夢、みたことありますか……?



『転入生』

第二話:夢


ったく、なんなのよ、あいつ?
アタシなんかどうでもいいって顔しちゃって……
シンジ、って言ったっけ?
よくわかんないけど、なんか気に食わない。
何にも知らないような、自分は清く正しいようなそんな感じ。
なのにあのレイの前ではあんなに……
あの二人、それぞれ単品だと人形の癖して、二人になるといっぱしの恋人。
幼なじみみたいなことは言ってたけど、アタシのこの目ではクロね。
まったく、バカばっかりなんだから……


「アスカ? アスカ?」
「ったく……」
「もう、アスカったら!」

ヒカリがたまりかねるようにアスカの肩を強く揺さ振る。
それによってようやくアスカは自分の物思いから解放された。

「……ヒカリ?」
「そうよ。全くアスカったら……何考えてたの? ぶつぶつつぶやいちゃって、
ちょっと不気味だったわよ」
「え、えっ? アタシ、なんか変なこと口走ってた?」
「口走ってたなんてもんじゃないわよ。いったい誰を呪ってたの? 綾波さん?
それとも転校生の碇君?」
「えーーっ! どうして知ってんのよ!?」

アスカはヒカリの言葉に飛び上がらんばかりに驚く。
しかし、それはヒカリの勝手な想像によるものであり、真実ではなかった。
半分アスカをからかうようなつもりで言ったのだが……

「アスカ? あたしは冗談で言ってみただけなんだけど……もしかして、ほん
となの?」
「えっ……なにか聞いたんじゃないの、ヒカリ?」
「え、えっ? そ、それはね……」
「……ヒカリ、死にたい?」

うろたえるヒカリに、アスカは冷たい目をしてぼそっとそう言った。
ヒカリはアスカが本気で言っている訳ではないと知っていても、アスカの攻撃
力を何度もその目で確認しているので、寒気を感じずにはいられなかった。

「ご、ごめん、アスカ……」
「……いいのよ。でも、ヒカリ、アタシ、ほんとに変なこと言ってなかった?」
「うん……言ってなかったよ、アスカ。でもね、その顔と今までのいきさつか
ら……」

ヒカリはアスカをからかうのはやめて、真実を親友として語り始めた。
そしてアスカもそんなヒカリに応えるように、友達としての素顔を見せはじめ
たのだった……

「そう……なるほどね。確かにあいつらのこと、色々考えてたのは事実よ。そ
れに呪うとまでは行かないけど、気に食わないって思ってたのは事実で……」
「気に……食わないの?」
「あったりまえでしょ!!」
「どうして? 二人とも悪人には見えないし……」

アスカと違ってヒカリは綾波に対して好感を持っていた。
それは友人としてのものではなかったが、大人しくてクラスには絶対に迷惑を
かけなかったし、黙って黙々と勉強しているところは、真面目なヒカリにとっ
て悪くなど見れなかった。確かにアスカの思うように得体の知れないところは
あったものの、人は人それぞれ、自分のことを言おうと言うまいと、個人個人
の自由だと思っていた。だからヒカリはアスカには敢えて言わないものの、そ
ういうところについては綾波を嫌うアスカを気にしていたのだ。

そしてまた、シンジについても同じだった。
きゃあきゃあ女子が騒ぐものの、ヒカリにはそんな男の子に見えなかった。
むしろあのトウジと隣の席に座り、自然とトウジを認めたことが意外だった。
トウジは普通の人付き合いと言うものは出来るのだが、心許せる友と言うのは
相田ケンスケ、ただひとりだった。今まで何人もトウジの隣に座ってきた人間
がいたが、最初のトウジの呼びかけにすんなり入り込めた人間はそのケンスケ
だけだ。それが原因でトウジはケンスケを親友として認めることとなったのだ
が……つまり、それがトウジにとっては試験だったのだ。
誰もがトウジは外見ほど悪い奴ではないと知っていたし、だからこそ普通に接
することが出来た。しかし、それは経験の産物であり、初対面ではそうは行か
なかった。トウジを知らない人間はまず間違いなく距離を置いていたし、ヒカ
リ自身も最初は同じだったのだ。だからこそヒカリは自分がいまだにトウジに
とってはその他大勢とイコールであり、いきなり飛び込んできたシンジが特別
な人間として見られると言うのは、ちょっとした羨望と嫉視共に、シンジをト
ウジの認めた人物として見るようになったのだ。

「だから気に食わないのよ。人は誰でも陰の一面を持ってるのよ。だから、そ
ういういい人ぶってるやつに限って、腹黒いんだから……」
「そ、そういうもんなのかな……?」
「そういうもんなのっ! なのにあいつ、アタシとこれから一緒に暮らすなん
て言うのよ! もう……変なことされないように、気を付けなくっちゃ!」
「ははは……」

アスカに手を出すなんて、あんな気弱そうな男の子に出来るはず無いと、ヒカ
リは思っていた。むしろアスカに毎日のようにいじめられるのではないかと、
ちょっと哀れにさえ思ったりしたのだ。
だが、悪い方向ではあるものの、アスカが人に興味を抱いたのは珍しいことだ
った。アスカはその容姿から数多くの男子からアプローチを受けてきた。しか
し、アスカはそんな連中は歯牙にもかけず、なぜかヒカリにだけ心を開いた。
一時期アスカがそういう趣味なのではという噂が流れ、それと同じくらいの時
期にあの綾波が転校してきた。アスカはいきなり転校初日からおかしなくらい
に綾波を意識し、ことある毎に突っかかっていた。まるで今回のシンジの転校
と同じように……
そして綾波に対する態度が、ヒカリの目にはなぜかずっと気になって見えた。
アスカが本当にそういう方向の趣味がある為に、好きな子には嫌がらせをして
しまう的な感じでもなかったものの、アスカにとって綾波は特別な存在だった。
だからアスカがシンジを殴り倒した時の言い訳の台詞が、ヒカリにとっては妙
に気になっていたのだ。そしてそんな綾波が、同じようにアスカに特別な存在
とされたシンジとこれまた恋人同士に近い関係だと言うのは、ヒカリには間違
いなくなにかが起こるとしか思えなかったのだ……


そしてアスカとヒカリがそんなやり取りを交わしていた頃、シンジと綾波は大
勢の野次馬に囲まれていた。

「碇君、痛くない?」
「う、うん……ごめんよ、綾波、心配かけて……」
「気にしないで」

綾波の隣の席の女の子は、いつのまにか退散して、そして野次馬のひとりとし
て垣根を形成していた。
二人を取り囲む人垣を構成しているのは、最初の休み時間と言うことで転校し
てきたシンジと色々話をしようと集まってきた女子が6割と、それから急に別
の顔を見せた綾波を検分しようと集まった男子が4割だった。
綾波は普段人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているものの、外見はクラスで
一、二を争うくらい整っていて、また、その雰囲気故に好意を抱く男子の数は
少なくなかった。アスカの場合とは違って綾波にアプローチをかけてくる人間
は皆無だったが、綾波をじっと見つめる視線と言うのは常にどこかに存在して
いた。だが、綾波はそんな視線に気付いているのかいないのか、とにかく自分
の周りに見えない壁を築いて、誰ともつながりを持とうとはしなかったのだ。
それなのに、綾波はシンジと二人きりになって……二人を包み込んで見えない
壁を築いたのだ。もしかしたら綾波の壁の中に入り込んだのは、この頼りなげ
なシンジと言う少年が初めてだったのかもしれなかった。

綾波の素っ気無い言葉は変わりが無かったが、誰の目にもそれがいつものもの
とは違うことがわかった。シンジはかつての綾波しか知らないので、そういう
感慨は抱けなかったが、周りの人間にとってはトウジが指摘したように驚愕に
値することであった。
そしてそうシンジに言ったトウジも、唯一の親友のケンスケと共に、垣根の一
部を構成して、シンジを見守っていたのだ。

「凄いな。まさしく壮観だよ」
「せやな。シンジの奴、凄い奴や」
「ああ……あんな綾波、俺は初めて見たよ」
「わいもや。それに……」
「トウジ、あいつを認めるのか?」
「ああ。あいつ、外見はぱっとせんが、綾波が認めるだけのことはあるで」
「そんなもんなのか?」
「せやな。まだまだはっきりとしたことはわからんけど……」
「そうか……」

そして二人はまた黙って二人を見つめた。

「綾波?」
「なに、碇君?」
「ずいぶん久し振りだったけど……」
「なに?」
「綾波、変わらないね?」
「変わった方が良かった?」
「ううん、ほっとした」
「……よかった」
「でも、かわいくなったよ。もう、僕達も子供じゃないんだって……」
「碇君……」

綾波はシンジに褒められて、そっと恥かしそうに頬を朱に染めた。
そしてシンジはそんな綾波を見つめながら訊ねる。

「それより僕、僕の方はどうかな?」
「どうって?」
「……変わったかな、僕?」
「ううん、私の知ってる碇君のまま」
「そう……」

嬉しそうに答える綾波に対して、シンジは少し落ち込んだ様子を見せた。
綾波は自分と同じようにシンジが喜ぶと思って言ったのだが、それが逆効果だ
ったと知って、悲しげな顔をして小さく謝る。

「……ごめんなさい、碇君」
「綾波?」
「私、碇君が喜んでくれると思って言ったのに……」
「い、いいんだよ、綾波。綾波が気にすることじゃないよ」
「でも……」
「変わりたかったんだ、僕は。昔の僕じゃ駄目なんだよ、綾波」
「碇君……」

力強く断言するシンジ。
綾波はそんなシンジを見て前言撤回したくなったものの、なぜか不思議と口を
開くことが出来なかった。
いや、今のシンジも綾波の知っているシンジであった。
そして綾波がシンジを愛した理由も、ここにあったのだ。
シンジは気付いていなかったものの、綾波はシンジのことを誰よりも強いと感
じていた。

「私、ずっと夢見てたの」
「綾波……?」

しばしの沈黙の後、おもむろに綾波は口を開いてそう言った。

「また再び碇君にめぐり逢えるんじゃないかって思って……」
「…………」
「毎晩眠る時、明日碇君に逢えたらあれを言おうこれを言おうって色々考えて……
そうすると寂しくなかったの。まるで碇君と一緒にいるような気がして……」
「綾波……」
「あの時は理解できたの。碇君と別れること、仕方ないことだと思えた。でも、
でも独りになってみて……」
「…………」
「夢だけが、私の全てだったの。碇君の夢が、私をこの数年支えてくれた……」
「…………」
「でも今、夢は現実になったの。私はもう離れない。もう、夢には戻りたくな
いの」
「綾波……」

今まで逢えなかった想いを訴えかける綾波に、シンジはかける言葉を見つけら
れなかった。
まさか綾波がここまで自分を恋焦がれていたとは思いも寄らなかったし、何を
言っても心からの綾波の台詞には敵わないと思えたからだ。だからシンジは綾
波を落ち着けようと思い、そっと綾波の肩に片手をかけた。
すると綾波はまるでそのシンジの手が自分を引き寄せたかのように、すっとシ
ンジの身体に身体を寄せた。シンジはそんな綾波に驚きながらも、そのまま流
れに任せる。

「…………」

いつのまにかシンジは綾波を胸の中に抱えるような形になっていた。
シンジは綾波の背中に腕を回すようなことはしなかったものの、綾波の感触に
驚きを隠せなかった。
小さかった頃、ずっと二人きりだった頃はよくこうしていたことがあった。
しかし、今の綾波は昔の綾波とは違う。
柔らかな身体といい香り……それは子供には持ち得ないものであった。

「……私、夢見てたの」
「綾波……?」

シンジの胸に顔を埋めたまま、綾波はシンジにそう言った。
シンジは両手を宙に浮かせたまま、驚いて綾波を見下ろす。

「私はいつか、ここに戻ってくるって。私の、私だけの居場所に……」

そしてシンジは、浮かせていた手を、自分の、自分だけの場所に戻した。
まるでそれがそうあるべき姿であったかのように……



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