夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Taikashima
第二十五話:ほんのちょっとの背伸び
「もう、沙織ちゃんたら……」
耕一お兄ちゃんはうるさく言わなかったけど、それだけにわたしはお兄ちゃん
に対して済まなく思う気持ちでいっぱいだった。
そしていまだにわたし達の後ろで監視している沙織ちゃんにも、毒づかない訳
にはいかなかった。
だって沙織ちゃん……これじゃあんまりだよ。
「初音ちゃん……」
「えっ?」
見てみると、耕一お兄ちゃんが困ったような顔をしてる。
「そんな顔しちゃ駄目だよ。友達なんだろ?」
「え、えっ? う、うん……」
「別にいじめられてるとか、そういう訳でもないんだろ?」
「う、うん。当然だよ。沙織ちゃんはそんな……」
「だったらそんな顔して友達を見るもんじゃないな。もっと信じてあげなきゃ」
「…………」
「俺にはよく事情が掴めてないから何とも言えないけど、でも、やっぱり初音
ちゃんにも彼女にも色々あるんだろうし……」
「うん……」
わたしにそう言う耕一お兄ちゃんの表情は、不思議と染み入るように優しかった。
まるで本当に妹に教え諭しているような感じで……。
沙織ちゃんは妹じゃ駄目だ、みたいなことを言ってたけど、でも、わたしはこ
ういう耕一お兄ちゃんの方が好きだな。
やっぱりわたしは、ボーイフレンドよりもお兄ちゃんの方が欲しいって思うか
らね……こういうところが、まだまだ子供だって言うんだろうけど。
でも、別にわたし、大人っぽく見てもらいたくって背伸びしようとしたことな
んてないし、今のままで充分だと思う。
特別困ったこともないし、やっぱり無理するよりも自然な方がいいもんね。
だからこそ、わたしは変に沙織ちゃんに反発しちゃうのかも。
わたしにはまだ、恋愛なんて早すぎるんだよ……。
「俺は別に詮索したりしないよ。でも、初音ちゃんがいいなら……ちょっとは
聞かせて欲しいな」
「…………」
優しいお兄ちゃんの言葉で、ようやくいつものわたしに戻れそうな感じだった
んだけど、このひとことでわたしは何も言えなくなっちゃった。
わたしは耕一お兄ちゃんに隠しごとなんてしたくなかったけど、お兄ちゃんを
わたしの耕一お兄ちゃんとしてでなくて、沙織ちゃんの言う『耕一さん』とし
て見るとかなんとか、そんな話、出来るはずもなかった。
でも、そんなわたしにすぐに気がついたのか、耕一お兄ちゃんは慌てて自分の
発言を撤回しようとしてくれた。
「あ、じょ、冗談だって。またそんな顔しなくっても……ほら、チョコでも食
べる?」
「も、もう……わたしだって、甘いものですぐごまかされるような子供じゃな
いんだからね」
ちょっと間抜けかな?
でも、わたしはなんだかそんな耕一お兄ちゃんがうれしくて、ちょっと笑いな
がらごぞごぞチョコを取り出そうとするお兄ちゃんにそう返事をした。
「ご、ごめん、別に初音ちゃんをごまかそうとかそんなつもりじゃなくって……」
「じゃあ、どういうこと?」
わたしにしては珍しく意地悪かも?
耕一お兄ちゃん、かなり不器用みたいだからね。
「そ、それは……」
「ふふっ、冗談だよ、耕一お兄ちゃん」
「は、初音ちゃん……もう、勘弁してよ……」
「いいよ、勘弁してあげる。だって大好きな耕一お兄ちゃんだもんね」
やっぱり……このくらいかな、わたしには?
耕一お兄ちゃんは絶対気付かないと思うけど、だからこういうことが言えるの。
確かにかわいい妹としてお兄ちゃんを慕う気持ちがほとんどかもしれないけど、
でも……それだけじゃないのも、わたしにはわかる。
耕一お兄ちゃんはそれだけだって思ってる。
そしてかわいい妹として、わたしをかわいがってくれてる。
沙織ちゃんは違うなんて言ってたけど、でも、違う訳ないよ。
どう見ても耕一お兄ちゃん、わたしを女として見てる訳ないもん。
胸だって梓お姉ちゃんみたいにないし、千鶴お姉ちゃんみたいに落ち着いた魅
力もない。
だから、ただの明るい女の子なんだよね、わたしって。
でもわたし……女として見られたいのかな、ほんとに?
そう言えば、耕一お兄ちゃんに彼女っているのかな?
お兄ちゃん、結構かっこいいし、やっぱり向こうには彼女の一人や二人はいる
んじゃないかって思う。
考えてみると、耕一お兄ちゃんって自分の大学生活とか、そういうのは全然話
してくれないよね。まあ、わたしたちが全然訊こうともしなかったから悪いの
かもしれないけど……。
「やっぱり優しいね、初音ちゃんは。貴重だよ、ほんと」
「そ、そうかな? それよりお兄ちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
「えっ? なに? 初音ちゃんが俺に聞くなんて珍しいね」
「うん、珍しいから……いいでしょ、たまには?」
「もちろん大歓迎だよ。何でも聞いて」
耕一お兄ちゃんは嬉しそうにわたしに応えた。
でも、お兄ちゃんってばいつもわたしと話をする時はうれしそうだよね。
まあ、梓お姉ちゃんは別としても千鶴お姉ちゃんとだってうれしそうだから、
何とも言えないんだけど……。
「お兄ちゃん、あっちの生活ってどうなの?」
「えっ? 俺の生活?」
「う、うん。独り暮らしってどんなものなのかな?って」
「初音ちゃん、してみたいの?」
「え? う、うん。別に、そういうつもりで聞いた訳じゃないんだけど……」
「そう……やっぱり興味があるのかな、そういうのって」
「うん。わたし、ずっとお姉ちゃん達と一緒だったから……」
わたしはそこまで言って、自分の失敗に気がついた。
どうしてわたしたちが耕一お兄ちゃんを呼んだのか考えれば……。
でも、お兄ちゃんはそんなことを気にすることもなく、わたしに応えてくれた。
「そうだよね。まあ、独り暮らしも悪くはないと思うよ」
「そうなの?」
「うん。何でも自分でしなくちゃいけないっていう苦労もあるけど、その分完
全に自由だしね。自分の好き勝手に出来るって訳さ」
「そう……だよね」
「……どうしたの、初音ちゃん? 俺、何か気に障ること言ったかな?」
表情を曇らせたわたし。
それに気付いた耕一お兄ちゃんは、自分が何かしたのかと思って心配そうに訊
ねてくる。
「そ、そんなことないよ、全然」
わたしは慌てて手を振ってそれを否定する。
でも、わたしの慣れない作り笑顔はぎこちなさを拭えなかった。
「そ、そう? でも、何だか急に元気がなくなったようだけど……」
「……うん」
お兄ちゃんを心配させるのはわかってたけど、でも、これがきっかけだった。
耕一お兄ちゃんがわたしにうれしい気持ちをくれるように、わたしもお兄ちゃ
んに何かしてあげたかった。
わたしはお兄ちゃんにとってはまだまだ子供だけど、でも、子供なりに、わた
しなりに何かがしたかった。
千鶴お姉ちゃんにも梓お姉ちゃんにも楓お姉ちゃんにも、それぞれ自分に出来
ることがあって、それをしようとしている。
そう、わたしはそう思ってる。
だからわたしも、大好きな耕一『お兄ちゃん』のために……。
お兄ちゃんが望むなら、わたしは『耕一さん』にしてもいいよ。
「……お兄ちゃんは寂しくないの、独りで?」
「えっ?」
驚くお兄ちゃん。
まさか、わたしも口からこんな台詞が出てくるなんて思いも寄らなかったんだ
ろうって思う。
それはどっちかって言うと、妹の口にする言葉じゃなかったから……。
「だから……寂しくないの? 独りで、独りぼっちで暮らすのって?」
「…………」
「確かに独りは自由かもしれないよ。でもね、わたしは嫌だな。誰もいない部
屋で暮らすなんて……」
「……しょうがないんだよ、初音ちゃん。俺は……初音ちゃんとは違うんだから……」
耕一お兄ちゃんは目をそっと逸らしてそう言う。
きっと、現実の辛さというものをわたしに見せてしまいたくはないんだと思う。
普段なら笑い飛ばしてごまかせたのかもしれないけど……それが出来ないって
いうこと事態が、耕一お兄ちゃんの寂しさをわたしに示していた。
「ごめんなさい……そうだよね、お兄ちゃんには、もう誰もいないから……」
「…………」
「ちょっと……聞いてもいい?」
「……なに?」
「お兄ちゃんには、その……彼女とか、いないの?」
「……いると思う?」
「う、うん……」
わたしは不思議と見上げるように訊ねた耕一お兄ちゃんの問いに肯定した。
でも、さっきはいるって思ったけど、今ではいないと思う。
彼女がいれば……お兄ちゃん、こんな顔しないもんね。
こんな妹同然の子供のわたしにこんな顔を見せるなんて……。
「そ、そう。初音ちゃんからそう見えるなら、俺も満更じゃないのかな?」
耕一お兄ちゃんはぎこちなく笑う。
そんな……辛いよ、そんな笑い方は。
「……あのね、耕一お兄ちゃん……?」
「な、なにかな、初音ちゃん?」
「その……耕一お兄ちゃんがよかったら……わたし、お兄ちゃんの彼女に……
その……なってあげてもいいよ……」
「えっ!?」
驚いて大きな声を上げてる。
でも、当然だよね。
自分で言っててもおかしいもん。
「そ、そんな深い意味はないんだよ。ただ、お兄ちゃんが寂しいならわたし……」
「初音ちゃん……」
「だ、だから、迷惑とか、そう思ったんだったら気にしないでね! 全然、そ
んな、深い意味なんてないんだから!!」
「……優しいんだね、初音ちゃんは……」
馬鹿みたいに弁解しているわたし。
でも、そんなわたしを見て、耕一お兄ちゃんはさっきとは違った穏やかな笑み
を浮かべてわたしにそう言った。
「お兄ちゃん……」
「ありがと、初音ちゃん。俺、うれしいよ、初音ちゃんにそう言ってもらって」
「う、うん……」
「そんなに寂しそうに見えてた、俺って?」
「……うん」
「そんな、初音ちゃんが心配するほどのことじゃないよ。まあ、確かに時々寂
しく感じることもない訳じゃないけど、でも、普段はそんなこと感じる余裕も
ないんだよ。大学とバイトと……後は寝るだけだからね」
「そ、そうなんだ……」
確かにお兄ちゃんの言う通りかもしれない。
わたしも、朝起きて学校に行って、あとはちょっとテレビを見たり勉強したり
すれば、あとは寝るだけだから。
だから、忙しいのはわかる。
でも、だからこそ、他に誰かがいないと寂しいんじゃないのかな?
慌ただしい日常だけど、その中のほんのひとときの安らぎの時、そばに誰かが
いてくれる……わたしにはお姉ちゃん達がいたから誰もいない生活なんてなか
ったけど、でも、みんながいなくなって独りぼっちになることを思うと……。
これって子供の考えなのかもしれないけど、でも、わたしは……。
考え込むわたし。
自分で作ったきっかけだったのに、完全にどうしたらいいのかわからなくなってた。
でもそんな時、耕一お兄ちゃんの手がぽんとわたしの頭に載せられる。
「じゃあ、優しい初音ちゃんの好意に甘えちゃおうかな?」
「えっ?」
「今日から俺が、初音ちゃんの彼氏ね。いい?」
「え、えっ? う、うん……」
「俺もちょっとおじさんくさいとこあるけど、一応まだ現役大学生だしね」
「そ、そんな……」
「初音ちゃんは、嫌?」
「い、嫌なんかじゃないよ。わ、わたしでよければ……」
「うんうん。じゃあ、決まりね。初音ちゃん、明日、デートでもしよっか?」
「え、えっ、う、うん。学校が終わってからなら……」
「じゃあ、決まりっと。俺って幸せだなぁ、こんな初音ちゃんみたいなかわい
くて優しい女の子が彼女だなんて……」
「お、お兄ちゃん……」
ちょっとごまかされちゃったかも?
何だか耕一お兄ちゃん、今のこんな状況を笑って楽しんでるみたいだし。
でも、これでよかったのかもね。
お遊びだけど、これで耕一お兄ちゃんの寂しさが拭えるなら、わたしの目的は
達せられる訳だし。
それに……もしお兄ちゃんが本気でわたしのことを好きだなんて言ったら、そ
れこそわたしが困っちゃうよ。
何だか拍子抜けしちゃうしね。
わたしはそう思うと、少しだけ吹っ切れた。
恋人なんて言えないような関係だけど、でも、形だけは恋人。
形だけじゃなく、なんて大それたことは思わないけど、とにかく自分の出来る
ことをしようと思う。
精一杯お兄ちゃんのために『耕一さん』にして……。
「お兄ちゃん?」
「なに、初音ちゃん? 明日、具体的に行きたいところでもあるの?」
「ううん、それはお兄ちゃんに任せるよ。でもね……」
「…………」
「こうして……手をつないでても、もういいんだよね、耕一……さん……」
そう言ってわたしはつないでいた耕一お兄ちゃんの手をきゅっと握る。
ちょっと無理があるかもしれないけれど、これでいいの、これで。
わたしのほんのちょっとの背伸びで、お兄ちゃんが寂しくなくなるなら……。
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