夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第二十七話:悪には悪を
「ただいま……」
ようやくうちまで到着したあたし。
でも、いつものように堂々と門をくぐる訳にも行かない。
「どうしたんですか、梓先輩?」
あたしの不審な様子を見て、小首をかしげながら訊いてくるかおり。
あたしはそんなかおりを軽く叱責して言った。
「シッ!! 声が大きいんだよ、かおりは」
「どうして大きいと駄目なんです? 元気がよくっていいと思いますけど……」
あたしが言ってもかおりの奴は聞く耳を持たない。
あたしにはかおりが更に不必要にでかい声を出しているんじゃないかと思えた
りもした。
「と、とにかく口を閉じててくれよ。あたしがいいって言うまで」
「わ、わかりました。梓先輩がそうおっしゃるんでしたら……」
「よし、取り敢えず、そうしててくれ」
「はい! じゃあ、おじゃましまーす!!」
こ、このアマ……あたしは心の中で、かおりの馬鹿をどつき倒していた。
あたしが言った側から家中に響き渡るようなでかい声出しやがって……。
それにしてもこいつ、あたしを困らせてそんなに楽しいんだろうか?
考えてみると、あたしが嫌がることばっかりしてる気もするし……。
でも、まさか高校生になってもそんなことはないよな。好きな相手にちょっか
いを出しちまうなんて……ははは、気のせい気のせい。
あたしは自分に言い聞かせるように、そう頭の中で念仏のように唱えていた。
「ただいま……」
あたしはそろりそろりと家の中に侵入する。
家の鍵が締まっていたところからすると、耕一の奴はまだ外出中らしい。
ったく、一体こんな田舎街のどこにそんなほっつき歩ける場所があるのか……?
あたしはそんな風にぶつくさこぼしていた。
「おじゃましまーす……って誰もいないみたいですねぇ、梓先輩」
今度は静かに挨拶したかおり。
家の中の雰囲気で察したのか、あたしに向かってそう言ってくる。
「そうだな……まあ、とにかく上がれよ」
「はい」
なんだかかおりは妙に嬉しそうだった。
まあ、考えてみればあたしはこの数ヶ月ずっと、かおりがうちに来たいって言
っていたのを何やかやと理由をつけてはごまかし続けていたんだよな。
やっぱりずっと行きたかった場所を長い間お預けにされていたのだから、その
好奇心の度合いも並々ならぬものに膨れ上がっているに違いない。
実際かおりはあたしのことよりもうちの様子を如何にも興味深げにきょろきょ
ろと眺め回していた。
でも、あたしもかおりの気持ちはわかるんだけど、それでも自分のうちを観察
させるのはやはり気恥ずかしい。
別に日々の掃除を怠っているとか、そんな心配は皆無だけど、やっぱり気にな
ってかおりに言った。
「おい、あんまりじろじろ見るなって。恥ずかしいだろ……」
「で、でも、すっごく立派なお屋敷で……私、羨ましいですぅ」
「そ、そうか? 広いのも面倒なだけだけど……」
「いえ、大は小を兼ねるって言うじゃないですかぁ。大きい方がいいですよ、
やっぱり」
「そうか? でも、掃除は大変なんだぞ、無駄に広いと」
あたしは実体験で痛感していることをかおりに言った。
学校の連中は誰も信じてくれないかもしれないけど、食事だけでなく掃除洗濯
に至るまで、柏木家はほとんどこのあたしが取り仕切っている。
まあ、初音はしょっちゅうあたしを手伝ってくれるし、楓も時々だけど手が空
いた時には手伝ってくれる。
無論、二人とも自分の部屋に関してはちゃんと責任を持って綺麗にしていて……。
あ、あと、千鶴姉はなぁ……料理ほど亀でもないらしいのが救いかな?
やっぱし他のところには手を出して欲しくないところがあるけど、自分の部屋
はそれなりに整理整頓しているみたいだ。
「そうなんですかぁ……私のおうちは先輩のところみたいに広くないですから……」
「だから、掃除するのもそんなに気にもならないってか?」
「いえ、私がするのは自分の部屋だけです。他はママがやってくれますから」
「ママぁ?」
「ええ。ママです。先輩ほどじゃありませんけど、何でも出来る美人のスーパ
ー主婦なんですよぉ。まあ、私が目指してるのは、先輩みたいな女性なんです
けどね」
「そ、そか……」
おいおいおい!!
何だかきな臭くなってきやがった。
言葉の端々に意味深な言葉を添えてきやがって……。
やっぱこれは危険か?
ううっ、こういちぃ〜! 早く帰ってきてくれ〜!!
「と、取り敢えず入れよ。あたしは適当に飲み物と菓子でも持ってくるからさ」
「わかりました。じゃあ、待ってますね、先輩」
「ああ……」
こうしてあたしは自分の部屋にかおりを押し込めて、一人になることが出来た。
「ふぅ……」
とにかく疲れる。
精神的にこんなに疲れたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「それにしてもかおりの奴……」
このままとんずらこいてやろうか?
一人になることには成功したんだし……って駄目駄目、放っておいたら何され
るかわかったもんじゃない。あいつを野放しにしておくことはあいつと二人っ
きりでいること以上に危険だ。
ともかくあたしは耕一があたし達の間に入ってくれるまで、何とかしのぎきろ
うと心に決め、適当にペットボトルの炭酸飲料とスナック菓子を持って部屋に
戻った。
しかし――
「おい、かおり……」
「あら、先輩、早かったんですねぇ」
「当たり前だ。それより何なんだ、それは?」
「えと……」
「……殺してやろうか?」
「ご、ごめんなさい……」
「……とにかく出ろ。いいな」
こいつ、こともあろうにあたしのベッドに潜り込んでやがった。
ったく、何を考えているんだか……謝るくらいなら最初っからするなっつーの。
「あの……梓先輩?」
「何だよ?」
「飲み物、いただいても宜しいですか?」
「好きにしろ」
「……じゃあ、いただきます……」
険悪極まりないムードの中、かおりは二つあるコップの一つを取ると、炭酸を
あまり刺激しない様に慎重に注いでいった。
あたしはそれを見ながら、氷でも入れてくればよかったかな、と呑気なことを
思いつつも、わざとしかめっ面をしてかおりの一挙一動に目を光らせていた。
「…………」
しかし、あたしは不機嫌そうな顔をしていても、実は心の中はほくほくだった。
なぜなら、こんな気まずい雰囲気を維持しておけば、かおりも下手な行動には
出れないだろうから。
あたしはそのことを悟ると、かおりには悪いと思いつつも、仏頂面をやめよう
とはせずに一層冷たい表情を作ることにした。
「……せんぱいもどうぞ……」
かおりの奴はそんなあたしを気にしてか、甲斐甲斐しくあたしにもジュースを
注いでくれる。
かおりの目は何だか人の気持ちを窺うような、そんな不安そうな小猫の目をし
ていて、あたしにも少々罪悪感が芽生え始めていた。
基本的に、かおりは悪人じゃないんだよな……。
あたしはそう思うと、無意識のうちに表情を少しだけ和らげていた。
「ああ、もらうよ……」
そして、二人は同時にコップに口をつけた。
かおりはあたしの方に視線を向け、あたしはそれを避けるようにコップの中身
に視線を注いでいた。
「これ……食べてもいいですか?」
「ああ。食べるために持ってきたんだからな」
「じゃあ、いただかせてもらいますね……」
かおりはそう言うと、スナック菓子の袋を手に取り、食べやすい様に大きく開けた。
そして、まだ炭酸の泡の弾ける様子を眺めていたあたしを横目に、お菓子を手
に取ると口に運んだ。
「…………」
しかし、気まずい雰囲気が最良の方法だと知りつつも、あたしは次第にそれを
苦痛に感じていた。
そもそもあたしにはこういうのは似合わないんだよな。
相手がかおりじゃなければ、あたしも楽しく出来るんだろうけど……。
と、あたしがそんな思案に暮れていると、かおりの方から恐る恐ると声をかけてきた。
「あの……梓先輩?」
「ん、何だよ、かおり?」
「その……もしかして怒ってます?」
「まあな。いきなりありゃあないだろ」
「済みません……」
「謝まりゃいいってもんでもないだろ?」
「そうですよね……でも、私には謝るくらいしか……」
「……それもそうだな」
「どうしたら……先輩は許してくれるんですか?」
「そうだなぁ……」
かおりに言われてみて、初めてその重要さに気がついた。
あたしは何を以ってかおりを許してやればいいのか……?
実際あたしはかおりを永久に許してやらないとか、そんなつもりは毛頭ない。
しかし、やっぱり何かきっかけが必要だ。
なにもなしだったら……かおりは少しも懲りないだろう。
調子に乗ってあたしの怒りすら軽視するかもしれない。
そしてなによりあたしにもその気があるんじゃないかと誤解したりして……。
普通の奴ならそんなことはありえない。
しかし、相手は魔性の女・かおりだぞ。
普通の感性では絶対にはかれるはずがないと言うものだ。
「…………」
あたしは炭酸をすすりながら思案に耽る。
この時ばかりはかおりも大人しくしてあたしの答えを待っているようだ。
かおりが何か出来るとすれば、あたしの答えを聞いてからのことなのだから……。
「そうだなぁ……よし、決めた。かおり、あんたを許してやる代わりに、重大
な任務を与えることにする」
「はい、わかりましたっ!!」
『許してやる』という言葉を聞いただけで、かおりの表情は一変して明るいも
のになった。
こいつはこいつで相当の問題児だけど、それでもやっぱり笑顔の方がいい。
あたしはそう思いつつも、自分の思いついた計画に笑みをこぼさずにはいられ
なかった。
「まず、今晩あんたをうちの夕食に招待することにする」
「ほ、本当ですか!? 私、感激ですぅ!!」
「まあ、話は最後まで聞け。あんたの任務はこの夕食の席でのことなんだから……」
「はいっ!!」
かおりは緩んだ表情を引き締める。
ともかく今は真剣になることが大切だと言うことをようやく理解してくれたらしい。
「簡潔に言うと、千鶴姉だ」
「お姉さん……ですか?」
「そうだ。一応、あたしの宿敵ってことになってる」
「あれ、喧嘩していたのはいとこでは……?」
「まあ、あれはあれだ。別に険悪って訳でもない。言わば、単なる言葉のすれ
違いだな。きっと耕一の奴も、あたしに対して怒ってもいないだろうし……今
朝の件はあたしが勝手に暴走しただけだしな。だから、あんたは気にしなくっ
ていい」
「……なんだ、つまんない」
「何か言ったか?」
「い、いえ、何でも……」
やっぱりこいつは食わせものだ。
まあ、悪事には却ってこういう奴の方が使えるだろう。
そう考えているあたしも、相当の悪人なのかもしれないけどな……。
「とにかく、かおりは千鶴姉のことは何も知らない。だから、それを利用して
散々からかってやろうと言うのが今回の作戦だ。いいな?」
「はいっ!!」
躊躇のない返事だ。
何だか今のかおりを見ていると、親でも売り飛ばしかねない気がする。
やっぱりあたしはお調子者かもしれないけど、こいつほどにはなれないだろうな。
「かおり、お前に今回のキーワードを伝授する」
「はい!!」
「偽善者、胸なし、家事不能、だ。この三つを頭に入れて、千鶴姉に一泡吹か
せて欲しい。細かい点についてはかおりの才覚に委ねることにする。いいな?」
「偽善者、胸なし、家事不能……ですね? 任せて下さい、先輩。私、そうい
うのって得意ですから」
「だと思って、あたしもあんたを選んだんだよ」
「私、光栄ですぅ! 先輩に認めていただけるなんて……」
「よし、じゃあ、首尾を期待する。頑張れよ、かおり」
「はいっ!!」
何だかかおりの奴は妙に張り切ってやがる。
しかし、そんな人を引っかける才覚を認めてもらって、そんなにうれしいのか?
あたしからしてみれば、相当に不名誉なことだと思うけど……。
まあ、今のかおりにはそこまで頭が回らないのかもしれない。
ともかくかおりならやってくれるはず。
どうやら今夜は、相当楽しい一夜になりそうだった……。
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