夏の終わり、秋のはじまり
Written by Eiji Takashima
第二話:悲しみの雫
(――――フェル……)
とくん……。
(――――ディフェル……)
とくん……とくん…………。
心臓の鼓動の音が聞こえる。
それは今にも止まってしまいそうな、頼りないものだった。
「……エディフェル!!」
……彼の呼びかけが私の胸に通じたのか、私は混濁していた意識を今この時だ
け、はっきりとさせることが出来た。
「……次郎衛門……」
微かな応え。
それは死を直前に控えたものだったにもかかわらず、彼の表情は歓喜に満ち溢
れた。
「エディフェル、エディフェル、しっかりしろ!!」
「次郎衛門……」
再び彼の名を呼ぶ。
しかし、私に出来ることはそれまで。
嘘をついて彼の希望を満たすことは、私にはとても出来なかった。
「もう口を開くな。じっとしていれば、エルクゥの力がお前を癒してくれる。
だから……」
「姉さん達を……リズエル姉さんを怨まないで、次郎衛門」
「エディフェル! じっとしていろと言ったろう!?」
彼の意に反して、その言葉を遮るように私は言った。
私の死は、もう誰にも止められない。
だから私は、最後に色々次郎衛門に伝えたかった。
「……もう手遅れよ、次郎衛門。最早エルクゥの力でも、この消えかかった私
の命の火をともすことは出来ない……」
「何を言っているんだ、エディフェル! 俺の時だって、お前がエルクゥの力
をくれたおかげで助かったじゃないか!!」
そう、あの一方的な殺戮の中で、私は彼、次郎衛門に出会った。
そして自らの死を覚悟した彼が最後に見たもの、それが私、エディフェルだった。
私は死を直前に迎えるものの考えることなど、それまで知るはずもなかった。
ただ、漠然と今までの自分の人生を振り返るものだと思っていた。
そして今、こうして死を目の前にして、私はそれが正しかったことを知った。
私はこの薄ぼんやりした意識の中で、今までの自分を思っていた。
二人の姉と、一人の妹。
思わぬヨークの事故。
この星で暮らさなければならなくなった私達。
『人間』との対立。
そして、次郎衛門のこと……。
でも、彼は違った。
彼は死を目の前にして、自分をその死の縁に追いやった私のことを想ったのだ。
そして彼は、私を美しいと言った。
彼にとっては恐怖以外のなにものでもない、このエルクゥの私を……。
そこから彼は、私にとって特別なものとなったのだ。
「あの時のあなたの目は、まだ死んではいなかったわ……」
「お前の目だってまだ死んじゃいない!!」
彼は死にゆく私を認めようとはしなかった。
でも、それが彼らしいところだと思う。
多分彼は私が息をひきとっても尚、私の死を認めようとはしないだろう。
そして私の死を打ち消す為に、まさに全力を尽くすことだろう。
それが私の知る彼、次郎衛門だった。
だから私は彼を説得するのは無理だと悟り、最後の会話を始めた。
「お願い……聞いて、次郎衛門……」
「エディフェル!!」
「姉さん達だって、私が憎くてこうした訳じゃないの……」
「だが、俺のことは憎かったはずだ!!」
「いいえ、違うわ、次郎衛門。姉さん達はまだ、あなたや私のことがまだわか
らなかっただけなのよ」
「わからないだけで実の妹を傷つけるのか!?」
「……それがエルクゥの本質なのよ……」
エルクゥは狩猟者。
命を華々しく散らすことになによりも喜びを感じる一族。
そして男だけではなく、私達女も、その狩猟者の血を受け継いでいた。
もちろんリズエル姉さんは狩猟者として私を消そうとしたのではない。
しかし、姉さんは敢えて狩猟者として私を狩った。
それが本当の自分によるものではないと言うことを示したかったかのように……。
姉さんは心で泣いていた。
でも、周りの圧力がどんどん膨れ上がる中で、姉さんは私を放置しておくこと
は無理だと判断した。
このまま放っておけば、間違いなく私と次郎衛門は他の誰かに狩られる。
姉さんはそれを知っていたから、敢えて自分の手を下すことにしたのだ。
「馬鹿な……」
いくらエルクゥの細胞を得たとしても、次郎衛門の心はいまだに『人間』のも
のだった。真のエルクゥでない彼は、エルクゥの本質をまだ理解できない。
でも、私はそんな彼が好きだった……。
「姉さんだって好きでこうした訳じゃないの。だから次郎衛門、私の仇を討つ
ことなんて考えないで……」
「仇じゃない! お前は死なない! そうだろう!?」
「次郎衛門……」
頑なな彼。
でも、彼が信じたくない気持ちも私にはよくわかった。
私も自分が先に逝き、次郎衛門一人をこの世界に残していくと言うことは耐え
難いことだった。
「お前を死なせやしない! 絶対に、絶対に!!」
彼の強い想いを感じながら、私は話を再開した。
「あなたが怒りに任せて姉さん達を傷つければ、きっとリネットが悲しむわ……」
「関係ない! 俺にはお前しかいないんだ、エディフェル!!」
「リネットは人一倍やさしい子だから、あなたの気持ちと姉さん達への気持ち
との間に挟まれて苦しむに違いない。だから……お願い、リネットの為にも、
怒りを抑えて……」
今は私がいるから、彼は怒りすらも忘れている。
しかし、私がいなくなれば……彼には怒りしか残らなくなる。
私はそれを恐れていた。
怒りに満ちた彼は、まさに真のエルクゥのように狩猟者として私達の仲間を狩
り続けるだろう。
そして、それは私の知っている次郎衛門ではない。
それでは私の周りによくいたただのエルクゥと同じだった。
痛みは完全にない。
痛覚すら感じなくなっている私は、最早いつ死んでもおかしくない状態だった。
もしかしたら私は自分が喋っていたつもりと言うだけで、声にも出ていないの
かもしれない。
流れる私の血に濡れた次郎衛門の手を、私は微かに背中に感じていた。
「……エディフェル、エディフェル!!」
いつも私を強く強く抱き締めてくれた次郎衛門。
そして私の最愛の人。
「……エディフェル、死ぬな!!」
遠く次郎衛門の呼ぶ声が聞こえる。
もう私とやり取りしていたことについても、どうでもよくなってしまっていた。
「……次郎衛門…………」
「俺は馬鹿だ! 男なのに、お前を守るべき立場にいるのに、お前を守ってや
れなかった!!」
次郎衛門の悲しみが伝わる。
もう言葉は聞き取りにくいのに、不思議と心は綺麗に届いた。
「……次郎衛門……今度……今度また生まれ変わったら…………」
「お前が生まれ変わっても、俺は絶対お前のことは忘れない! そして今度こ
そ絶対にお前を守り抜いてみせる!!」
「……約束よ、次郎衛門…………」
「エディフェル、エディフェル!!」
「……生まれ変わったら……その腕で私を……ずっと抱き締めて…………」
「ああ、俺の腕はお前の為だけにある! だから、だからエディフェル!!」
だから……その続きはなかった。
エディフェルは次郎衛門の腕の中でその小さな命を終えた。
そして夢は終わりを告げた。
「…………」
時々見る夢。
妙に鮮明な、私の前世の記憶。
この夢を見た後は、いつも涙で顔を濡らしていた。
そして今日もまた、涙を流していた。
この夢はエディフェルと言う名の少女、この少女の死でぷつりと途切れる。
まるで本当に自分がエディフェルと言う名の少女であるかのように、私はいつ
も感じさせられていた。
そして私は夢から目覚めた後、言いようのない孤独感に苛まれて、身を震わせ
ながら再び涙を流した。欠けた自分の半身を恋慕うように……。
「耕一さん……」
結局私は、千鶴姉さんの意見には逆らえなかった。
客観的に見れば、嫌がる私に姉さんが無理矢理我が侭を言ったように見えるか
もしれない。
しかし、それは間違いだった。
誰よりも耕一さんを慕い、求めていたのはこの私だったから……。
千鶴姉さんは何も知らない。
私のこの夢のことも、エディフェルのことも、次郎衛門のことも。
父と母が亡くなった後、うちにやってきた叔父様を見た時、私は夢の中の次郎
衛門と叔父様とを重ねてしまった。
私はそれ以来叔父様を慕い続けてきたけれど、叔父様と話すにつれ、次郎衛門
の生まれ変わりは叔父様ではないことを感じ取った。
そして耕一さんを……。
確信はなかった。
私がこの夢を見るようになってから、私は一度も耕一さんとちゃんと逢ったこ
とがなかった。
だから私の思い違いかもしれない。
でも、叔父様を見ていると、もしかしたら耕一さんこそが次郎衛門の生まれ変
わりなのではないかと言う予感めいたものが芽生えた。
そしてそんな予感はどんどん私の中で膨れ上がる。
だから……私は耕一さんに会いたくなかった。
もし耕一さんに逢って、耕一さんこそが次郎衛門の生まれ変わりだと言う事実
を知ったとして、耕一さんの方はどうなのだろうか?
耕一さんが次郎衛門としての記憶を完全に忘れ、私の想いなど虚しいものとな
ったら……。
それが私には恐かった。
逢わなければ、悲しまずに済む。
私は叔父様の死の原因、それを耕一さんにも重ねていた。
私に逢ったことが原因で、耕一さんの中の鬼を覚醒めさせてしまったら……。
私は耕一さんを夢見る以上に、耕一さんを傷つけたくなかった。
耕一さんが自分の中の鬼を制御できなければ、きっと千鶴姉さんは耕一さんを
殺すだろう。
そう、まさにリズエルがエディフェルをその手にかけたように……。
私には耐えられない。
たとえ耕一さんが次郎衛門でなくとも、柏木家の者が集まれば、鬼がより敏感
になるのは間違いない。千鶴姉さんだってそれを知っているはずなのに……。
でも、私は千鶴姉さんを責めることが出来なかった。
千鶴姉さんが支えを求めるのと同じように、私も耕一さんを求めていたから……。
だから結局拒めなかった。
きっと今朝にも姉さんは耕一さんに電話をかけることだろう。
葬儀の時は理由を付けて耕一さんを避けていた私だったけれど、たとえ数日間
とは言え、一緒に生活するようになってしまってはどうにもならない。
でも……もしかしたら、私はそんな言い訳が欲しかったのかもしれない。
耕一さんを確かめたい。
そして、その力強い腕で抱き締められたい。
そんな私の想いは強まっていく。
「ごめんなさい、耕一さん……」
私の涙は、今日だけは何故か一向に止まる気配を見せなかった。
そう、それはいつもとは違う、悲しみの雫だったから……。
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