夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第四話:わたしのお兄ちゃん
「はつねー、一緒に帰ろー!!」
急いで帰り支度をしてたら、わたしを呼ぶ声がした。
「あ、ご、ごめん、沙織ちゃん、わたし、ちょっと今日は用事あるんだ」
その声の主は親友の沙織ちゃん。
中学の頃からの友達で、一緒に同じ高校に入った。
そしてなんと運良くクラスも同じ。
と言う訳で、当然のごとくわたしと沙織ちゃんはいつも一緒にいた。
「なによー、はつねー? まさか……」
「な、何よ、沙織ちゃん、そのまさかって……?」
「もしかして……デート?」
「そ、そんなわけないでしょ!!」
こういう沙織ちゃんの軽口はいつものこと。
わたしはもう中学からだから慣れっこになっちゃってるけど、やっぱりからか
われると沙織ちゃんの期待通りの反応をしちゃう。
「うそうそ、あんた、すっごくもてるじゃない。どうせ人のいいあんたのこと
だから、なんやかや理由をつけられて、変な約束させられてるんじゃないの?」
「ち、ちがうって、沙織ちゃん。今度はそんなんじゃないから……」
「ほんとに?」
「本当だよ。うちにいとこのお兄ちゃんが遊びに来るの。だから今日はそのお
迎え。わかった?」
「へへぇ……で、かっこいいの?」
沙織ちゃんはしれっとそう言う。
もう、沙織ちゃんも男の子にもてるんだから、そんなこと言わなくってもいい
と思うんだけど……。
でも、やっぱり耕一お兄ちゃんはわたしの自慢なんだ。
沙織ちゃんじゃないけど結構かっこいいし、それにすっごくやさしいの。
わたしがはじめて耕一お兄ちゃんに会った時、もうすっごくうれしくって、こ
れは七夕さまがわたしにくれたお兄ちゃんなんだって思っちゃったりして……。
今ではちょっとした笑い話になるけど、でも、あの時はほんとにわたし、お兄
ちゃんが欲しかったんだ。
だってほら、うちってみーんな女ばっかりでしょ?
それはまあ、千鶴お姉ちゃんも梓お姉ちゃんも楓お姉ちゃんも、それぞれみん
なやさしいし性格もばらばらなんだけど、やっぱりお兄ちゃんじゃなくってお
姉ちゃんなんだよね。
一人っ子の沙織ちゃんからしてみれば贅沢な話かもしれないけど、お姉ちゃん
ばっかり揃ってるから、わたしは特にお兄ちゃんが欲しかったの。
そしたらわたしの前に耕一お兄ちゃんが現れて……。
「うん! すっごくかっこいいよ、耕一お兄ちゃんは!!」
わたしはまるで目の前に耕一お兄ちゃんがいるかのように、目を輝かせて自慢
げに沙織ちゃんに答えた。
「へ、へぇ……この初音がねぇ……」
驚き入る沙織ちゃん。
でも、わたしにはどうして沙織ちゃんが驚くのかわからない。
「な、なに、沙織ちゃん? わたしの耕一お兄ちゃんがかっこよかったらおか
しい?」
「なるほどなるほど……道理であんた、そんな人もうらやむかわいい顔して男
っ気がない訳だ」
「ど、どういうこと、沙織ちゃん?」
わたしにはまだ沙織ちゃんが何を言おうとしているのか理解出来ない。
そして沙織ちゃんはもっと意味深なこと言ってるし……。
「初音、あんた、そのいとこの耕一お兄ちゃんとやらに惚れてんでしょ?」
「え!?」
「あんたのそのかわいい顔見れば、いとこがかっこよくてもうなずけるもんね。
どうせ年上のいい男が身近にいるもんだから、いくら周りの男どもが色目使っ
ても全然気になんないんでしょ?」
「そ、そんな……耕一お兄ちゃんはそんなんじゃないよ……」
沙織ちゃん、誤解してる。
もしかしたらまたわたしをからかってるだけなのかもしれないけど、でも、い
つものからかいとはちょっと違って、なんだかわたしも恥ずかしい。
「うそうそ、じゃあどうしてそんなに顔が赤いのよ? それにあたしは聞いた
わよ。あんたがそのかっこいいいとこのことを、わたしの耕一お兄ちゃん、っ
て呼んだのをね」
「あ、そ、それは……」
「好きなんでしょ?」
「そ、そんなんじゃ……ないよ……。だって耕一お兄ちゃんは、わたしのたっ
たひとりの大切なお兄ちゃんなんだし……」
わたしは沙織ちゃんに詰め寄られて、完全に困り果てちゃった。
だってわたし、耕一お兄ちゃんのことをそんな風に見たことなんてなかったし、
かと言っていくら沙織ちゃんにでも、耕一お兄ちゃんのことを「嫌い」なんて
言えるはずもなかった。
だからわたし、もうなにも言えなくなっちゃったんだけど……。
「あっ、ごめんごめん、初音。ちょっとからかい過ぎちゃったかしらね?」
「沙織ちゃん……」
「こんなことでまたあんたを泣かせたら、あんたに惚れてる男どもに袋にされ
ちゃうからね……」
沙織ちゃんは笑って言う。
こういう沙織ちゃんのやり方、わたしは好きなんだ。
わたしにはとても真似出来ないことだけど、沙織ちゃんは一種、わたしの憧れ
でもあった。
わたしは沙織ちゃんの笑顔に釣られて笑顔を取り戻す。
これでいつものわたしだけど、でも、やっぱり耕一お兄ちゃんに会う時は意識
しちゃうかな?
「じゃあ、初音がそういうことなら、あたしは他の子と帰るね」
「ごめんね、沙織ちゃん、折角誘ってくれたのに……」
「いいっていいって。初音とはいっつも一緒に帰ってるじゃない。それに、い
とこが来るのなんてそう滅多にあることじゃないんだから、気にしないでそっ
ちを優先させなよ」
「ありがとう、沙織ちゃん……」
「精々たっぷり愛しのお兄ちゃんに甘えてくるんだね。今度あたしにも顔見せ
てよ。いいでしょ、初音?」
「え、別に構わないけど……お兄ちゃんはどう思うかな?」
「まあ、二、三日中にあんたんとこに遊びに行くよ。その時ちらっと見れば……」
「うん、だったら」
「じゃ、そういうことで! 気をつけなよ、初音!!」
沙織ちゃんは大きな声でそう言うと、手を振って去っていった。
でも、沙織ちゃんには悪いんだけど、わたしはお兄ちゃんがいる間はずっと二
人で一緒に遊びたいな。
沙織ちゃんとはいつでも遊べるんだし……折角お兄ちゃんがいるんだから、わ
たしが独り占めしたいもんね。
って――
「あ、いっけない! もうこんな時間だ!!」
わたしは腕時計を見て、自分がこんなことをしてる場合じゃないことに気がつ
いた。お兄ちゃんが駅に着くのは四時半くらいだって聞いてるから、わたしと
梓お姉ちゃんの二人で迎えに行くことになってたのに……もう時計の針はそろ
そろ四時を指そうとしてる。
わたしは慌てて鞄を背負うと、走って校舎を抜け出した。
「はぁはぁはぁ……」
やっぱり走るのは辛い。
沙織ちゃんは運動が好きで、中学の頃はバレー部に入ってたから、わたしと違
って体力もあるんだけど、わたしはそんなに運動嫌いってわけじゃないんだけ
どそんなに体力あるほうじゃなくて……高校でも部活やってないから、全然体
力つかないんだよね。
もう、四時半に駅に着くのはぎりぎりかな?ってとこだけど、わたしはもう走
れなくなって歩くことにした。
「あっつーい」
もう夏休みが終わって二学期に入ってるんだけど、やっぱり走ると暑い。
特にこの鞄を背負うと背中にいっぱい汗かいちゃうんだよね。
これも両手が自由になるから身軽でいいんだけど、走るのを断念したわたしは
背中から鞄を降ろして手で持つことにした。
でも……わたしはお兄ちゃんお兄ちゃんって言ってるけど、実はそんなに耕一
お兄ちゃんと一緒に遊んだことがあるわけじゃないんだよね。
耕一お兄ちゃんとよく遊んだのは、お父さんとお母さんが死んじゃって叔父ち
ゃんがうちに来る前のことだし……。
だから実を言うとお兄ちゃんよりも叔父ちゃんと遊んだほうがずっとずっと多
いんだ。多分それはわたしだけじゃなくってお姉ちゃん達全員にも言えること
だと思うけど、もしかしたらみんな、叔父ちゃんと耕一お兄ちゃんとを重ねて
みてるのかもね。
わたしも叔父ちゃんと楽しく遊んだ時みたいに、耕一お兄ちゃんと遊ぼうって
思ってるし……。
でも、叔父ちゃんは叔父ちゃんなんだよね。
叔父ちゃんはほんとのお父さんみたいにやさしくしてくれたけど、やっぱりわ
たしよりはずっと年上なんだし、話もそんなに合わない。それでも遊んでて楽
しかったんだから、わたしとそんなに歳も変わらない耕一お兄ちゃんなら、ず
っとずっと楽しく遊べるかも?
わたし、そんな風に思ってるんだ。
わたしはわたしとおんなじでお姉ちゃん達もそうなんだと思ってた。
でも……何だかちょっと違うんだよね。
まあ、千鶴お姉ちゃんは耕一お兄ちゃんよりも年上なんだし、もう遊びまくる
立場じゃないんだからわかるんだけど、楓お姉ちゃんが……。
わたし、実はわたし以上に耕一お兄ちゃんが来てくれるのを喜ぶのは、絶対楓
お姉ちゃんだろうなって思ってたんだ。
だって、楓お姉ちゃんって叔父ちゃんっ子だったし……。
だから、叔父ちゃんのお葬式の時も一番泣いてた。
それに今でもお仏壇の前で泣いてる楓お姉ちゃんを見かけるし。
だからわたし、千鶴お姉ちゃんが急に耕一お兄ちゃんを呼ぼうって言い出した
のは、全部楓お姉ちゃんのためだと思ってた。
でも、当の楓お姉ちゃんは、わたしや梓お姉ちゃんが舞い上がってるのと対照
的に、前よりもずっと落ち込んだ様子で……どうしてなのかなぁ?
今日も楓お姉ちゃんは用事があるとかで耕一お兄ちゃんを迎えに行かないって
言ってた。
でも、そんなこと言ったら、わたしだって梓お姉ちゃんだって用事あるんだよ
ね。梓お姉ちゃんはわざわざ部活休んでまで耕一お兄ちゃんを迎えに行くんだ
し……だから、楓お姉ちゃんも絶対迎えに来れない訳ないと思う。
楓お姉ちゃん、何だか耕一お兄ちゃんが来るのを喜んでないみたい。
でも、楓お姉ちゃんが耕一お兄ちゃんのこと嫌いな訳ないと思うの。
叔父ちゃんのお葬式の時は、みんな楽しく話をする気分じゃなかったから、久
しぶりに会った耕一お兄ちゃんともほとんど話をしなかったけど、でも、耕一
お兄ちゃんは昔の耕一お兄ちゃんのままだと思った。
まあ、私達だけじゃなくって、耕一お兄ちゃんにとっては叔父ちゃんは実のお
父さんなんだから、そのお葬式の時に笑えなくっても当然だよね。だから、今
回はいっぱいいっぱい、みんな笑おうって思ってるんだ。
千鶴お姉ちゃんが耕一お兄ちゃんを呼んだ口実は、父親を亡くして独りぼっち
のお兄ちゃんをわたしたちみんなで慰めてあげようってことらしいけど、わた
したちも叔父ちゃんがいなくなって、悲しいんだよね。
だから叔父ちゃんを忘れる訳じゃないけど、こうしていつまでも泣いてられな
いし、これをきっかけにしていつものわたしたちに戻ろう、そうわたしは思っ
てるんだ。
そして、わたしが思ってるのと同じように、千鶴お姉ちゃんや梓お姉ちゃんは
見違えるほど元気になった。まだ耕一お兄ちゃんが来てないって言うのに、凄
いことだよね。梓お姉ちゃんなんかあんなにお料理得意なのに、耕一お兄ちゃ
んに喜んでもらえるかどうかが気になるみたいで、やけに気合入れて料理して
るし、千鶴お姉ちゃんはなんとダイエットまで始めた。
千鶴お姉ちゃんってすっごく細くて綺麗なのに、どうして今更ダイエットなん
てするんだろうね?
梓お姉ちゃんはなにか冷やかしてたけど、やっぱりみんな、耕一お兄ちゃんの
ことが気になるんだ。わたしもずっとうきうきしちゃってるし……。
だからわたしは楓お姉ちゃんが気になる。
みんながみんな、耕一お兄ちゃんに心を向けてるのに、楓お姉ちゃんだけは心
を閉ざしてる。
やっぱりなにか、理由があるのかなぁ……?
太陽も大分傾いて来て、わたしのほっぺたを斜めから焦がす。
鞄を背中から降ろすのは正解だったんだけど、その分手に重みがかかってきて
結構疲れちゃった。
大体千鶴お姉ちゃんを除いたわたしたち三人の中ではわたしの学校が一番遠い
んだよね。まあ、なんだかんだでみんな市内にある高校に落ち着いたから、電
車通学にならないだけましなんだけど、ちょっとわたしだけ損をした気分。
楓お姉ちゃんくらい頭がよかったら、近くの高校に入れたんだけど……。
でも、学校から直接家に帰るんじゃなくって、途中で駅に寄るのは結構辛い。
だからわたしも絶対迎えに行けるとは言わなかったんだけど……でも絶対行こ
うって言う気はあったんだ。わたしがちょっと遅れたとしても、お兄ちゃん達、
わたしのこと待っててくれるとうれしいんだけど。
でもどうかな?
折角遊びに来たのに、来るか来ないかわかんないわたしを待つなんて馬鹿みた
いだしね。
わたしはそう思うと、自然と足早になった。
重い荷物とこの暑さで、相当疲れてるんだけど、みんなに置いてきぼりにされ
たくない!!っていうわたしの気持ちが、わたしを突き動かしたのかもしれな
かった。
照りつける太陽。
お布団をあったかくしてくれるわたしの大好きなおひさまも、今日だけはちょ
っぴり、恨めしく思った……。
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