夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第七話:ポケットの飴玉
「重くない、耕一お兄ちゃん?」
多くの荷物を抱える俺に、初音ちゃんが覗き込むようにしてやさしく言ってく
れた。
「大丈夫だって。それにほら、もうすぐ到着だろ?」
「それはそうだけど……」
さっきからこの問答を何度と無く繰り返している。
初音ちゃんにはよっぽどこの俺が辛そうにしているように見えるのか……?
しかし、こんな初音ちゃんに心配されるというのは、俺にとってはうれしいこ
と以外の何物でもなかった。
しかし、そんな俺の心とは裏腹に、梓の奴は呆れるように初音ちゃんに言った。
「初音、耕一だって男の端くれなんだから放っておきなよ」
「でも……」
「男には男のプライドってもんがあるんだ。初音もその辺をわかってやんなき
ゃな」
「そういうものなの、梓お姉ちゃん?」
「そういうもんなんだ。耕一だって女の子に荷物を持ってもらったんじゃあか
っこ悪いだろ?」
「……梓お姉ちゃんの言う通りかもしれないね」
余計なお世話だ。
俺は心の中でそう呟いた。
まあ、この俺が宿泊用のでかい荷物を持っている為、梓には帰りで買った今晩
の夕食用の品々のほとんどを持たせてしまっているから、俺は梓に対しては何
も言えなかった。
しかし、梓は俺の言った「いい姉」というのに妙にこだわっているのかなんな
のか、初音ちゃんに荷物を持たせることだけは妙に渋った。
多分俺が察するに、梓自身がいい姉たろうとしていると言うよりも、初音ちゃ
んが梓にとってかわい過ぎる妹なのだろう。
その様子は梓の言葉の端々からも十分汲み取れた。
まあ、これだけやさしくてかわいい妹と言うのもまず他にいないだろうし、そ
れも至極当然なのかもしれなかったが……。
しかし、梓の言葉に納得した風の初音ちゃんも、まだ俺を心配そうな目で眺め
ている。全くいい子過ぎるよ、初音ちゃんは……。
「初音ちゃんの方こそ重くないの?」
「え、ううん、わたしは平気だよ!!」
「俺の荷物がこんなに無ければ、もっと初音ちゃんのを持ってあげるんだけど
なぁ……」
これは事実だった。
梓はこう、何と言うか陸上をやっているせいか力だけはありそうだし……とい
うか実際あるし、それに比べて初音ちゃんは高校生になったとは言え、まだま
だ小さな女の子っていう感じがして、俺の庇護欲をくすぐるのだ。
「おい、耕一! 初音はほとんど持ってないだろ!!」
「……だがゼロじゃない。ちゃんと持ってる」
俺はちょっと素っ気無く梓に言葉を返す。
どうも梓は俺が初音ちゃんばかりにやさしくしているのが気に食わないらしい。
「おい、ふざけんなよ!!」
「梓はいくら持ったって大丈夫だろ? でも、初音ちゃんはそういう訳には行
かないし……」
「た、確かに初音はか弱いけどなぁ……」
「じゃあ、俺の言うことももっともだろ?」
「…………」
「大体梓はそんな心配されるガラじゃないだろ。初音ちゃんと同じにされたら、
却ってくすぐったく感じるんじゃないのか?」
俺のちょっと言い過ぎにも感じられる言葉に対する梓の返答は、同じ言葉では
返ってこなかった。返ってきたのは無言の肘打ち、ただそれだけだった。
「ぐふっ……」
「だ、大丈夫、耕一お兄ちゃん!?」
うずくまる俺。
そして驚いて心配する初音ちゃん。
俺にとって梓の暴力は二度目なのでそう驚きはしなかったが、初音ちゃんにと
ってはもしかしたら姉が暴力を振るうのを見るのは初めてのことなのかもしれ
ない。
まあ、あの柏木家では流石の梓も暴力を振るう相手がいないので、俺の想像は
あながち的外れでもないように思われた。
「放っておきな、初音!!」
「そ、そんな梓お姉ちゃん……」
「いい気味だよ。こいつだってそのうち復活するだろうしな」
梓はそう言うと、初音ちゃんの返事も待たずにつかつかと先へ行ってしまった。
初音ちゃんは板挟みになったように俺と梓を交互に見やっていたが、やはり梓
にはついて行かずに俺の元にとどまってくれた。
「梓お姉ちゃん!!」
初音ちゃんが訴えかける。
具体的なことは何も言わなかったが、何を欲しているのかは明白だった。
しかし、梓は振り返らない。
もちろん何も答えない。
ただ先へ行くだけだった。
「梓お姉ちゃん……」
諦めとも取れる初音ちゃんの呟き。
その失意の様子が俺にはよく伝わった。
しかし、初音ちゃんにはまだわからなかったみたいだが、俺にはなんとなく梓
がどうしてこんな態度に出たのかがわかるような気がした。
「そっとしておきなよ、初音ちゃん」
「で、でも……」
「梓なら心配要らないよ。それより今は、ひとりにしてやった方が……」
「…………」
俺の言葉では初音ちゃんを理解させられなかった。
だが、俺に言われたことで少し安心出来た様子だった。
そして今は、それで充分だと思えた。
梓は「男のプライド」と言う言葉を口にした。
しかし、プライドがあるのは男だけじゃない。
女にだってプライドはあるのだ。
初音ちゃんばかり構って梓を放っておいた俺。
梓が怒るのも当然と言えば当然だったし、女としての梓のプライドが俺に媚び
るのをよしとはしなかった。
そして、梓が女であるのに対して、初音ちゃんはまだ女の子だった。
だから梓の気持ちがよく理解できない。
だが、俺の自分勝手な心は初音ちゃんには理解して欲しくないと訴えかけていた。
そしてそれが、俺の初音ちゃんへの説明を言葉少なにさせたのだった。
「そ、それより大丈夫、耕一お兄ちゃん?」
初音ちゃんは思い出したように俺を心配してそう言った。
「ははは……平気だって。俺も男だしな」
俺は強がってみせる。
梓の攻撃はその辺の男のものよりも容赦の無いものだったから、とても平気と
は言い難かったが、でも何故か初音ちゃんの前では強い男としての態度を崩し
たくなかった。
「本当に?」
「本当だって」
俺はそう言いながらもすぐに立ち上がれなかった。
腹部の痛みもあったが、今ここで俺が立ちあがれば初音ちゃんは急いで梓を追
いかけようと言い出すだろう。
それは俺にとっては何も問題はなかったが、梓の気持ちを思えば気まずくなる
だけだ。
だから俺は梓に時間を与える為に、ここにもうしばらくとどまることにした。
「…………」
「急ぐことはないよ。まだ暗くなる前だし……」
「そ、そういう問題じゃないよ」
「梓のことか?」
「うん……」
「やさしいな、初音ちゃんは……」
「えっ?」
「いくら実の姉に対してでも、こんなにやさしくなれる子はいないよ」
「そ、そんなことないよ」
「いや、そんなことある。初音ちゃんがやさしいから、みんな初音ちゃんに対
してやさしいんだよ。これって今の世の中、凄いことだよな……」
まさに凄いことだった。
この退廃した時代に、やさしさがやさしさを生み、それが周りに広まるなんて……。
だからこそ、初音ちゃんは稀有な存在だと言えた。
こんなやさしい初音ちゃんだからこそ、みんな初音ちゃんを守ってあげたくな
るんだ。
「こ、耕一お兄ちゃん……」
初音ちゃんは顔を真っ赤にしている。
流石に俺のように面と向かってベタボメする奴も他にはいないらしい。
だからこそ慣れない誉め言葉に戸惑っているのだろうが、そんな初音ちゃんが
また一層かわいく思えた。
「よし、そんないい子の初音ちゃんには……」
俺はそう言ってポケットの中に手を突っ込む。
そして中から飴をひとつ取り出すと、初音ちゃんに差し出した。
「ご褒美だよ、初音ちゃん」
「あ、ありがとう、耕一お兄ちゃん……」
驚きながらも初音ちゃんは俺の飴玉を受け取ってくれた。
俺がパチンコ屋の景品のチョコに手を出さなかったのは、梓に対するちょっと
した思いやりだった。
「家に着くまでになめちゃいな」
「う、うん……」
初音ちゃんはまだピンと来ていないものの、大人しく包みを開けて飴玉を口の
中に入れた。
長い道中の口寂しさを紛らわす為に買ったこの飴だったが、俺にはちょっと甘
すぎたため残していたのだ。
俺には甘すぎると感じたこの飴も、初音ちゃんには丁度いいのではないかと思
われた。
「……やっぱりいいな、田舎は……」
俺を見ながら飴をなめる初音ちゃんに対して、俺はなんとなくそう呟いた。
「そう? わたしにはよくわからないけど……」
「初音ちゃんは都会を知らないからな。都会を知ると、田舎が妙に恋しくなる
もんだよ」
都会の喧騒と孤独。
ここはそんなものを何一つ感じさせなかった。
俺はそれに妙に安らぎを覚え、感傷的な気分になるのだ。
「そうなんだ……」
「確かに都会にもいいところはいっぱいあるよ。だからこそ、みんな都会に憧
れるんだし……」
「…………」
初音ちゃんは俺の言葉に真剣に耳を傾ける。
そんな俺の他愛ない言葉をこうしてちゃんと聞いてくれる人間なんて、今まで
一人としていなかったかもしれない。
「でも、都会を知ると田舎が懐かしくなるもんだよ。何だか年寄り臭い言い方
だけどね」
俺はちょっとおどけてそう言った。
すると初音ちゃんの表情も崩れて俺の言葉に応じた。
「ふふふっ、じゃあ今度耕一お兄ちゃんがわたしに都会を教えてよ。そうすれ
ば今のお兄ちゃんの気持ちがわかるだろうし……」
「だーめっ!!」
「ど、どうしてよぅ?」
「初音ちゃんが都会を知ると、俺の田舎がなくなっちゃうだろ? あ、でも初
音ちゃんと同棲生活ってのもなかなかいいなぁ……」
俺がからかうようにそう言うと、初音ちゃんは顔を真っ赤にしてしまった。
「も、もう、耕一お兄ちゃんたらぁ!!」
「ははは……冗談だよ、初音ちゃん。でも、ちょっと本気だったかな?」
「お兄ちゃんの意地悪……」
困ったように呟く初音ちゃん。
そして俺はそろそろ頃合いだと思って腰を上げた。
「そろそろ行こっか?」
「え、あ、うん……」
「飴、もう一ついる?」
俺は荷物を手にする前に、ポケットに手を突っ込んで初音ちゃんに聞いた。
しかし、初音ちゃんは少し怒ったようにこう応えた。
「わたしだってもう、大人なんだからねっ!!」
それは何だか妙に、説得力のある言葉に聞こえた……。
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