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どうして俺は青空を、
見上げるだけで、満足できなかったのだろう?
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「ただいま。」
暗い部屋に、男が入る。
部屋の隅に、もう一人。
男がいる。
死んだような目をしたその男は。
じっと床を見つめている。
「貴之。少しは何か食った方がいいぞ。」
床に座り込んでいる男は、反応を返さない。
しかし、そんなことは予期していたように、
男は話を続けた。
「なぁ。今日は、お前に話があるんだ。」
手のつけられていない食器を片付け、
残飯を処理する。
手馴れているのは、男がそれに慣れてしまっていることの証だろうか?
「俺は・・・もうすぐ居なくなってしまうかもしれない。」
反応の無い男に、話しかける。
それは、人形を前にした、一人芝居に似ている。
「いや・・・俺が、俺で無くなってしまう。と、言った方がいいか・・・」
少し、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「だから・・・その前に、お前にできる限りのことをしておきたいんだ・・・」
真剣な眼差しは・・・しかし、うずくまっている男には届かない。
ただ、時間だけが、無意味に過ぎて行く。
「僕達の背に羽根は無いから」
作:山田@失楽園
男の名は、柳川裕也。
雨月山に住まう鬼。
まだ、ひとの姿をしているが・・・
その中には凶悪な『鬼』が潜んでいる。
柳川は、非番の時をを見つけて、街に買い物に出かけた。
刑事という職業柄、金はあっても使う時間は無く。
金銭的な余裕があった。
それに職業柄、闇ルートなどにも詳しかった。
だから『彼女』を手に入れたのにも、特に不思議は無い。
HM-13 『セリオ』 である。
「これで、俺が居なくなっても・・・貴之のことは心配無いか・・・」
無論、不安はある。
しかし、彼は、何もしないよりはマシだと思った。
(ククク・・・そうかな?俺が殺るかもしれないのにか?)
!
昼に「奴」の声がしたのは、始めてだった。
(そうさ、もう少しさ。俺は外に出るんだ。)
させない・・・絶対に。
柳川は、自らの身体に爪を食い込ませる。
痛みによって、自分を支えようとして・・・
腕の筋肉が膨れ上がる。
力が無限に湧いてくる。
それでも、柳川は戦う。
自分自身と。
それはまるで、滝のように落ちる水を、小さなコップで救い上げようとしているのにも似ている。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、
『お前の方が死ね』
赤く、大量の血飛沫を上げて、怪物が死ぬイメージ。
荒い息を整えながら、家路につく。
付近には誰もおらず、見ている者は居なかったようだ。
血のついたワイシャツを、季節外れの上着で隠し、柳川は歩きだした。
『奴』の負の感情を、奴自身にぶつけてやること。
それが、最近覚えた『奴』への対処方だった。
毎日『奴』は死ぬ。
『奴』の憎しみで、『奴』は死ぬのだ。
しかし、毎日『奴』はやってくる。
『奴』は死ぬたびに強くなっていった。
まるで、死と憎しみが、『奴』を育てているかのように。
(俺は・・・自ら。墓穴を堀り続けているのかもしれない。)
そんなことを考える。
しかし、どうにかして『奴』を殺さなければ、
自分が自分で無くなることを、柳川は知っていた。
(殺さなければ、『俺』が消える。)
しかし、殺すたびに『奴』は強くなる。
閉じられた輪のように・・・
逃げ道は無かった。
(時間の問題か・・・)
柳川は、そんな考えを振り払うかのように。
歩き続けた。
(湧き出す力は何の為に在る?)
(ほら、お前の爪と牙は何の為に在る?)
現実の柳川の身体が、大きく震える。
体重が2倍近くに増え、
腕が、足が、身体が。
人間のものでは無くなってゆく。
(ほら、お前の爪と牙は何の為にある?)
「お前を殺す為だ!」
半ば鬼と化した腕を、爪を、自らの身体に突き立てる。
血飛沫が飛び散る。
大きな痕を残して、『奴』は死んだ。
また、今日も。
(次は、どうなるか解らない)
(奴を出さないためには・・・俺自身が死ぬしか・・・無いのかもしれない。)
腕を振り上げる・・・が、既に腕は人間に戻っていた。
(死ぬことさえ出来ないのか・・・)
そんな彼を現実に引き戻すように、
玄関のチャイムが鳴った。
運送屋が運んできたのは、この間買った「セリオ」だった。
すっかり忘れていた彼は、苦笑しつつも、起動の準備にかかる。
(これで、俺が居なくなっても安心かな・・・)
そんなことは無いと・・・知っていながらも、そう願わずにはいられない。
カプセルに納められた『彼女』は。
まるで眠り姫のようで。
それを妨げることが憚られるような。
そんな気もした。
美しい・・・な。お前は。
遥かな昔、同じ事を考えたことがあるような、
そんな既視感。
嘆息をつき、ふと、我にかえる。
今、思ったのは、何だったのだろう?
system ...all green.
...ok
モニターの表示が出た後、
ゆっくりと、その眠り姫は、目を醒ました。
焦点の定まらない目を彼に向ける。
(貴之に・・・似てるかもな。)
そんなことを思う。
彼女は・・・しかし、小さな駆動音とともに目の焦点を合わせ、同時に人間のような表情を浮かべた。
「始めまして、ご主人様。よろしければ、貴方のお名前をお教え下さいますか?」
『彼女』は、流れるようにそう言った。
まるで、人間のようだった。
(だが、所詮。機械だ。)
柳川はそう思いなおし、頭を振った。
『彼女』が怪訝そうに見ている。
「どうかいたしましたか?」
『彼女』は・・・まっすぐに彼を見つめていた。
つい、視線を逸らしてしまう。柳川。
「いや、何でもない。」
そう言って、やっと自分が名前を告げて無いのに気がついた。
「俺は柳川。柳川裕也だ。」
「柳川裕也様ですね。よろしくお願いいたします。」
会釈をする『彼女』
「君の名前は?」
当然の疑問。
「まだ、ありません。できればご主人様にお付け頂きたいのですが。よろしいでしょうか?」
軽く首をかしげて、彼女は言う。
彼は・・・思い浮かばなかった。
「お前は・・・『セリオ』だ。」
「はい。セリオですね。素敵な名前を与えて下さいって、ありがとうございます。」
彼女はそう言うと。かるくお辞儀をした。
「君の主な仕事は、彼の面倒を見ることだ。」
柳川は、貴之のところへセリオを連れてゆき、説明する。
彼が病気であるということ。
自分が刑事で、不定期的にしか帰れないこと。
もしかしたら、自分は『とても遠い所』へ旅立ってしまい、長期間帰ってこないかもしれないこと。
自分が長期間居なくなったとしても、絶対に彼の介護は続けること。
「貴之様、セリオと申します。よろしくお願いいたします。」
貴之は・・・やはり反応しない。
しかし、それは柳川の予想通りであった。
期待も無く・・・だから失望も無い。
「それじゃあ、頼むよ。俺はこれから署まで出かけないとならないから。」
セリオはそれに応えた。その動きは、やはり人間に近いと思った。
「はい、かしこまりました。ご主人様。お帰りはいつ頃でしょうか?」
「いや、解らない。」
「はい。かしこまりました。」
セリオは、玄関まで柳川について来た。
「行ってらっしゃいませ。」
柳川が今追っているのは柏木賢治氏の事故死である。
柏木賢治というのは、この隆山で一番大きな旅館「鶴木屋」のオーナー社長であり、
この街での影響力は大きなものであった。
今は、姪の柏木千鶴が会長として鶴木屋を継いだという。
しかし、氏の事故には不審な点が多く、再捜査が行われることとなった。
大量の睡眠薬が検出されている。
事故では無く、他殺であっても不思議では無い。
賢治氏には兄がおり、その兄夫婦が事故死した折に
その兄より「鶴来屋」を受け継いだ。
しかし、その兄には4人の娘がおり、賢治氏が社長に決まるまでは色々とあったらしい。
また、柏木賢治氏には、耕一という息子がおり、
賢治氏がこの息子に鶴来屋を継がせようとしたとしても、何の不思議も無い。
今のところ、怪しいのは会長になった「柏木千鶴」と社長になった「足立」という男。
地元の名士である。
だから、慎重に行かなければならなかった。
しかし、柳川にはある種、確信めいたものがあった。
柏木賢治は・・・おそらくその兄も・・・自殺だったのだろう。と。
理由は簡単である。
自分が、柏木耕平・・・鶴来屋の初代にして、賢治の父。耕一や千鶴の祖父・・・
その耕平の息子であったからだ。
柳川の母は、耕平の妾であったという・・・
だから、自殺した(事故死した)のは、二人とも自分の「腹違いの兄」ということになる。
(血・・・だろうな。)
日ごと現われる『奴』。
あれを遺伝的なものだと柳川は考えていた。
二人とも、『奴』を恐れて自殺したに違いない。
そう考えている。
(なら、『千鶴』や『耕一』はどうなのだろうか?)
柏木一族、全員が『奴』をその身に潜ませているのだろうか?
それとも・・・耕平の息子達だけなのだろうか?
それとも・・・彼らは関係無くて『奴』を潜ませているのは自分だけなのか?
それを知りたい。
抜け道があるのかもしれないから。
『奴』から逃れるための。
この閉じた輪から、抜け出すための。
翼が。欲しい。
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どうして俺は青空を、
見上げるだけで、満足できなかったのだろう?
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しかし・・・今日も収穫は無かった。
署での報告を終え、帰途につく。
夜も12時をとっくに過ぎ、深夜になっている。
柳川は、ドアを開けた。
「おかえりなさいませ。」
扉の中は、室内灯がついており、まるであたたかな光があふれているようだ。
その中に、白い服を着たセリオが立って、彼を出迎えてくれた。
いつも暗い部屋に帰ることに慣れていた彼にとって、
それが現実のものだと気付くのに、しばらくかかってしまった。
「あ・・・ああ。・・ただい・・ま。」
言った後で、我ながら随分間抜けな返事であったと思った。
「お食事の用意が出来ておりますが?」
柳川は、数年振りに家庭料理を食べた。
いや、もう、10年以上食べてなかったのかもしれない。
なんだか、やるせなかった。
母を亡くして・・・ずっと家族を持たずに生きてきた彼にとって・・・
それは、今まで気がつかなかったモノに気付かせてしまった。
「何か・・・至らない所がありましたか?」
セリオは・・・しかし、表情を変えずに言った。
すこしだけ、微笑んだような気がするのは、彼の錯覚だったのだろうか?
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どうして俺は青空を、
見上げるだけで、満足できなかったのだろう?
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風呂に入って、ゆっくりとする。
いつもの自分の家なのに、いつもと違うような気がする。
でも、なんだか、いい気分だった。
忘れていた何かを思い出しそうになる。
「お背中、流しましょうか?」
セリオが聞いてくる。
「ああ、頼む。」
ドアを開けて、セリオが入って来る。
つい、背を向けてしまう。
見たらいけないような・・・でも、見たいような。
「なあ、セリオ。」
「はい、ご主人様。」
「俺のことは、ご主人様じゃなくて・・・名前で呼んでくれないか?」
「はい。裕也様。」
「さん付けの方が・・・いいな。」
「はい。裕也さん。」
彼はこの時、『彼女』がロボットだということを忘れていた。
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どうして俺は、青空を。
見上げるだけで満足できなかったのだろう?
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夢を見ていた。
とっくの昔に忘れたはずの。
昔の夢だ。
昔、水平線というものを見たことがある。
海の青と、空の青。
二つの青が重なる場所。
そこに行けば、二つの世界は交わっていると信じていた。
そこに行けば、空に手が届くと信じていた。
水平線のある場所。
そこは、
『世界の果て』
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どうして俺は、青空を。
見上げるだけで満足できなかったのだろう?
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昔、『普通の家庭』というものを見たことがある。
普通の父親と、普通の母親。
祖父母がいて、兄弟がいて、親戚もいる。
俺には無いものが。
望んでも、手に入らないものが。
ごく、当たり前に存在していた。
僕がどんなに望んでも、
どんなに手を伸ばしても、永遠に手に入らないものが。
『青空』に手が届く場所。
そこは『世界の果て』
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どうして俺は、青空を。
見上げるだけで満足できなかったのだろう?
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そう。僕にとって『青空』は。
どこにでもある、『ありふれた幸せ』は。
いつも僕の手の届かない所にあった。
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どうして俺は、青空を。
見上げるだけで満足できなかったのだろう?
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ほんとうに・・・
本当に。
本当に、美しい想い出を持つ者だけが、願うことを許される。
『いまのあの頃のままでいられたならば・・・』
『あの頃がえいえんに続いたならば・・・』
そう、願うことができる。
でも、そんな想い出さえ持たない者は、
『世界の果て』になるしかないのだ。
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どうして俺は、青空を。
見上げるだけで満足できなかったのだろう?
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思えば、いつも一人だった。
『世界の果て』
そこに行けば、何でも手に入ると思っていた。
そこに行けば、願い事が叶うと信じていた。
そこに行けば、青空に手が届くと信じていた。
だから。
僕は『世界の果て』を目指したのかもしれない。
他の誰にも解けない、難しい問題を解いた。
他の誰よりも早く走った。
他の誰よりも成績が良かった。
他の誰よりも重い物を持ち上げた。
他の誰にもできないから。
僕より先には誰も居ないから・・・・
・・・だから、『果て』
試合に出て、優勝した。
難しい大学に入った。
国家公務員試験に合格した。
僕より向こうには、誰も居ない。
僕は世界の果てに、なれたと思った。
・・・でも、「青空」には手が届かない。
(ククク。だから、言ってるだろう?)
黙れ!
(お前は、俺を望んでいるんだ。)
うるさい、黙れ!
(お前は、世界の果てになりたいのだろう?)
黙れ!黙れ!黙れ!
(俺こそが世界の果てさ。)
何だと?
(人であって人で無く。人で無くて、人。だから、果て。)
・・・だとしても・・・
(湧き出す力は何の為に在る?)
(ほら、お前の爪と牙は何の為に在る?)
現実の柳川の身体が、大きく震える。
腕が、足が、身体が。
人間のものでは無くなってゆく。
鬼へと・・・人外の存在へと・・・世界の果てへと・・・
(ほら、お前の爪と牙は何の為にある?)
『お前を殺す為だ!』
自分に爪を振り下ろす柳川。
しかし・・・同じ顔をした男が、柳川の腕をつかむ。
(何度言ったら解る?俺は、お前自身なんだぞ。)
『お前の好きにはさせない!』
再び、自分に爪を突き立てようとする。
しかし・・・同じ顔をした男は、半分、鬼と化した柳川を止める。
(お前の爪と牙は何の為にある?)
『何故、そればかり繰り返す!』
(どうしてお前は、自分を傷つけることしか考えないのだ!!!)
『・・・』
(お前の爪と牙は何の為にある?)
俺達の背には羽根は無い。
世界の果てを越えるための羽根は。
ここでは無い、どこかを目指すための羽根は。
逃げ出すための羽根は無い。
俺達にあるのは、戦う為の爪と牙だ。
殺せ。全てを。
狩れ。全てを。
世界がお前の存在を否定するなら、
お前が世界を否定でしてやれ。
全てがお前を傷つけるなら、
お前が全てを狩ればいい。
俺達の爪と牙は。
自分を守るために在る。
自分が自分で在るために。
自分の存在を証明するために。
狩れ。
『彼』は、目を醒ました。
『彼』・・・ついさっきまで「柳川裕也」だったモノは・・・
立ちあがった。
傍らに、セリオが寝ていた。
美しい・・・な・・・
なぜだか、そう思った。
しかし、所詮は機械。生命の炎は持って無い。
『彼』は着替えると、夜の闇へと姿を消した。
ドアの開閉音で、セリオが目を醒ました。
「裕也さん?」
しかし、彼女は彼が『とても遠いところ』へ旅立ったことを解っていた。
彼が『世界の果て』へ旅立ったことを・・・
『彼』が、柏木耕一と出会うのは、次の日のことである。
<続く>
素晴らしい作品を下さった作者の山田@失楽園さんに感想を是非。
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