夏の終わり、秋のはじまり

Written by Eiji Takashima

第二十四話:小さな手

「ふぃ〜、快勝快勝!!」

俺は上機嫌だった。
千鶴さんが出勤してからは、どうせすることもないだろうと思っていた俺だっ
たが、街をぶらっと散策するついでに、例の昨日勝ったパチンコ屋に立ち寄っ
てみたのだ。

「しっかしよくもまあ、こんなに出るよなぁ……ここは台湾か? それとも広
島か?」

あまりの勝ちっぷりに思わず出てしまう独り言。
きっと端から見れば相当の変人に見えたことだろう。
しかしいいのだ。
俺はここに住んでいる訳でもなんでもなく、単なる旅人、異邦者なのだから。
つまり、羽目を外しても恥ずかしいのはこの一時だけであって、帰ってしまえ
ば後は無関係だ。
まあ、梓やら初音ちゃんやらに見つかるとこっ恥ずかしいが、こんな駅前で出
くわすこともないだろう。

とにかく俺はお尻が痛くなるまでの数時間座りっぱなしで出玉を稼ぎまくり、
そのほとんどを換金した。そして余った玉でまた昨日のごとくチョコなどのお
菓子に変えたと言う訳だ。
昨日のチョコは、俺は別に確認してはいないものの、きっとまだ残っているこ
とだろうと思う。あれは今日のとは違って端数をお菓子にしたのではなく、言
わば手土産代わりのつもりだったのだ。
だから俺としても適当に変えたつもりだったのだが、その適当さが裏目に出て
しまってちょっとした量になってしまっていた。

まあ、とは言っても別に多かったからと言って困る訳でもない。
それよりも俺が全部現金にしてしまうよりかは、たとえ多すぎてもチョコなど
の景品にした方が、初音ちゃんたちには嬉しい話だろう。
みんなは俺の懐があったかくなったところで、面白くもおかしくもないのだから。

「でも、普通はこういう観光地ならぼったくるんだけどなぁ」

俺にとってはそれが驚きだった。
観光地ではとにかくちょっと時間潰しに入ってみようかという客がほとんどだ。
だから普通は台の設定もかなり出難いものとなっている。
つまり、スキー場の缶ジュースの値段や駅前のゲーセンにあるキャッチャーの
ゆるゆるアームと似たようなもので、言わば地元民には当たり前のことである
はずだった。

しかし……こんなにあまあまな台は本当に珍しかった。
昨日打った時は別に感じなかったのだが、今日はまさしく痛感させられた。

「よし、明日も貯金を下ろすぞ!!」

俺は握り拳を高々と掲げ、そう宣言した。
ここに預金した訳ではないのだが、とにかくパチンコ屋はパチンコ屋、可哀想
だが俺の獲物になってもらうことにした。

何はともあれ俺は上機嫌。
財布はお札で分厚く、人目を気にしなくていいと言うこともあってはしゃいで
しまうのは仕方のないことかもしれなかった。
しかし――

「何よ、初音? あれが愛しの耕一さんな訳?」
「え、う、うん……」
「……初音にしちゃあまた変なのを選んだわねぇ?」
「そ、そんな沙織ちゃん……たまたまだよ、たまたま」
「そう?」
「う、うん。ほら、よくあるじゃない。誰もいないと思って気持ちよく鼻歌な
んか歌っちゃってる人。あれと同じだよ、うん」
「まあ、そういうことにしておいてもいいけど……でも、小学生じゃあるまい
し、二十歳を越えた大の大人がねぇ……」
「ううう……」
「ほら、とにかく声かけなさいよ。変な奴だからって遠巻きに見てるのは可哀
想なんじゃないの?」
「そ、そうだね。こ、耕一お兄ちゃ〜ん!!」

俺は背後から唐突に声をかけられてビクッとする。
そしてとにかく振り返ってみるとそこには……初音ちゃんとその同級生と思し
き少女が立っていた。

「あ、は、初音ちゃん……今帰り?」
「う、うん、耕一お兄ちゃん。お兄ちゃんは?」
「え、俺? いやちょっと散歩に……」

俺はさっきのこっ恥ずかしい様子を初音ちゃんに見られてしまったのではない
かと思ってかなりの動揺を見せていた。
そしてそれが真実なのか否か、初音ちゃんはただ苦笑いを浮かべながら俺の顔
を見ているだけだった。
しかし……その初音ちゃんの連れは、俺ではなく俺の手に持っている袋をじっ
と見ていたのだ。

「あ、これ? そ、その……散歩のついでだよ。ちょっとそこのパチンコ屋にさ」
「そ、そうだったんだ……確か昨日も行ってたよね、パチンコ」
「う、うん。何だか独りじゃすることもないしね。だから……」

どうも上手く会話が弾まなかった。
俺も初音ちゃんとは普通に会話できると思っていたのだが、やっぱりさっきの
俺の行動を見られていたのだろうか?
改めてその可能性について考えてみると、急に恥ずかしさの度合いが増してき
てしまった。
しかし、そんな時、一言も口を利いていなかった初音ちゃんの連れがぼそっと
初音ちゃんに言った。

「初音、あたしのこと紹介してよ」
「あ、ごめんごめん! そうそう、耕一お兄ちゃん、わたしのお友達の沙織ち
ゃんだよ」

初音ちゃんに紹介されたその沙織と言う少女は、何だかちょっとむっつりして
いる感じの女の子だった。
まあ、俺みたいな胡散臭い他人を目の前にして警戒心を抱くなと言う方がおか
しいのかもしれない。
とにかく俺は今更手遅れかもしれなかったが、好青年を装って沙織という少女
に挨拶をした。

「初音ちゃんの従兄の耕一です。どうも、初音ちゃんがいつもお世話になって……」
「新城沙織だよ。よろしく」
「あ、ああ、こちらこそ……」

何だかさっきまでの態度は嘘のようにくすっと笑って手を差し出してきた。
そして俺は素直にその手をとって握手する。
すると彼女の警戒心も解けたのか、これが普段の彼女の姿なのであろう割とさ
ばけた感じで俺にこう言った。

「でも、お世話になってるのはこっちのほうだよ、耕一さん」
「え、あ、そう?」
「ふふっ、やっぱり変わった人だね、初音?」
「も、もう! 沙織ちゃんったら!!」
「は?」

何だか話がよく掴めない。
まあ、俺も今時の高校生とは話が合わなくなってきたと言うことだろうか?
ともかくだからと言ってどうこう出来る訳でもないので、俺は初音ちゃんに対
して切り出した。

「まあ、とにかく初音ちゃんもその友達が一緒だから、俺と一緒に帰る訳にも
行かないよね。だから俺はこれで……」

すると、くだんの沙織ちゃんが俺に向かってこう言った。

「ちょっと待ってよ!」
「え? 何か?」
「何か?じゃなくってさぁ……一緒に帰ろうよ。ね?」
「でも……」
「そうだよ、沙織ちゃん。沙織ちゃんのうち、ここから反対方向じゃない……」

彼女の意見には初音ちゃんも寝耳に水であったのか、珍しく少し大きな声で驚いた。
しかし、彼女は聞く耳持たずという感じで初音ちゃんに言った。

「いいっていいって。あたしはもともと初音のうちに遊びに行くつもりだった
んだしさ」
「えっ?」
「いずれこの耕一さんの顔を見ておきたいって思ってたし、ここでばったり出
くわしたのも何かの縁でしょ?」
「そ、それは……まぁ……」

彼女の言葉は初音ちゃんも正論として受け止めたのか、言葉を詰まらせていた。
俺にとっては辻褄の合わないことだらけのように感じられたが、まあ、そこに
は二人の間に何かがあるんだろう。この沙織ちゃんも俺のことは既に初音ちゃ
んから聞いているみたいだったし……。

そして、初音ちゃんは困ったように俺の顔を見上げる。
初音ちゃんとしては俺の意見を聞きたいのだろう。
俺は勝手にそう捉えると、初音ちゃんにこう言った。

「気にしなくってもいいよ、初音ちゃん。別に俺は初音ちゃんの友達が一緒で
も、全然気にしないからさ」
「こ、耕一お兄ちゃん……」
「そうこなくっちゃね! 耕一さん、あんたもなかなか話がわかるじゃない!」

初音ちゃんはどうにもあまり嬉しそうではない様子だったが、反対に沙織ちゃ
んはかぶっていた猫を完全に捨て、やたらと元気に馴れ馴れしく俺の肩を叩き
ながらそう言った。
その彼女の様子はどことなく梓を彷彿とさせたが、やはり二つも年が違うと、
何となくその雰囲気も違ったものに感じられた。

「ま、まあ、とにかくここに突っ立っててもなんだし……行こうか?」
「そ、そうだね、耕一お兄ちゃん。行こ」

そして俺の呼びかけによって、三人は柏木邸に向かって歩き始めた。
しかし――

「あ、そうそう初音ちゃん、よかったらこれ……」

俺はそう言って袋からチョコを取り出す。
当然板チョコのようなごっつい代物ではなく、一口大の小さなものだ。

「あ、ありがとう、耕一お兄ちゃん」

初音ちゃんもようやく落ち着きを取り戻したのか、いつもの無垢な笑顔を取り
戻して明るく応えた。
俺はそんな初音ちゃんを微笑ましく眺めながら、沙織ちゃんにも申し出た。

「その……」
「沙織でいいよ、耕一さん」

不思議な笑みをもらす沙織ちゃん。
俺は脳裏にクエスチョンマークを浮かべながらも、とにかく続きの言葉を発した。

「なら沙織ちゃん、君もよかったらどう?」

俺はそう言うと、初音ちゃんにあげたのと同じチョコを取り出して沙織ちゃん
に差し出した。
しかし、彼女はそれを受け取ろうとせずに俺に向かってこう言った。

「あたしならいいって。お義理であたしにやるくらいなら全部初音にやってよ」
「えっ?」
「別に気にしなくってもいいからさ。初音、甘いもの好きだし……」
「き、君がそう言うんなら……」

俺は彼女の物言いと思わせぶりな態度に一層疑問を感じながらも、取り敢えず
言われたように初音ちゃんに言った。

「なら初音ちゃんが食べる? 彼女は要らないって言ってるし」
「……わたしはもういいよ、耕一お兄ちゃん」
「そ、そう?」
「うん。あんまり食べ過ぎるとよくないでしょ? それに、夜ご飯も食べられ
なくなっちゃうし……」
「そう。なら……」

俺は初音ちゃんにわずかなぎこちなさを感じたが、言っていることは道理に適
っていたので俺は取り敢えず自分自身を納得させて、手に持っていたチョコの
包みを開けて自分の口の中に放り込んだ。

「耕一さん?」
「ん? なにかな、沙織ちゃん?」
「初音、こう見えて結構色々考えてるんだよ」
「へっ?」
「まあ、男の耕一さんにはわからないかもしれないけどね……」
「…………」

この沙織と言う少女、何だかやけに思わせぶりな発言ばかりする。
俺は初音ちゃんの友達と言うレンズを通してみていたが、少しだけ、警戒心を
強めることにした。
だが、彼女には気付かれるはずもないちょっとした変化だったのに、沙織ちゃ
んは黙ってすっと後ろに下がった。

「…………」

俺は当然のごとく疑問を感じていたが、もう鬱陶しくなって敢えてそれを解消
しようとは思わなかった。
そして俺達は再び歩き始めた。



「初音ちゃんは大体このくらいが下校時間なの?」

俺は変わり者の沙織ちゃんには構わずに、初音ちゃんとの会話を楽しむことにした。
初音ちゃんはそんな俺の心理状態に気付いているのかどうなのか、ともかく楽
しそうに受け答えしてくれた。

「うん。部活はやってないから、いつもこのくらいかな。まあ、寄り道するこ
とも多いんだけどね」
「そっか……バイトとかはしてないの?」
「うん。うちの高校、バイト禁止なんだ」
「へぇ……俺だったら無視してバイトしちゃうけど……まあ、初音ちゃんは真
面目だから、無理な話かな?」

俺がそう言うと、初音ちゃんは照れくさそうにちょっとうつむく。
それにしても本当にかわいい娘だ。
俺はちょっぴり頬を赤らめた初音ちゃんを見ながら、この役得に感謝するのだった。

「……でも、ごめんね、耕一お兄ちゃん」
「え? 何が?」
「ほら……折角お兄ちゃんが来てくれたのに、わたし達、全然相手してあげら
れないでしょ?」

そう俺に切り出した初音ちゃんは、少し申し訳なさそうな顔をしていた。
しかし、それは初音ちゃんの杞憂と言うものであって、俺は明るく手を振って
否定した。

「ああ……そんなの初音ちゃんが気にすることじゃないよ」
「でも、お兄ちゃんにはお兄ちゃんの生活があるのに、わたし達が勝手に呼び
付けて……」
「だから気にしなくってもいいって。俺もいい気分転換になってるんだし、ボ
ロいパチンコ屋にも巡り合えたんだしね」

俺はそう言って初音ちゃんにパチンコ屋の袋を掲げてみせる。
しかし、初音ちゃんはパチンコの事情には詳しくないのか、少し目を丸くしな
がら俺に訊ねてきた。

「ボロいって……どのくらい勝ったの、耕一お兄ちゃん?」

そうとも、実は俺はさっきからそれを喋りたくてうずうずしていたのだ。
パチンカーの心理として、大勝した時は誰かに自慢したくなる。
俺もその例に漏れずに、初音ちゃんからそう言う質問が出てくるように仕向け
たのだった。

「ざっと12万ちょっとかな?」
「ええっ〜〜〜〜!!」

初音ちゃんはさっきとは比較にならないくらい仰天して叫んだ。
そして俺はそんなの大したことないと言うことを示すかのように至ってクール
に初音ちゃんに応えた。

「まあ、大したことはないよ。勝つ時はこのくらい勝つもんだから」

そして負けた時のことを口にしないのもまた常だった。

「そ、そういうものなの?」
「ああ。だからパチンコははまるとやめられなくなるんだよ」
「確かにパチンコ中毒になっちゃった主婦の話とか、テレビでよく見るもんね」
「そうそう。やっぱり時間があるとやっちゃうんだろうね。それよりも初音ち
ゃんに何か買ってあげようか? 軍資金は潤沢だよ」

俺はそう言うと財布の入ったポケットを叩いてみせる。
実際のところこれだけ勝ってもここ数ヶ月での収支はマイナスなのだが、やっ
ぱり大きな現金を持っているとそれだけ気分も鷹揚になるのだろう。
しかし、初音ちゃんは何故か少しだけ寂しそうにこう返事をした。

「い、いいよ、わたしは……」
「そ、そう? 別に気にしなくってもいいんだよ」
「ううん、いいの。でも、耕一お兄ちゃんがそう言うのなら……さっきのチョ
コ、もうひとつちょうだい
「えっ? チョコ? 別にいいけど……」

俺は訝しく思いながら袋からさっきのチョコを取り出す。

「……ありがと、耕一お兄ちゃん」

初音ちゃんは小さな声でそう言うと、黙って包みを開けてチョコを口に入れた。

「…………」

なかなか年頃の女の子と言うのも難しいものだ。
ただでさえ性別の違いがあると言うのに、更に年齢の違いまである。
俺は別に自分のことを年寄りだなどと思ってはいないが、こういう時、年の開
きを感じてしまうのだった。

チョコを頬張る初音ちゃん。
俺はその初音ちゃんの横顔を見ながら、不思議な感傷に浸っていた。
すると、さっきまでその存在を感じさせていなかった沙織ちゃんが俺に向かっ
て一言こう言った。

「初音って、いい娘でしょ?」
「え、ああ……そうだね、全くだ」
「こんないい娘、なかなかいないよね」
「うん。俺もそう思う」
「耕一さん、あんた……幸せ者だよ」
「えっ?」
「もう、とにかく初音を泣かせるんじゃないわよ! いいわね!!」
「え、あ、そうれはもう……」

俺はよくわからずに沙織ちゃんに応えた。

「ほら、こんな袋あたしが持つから! さあさあ!!」

沙織ちゃんはそう言って俺の持っていた袋をひったくると、俺と初音ちゃんの
後ろに回っていきなり背中をぐいぐいと押し始めた。

「さ、沙織ちゃん、いきなりなんなのよぉ……」

困ったように振り返ってそう言う初音ちゃん。
しかし、沙織ちゃんはそんな初音ちゃんを簡単にあしらって応える。

「もう、じれったくなるのよ、あんた達見てると。ほら、もっとくっついて、
手も握って……」

何だか急にハイテンションになった沙織ちゃんに押し捲られるように、俺と初
音ちゃんはほとんど言うがままになっていた。
そして、何が何だかわからぬ俺に初音ちゃんがそっと謝る。

「……ごめんね、耕一お兄ちゃん。なんだかドタバタしちゃって……」
「ん、別にいいって、初音ちゃんのせいじゃないんだから」
「でも……沙織ちゃん、こうと思ったら絶対引かないタイプだから……」

そう言う初音ちゃんに、俺はクスっと笑って応える。

「わかってるよ。梓みたいなもんだろ?」
「え……う、うん……梓お姉ちゃんともちょっと違うと思うけど……」
「まあ、とにかくこういう手合いには大人しく従うのが吉だよ、初音ちゃん」
「うん……ほんとにごめんね、耕一お兄ちゃん……」

やっぱり初音ちゃんは謝り続けていた。
俺はそんな初音ちゃんを見ると、沙織ちゃんに無理矢理握らされた初音ちゃん
の小さな手をきゅっと握り締めてあげた。
今の俺には、そのくらいしかしてあげられなかったから……。


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