はるか、そらたかく。
数え切れない過去を見てきた。
月が。
遠く満ちていた。
「僕達の背に羽根は無いから」
作:山田@失楽園
隆山の山奥。
普段、誰も訪れない所に。
誰からも忘れられたかのように、
古い水門が佇んでいた。
そのすぐ側に。
少し開けて、河原になっている場所があった。
人影が・・・3つ。
女が二人。男が一人。
ふと、女が立ち止まる。
それに合わせて、二人も立ち止まる。
綺麗な水が流れていく。
空にぽっかりと浮いた綺麗な月が、
川の流れの中央に、映っていた。
「満月の夜は、鬼の力が覚醒し易いんです。」
女は、そう言った。
「どうして、この場所を選んだと思いますか?」
水の流れる音に、虫の音が重なる。
自然からの優しい抱擁。
生命の流れ。
「・・・いや。」
男は、かぶりを振った。
水面は、キラキラと。
月明かりを写していた。
虫は・・・恋人を求める歌を奏で、
小川は・・・せせらぎを響かせていた。
星々は・・・千年前と同じようにまたたいている。
女は語り続ける・・・十年前の昔話を。
「・・・そして、死の淵を垣間見た瞬間、あなたは、
その幼い歳にも拘わらず、自分の中に眠る鬼を目覚めさせてしまう
・・・あなたは自らの手でワイヤーロープを引きちぎり、
辛くも窮地を脱すると、水面に出て、そして・・・」
女は悲しそうな目をしている。
女は寂しそうな目をしている。
女は・・・語る。
「殺戮の衝動に駆られ、この子たち三人を殺そうとした・・」
男が何か言う。
それは、おそらく否定の言葉。
しかし、男も知っている。
それは、本当のこと。
流れる川は。
水門は。
全てを知って、沈黙するのか。
ただ、月だけが。
数え切れない過去を見ていた。
「まだ力が弱かったにせよ、そのとき一度、あなたは鬼を制御することができたのです。
だから、今回も・・・きっと・・・私は信じています・・・」
その瞬間、『女』の髪が舞い上がった。
キーンと耳鳴りがし、凍えるような冷気が彼女の身体から放射された。
それは草葉を揺らし、水面に細波を刻んだ。
虫達の声がぴたりと止む。
吹きつける冷気によって、男の頬は、一瞬にして血の気を失った。
『女』の妖気を帯びた双眸が俺を凝視する。
「あなたの鬼は、きっと私に感応して目を醒ます。
感じて、耕一さん。・・・心の奥底に眠る、自分の本当の力を・・・」
月は。
数え切れない過去を見てきた。
今も。
同じ月が見下ろしていた。
「グオオオオオオオオオオオーーーーーーーッ!」
周囲の空気がビリビリと震撼する。
その咆哮は、夜の闇を裂いて響き渡り、辺り一帯の野山に住む動物達をすくみ上がらせた
男・・・いや。さっきまで『男』だったモノは。
既にその正体を現わしつつあった。
『雨月山の鬼』
彼は、冷たい闇に閉じ込められていた。
光も射さない永遠の暗闇に閉じ込められていた。
心の檻に。
しかしその檻には・・・出口が無かった。
そう、だから永遠に『彼』は出て来れないはずだった。
しかし今。
『彼』は姿を現わした。
永遠の牢獄から、再びこの世に舞い戻ったのだ。
「だ、駄目っ!制御しきれてないわ!」
『女』は叫ぶ。
「耕一さんっ!」
今まで沈黙を守っていた、もう一人の女が叫んだ。
「耕一さんっ!耕一さんっ!」
「鬼に負けないでっ!負けちゃ駄目ッ!」
肩の骨が大きくなり、シャツが破れる。
太股の筋肉が膨張し、ズボンがはちきれる。
体重が増加し、足が地面に沈んでゆく。
二倍近くに巨大化した手の指先に、刃のような爪が伸びる。
閉じ込められていた『彼』は開放され、ついに真の姿をさらした。
ヒュッ。
黒金の光が闇を切り裂く。
「危ない!楓っ!」
光に一瞬送れて、突風が辺りを駆け抜ける。
河原の石が吹き飛んでゆく。
水面が、まるで魔王の誕生を恐れるかのように、ざわめき立つ。
木々が悲鳴をあげる。
動物は・・・既に恐怖で動けなかった。
『彼』が腕を軽く振っただけで、この惨状だった。
「耕一さん!」
「だ、駄目っ。楓。あれはもう耕一さんじゃ無いわっ!殺戮の欲望に取り付かれた鬼なのよ!」
「・・・で、でも!」
「解って、楓!今もあなたを殺そうとしたのよ!」
「違う・・・違うわ、姉さん!あれは耕一さんなの。耕一さんなのよ!」
「楓!耕一さんはもう、殺戮を求めるだけの獣になり果ててしまった。
今、なんとかしないと、何の関係も無いたくさんの人を殺すわ!
そうなる前に、せめて私が・・・
せめて私が・・・この手で耕一さんを・・・」
ヒュッ。
もう一度、黒金の光が走る。
「きゃああああっ!」
爪は『カエデ』の髪をかすめて空を切った。
風が旋風を巻いてうねり、か細い『カエデ』の身体は、紙のように後ろに吹き飛ばされた。
「恐ろしい力だけど、幸い、まだ十分にコントロールできてないみたいだわ。・・・今なら、私でもあるいは・・・」
ゴォーと風が唸り、『女』・・・チヅルはその長く、美しい黒髪を舞い上がらせた。
冷たい殺意が周囲を凍らせる。
「姉さんやめてっ!耕一さんを助けてあげて!」
『カエデ』は泣きながら叫んでいた。
しかし、戦いの鬼と化したチヅルには、もう、そんな声は届いてなかった。
「耕一さん、あなたを・・・殺します。」
その瞳から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた。
「・・・今夜のことが、夢であることを信じたい・・・」
黒い疾風が走った。
『彼』の胸元から勢いよく鮮血が噴き出し、辺り一面を真っ赤に染めた。
「・・・浅かった!?」
チヅルは『彼』に向き直ると、
「・・・次で終わりにします・・・」
冷たい風が、旋風を巻く。
「耕一さん、ごめんなさい。」
黒い疾風が空を斬り裂いて襲いかかる。
チヅルの手が鋭い刃と化し『彼』の胸元に振り下ろされた。
その時だった。
「耕一さんっ!」
突然カエデが両者の間に割って入ったかと思うと、両手を広げ『彼』をかばった。
迸る閃光は、もはや勢いを弱めることは無く。
風の刃を纏ったチヅルの手が、盾となったカエデに振り下ろされた。
その時に何が起きたのか。
知っているのは『彼』だけだろう。
風が唸り、閃光が走った。
旋風が巻き起こる。
二つの閃光がカエデの目の前で正面から激突し、激しい火花を散らした。
突風がおさまった時・・・
チヅルは倒れていて。
カエデは無傷で立ってた。
そして・・・
『彼』はただ、佇んでいた。
「姉さん!千鶴姉さん!」
カエデは駆け寄ると、地面に突っ伏したチヅルの身体を抱え起こした。
「・・・傷・・・浅い・・・」
『カエデ』は、『彼』を見た。
「・・・耕一さん・・・」
「・・・耕一さん、なんでしょ?・・・」
「私を・・・助けてくれたんですね」
『彼』は・・・ただ、黙って、背を向けた。
「耕一さん!」
カエデが呼び止めた。
『彼』は、無意識のうちに立ち止まっていた。
「・・・すぐに・・・もとの耕一さんにもどりますよね?」
カエデが涙声で聞いた。
「すぐに戻ってきてくれますよね。」
『彼』は・・・何も答えなかった。
「私・・・約束・・・忘れませんから。・・・ずっと、ずっと。待ってますから。」
約束?
『彼』も、耕一も、そんな約束などした覚えは無かった。
「耕一さん・・・」
『彼』は膝を曲げ、足の筋肉をバネのように縮めると、夜空に向かって飛んだ。
数百キロの巨体が、鳥のように夜空に舞うと、『彼』は月光と背に、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。
そして、吼えた。
「グオオオオオオオオオオーーーーーッ!」
その咆哮は、夜の闇を切り裂いて響き渡り、辺り一面の野山に住む動物達をすくみ上がらせた。
肌に当たる夜の風が。
鼻腔をくすぐる緑の香りが。
ほのかな月の明かりが。
彼の復活を祝福しているようだった。
彼の心を。
開放感が満たしていた。
そう、もう、『彼』は何物にも縛られない。
己の心に忠実に生きてゆくのだ。
彼の心を満たすのは自由と開放感。
そして、あくなき狩猟への欲望。
「グオオオオオオオオオオーーーーーッ!」
沸き起こる興奮を押さえきれず、『彼』はもう一度咆哮を上げた。
それは夜の闇を貫き、空気を振動させた・・・
そのとき、ふと、『彼』はあのカエデという名の少女の顔を思い出していた。
真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳。
それを思い出した途端、『彼』はなにかを忘れているような、不思議な気持ちになった。
・・・なんなのだろう?
だが、考えても答えは出なかった。
ただ、月だけが。
数え切れない過去を見ていた。
自分の心に僅かな空虚な部分を見つけた『彼』は。
いつの日かもう一度、カエデに会いに行くことを、ただ、何となく考えていた・・・
柳川は、ゆっくりと目を醒ました。
ここは警察署内の仮眠室。
鬼としての自分を取り戻してから、柳川は、家に帰っていない。
「そうか、アイツも目覚めたか・・・」
ククク。
思わず笑いが漏れる。
耕一と言ったな・・・
朝にあった時は、ここまで早く目覚めると思っていなかったがな・・・
ククク。
残虐な笑みを浮かべる。
嬉しかった。
ただ、嬉しかった。
そうだ。狩りは、獲物が強大な力を持っているほど、殺り甲斐がある。
興奮が押さえきれなかった。
だが、まずは・・・アイツに力の使い方を教えるのが先かな・・・
獲物は、強いほどいい。
それに、暇つぶしも見つけた。
チヅル・・・そして、カエデか・・・
楽しくなりそうだった。
柳川の心を。
殺戮の予感が満たしていた。
そう、もう、『俺達』は何物にも縛られていない。
己の心に忠実に生きてゆくのだ。
柳川の心を満たすのは殺戮の期待。
そして、あくなき狩猟への欲望。
ククク。
沸き起こる興奮を押さえきれず、
『彼』は笑いをもらしていた。
そのとき、ふと、柳川はあのカエデという名の少女の顔を思い出していた。
真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳。
何故か。セリオと貴之のことを思い出した。
それを思い出した途端、『彼』はなにかを忘れているような、不思議な気持ちになった。
・・・なんなのだろう?
だが、考えても答えは出なかった。
ただ、月だけが。
数え切れない過去を見ていた。
<続く>
素晴らしい作品を下さった作者の山田@失楽園さんに感想を是非。
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