夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第三十一話:ファーストキス
「ただいまー!!」
毎日くぐるこの門。
でも、何だか今日はちょっぴり違う。
途中まではそんなつもりでも何でもなかったのに、わたしの隣には耕一お兄ち
ゃんがいて……。
「あれ、もう梓は帰ってきてるのか……」
玄関にある靴を見て耕一お兄ちゃんはそう言った。
でも、梓お姉ちゃんのとは別に、もう一つ同じ靴があった。
「そうみたいだね。それに……」
「友達でも、連れて来てんのかな? ったく、俺が来てるってのに……」
「そ、そうだよね……」
耕一お兄ちゃんは梓お姉ちゃんが友達を呼んでるかもしれないと思って、ちょ
っと不満そうな顔をしてる。
でも、わたしとしてはちょっと辛いな。
結果としてはそう言うことにはならなかったけど、このわたしも沙織ちゃんを
連れてくるような感じだったんだし……。
「ま、いっか。梓のことは放って置いて、俺と初音ちゃんで何かしてようよ」
「う、うん。そうだね。お姉ちゃんのお友達のお邪魔しちゃ悪いし」
そう言って、わたしとお兄ちゃんはそれぞれの部屋に別れた。
普段だったら梓お姉ちゃんもわたし達が帰ってきたら出迎えに来てくれるんだ
けど、今日はやっぱりお友達を呼んでるのか、顔を見せてはくれなかった。
「……まあ、しょうがないよね」
わたしはそう割り切ると、自分の部屋に入って行った。
梓お姉ちゃんの部屋はわたしの隣の隣だったから、壁越しに話が聞こえるはず
もなかったけど、前を通りかかった時も静かだった。
わたしは何をしているのかちょっぴり気にもなったけど、でも余計なお世話だ
よね。それよりも折角なんだから、耕一お兄ちゃんを独占していたい。
こんな機会、そうあるものでもないと思うし……。
もう九月なのにやっぱり暑い。
他のクラスメイトみたいに、うちにもクーラーが欲しいって思ってるんだけど、
でも、千鶴お姉ちゃんはあんまり興味がないみたい。
楓お姉ちゃんはわたしに賛成みたいなんだけど、それでも無理にってほどでも
ないみたいだし……。
それに意外にって言っちゃ失礼かもしれないけど、梓お姉ちゃんは反対なんだ。
どうもうちの雰囲気には合わないって言ってるし、それにうちは結構涼しい方
だって。
まあ、純日本風の建物だから、そんな造りになってるのかもしれないけど、で
もやっぱり夏だから暑いよ。梓お姉ちゃんには贅沢だぞって言われてるけど、
たまにはちょっとくらい贅沢していいと思うんだけどな。
汗ばむ制服のブラウスを着替えて普段着になる。
やっぱりこの鞄、夏は問題だよね。
背中はやっぱりびしょびしょだし……だからちょっとだけシャワーを浴びたい
気分だったんだけど、でも、耕一お兄ちゃんを待たせちゃうと悪いしね。
耕一お兄ちゃんだって、暑い中ずっとうろうろして汗かいてるんだろうし、わ
たしだけさっぱりしちゃうんじゃ申し訳ないよ。
わたしは手早く着替えて部屋を出る。
耕一お兄ちゃんの部屋に行く前に、忘れてた手洗いをうがいを済ませた。
千鶴お姉ちゃん、こういうことにはうるさいんだよね。
やっぱりお姉ちゃんにとってはわたし達はまだまだ子供なのかな?
まあ、実際お姉ちゃんから見たら、わたしなんかはまだまだ子供だろうけどね。
そしてうがいをしに行ったついでにちょっと気がついて、麦茶とおせんべいを
持って行くことにした。
ちょっとすればもう晩ご飯の時間になっちゃうけど、まあいいよね。
あんまりいっぱい食べるつもりだってないし……。
わたしはそう楽観的に思いながら、足取り軽く耕一お兄ちゃんのところに行った。
「おっと、初音ちゃん、早かったね」
耕一お兄ちゃんは着替えないでわたしを待っていた。
まあ、既に普段着なんだし、旅行中ってこともあって服はそんなに沢山持って
ないから当然と言えば当然。
わたしは畳の上にお盆を置きながら耕一お兄ちゃんに応えた。
「うん、やっぱりお兄ちゃんを待たせちゃ悪いと思って」
「そっか……やっぱり優しいな、初音ちゃんは」
そんな耕一お兄ちゃんの顔がほころぶ。
なかなかこんな顔できる人、わたしの周りにはいないけど……でも、わたしが
お兄ちゃんにそんな顔させてるの?
だとすると、何だかうれしいけど……。
「そ、そんなことないよ……」
「いやいや、そんなことあるって。それよりも喉乾いたろ? 麦茶飲みなよ」
耕一お兄ちゃんはそう言うと、お盆の上のコップを取ってわたしに差し出す。
わたしはお兄ちゃんにあげようと思ってわたしが持ってきたんだけどなぁ……。
でも、わたしは笑ってコップを受け取った。
お兄ちゃんに別に悪気はないもんね。
それに、わたしのために言ってくれたんだし……。
「うん……ありがと、耕一お兄ちゃん」
「うんうん。じゃ、俺も……」
こうして二人で麦茶を飲んだ。
やっぱり夏は麦茶だよね。
炭酸のジュースも確かあったはずだけど、でもなんとなく人気薄かな、うちでは。
まあ、お風呂あがりになるとなんとなくそういうのが美味しそうに感じたりも
するんだけど、それって大人の人がお風呂あがりにビールが飲みたくなるのと
同じだろうと思う。
そして麦茶を飲みながら、二人ともなんとなくおせんべいを手にした。
いい音をさせてばりばりと食べる。
大体一枚食べ終わった後、ようやくお兄ちゃんが口を開いた。
「しかし、梓の奴は何やってるんだろうなぁ?」
「そうだね。でも、お友達来てるんじゃしょうがないよ」
お兄ちゃん、結構梓お姉ちゃんが顔を出さないの、気にしてるみたい。
でも、今朝の件があったからね。
梓お姉ちゃんも少し気まずく感じてるのかも?
だから耕一お兄ちゃんが来てるってわかってるのにわざわざお友達をうちに連
れてきて自分の部屋に篭ったりして……。
梓お姉ちゃん、耕一お兄ちゃんは多分笑って否定すると思うけど、実はわたし
達の中で気持ちは一番女の子っぽいんだよね。
千鶴お姉ちゃんはよく人から色々騒がれたりもして、梓お姉ちゃんも結構意識
してるみたいだけど、でもわたしから言わせてみれば、千鶴お姉ちゃんってあ
んまり女を感じさせないんだ。
どっちかっていうと、私達のお父さんって感じかな?
特に叔父ちゃんが亡くなってからそんな風に振る舞ってるみたいで……。
本当の千鶴お姉ちゃんはそうでもないんだけど、やっぱり無理してるみたい。
そんなお姉ちゃんのためにも、耕一お兄ちゃんにいて欲しいんだけどね……。
でも、そんな千鶴お姉ちゃんがお父さんなら、うちのお母さんは梓お姉ちゃんかな?
やっぱり家のことは何でもしてくれるし……まあ、それだけでもないんだけどね。
梓お姉ちゃんてよく男っぽいって思われてるじゃない。
だけど、それって本当に表面上のことだし、だからこそ時折見せる梓お姉ちゃ
んの女っぽさって、わたしも凄くどきっとさせられるんだ。
特に梓お姉ちゃん、耕一お兄ちゃんが来てからはお兄ちゃんには見せないよう
にしてるけど、そんな顔をしてる時が多い。
やっぱり梓お姉ちゃんも……でも、しょうがないよね。
耕一お兄ちゃん、かっこいいもん。
だからわたしも――
「初音ちゃん?」
「え、えっ!?」
「ど、どうしたの、急に黙り込んじゃってさ……」
わたし、何だか考え込んじゃってたみたい。
何だか恥ずかしいな。
それに、お兄ちゃんのこと、考えてるところだったし……。
「ご、ごめん。別に何でもないから」
「いや、別に構わないけどさ……やっぱり梓のこと?」
「え、う、うん……」
それだけでもないけど、わたしは敢えて言わなかった。
だって、そんなこと言えるはずないよね。
「そっか……いや、俺もさ、やっぱり今朝のことが気になって……」
「うん……おぼえてるよ、わたしも」
「俺もさ、わかってたんだよ。でも、やっぱり相手が梓だと、なんとなくこっ
ぱずかしくって……」
耕一お兄ちゃんはそう言いながら頭を掻いてみせる。
わたしなんかに言わないで、梓お姉ちゃんに直接言ったらいいのに。
でも、言えないからこうしてるんだよね。
何だかわたしが入り込めないような感じで、ちょっぴり悲しい気もした。
「やっぱり梓に謝っといた方がいいかな……?」
「うん……わたしもそう思うよ」
「でもな……友達呼んじゃってるし……」
「そうだね……どうする? わたしが行って、ちょっと呼んでこようか?」
わたしがそう提案すると、耕一お兄ちゃんは少し考え込んだ。
でも、結局はわたしにこう答えた。
「……やっぱりいいよ。折角初音ちゃんがそう言ってくれたのに悪いんだけど」
「ううん、お兄ちゃんが決めたならそれでいいけど……でもどうして?」
「いや、別に焦ることでもないし。焦ったら余計こじれるだけかな、って」
「……確かにそうかもね」
「うん。だから、梓の友達が帰ったら話しに行くことにするよ」
「そうだね。やっぱりそれが一番無難かもしれない。梓お姉ちゃんも多分、仲
直りするきっかけ探してると思うし……」
「だといいけど……」
耕一お兄ちゃん、不安そうな顔をしてる。
わたしから言わせてみれば、気にし過ぎなんだけどね。
でも、簡単に割り切れちゃうお兄ちゃんよりも、こういうお兄ちゃんの方がわ
たしは好きだな。
そう思うと、わたしはお兄ちゃんを安心させようと思ってこう言う。
「大丈夫だよ、耕一お兄ちゃん。梓お姉ちゃんもやっぱりお兄ちゃんのこと、
好きだと思うから……」
「えっ……?」
わたしの言葉に、耕一お兄ちゃんは驚く。
わたしはそれを見て、誤解させちゃったことに気付いて慌てて説明した。
「あ、ち、違うんだよ。そ、そんな意味じゃなくって、ただ好きか嫌いかって
いうだけでね……」
「あ、そ、そっか。そうだよな……い、いやぁ、俺ってついつい自分の都合の
いいように考えちゃう悪い癖があるから……」
耕一お兄ちゃんは笑って応える。
それはちょっとした勘違いだけど……でも、お兄ちゃん、梓お姉ちゃんに女の
子として好きになってもらいたいって思ってたのかな?
「う、うん……しょうがないよね……」
「うん……」
なんだかちょっと、気まずい雰囲気。
なんとなくわたしは麦茶のコップを取って口をつける。
すると耕一お兄ちゃんもわたしと同じようにコップを手にした。
「…………」
視線が合わない。
わたし、耕一お兄ちゃんに遊んでもらおうって思って楽しみにしてたのに、全
然そんな感じじゃないよ。何だか辛くって……。
でも、麦茶はいつまでも続かない。
おっきい瓶ごと持ってくればよかったんだろうけど、コップも割と大きかった
し、なくなればまた注ぎに行けばいいと思って、二つのコップに並々注いだだ
けだった。
わたしが麦茶を飲み終えてちょっと視線を上げると、耕一お兄ちゃんのコップ
も空になってた。
わたしはいい機会だと思って、作り笑いを浮かべながら、耕一お兄ちゃんに申
し出る。
「……あ、わ、わたし、麦茶、注ぎに行ってくるね」
わたしはそう言って耕一お兄ちゃんのコップに手を差し伸べた。
でも――
「初音ちゃんっ……」
「えっ!?」
いきなり耕一お兄ちゃんに手を掴まれた。
驚くわたし。
でも、それだけじゃなかった。
お兄ちゃんは突然わたしを自分の方にぐいって引き寄せて――
「んっ……」
……キス、されちゃった。
朝みたいにおでことかじゃなくって、わたしの唇に……。
わたしは一瞬動きが止まる。
何だかわからなくなって、動けなくなっちゃったんだよね。
でも、耕一お兄ちゃんはわたしを解放するとこう言った。
「は、初音ちゃん、俺……」
耕一お兄ちゃん自身も、ほとんど衝動に駆られてのことだったみたい。
でも、わたしにはそんなことが理解できる余裕もなかった。
「……っ!」
わたしは耕一お兄ちゃんの顔を見て、その言葉を聞くと一気にぷつんと切れた。
そう、そのまま立ち上がって何も言わずにそのまま部屋を出ていっちゃったんだ。
別に、わたしは全然嫌じゃなかったのに……。
どうしてわたし、逃げちゃったんだろう?
そして、わたしは自分の部屋のドアの前で立ち止まる。
耕一お兄ちゃんはわたしを追いかけては来なかった。
わたしはそっと自分の唇を指先で軽く押さえてみせる。
「これって……」
そう、これが突然訪れた、わたしの、ファーストキスだった……。
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