「これからどうする、綾波・・・?」
「・・・・外・・・出たい・・・・」

こうして、碇君と私は、軽く着替えて外に出かけたのだった・・・・



かくしEVAルーム半周年記念短期集中連載

『二人だけの休日』後編

「いい天気だね、綾波。」 碇君は青く晴れ渡る空を見上げながら、私に声を掛ける。 「うん、碇君。」 私も碇君の見た空を見上げて応える。 「綾波が外に出ようなんて、ちょっと意外だったけど、出てきてほんとよかっ たよ。」 「うん。」 日差しは強いけど、爽やかな風が吹き抜けて、あまり暑さを感じさせない。 碇君の言うように、外に出かけるには最高の陽気だ。 「綾波、帽子を飛ばされないようにね。」 風で私の白い帽子が飛ばされるのを心配して、碇君が私にそう言った。 「ありがとう、碇君。」 私は碇君に目を向けて、軽く帽子を手で押さえながら、微笑みを向けた・・・・ 私達が住んでいる葛城先生のマンションは、それほど街の中心にある訳ではない。 だから、ほんの少し足を延ばせば、景色のいい場所にたどり着く。 ここはちょっと大きめの川の土手。 散歩するには絶好の場所。 草原が広がり、夏の微風が草を波立たせてまるで海を見ているよう。 眩しい太陽の日差しが辺り一面を輝かせ、碇君と私を包んでいる。 そして、辺りに人影はない。 ここもまた、私のために碇君との二人だけの場所をあつらえてくれたみたいだった。 今日はいいことばかり。 私の心を陰らせるものは、何一つとしてなかった。 今日は本当に、私だけのためにあるようなものだった・・・・ 「なんだか着替えない方がよかったみたいだね。」 碇君は私の姿を見ながら言う。 碇君が私に買ってくれた服は抜けるように白くて、夏の日差しの中で私を輝か せてくれたけれど、ひらひらしていたので、長いスカートが風で煽られて歩き にくかった。 でも、そんなことくらい、私には何でもなかったから、スカートを手で押さえ ながら碇君にこう言った。 「そんなことない。私はこの服、とっても気に入ってるから。」 「そ、そう?でも、何だか綾波、歩きにくそうだし・・・・」 「・・・碇君が私の歩調に合わせてくれてるから、私は平気・・・・」 「・・・・」 碇君は、ちょっと歩きにくそうにしていた私の歩く速さにあわせていてくれた。 私はそれが碇君らしい心遣いだと思って、うれしく感じていた。 しかし、私がそんな思いに気を取られていたその時、いきなり強い風が吹き抜 け、私の帽子をさらっていった。 「あ!!」 私は帽子を押さえているのを忘れていたので、つばの大きな帽子は風に乗って 遠くに飛ばされてしまった。碇君と私は、飛ばされた帽子を追って、草の茂る 川の土手に降りていった。 「綾波、つかまって・・・・」 碇君は、土手の斜面を降りる時、私に手を貸してくれた。 「ありがとう、碇君・・・・」 私はそう言って、差し出された碇君の手を、そっと受け取った。 長いスカートを邪魔そうにしている私を、碇君はやさしく支えてくれた。 碇君のおかげで、おぼつかないながらも、ようやく碇君と私は斜面を降りきる 事が出来た。 「あ!!あそこに帽子があるよ。」 私の帽子は何とか川まで飛ばされずに、草の上に落ちていてくれた。 「うん!!」 「川に落ちなくてよかったね。そうしたら拾うのも一苦労だったから。」 「そうね、碇君。」 碇君の手は、まだ私の手を握ったままだった。 碇君はもしかしたら、そのことに気付いていないのかもしれない。 でも、私は何も言う気はなかった。 もう少し、碇君の手を握っていたい。 もう少し、碇君に私の手を握っていて欲しい。 だから私は、帽子に向かって進む碇君に手をとられたまま、ゆっくりと後につ いて行った。 「はい、綾波。」 碇君は腰を屈めて私の帽子を拾うと、ついた草を軽く手ではらってから、私の 頭に載せてくれた。 「ありがとう、碇君・・・・」 私はもう片方の空いた手で帽子のつばを軽く触って、碇君にお礼を言った。 すると碇君は、とうとう私の手のことに気付いてしまって、急に慌てて私に謝 った。 「あ、ご、ごめん、綾波。手、いつまでも持ったままで・・・・」 「ん。」 碇君はすぐに私の手を離そうとしたけど、私は軽く首を横に振って、碇君の手 を離さなかった。 これは、私のわがままだとわかっていた。 私はこうしながらも、心の中で少し後悔していた。 でも、碇君はそんな私に気を悪くすることなく、いつものやさしい声でこう言 ってくれた。 「・・・・ちょっとここに座ろうか・・・・?」 「・・・うん、碇君・・・・」 私は碇君のやさしさに甘えて、静かに草の上に腰を下ろした。 碇君と私は、まだ手をつないだままだったから、座るのもくっつくほどの距離 になった。私はこの距離が、とってもうれしかった。 「・・・帽子、取った方がいいね。また飛ばされるといけないから・・・・」 「うん・・・・」 私は碇君の言葉に、うなずいて応えたけど、行動では何も示さなかった。 碇君はそんな私を、少し不思議そうな顔で眺めていた。 私は碇君に自分の気持ちを伝えようと、碇君にこう言った。 「・・・・碇君が取って・・・・」 私は碇君に甘えてた。 何でも碇君にやって欲しかった。 そして碇君なら、何でもやってくれると思ってた。 もちろん今回も、碇君は黙って私の頼みを聞いてくれた。 碇君は私の帽子に手を伸ばすと、そっとそれを取ってくれた。 そして、私の白い帽子は、碇君の胸に抱え込まれる。 それはまるで、私が碇君に抱かれているような気がして、何だか胸がときめいた。 私はまた、こういう風に碇君の胸に包まれたかった。 「・・・気持ちいいね。」 碇君は短い髪の毛を風になびかせながら、私にそう言ってきた。 「うん、碇君。」 私がうれしそうに碇君に応えると、碇君は私に微笑みかけたまま、話し続ける。 「こういう風ってほんとに気持ちがいいよね。嫌な暑さを吹き飛ばしてくれて・・・・」 「うん。」 「たまにはこんな風が吹いてくれないと、じとじとしちゃって嫌になっちゃう よ。」 「うん。」 「ありがとうね、綾波。」 「え・・・?」 「綾波が外に出ようって言ってくれなかったら、きっと僕は自分から外に出よ うとはしなかっただろうから、こうして風に吹かれていることもないだろうと 思ってさ。」 「・・・・・」 「僕もあんまり自分から外に出たがるタイプじゃないしね。僕はあんまり人付 き合いとか得意な方じゃないから・・・・」 「・・・・・」 「だから、僕と綾波とは似てるところがあると思ってたんだよ。でも、今日は 綾波が自分から外に出ようなんて言い出すなんて・・・・」 「・・・いや・・・だった?」 「ううん、その反対。うれしかったよ、ほんとに。まあ、実際誰も見かけなか ったから関係ないんだけどね・・・・」 「・・・・」 「でもやっぱり、こうして外に出てみると、外って気持ちがいいもんだなって、 改めて気付かされた気がするよ。綾波もそう思わない?」 「うん、そう思う・・・・」 私は碇君にそう答えたけど、本当は違った。 私は碇君と一緒にいられれば、どこだって構わなかった。 私が気持ちよく感じているのは、外に出ているからじゃなくて、碇君とこうし て一緒にいるからだった。そして、手をつなぎながらぴったりこうして寄り添 って、二人きりで座っているからだった・・・・ でも、こうして家でなく外で二人きりでいるというのも、また別の感じがして、 うれしかったというのも事実だった。これは、私の新しい発見であった。 私はそう思うと、思わず碇君の手を握っていた手に力を入れてしまう。 「あ・・・・」 碇君は私のそれに、声を上げる。 「ご、ごめんなさい、碇君。私、つい力を入れて碇君を驚かせちゃって・・・・」 「い、いや、別にいいんだよ。痛かった訳じゃないんだし・・・・」 「・・・・ありがとう、碇君。やっぱり碇君はやさしい・・・・」 「そ、そんな大した事じゃないよ。」 「でも・・・・」 「何も言わなくていいから・・・ね?」 「うん・・・・」 碇君の微笑みには勝てなかった。 私はもうこれ以上、何も言えなくなってしまった。 でも、碇君のやさしさに甘えて、碇君の手をしっかりと握り締めていた。 私も碇君も、ずっと黙っていた。 碇君は、川の流れをじっと見つめていた。 私はそんな碇君の顔を、時折確かめるように見つめた。 すると碇君は、その都度私にやさしく微笑みかけてくれて、私を安心させてく れた。まるで自分はどこにも行ってはいないということを、私に示すかのよう に・・・ でも、水の煌きを眺める碇君の心は私ではなく、他の何かを見ていた。 私は碇君の心が私を見ていないのは寂しかったけど、そんな碇君の心が知りた くて、私も碇君を真似して川の流れに目をやっていた。 「そろそろ行こっか?」 ずっと沈黙を保ってきていた碇君が、突然私に声を掛けてきた。 「う、うん。」 私には、碇君に逆らうつもりなどないし、そんな理由はどこにもなかった。 私がうなずいて応えると、碇君はゆっくりと立ち上がって、そして、つないだ ままの私の手を引いて、立ち上がらるのに力を貸してくれた。 「ありがとう、碇君。」 碇君は、そう言う私の頭の上に、手に持っていた帽子をそっと載せてくれた。 そして私は、片手で頭を押さえて、帽子をしっかりとかぶった。 碇君と私は、土手の斜面を登って家路についた。 まだ早すぎる気もしたけれど、私は何も言わない。 碇君は、あの人が帰って来たとき誰もいない状況にさせておくのが嫌だから、 早く帰るのかも知れない。 私はそう思うと、碇君を独占していたのが、全て偽りだったような気がして、 何だか悲しくなった。でも、そんなこと、とても碇君には言えなかった。だか ら私は、じっと唇を噛み締めていた。 「・・・どうしたの、綾波?」 いつのまにか、碇君が私の顔を覗き込んでいた。 碇君は、私の様子がおかしいことに気がついて、不信がってる。 「・・・・なんでもないの、碇君。気にしないで。」 私は自分の心を、碇君に知られたくなかった。 本当は碇君が私を騙しているはずなんてないのに、あの人のこととなると、気 にせずにはいられない私が嫌だった。 でも、碇君はそんな嫌な私に、思いやりのある言葉で心配してくれた。 「そんな顔してる綾波なんて、僕は見たくないよ。今日の綾波は、とってもい い顔してたのに・・・・」 「・・・碇君・・・・・」 「ね?綾波。」 「・・・・私、この碇君と二人だけの時間が終わるのがつらくて・・・・」 「綾波・・・・」 「私、楽しかったの。今までにないくらい。だから、私はこの時を、終わりに したくない。」 「・・・・」 「でもわかってるの。もう帰らなくちゃいけないって。碇君もあの人の帰りを 心配しているから・・・・」 私がそう言うと、碇君は済まなそうな顔をして私に言った。 「・・・ごめんね、綾波。でも、アスカも僕達の家族だから・・・・」 「・・・・」 「僕も今日は楽しかったよ、綾波。何だかとっても羽を伸ばせた気がする。」 「・・・・」 「・・・・・・」 碇君も私も、いつのまにか黙り込んでしまった。 しかし、歩き続けているから、着実に家に近付いている。 私は、後わずかしか残されていないこの時を無駄にはしたくなかったけれど、 なかなか碇君に話し掛けるきっかけがつかめないまま、時は過ぎ去っていった。 そして、とうとう家にまで辿り着いてしまった。 玄関のドアの前に立つと、碇君が私にこう言う。 「今日は楽しかったね、綾波。」 碇君のその言葉は、二人だけの時の終わりを告げるものだった。 私にはそれがわかっていたから、碇君に黙っていた。 碇君は、そんな私の気持ちを察してくれたのか、無理矢理言葉を引きだそうと はせず、玄関のドアを開いた。 「・・・・いや。」 「綾波・・・・」 「入りたくない。」 碇君は困った顔をしている。 でも、私は終わりにしたくなかった。 このままずっと、碇君と二人でいたかった。 「また今度、今日みたいな時が来るって。」 「いつ?いつくるの?」 私の言葉は、駄々っ子みたいだった。 でも、碇君はそんな私に腹を立てることもなく、やさしくなだめようとしてく れる。 「いつかだよ。僕にもいつかだなんてわからないんだ。」 「・・・・・」 「いつまでもこうしていても、仕方ないから・・・・ね?」 「・・・・・」 「綾波・・・・」 「・・・・キス、して・・・・」 「え・・・?」 「今日がこうしてあった事を示すために、私にキスして。」 「で、でも・・・・」 「キスしてくれれば、大人しく中に入るから・・・・」 私の言葉はずるかった。 こう言えば、碇君は私にキスせざるをえないことがわかってた。 でも、そうわかっていても、私は碇君にキスを求めずにはいられなかった。 「・・・・じゃあ、目を閉じて・・・・・」 碇君はかなり迷った挙げ句、静かに私にそう言った。 私は胸をどきどきさせながら、碇君に言われた通りに目を閉じた。 ・・・・・・ちゅ!! 「え!?」 碇君のキスは、私の唇ではなく、おでこにだった。 「どうして・・・・?」 「おでこでもキスはキスだろ?」 「・・・・ずるい・・・・」 「約束は約束だから。さあ、入った入った。」 私はしぶしぶ、言われた通りに中に入った。 私から碇君に無理なことを言ったんだから、碇君のキスが唇でなく、おでこだ ったからといって、私は怒ることなど出来なかった。 でも、やっぱりちょっと、悲しかった・・・・ 「綾波?」 「何・・・?」 「今のは、お仕置きのキスだからね。」 「お仕置き・・・・?」 「そう、お仕置き。綾波の今のやり方は、アスカみたいでよくないよ。ああい うのは、これから反則だからね。」 「ごめんなさい・・・・」 確かに碇君の言う通り、私のやり方はずるかった。 私にはそれがよくわかっていたから、素直に碇君に謝って見せた。 「わかればいいんだよ。じゃあ、これはそのご褒美に・・・・」 碇君はそう言うと、いきなり私の身体を引き寄せて、キスをしてくれた。 それも今度はおでこにではなく、私の望んだ唇に・・・・・ 少しして碇君は唇を離そうとした。 私の唇は、碇君の唇が離れてしまうのが寂しくて、碇君の唇が恋しくて、碇君 の唇を追いかけていた。 でも、それにも限界はある。私と碇君の唇は、離れ離れとなった。 「・・・・碇君、もっと。」 私はもう一度、キスをねだる。しかし碇君は、首を横に振って応えた。 「駄目だよ、綾波。この一度だけだから。」 「・・・・碇君。」 「駄目だってば、綾波。」 「・・・・わかった。」 碇君はやさしくても、うんとは言ってくれなかった。 私は寂しかったけど、悲しくはなかった。 だって、私は碇君のことを、よく知っているから。 碇君は、一度はわがままを聞いてくれても、二度は聞いてくれない。 でも、悪いのは私。 碇君は悪くない。 私はそれよりも、碇君がこうして私の唇にキスしてくれたことの方がうれしか った。 「今日はなにかおいしいものを作ろうね、綾波。」 碇君が気分を変えるように私に言ってくれる。 「うん!!碇君!!」 私もそんな碇君の気持ちを感じて、明るく返事をしてみた。 もしかしたら、二人きりでなくても、明るく出来るかもしれない。 碇君はいつも私にやさしくしてくれるし、私のためにおいしいものも作ってく れる。 碇君は、いつも私の碇君のままなのだ。 だから私も、いつもの私でいよう。 そして、碇君の前ではいつも微笑んでいられるようにしよう。 でも・・・・もしまたこういう機会があったら、その時はほんのちょっとだけ、 いつもより微笑んじゃうかもしれないな。 やっぱり碇君と二人きりって、うれしいことだから・・・・・

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