈夫だよ。
こんなのすぐに治るから。
ね、だから。
泣かないでよ。
なんで泣いてるの?
楓・・・初音・・・なぜ、怯えてるの?
どうして?
僕だよ。
いつもの、僕だよ。
僕は、笑顔を作ろうとして、それが出来ないことに気付く。
梓に、楓に、初音に・・・
差し伸べた手は、既に人のものでは無かった。

『イヤアアアァァァァ!寄らないでっ!化け物っ!』

そう、僕は化け物なんだね。
だから、嫌われるんだね。
だったら。



こんな『僕』はいらない。





















そう言って、俺は、記憶を封じた。
いや、『僕』は。
あの水底から、出ていないことにした。


君が出たら、嫌われるから。
大好きな人に。

だから、

『お前はずっと、そこにいればいいんだ。』

『俺』は『僕』に、そう言った。



僕が外に出ると、梓が、楓が、初音が、怯える。
僕を、嫌いになる。
だから、記憶はそこで巻き戻る。
水の底でもがく所に。


『僕』は、外に出たいんだ。

でも、出たら嫌われる。

『僕』は、自由になりたいんだ。

でも、出たら嫌われる。

『僕』は、息がしたいんだ。

でも、出たら嫌われる。

『僕』は、死にたくないんだ。

でも、出たら嫌われる。















外に出る。

「イヤアアァァァッ!化け物っ!」

外に出る。

「あれはもう、耕一さんじゃ無いわっ!」

外に出る。

「耕一さん、鬼に負けないでっ!」




何故?



どうして?



僕は溺れて死ななければいけないの?




僕はただ、ここから外に出たいんだ。




















水の底から這い上がる。
鬼の姿をした『僕』が。
誰かに足を捉まれる。
それでも、『僕』は出ようとする。
水面に出る。
頭を、人の姿をした『耕一』に押さえられる。
お前は、出てくるな、と。
それでも、外に出る。

「耕一さん、鬼に負けないでっ!」



君までも・・・僕を否定するの?

僕は、ここにいてはいけないの?


(どろっとした憎しみ)


誰か・・・誰か、助けてよ!


(冷たい悲しみ)


どうして?


(ぞろりとした混沌)





「みんな」が、ボクをいじめるんだ・・・



だから、ボクは消えなきゃいけないんだ。

でも、消えないんだ。

だから、毎日死なないといけない。

でも、ボクは外に出たいんだ。



「みんな」が、ボクのシを願っているんだ。


みんなのためには、ボクはシなないといけない。


















(なら、ボクが「みんな」を消してしまえば?)














え?




(ほら、見なよ・・・君の手には何がある?)

爪。

(君の口には?)

牙。

(そう、君の背中に羽根は無い。この暗黒から抜け出す力は。)

・・・ボクの背中に、羽根はナイ・・・

(君にあるのは、世界を暗黒にひきずり落とす為の、戦う力。)

・・・ボクにあるのは、爪と牙・・・











『彼』の目の前に、楓がいた。

『彼』は。



楓の首を絞めた。
















「ごめんなさい・・・」

楓の目から、涙が落ちた。

『彼』は、楓の首を絞めた。

「ごめんなさい・・・私・・・何もわかってなかった・・・解ろうともしなかった・・・」

『彼』は、楓の首を絞めた。

 絞めたはずだった。

「ごめんなさい・・・わたし・・・あの時・・・怖かった・・・」

『彼』は、楓の首を絞めたはずだった。

どうして腕に力が入ってないのだろう?

「ごめんなさい・・・あの時、私があなたを傷つけたから・・・

 ・・・あの時、私が、あなたを受け入れられなかったから・・・
 
 ・・・だから、あなたは鬼になった・・・」


『彼』を真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳。

楓は、『彼』の手に触れた。

「いいよ。私を殺しても。」


「千年前も・・・十年前も・・・そして昨日も・・・私があなたを鬼にした・・・
 それなのに・・・私は・・・」



そうだ・・・千年前も。


同じだった。



楓から、温かい心が、流れ込んでいる。
太陽の光にも似た、心が。

僕は・・・俺はいつも、どろっとした心を持っていた。
己の心と書いて、忌まわしいと読むが・・・正に、その通りだった。



俺は、彼女に鬼にされ・・・俺は彼女を憎んだのだ。


でもそれは、あまりにも俺と異質なものだったから。

愛なんて、関係無いと思っていた。
俺とは、別の・・・どこか遠い所にしか無いと思っていた。
だから、俺は彼女を傷つけた。



それでも、彼女は、俺を愛してくれた。


「耕一さん、あなたが鬼でも・・・人間でも。
 次郎衛門でも、『僕』でも『俺』でも・・・

 全部併せて、あなたが好きです。」
















ああ、僕は。

やっと外に出られた。







































いつの間にか、眠っていたらしい。

目を醒ますと、楓ちゃんがひざまくらをしていてくれた。

「おはようございます。耕一さん。」


「ああ、おはよう。楓ちゃん。」


随分と、よく眠っていたような気がする。

数分?1日?それとも一週間?




いや。十年だよ。




誰かがささやいた気がした。




















「千年ぶり、ですよ。」

「えっ?」


楓は、クスリと微笑んだ。




<続く>


素晴らしい作品を下さった作者の山田@失楽園さんに感想を是非。

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