夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第三話:帰郷
留守番電話にメッセージが入っていた。
気楽な大学生活を満喫している俺は、ほとんどマンションの部屋を空けて飛び
回っていた。まあ、独り暮らしと言うのは案外金がかかるもので、いくら母方
の実家から仕送りを受けている身とは言え、とてもそれでは足りず、ひたすら
バイトに明け暮れる毎日だった。
都会のバイトと言うのは地方と違って給料もいい。
だから俺は学業は情けない有り様だったものの、自分と同じような奴等よりは
いくらか資金的にも余裕があった。
では何故バイトを続けるのか……?
それは多分、俺が寂しく感じているからなのかもしれない。
色んなバイトをしてきたせいで、大学だけでなく、多方面に渡って友人はいる。
しかし、それはただ単に表面上の付き合いに過ぎなかった。
ただ近くにいるから一緒に喋り、酒を酌み交わす。
だから当然近くにいなくなれば、ほとんどの連中とは音信不通になった。
まあ、俺自身、そういう奴は得てしてどうでもいい奴だったので、自分からわ
ざわざコンタクトをとるような真似はしなかった。
そして最後にはこのワンルームマンションの一室に戻る。
薄暗い部屋。
テレビをつけても、何故か心は昂揚しなかった。
「…………」
そう、こことは場所は異なれど、一年前は母さんがいたんだ。
よくよく考えてみると、母さんと一緒に暮らしていた頃は、バイトはしていた
もののもっと腰を落ち着けていたような気がする。
別に母さんが生きていた頃はそんなにべったりと言う訳ではなかったが、やっ
ぱり実の肉親がこの世を去るとなると、寂しさは隠しきれない。もしかしたら
俺は、母さんを失ってその代わりに俺の心を埋めてくれるものを探していたの
かもしれない。
特に俺は母さんに意固地になっていた。
親父の実家がやっていた高級旅館『鶴来屋』が、伯父夫妻の突然の死により親
父の手に委ねられるようになった。その時俺と母さんは残され、それ以来俺の
親は母さんだけとなった。
親子三人で暮らしていた時は、本当に仲のいい家族だった。
俺は親父が柏木家に入るまで、そんな幸せなどあって当然のものとしか思えて
いなかった。無論親父ともうまくやっていた。
だからこそ、親父のしたことは俺にとって裏切りとも取れたのだ。
確かに頭ではわかる。
しかし、残された母さんはどうなんだ?
俺はそれを思うと親父に対する憎しみが沸いてくるのだった。
そして母さんは去年死んだ。
葬儀の時に見た親父の姿は、もはや俺の知っている親父ではなかった。
俺はそれを知ると、もう俺には家族などいないと、不思議と穏やかに感じた。
先日、親父が事故死した。
それを俺に伝えてくれたのは、従姉の千鶴さんだった。
当然俺は母さんがいなくなってからと言うもの、部屋には深夜に寝に帰ってく
るだけだったので、俺が聞いたのは留守番電話に流れる千鶴さんの声だった。
「…………」
涙は出なかった。
最早俺にとっては、親父は他人だった。
それよりも親父以上に会っていなかった千鶴さんの方を俺は心配した。
千鶴さんは俺より少し年上の、清楚だが親しみのある、言わば憧れのお姉さん
だった。
それは昔から変わらなかったが、録音された声はまさに肉親の死を悲しむもの
のそれだった。俺よりはずっと親父と家族としての付き合いがあったろう千鶴
さんの悲しみは、俺にもよく伝わってきた。
俺は千鶴さん達に親父を独占されていたという嫉妬感など感じず、ただ、千鶴
さん達柏木四姉妹のことを思った。
取り敢えず俺は葬儀にだけは出席した。
しかし、実質上隆山温泉を支配する「鶴来屋グループ」の社長の葬儀ともなれ
ば、簡単なもので済むはずもなく、葬儀が流れるように進む中、俺はただ蚊帳
の外にいた。
やさしい千鶴さんは俺のことを気遣ってくれたが、まだ大学を卒業したばかり
だというのにこれからの鶴来屋を担っていく立場に置かれてしまったというこ
ともあって、そんなに長い間俺をかまってもいられなかった。
しばらくぶりの対面ということもあって、次女の梓と四女の初音ちゃんとは色
々話をした。だが、まだ悲しみが癒える時間でもなく、騒ぐことも出来かねた。
そして俺は、再びここに戻ってきた。
丁度夏休みでバイトの予定を沢山組み込んでいた為、柏木家からはすぐに帰っ
た。
いつもと変わらぬ日々。
親父が死んでも、俺にとっては何の変化もなかった。
俺はそれを証明してみせるかのように、バイトに身を打ち込んだ。
だが――
『……お久しぶりです、耕一さん。従姉の千鶴です……』
千鶴さんの声を聞いた時、俺は何故か、肩の荷が下りたような気がした。
もしかしたら、俺にいつもお帰りなさいと言ってくれた母さんを、思わず千鶴
さんに重ねてしまったのかもしれない。
『……突然のことでごめんなさい。もし耕一さんが宜しければ、夏休みが終わ
るまでの間、うちに遊びにいらっしゃいませんか?』
俺は驚いた。
俺が柏木家を後にして、まだ一週間そこそこしか経っていなかったからだ。
なのに千鶴さんが急に遊びに来い、だなんて……。
『何度かお電話したんですけれど、ずっと耕一さんは留守でしたので……失礼
とは思いましたが、留守番電話に入れさせていただきました。時間のある時に
でも、お電話下さいね』
テープはそこで終わった。
俺は着替えもせずベッドにごろりと横になる。
「…………」
荒んだ俺の心。
間違いなく母さんの死と、親父の死が原因だった。
短期間に続けて起こった両親の死。
そして、俺の心にぽっかりと空いた穴。
大学もバイトも、俺の心を満たしてはくれなかった。
くたくたに疲れるまで歩き回って、そして夢を見ることなく死んだようにベッ
ドに沈没して眠る。
そんなことをしていて、一体なにが楽しいのだろうか?
俺は突然、そんな思いにとらわれた。
「……行ってみるか」
俺はそう呟くと、通帳の中身と休みの残り日数を算段するのだった……。
電車を乗り継ぎ数時間、俺は隆山温泉までやってきた。
千鶴さんには今日俺が到着する旨を連絡してある。
千鶴さんは、妹達は全員学校だからと、自ら会社を休んで迎えに来るとまで言
ってくれたが、俺はそれを丁重に辞退した。
俺は別に柏木家の場所を知らない訳でもないし、自分のことをそこまで重大な
お客だなどとは思っていなかったからだ。
しかし、千鶴さんも案外頑固者なのか出迎えなしでは失礼だと言い張るので、
俺は梓達が帰ってくるであろう夕方に駅に到着するよう時間を調整したのだ。
「ふぅ……」
季節外れの温泉街は、どことなく物寂しい。
有名な温泉地である隆山温泉と言えどもそれは免れ得ず、駅前の広さに比べて、
歩く人影はまばらだった。
しかし、今の俺にとってはそんなことはどうでもいい。
むしろ都会の人混みに限界を感じてここに来たのだ。
だから、俺はこの何とも言えずもの憂げな雰囲気が、妙に心地よかった。
腕時計を見ると時計の針は午後三時を少し回ったところだった。
待ち合わせの時間は夕方四時半。
乗り継ぎやらなにやらで時間がかかるだろうと思っていた俺は、少々早めにこ
ちらに着くようにしていたのだ。
取り敢えず梓は必ず時間には来れるらしい。
あの梓も案外しっかりしていて、今では柏木家の家事全般を切り盛りしている
のだそうだ。まあ、千鶴さんは仕事があるのだから……と思ったのだが、どう
やらそれだけでもないらしい。女の子は見掛けによらないと言うことなのだろ
うか。
そして初音ちゃんは「来れたら来る」とのことだった。
千鶴さん曰く、俺が来るのを一番楽しみにしているのは一番年下の初音ちゃん
だそうで、受話器から漏れる初音ちゃんの喜びようを語る千鶴さんの声は、何
だか俺を安心させてくれた。
初音ちゃんは時間に間に合わなさそうだったら家で俺が来るのを待ってるとの
ことなので、俺は梓、もしくは初音ちゃんが来そうな時間になるまで、駅前の
パチンコ屋で時間を潰すことにした。
パチンコ屋では運良くすぐに一度フィーバーしたもののその後が続かずに、手
頃な時間になる頃には残った出玉はそれほど多くもなく、俺は現金ではなく適
当な景品に交換して店を後にした。
「…………」
パチンコ屋の袋を手にしたまま、ぼけーっと立っている。
傍から見れば情けない格好だったが、こういうだらだらした時間と言うのは、
騒がしい都会ではなかなか持つことが出来なかった。
だから俺は、こっちでは徹底的にだらけてやろうと心に決めていたのだ。
「おーい、耕一ぃー!!」
どうやらお迎えが来たようだ。
声から察するに、あれは梓だろう。
まあ、俺を「耕一」と名前で呼び捨てにしているのは、柏木家では梓だけだっ
たから特にわかりやすい。
「よう、梓、遅かったな」
俺は梓の姿を確認すると、軽く手を挙げて応えた。
「遅かったな、じゃないよ! まだ約束の時間にはなってないだろ!?」
梓が眉をつり上げて怒る。
まあ、梓が怒りっぽいと言うのは承知しているから、俺はさほど気にすること
もなく腕時計に目をやった。
「あ、ホントだ」
「ホントだ、じゃないよ! あたしはわざわざ部活休んであんたを迎えに来た
んだから!!」
「すまんすまん、まあ、これをやるから機嫌でも直せよ」
俺は恐い顔した梓にそう言うと、手にした袋をごそごそと漁った。
そして、適当に手にしたものを手渡す。
「……何だよ、これ?」
「何って……チョコだよ。知らないか、お前?」
「あ、あたしを馬鹿にするなっ!!」
どげしっ!!
……梓のボディーブローが、俺の鳩尾に見事に食い込んだ。
「ぐっ……手加減しろよ、お前……」
腹を押さえてうずくまる俺をよそに、梓は俺の手から袋ごとひったくると呑気
な声でこう言った。
「ほら、さっさと着いて来な、耕一」
「って……まだ時間になってないだろ? 初音ちゃんが来るかもしれないし……」
「だから、これから初音を迎えに行くんだよ!!」
「へっ?」
よくわかっていない俺。
そんな俺に向かって少々真面目な顔をして梓が語ってくれた。
「千鶴姉は事を大袈裟にしない方だから耕一には言わなかったかもしれないけ
どね……初音、絶対あんたを迎えに行くんだって張り切ってたんだから」
「そうなのか……」
「そうなんだよ。だから初音は絶対来る。あたしはあの子の姉としてそれが充
分わかってるから、どうせなら迎えに行ったほうがいいかなーって」
「……お前もいい姉やってんだな……」
「な、なに馬鹿言ってんだよ!」
俺がそう言うと、梓は恥ずかしそうに照れて俺の背中を強く叩いた。
俺はそんな梓がかわいく見えて、ちょっとからかうように言った。
「……そのチョコ、お前に全部やるよ。初音ちゃん達には内緒な」
「ば、馬鹿! あたしは陸上やってんだから、こんなに食える訳ないだろ!!」
「何も今日一日で食えとは言ってないぜ」
「な、な……あ、あたしはチョコ嫌いなの! こんなの全部初音と楓にくれて
やるんだから!!」
梓は顔を真っ赤にしながら大声でそう言うと、俺に向かって袋ごと放り投げた。
凄い勢いで投げつけられたそれを俺は胸で受け止め、軽く笑いながらこう言っ
た。
「みんなで分けて食おうな、これ」
「し、知るか!!」
「なぁ、機嫌直せよ、梓」
「うるさい!!」
「……こんな安チョコでも、みんなで食えばおいしいんだろうにな……」
そう、俺は小さい声で言った。
すると、梓は俺の目を見ずにこう答えた。
「……千鶴姉にはあんまりやるなよ。体重気にしてるから……」
梓はそう言うなり、ごまかすように歩き出した。
俺は黙って立ち上がると、軽くズボンの埃を払う。
そしてすっと梓の横まで来ると、ひとことこう言った。
「きっと初音ちゃん、喜ぶだろうな」
梓の顔はまだ赤いままだった……。
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