夏の終わり、秋のはじまり

Written by Eiji Takashima

第十三話:約束

いつもと全く変わらない朝食のワンシーン。
まあ、傍目からはそう見えるんだけど……。

「な、初音?」
「え、なに、梓お姉ちゃん?」
「いや、あんたには色々と苦労をかけると思ってさ……」
「ど、どうしたの、急に?」

初音の席はあたしのちょうど反対側だ。
ちなみに斜め左には楓と千鶴姉が、そして右斜めには耕一がいる。
ともかく訳がわからないといった感じの初音に向かって、あたしはしみじみと
こう言った。

「いや、お互い駄目な姉を持つと苦労するって……」

あたしは千鶴姉のことを臭わせるつもりだった。
そして当然それは千鶴姉も察知して、あたしに向かって如何にも険悪な視線を
向けてきた。
しかし、あたしの予想に反して初音はぬけぬけとボケやがった。

「それって……梓お姉ちゃんのこと?」
「ち、違う!!」

あたしは慌てて否定する。
一方千鶴姉はいい気味と言わんばかりに笑った。

「あははは! って、あたた……」

……くそ、酔っ払いめ。
千鶴姉は笑うことすら出来ないのか、すぐに頭を押さえてしまった。
あたしはいい気味だと思いつつ、もう一方の酔っ払い、耕一に視線を向けた。
しかし――

「ど、どうしたんだよ、耕一? 死んだような顔しやがって」
「あ、いや……ちょっと飲み過ぎた」
「まあ、そうかもしれないけど……そんなに酷いのか? さっき庭に吐いてた
けど……」

あたしは少し心配になって訊ねる。
確かに千鶴姉も同じくらい顔色も悪かったけど、それでも普通に笑おうとする
し、感じはいつもの千鶴姉のままだった。
でも、今朝の耕一は……なんて言うか、とにかくおかしかった。

「いや、大したことないよ。千鶴さんみたいに激しい頭痛がある訳でもなし……
ちょっと気持ち悪かっただけさ」
「ほんとに大丈夫? お薬、持って来てあげようか?」

初音も心配そうに耕一に訊ねる。
すると耕一も初音になら少し心を許せるのか、強がることもなく答えた。

「ああ、悪いね、初音ちゃん。もらうことにするよ」
「うん、じゃあ今すぐ持ってくるね!!」

初音は元気よく立ち上がると、薬箱のところに駆け寄った。
千鶴姉はそんな初音をもの欲しそうに見ていたけれど、初音は耕一のことで頭
が一杯なのか、千鶴姉の視線に気付くことはなかった。

「はい、これ! お水は今持ってくるからね」
「済まないね、初音ちゃん……」

初音はうちでも一番身軽だ。
まあ、まだまだ子供っぽいからと言えばそれでお終いだけど、あたしにはそん
な初音を羨ましく思うことさえあった。

そして耕一は如何にも元気がないと言った感じで二日酔いの薬の包みを開けて
いる。

「そう言えば、千鶴さんも飲んだら?」
「え?」
「何だか俺より辛そうだし……」

耕一に気付いてもらえて、千鶴姉は死んだような目を輝かせる。

「そ、そうですか? ではお言葉に甘えて……」

千鶴姉は耕一に差し出された薬を受け取った。
そしてそんな時丁度初音が水を汲んで戻ってきた。

「はい、耕一お兄ちゃん、お水」
「ああ、ありがとう、初音ちゃん。でも済まないんだけど、もう一杯千鶴さん
の分も……」
「あ、いいんですよ、耕一さん。耕一さんの残りを分けていただければそれで……」

慌てて止めに入った千鶴姉。
何だかどうも変な風に捉えてしまうのは、あたしの考え過ぎなんだろうか?
まあ、初音に何度も行ったり来たりさせるのは可哀想だって思うってのも自然
だけど、それでも一つのコップで済ませるってのは……。

「そ、そう?」
「ええ、初音、ありがとうね。もう座ってていいから……」
「うん……」

初音も少し引っかかるのか、いぶかしげな表情と共に腰を下ろした。
そして耕一は黙って薬を飲む。
少し急いでいたようにも見えたけど……ともかく飲み終わると慌てて千鶴姉に
コップを差し出した。

「はい、千鶴さん」
「ありがとうございます、耕一さん」

コップを受け取る千鶴姉。
そのコップにはまだ八分目ほども水が残っていた。
きっと千鶴姉を気遣ってのことだろう。
千鶴姉もそのことを察してか、微かな笑みをこぼした。

「それより耕一お兄ちゃん?」
「ん、何だい、初音ちゃん?」

まだ飲み途中の千鶴姉をよそに、初音が耕一に話し掛けた。
耕一は二日酔いの後遺症を隠し切れずに、元気なく応える。

「朝ご飯、やっぱり食べられない?」
「あ、うん。やっぱり気分が悪くてね……」
「でも、食べないってのも良くないよ。せめてお味噌汁くらいは……」
「そうだね。初音ちゃんがそう言うのなら……」

耕一はそう言って味噌汁の椀に手をやる。
全く、今朝はこいつと千鶴姉のおかげで、いつもより一時間も早起きしたんだ。
滅茶苦茶になった部屋を初音と一緒に片付けて、その後朝食の準備をした。
初音もあたしも何も言わなかったけど、やっぱり耕一が来てるってことでいつ
もとは違ってくる。
初音は大抵あたしを手伝ってくれるけど、それでも今朝みたいに結構時間が余
ってた時は、あたしの方から遠慮することにしてるし、初音も無理に手伝おう
としない。
でも今日は……初音にもあたしにも特別の朝食だった。
二日酔いで満足に食べられないかもしれない、って思いもあったんだけど、そ
れでも気合いが入った。
結局昨日は千鶴姉と二人で飲んだくれちゃったせいで、夕食は満足に味わって
もらえなかったから……初音もそれがわかってるだけに尚更なんだろう。
あたしにはなかなか言い出せないことだけど……。
だからあたしは素直な初音が羨ましかったんだ。



ずずず……。

耕一が味噌汁をすする。
そして初音がそれをじっくりと眺める。
で、あたしはって言うと、そんな二人を交互に眺めていた。

「どう、耕一お兄ちゃん?」
「うん、うまい。やっぱ二日酔いには味噌汁だよな……」

しみじみと言う耕一。
まあ当然の結果だ。
この味噌汁はそんじょそこらの味噌汁とは訳が違う。
あたしと、それから初音の愛情のこもった味噌汁なんだからな。

「ほんとに!?」
「ああ、ほんとだよ、初音ちゃん」
「よかった。わたしと梓お姉ちゃんの二人で心をこめて作ったんだよ」
「そうかそうか、えらいな、初音ちゃんは。かわいいだけじゃなくてやさしく
て気立てもいいし、おまけに料理まで上手と来てる」
「そ、そんな……」

初音は耕一に褒められて、真っ赤になりながら恥ずかしがる。
何だか耕一も、そんな初音が見たくてからかっているのかもしれない。
全く初音はこっちが予想した通りの反応をしてくれるからな……。
そして耕一も初音を更にからかい続けた。

「いやいや、きっと初音ちゃんはいいお嫁さんになるだろうな。全く幸せもん
だよ、初音ちゃんと結婚出来る奴は……」
「…………」

湯気が出そうになるくらい真っ赤になりながら初音はうつむいてしまった。

「もう、帰る時に俺が連れてっちゃおうかな? 初音ちゃんがいれば寂しくな
いだろうし……」

耕一は何の気なしにそう言ったんだろうが、初音はそんなどうでもいい耕一の
言葉に反応を示した。

「……耕一お兄ちゃん、寂しいの……?」

顔を上げて心配そうに耕一を見上げる初音。
その眼差しは、耕一のごまかしを許さないような、そんな真剣なものだった。

「あ、いや……」
「お母さんも死んじゃって、それから叔父ちゃんも……」
「初音ちゃん……」
「お兄ちゃん、あっちでは独りぼっちだもんね。やっぱり寂しいんだよね……」
「い、いや、そんな初音ちゃんが心配するほどのことでもないよ」
「でも、わたしだったら寂しいよ。わたしだって……」

初音は叔父さんのことを思い出したのか、泣きそうな顔を見せた。
耕一と自分の違いと言えば、あたし達姉貴連中がいるかどうかなんだよな。
まあ、千鶴姉が父親役となり、あたしが母親役となっても、やっぱり本当の両
親じゃないんだ。
いくら初音のことを思っても、初音を包み込んでやることすら出来ない。

「……寂しいんだよな、初音ちゃんも……」
「うん……でも、わたしにはお姉ちゃん達がいるから、お兄ちゃんほどじゃな
いと思うけど……」
「いや、俺はもう独りに慣れたから……」
「そういうの、慣れちゃうもんなの?」
「まあね……」
「……わたしは嫌だよ。そんなの慣れたくない……」
「初音ちゃん……」

今までの生活にしがみつきたい初音。
それはあたし達みんなに言えることだった。
だからこそ千鶴姉は耕一をここに呼んだんだし……。
耕一が叔父さんの完全な代わりにならないことくらいわかってる。
でも、わかっていても割り切れない想いがそこにはあった。

「だったら……寂しかったら、俺のところにおいで、初音ちゃん」
「お、お兄ちゃん?」

耕一はそっと初音を抱きかかえた。
驚く初音。
そしてあたしも驚いた。
でも……何故か嫌な気はしなかった。
むしろあたし達は、こういう耕一を望んでいたのかもしれない。

「初音ちゃんが寂しく感じたら、俺がこうして抱っこしてあげる。だからさ……」
「う、うん……」
「俺は男だから、寂しくなんてないよ。でも初音ちゃんは女の子だもんな……」
「お兄ちゃん……」
「俺がいなくなっても、また時々遊びにおいで。俺もこっちに遊びに来るから……」
「うん……絶対行くよ。だからお兄ちゃんも……」
「ああ、約束だ。指切りしようか?」
「うん!!」

初音もようやく元気を取り戻して明るく返事をした。
でも、まだ耕一に甘えていたいのか、身体を起こすことなくそのまま小指を耕
一に差し出した。

「よし、ゆーびきーりげんまん……」
「うーそついたら……」
「針千本のーますっ!!」
「指切った!!」

そして指切りを終えた後、初音は耕一からようやく離れた。

「約束だよ、耕一お兄ちゃん!!」
「うん、約束だ。俺、絶対忘れないから」
「絶対だよ。絶対」
「わかってるって、はつ――」

その時、突然耕一の様子が変わった。
大きく目を見開いて……。
あたし達はそんな耕一の視線を追う。
すると、そこには――

「か、楓ちゃん?」
「あっ……」

さっきまで畳の上に新聞を広げて読んでいた楓。
あたしはいつものことだと思って気にしていなかったんだけど……確かに楓は
耕一のことをじっと見つめていた。
あたし達は認めたくなかったけど、楓はずっと耕一のことを避けていたはず。
でもどうして急に……。

楓は耕一に気付かれて慌てて新聞に目を戻した。
そして、何事もなかったかのように新聞に没頭する。
いや、その振りをした。

「楓ちゃん……」
「楓お姉ちゃん……」

あたし達は何も言えなかった。
楓は絶対何かを隠している。
でも……分厚い氷に閉ざされた楓の心には、誰も触れることが出来なかった。

楓の悲しみ。
あたし達は叔父さんのことだけかと思っていた。
しかし……それだけじゃない。
何かがある。
じゃあ、その何かって……?

掛け替えのない姉妹のつもりだった。
いつも四人一緒で笑って楽しく……そしてそれがあたしの理想。
しかし、その理想は今、音を立てて崩れていくような、そんな気がしていた……。


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