夜明けは、まだ来ない。
暗い夜空に、星さえも見えない。
俺は、一人だった。
『なつかしきよと』
作:やまだ
戦(いくさ)があった。
それまで、俺は何の取り柄も無い。
・・・タダのクズ。
・・・ゴミ。
そんな奴だった。
何の目的も無く。
無意味に生き。
おそらく、無意味に死ぬはずだった。
怠惰で。
無気力で。
無価値で。
無意味な存在。
しかし、戦は、全てを変えた。
俺には、価値があることを初めて知った。
刀を初めて握った時、
案外軽いな。と、
そう思った。
俺は、人を殺せた。
効率良く。沢山。
俺は、死体を作るのが上手かった。
自分でも知らなかった、自分の価値。
人を殺すのに、知恵も、力も必要無かった。
人は、傷つくのが、怖い。
だから刀と向かい合った時、
人は、それを恐れる。
死と直面した時、
人は、それを恐れる。
恐怖と向かい合った時。
敵と向かい合った時。
逃げるか、倒すか。
結局は、その二つに一つ。
俺には、相手の心が手に取るように解った。
自分の中の恐怖を倒すため、雄叫びを上げてかかってくる奴。
俺はそっとかわして、首を一突き。
それで一つ。
修行により、自分の力に自信を持っている奴。
俺は、そいつが誰かを殺す瞬間を狙って、斬りかかる。
死体から刀を抜く間も無く。そいつは死体になる。
それで二つ。
死を恐れて逃げる奴。
俺は、そいつの背中へ短刀を投げる。
それで三つ。
剣を構えて隙なくこちらを狙う奴。
俺は、真っ直ぐ近寄る。
そいつは突く前に、一瞬、軸足に力を入れた。
だから、俺は突いてくる瞬間が読めた。
それで、死体は四つに増えた。
俺が大勢倒したことを見た奴。
そいつは、俺を恐れるあまり、力を込めようとしてしまう。
だから、身体が固まって思うように動かない。
何も考える必要も無く、死体は五つになる。
人は結局。
傷つくのが怖いのだ。
それ故に、死ぬ。
俺の名は次郎衛門。
人は俺を『人切りの鬼』と呼ぶ。
気がつくと。
俺は一人になっていた。
まわりには、たくさんの死体。
周囲は暗く。
星さえも見えない。
味方・・・俺のついていた方は、とっくの昔に全員逃げ出したらしい。
敵・・・俺が殺していた奴等は、周囲にはいない。
とっくの昔に、こちらの大将を討ち取ったのだろう。
さもなくば、俺に殺されたか、だ。
おれは、次の戦場を求めた。
いったい、幾つの夜を越えれば、朝が来るのだろう?
いったい、幾つの死体をつくれば、辿りつけるのだろう?
いったい、何時まで続ければ、これは終わるのだろう?
繰り返す自問自答。
答えは出ない。
ただ、死体だけが増えてゆく。
もう、何も感じない。
楽しいも、苦しいも無い。
単調な作業。
怠惰で無気力で無意味で
存在に価値が無かった頃と、何が違うのだろう?
価値がある?
ただ、利用されているだけだ。
何も変わらない。
何も変えられない。
あるのはただ、無意味な作業。
人は普通、傷つくのを恐れる。
ならば何故。
俺は、こんなにも。
俺は一体、何を望んでいるのだろう?
俺は、死を望んでいるのだろうか?
俺は、生を望んでいるのだろうか?
俺は、世界を見たいのだろうか?
俺は、現実を見たくないのだろうか?
俺は、殺人に逃避してるだけなのだろうか?
俺は、
答えはまだ、無い。
悩みつつも戦場に行く。
そこでは、悩む暇は無い。
だから死体だけが増え続けている。
戦争に参加するのは、何故だ?
金が欲しいから? 違う。
生きるためにしかたなく? 違う。
誰かに認められたくて? 違う。
ただ殺したいから? 違う・・・と、思う。
『鬼討伐』の話しを聞いた時。
俺は特に悩む事も無く、参加することに決めた。
夜明けは、まだ来ない。
暗い夜空に、星さえも見えない。
俺は、一人だった。
俺は、森を歩いていた。
領主の館は、山をあと一つ越えた所。
暗い夜道を一人で歩く。
それが、俺の手に入れたもの。
『自由』・・・たぶん、そんな名前のもの。
小川のせせらぎ。
虫の鳴き声。
獣の遠吠え。
空には暗雲。
それさえも遮る森の木々。
自分の足音。
自分の足音。
自分の足音。
ただ、それだけ。
一体、どれだけ歩けば。
明かりが見えるのだろう?
不意に。
夜空を覆っていた黒雲が途切れた。
足元には小川が流れていて。
その向こうは小高い丘になっていて。
大きな月を背に。
一人の女が立っていた。
「ああ、美しいなぁ。」
理由など無かった。
ただ、そう思った。
俺は何も考えず、その女の所へ歩いて行った。
「この辺りには鬼が出る。一人で居ては危険だぞ。」
自分から他人に話しかけたことなど、何年ぶりだろうか?
しかし、そんな事を思いつつも。
話しかけずには居られなかったのは、何故だろうか。
そんなことを考えている自分がいる。
その女は。
怪訝そうな・・・
神秘的な・・・
そんな表情を浮かべた。
「・・・オ・・・ニ・・・?・・・エルクゥ・・・デ…エゼ…?」
その女・・・
良く見ると、少女、のような気もするが・・・
彼女の深く澄んだ瞳で見つめられると。
俺は、なんだか、自分の奥底まで覗かれたような気がした。
俺は。
彼女が何を言ったのか聞き返そうとした。
その時になって。
おれは、やっと彼女が普通の人では無いことに気がついた。
見知らぬ服。異国のいでたち。
顔つきも、肌も、髪も、瞳も。
動きも、匂いも。
いつも知っている人とは、どこか違う。
おそらく、遠い所からやってきた者だろう。
「俺の言う事が解るか?」
彼女は答えなかった。
ただ、不思議そうに、こちらを見ていた。
彼女の瞳に見つめられると。
何故だか、魂までも奪われそうな。
魂までも見透かされそうな。
そんな気がしてくる。
「どこから来た?異国の者なのだろう?」
言葉が通じないのを承知で訊ねる。
すると。
彼女はゆっくりと夜空を指し、
「…レガゼ…ゼア…ネガレム…ラゼ…」
そう、呟いた。
俺には言葉の意味は解らなかったが。
月から来た。と、
そう言ったような気がした。
「月から来たのか?お前は天の使いなのか?」
俺が静かな微笑みと共に訊ねると
「…テン…? …レザム…デ…エゼ?」
彼女は、不可解な顔をして通じない言葉を語る。
彼女が何物で。
何処からきたのか。
何故こんなところにいるのか。
何も解らない。
ただ、俺の目には。
彼女は月から舞い降りた、本物の天女に思えた。
「確かに、お前は天女のように美しいな。」
「…ウツクシ…ナ? ダル…デ…エディフエル…」
「ああ、美しい・・・お前達の言葉では、何と言うのだろうな?」
俺がそう言って微笑むと。
彼女は不思議そうな顔をして。小首をかしげた。
「…レデゼ…ラダ…?」
今度は、俺が首を傾げた。
ただ、何を聞きたいのかは、なんとなく解った。
「…次郎衛門、だ。」
次の日。
…見渡す限りの炎の海。
むせかえるような、血と、肉のこげた匂い。
『鬼討伐』に出た者は。
相手が何故『鬼』と呼ばれているのか。
身をもって知ることとなった。
猛り狂った炎の中に。
いつものように死体の山。
鬼の妖術は、創造を絶していた。
妖術は雷を放ち、炎を上げ。
討伐隊に襲いかかった。
一瞬で、混乱の極致に達する討伐軍。
これでは勝ち様が無い。
鬼達は熊のように大きく。
鎧のように硬い皮膚を持ち。
尋常でないすばやさで襲いかかった。
手には雷の剣、炎の槍。
爪で引き裂く鬼もいる。
しかし・・・俺から見ればそれだけだった。
大きな鬼が腕を振り下ろしてくる。
俺は一歩前へ出てかわす・・・槍だけを元の場所に置いて。
ぶすり、と。鬼の身体に突き刺さる。
怒りに震える鬼は冷静さを失い、振り向くと。
俺の短刀が目玉に突き刺さる。
グオォォ
叫び声を上げた口に刀を刺すと、
刀は脳まで達し、鬼は死んだ。
結局こいつ等は、人と何も変わらない。
傷つくのは怖いし、斬れば、死ぬ。
血の流れ、筋肉の動き、呼吸。
ほとんど人と代わり無い。
ただ、ほんの少し、強いだけ。
雷の剣を持つ鬼がいる。
こいつは雷を放つ前に、必ず剣で奇妙な構えを取る。
だから、いつ妖術を放つかは解った。
殺した鬼を盾にして、近寄る。
俺が石を蹴り込むと、鬼は、反射的に片手で石を払った。
…つまり、今、構えは取れない。
鬼が気付いた時には、既に俺は鬼の喉に剣を突き立てていた。
炎の槍を持つ鬼がいる。
こいつも結局同じだ。
強いが…行動が丸見えだ。
強いし妖術も使う。だが、愚かだ。
炎を放つ瞬間。短刀を投げつける。
短刀は炎槍の方向を変え、別の鬼を消し炭にする。
…態勢を立てなおす頃には、鬼は、大きな肉塊になっていた。
腕の振りで風を起こす鬼。
得体の知れない力を持つ鬼。
しかし、俺にとっては同じ事だった。
急所を斬れば、鬼とて死ぬ。
最初の内は、得体の知れない妖術に戸惑った俺も、
既にいつもと同じ、作業の繰り返しをしているだけだった。
不意に。
そっと。
小さな影が出てきた。
ヒュッと、風を切る音がした。
反射的に構えた刀で、爪を受け止める。
『彼女』だった。
驚く間も無く、ニ撃目、三撃目が放たれる。
俺は、どうにか剣で受け止めると、
反撃とばかりに胴を薙いだ。
『彼女』は紙一重でかわし。
そのまま、鋭い爪で斬りかかって来る。
読めない。
俺には、それが一番の驚きであった。
他の鬼は、人と同じであった。
弱い者には残酷で、
強い者には恐怖を抱く。
だから、誰もが似たような行動を取る。
なら、コイツは?
何故、読めない?
『彼女』は恐るべき早さで斬りかかってくる。
その、一切の無駄の無い動きは、
周囲の炎の光を浴びて、
幻想的な美しさを放っている。
反射神経だけで、どうにか受け止めるが。
しかしこれでは刀が持たない
コイツは、傷つくのが怖くないのか?
彼女が斬りかかる、俺が受け止める。
俺が斬りかかる、彼女がかわす。
怖く無いのか?死が。
何故、殺気が無い?
彼女の斬撃は、確実にこちらの急所を狙っている。
だから、加減しているハズが無い。
なら、何で殺気がしない?
何の気負いも、ためらいも無く、
これほどの斬撃が放てる?
これではまるで。
これではまるで、俺自身のようじゃないか。
殺す事を何とも思って無い。
何の目的も無く。
何の意味も無く。
ただ、行為を繰り返すのみ。
これは・・・まるで・・・
ああ、そうか。
俺と、同じなんだ。
こいつも俺と同じ、
からっぽの人間なのだ。
気が付いてしまった。
自分自身の暗闇に。
そして、同じ闇を。
目の前の『彼女』と共有していることに。
気が付いてしまった。
それからは、まるで約束組手のようだった。
相手が何をしてくるのか、
相手が何を考えているのか、
相手がどう動くのか。
自分はどうすればいいのか。
理解してしまった。
相手を。
斬る、かわす、斬る、かわす。斬る、かわす。
斬る。かわす。斬る。かわす。突く、避ける。
そうだ、もしかすると俺は。
『彼女』に会うために、さまよっていたのかも知れない。
明けない夜の中を。
理解し合える存在を求めて。
さあ、俺を。
殺してくれ。
俺に安らぎを与えてくれ。
俺の事を、誰よりも解ってくれた君に殺されたいのだ。
ドスッ。
俺は、避けなかった。
胸を深くえぐった痕からは、大量の血が流れ出す。
視界が薄く霞んでくる。
四肢の力が抜け、炎の熱さえも感じなくなってくる。
「ありがとう・・・」
燃え盛る炎の中。
俺が言うと、『彼女』は昨夜と同じ澄んだ瞳で、
じっとこちらを見つめた。
「…」
『彼女』は、無言のままだった。
燃え盛る炎を背に、どこか悲しげな瞳を俺に向け、
無言のままたたずんでいた。
本当に、おまえは美しいな。
お前に会えて。嬉しかった。
やはりお前は天女だった。
俺を天へと運ぶ・・・
身体にほのかなぬくもりを感じつつ、
俺は長い眠りから覚めた。
瞼を開くと、『彼女』の姿があった。
「…目が…さめた?」
「ここは?」
一縷の望みをかける。
ここは天国で、
おれはとっくに死んでいて、
彼女は本当に天女であったということに。
「…レザムにちかいばしょ…小さなやまごや。
わたしと、あなたいがい、だれもいない。」
「…」
「…あなたの命の炎…あと少しで消えそうだった。
だから私…あなたに…私のエルクゥ細胞を与えた。
…そして…あなたは助かった。…エルクゥはあなたの身体に…」
「何故、殺さなかった。」
「…エルクゥは、互いの意識を信号化し…伝え合うことができる。
…そして…言葉よりも深く…互いを理解し合える。
…あなたは…もともとエルクゥに近い人間だった。
…あの時…あなたの生命の炎が消えようとした時…
…あなたの私への想いが流れ込んできた。」
「では何故、殺さなかった!
どうして俺を殺してくれなかった!
理解してくれたと思ったのに。
ようやく理解してくれる人に出会えたと思ったのに!」
「…私は胸が痛くなった。あなたを失えば、私はきっと後悔する。
…そう、思った。」
「では、なにか?
お前は、お前の勝手な理由で、
俺を死なせてくれなかったというのか?
おれは、おれは・・・」
自分でも、支離滅裂なのは解っていた。
ただ、あそこで死ぬことで、俺は全てから開放されるような・・・
そんな気がしていた。
しかし、生き延びてしまった。
あんな安らかに死ねる死に方など、二度とできるわけが無い。
やっと人間らしく死ねると思ったのに、
俺は、鬼の力を注がれ、鬼になった。
俺に地獄を這いずれとでも言いたいのか?
この女は。
全てから逃げ出すなど、許さないとでもいうのか?
鬼の血を宿らされたことへの、怒りと憎しみ。
だが、それ以上に強かったのは、女の美しさに対する劣情。
その二つが複雑に絡み合い、
俺はむさぼりつくように、女を抱いた。
身体中に熱い鬼の血が滾り、俺は女の細い身体を激しく、乱暴に犯した。
女がまだ生娘だったことを知り、俺はわずかに動揺したが、
ほとから流れ出る一筋の鮮血は、さらに俺を狂わせ、
それまで以上に激しく、欲望の炎を燃え上がらせた。
乱暴に犯されているにもかかわらず、女は、抵抗もせず、
逆らう声も立てず、必死で苦痛に耐えていた。
瞳に涙を浮かべ、唇を噛んで耐えていた。
そんな姿を見ているうちに、俺は、胸が痛くなってきた。
怒り、憎しみ・・・そんなものが徐々に消えうせていき、
かわりに、彼女に対する愛おしさが膨らんでゆく。
しがみつき、身体を震わせる彼女の中に、たっぷりと精を注いだとき、
俺はついに観念し、自分の本心を認めることにした。
俺は、彼女を愛してしまったのだ。
それを、はっきりと感じてしまった。
「君の・・・名は?」
「エディフェル。・・・次郎衛門。」
この闇を抱えたまま、生きてゆくのも悪くない…彼女と一緒であれば。
例え、夜明けが千年先になったとしても。
俺は、そんなことを考え・・・そして、立ちあがった。
「行こう、エディフェル。俺と一緒に。」
「どこまでも。次郎衛門。」
エディフェル編を読む
素晴らしい作品を下さった作者の山田@失楽園さんに感想を是非。
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