私の側に、碇君がいてくれる。
それだけでも十分うれしいことなのに、
今は更に、碇君と私以外、他には誰もいない。
だから、碇君は私だけを見てくれる。
そして私は、碇君だけを見ていられる。
これは今日だけの事。
私はそれがよくわかっていた。
でも、私は・・・・これが永遠に続く事を、願わずにはいられなかった・・・・



かくしEVAルーム半周年記念短期集中連載

『二人だけの休日』中編

「そろそろお昼だね。」 碇君が時計を見て、私に言う。 「そうね、碇君。」 私は微笑みながら、碇君に応えた。 普通の人から見れば、大した事じゃないのかもしれないけれど、私にとって、 こういう自然の会話は碇君と一緒に住むようになった今でも、とても珍しいも のだった。だから私は、何だかいつもとは比べ物にならないくらい、何度も微 笑みを浮かべていた。 でも、それは私が変わったからじゃない。 私は碇君に言葉をかけられれば、いつでも微笑みを以ってそれに応えた。 だから、私がたくさん微笑みを浮かべているって言う事は、それだけ碇君が、 いつもよりずっとたくさん私に話し掛けてくれるという事。 私はその事実に改めて気付くと、碇君を独占している気分が味わえて、うれし さが更にこみ上げて来た。 私がにこにこしていると、碇君はちょっと不思議に思ったのか、私に尋ねてき た。 「どうしたの、綾波?何だかにこにこしちゃって・・・・」 すると私は、さっきよりもっとうれしそうな顔をして、碇君に答えた。 「うれしいの!!こうして碇君と二人きりでいる事が!!」 「そ、そう・・・・綾波がなんだか喜んでくれて、僕もうれしいよ・・・」 「ありがと、碇君!!」 私の声は、何だかはしゃいでいた。 いつもの私よりも、今日の私は大きくて明るい声を出していた。 そして私は、碇君がそんな私を見て、喜びを感じてくれている事を知って、に こにこするのをやめられなくなってしまった。 きっと今日は一日、こんな顔をしてるんだろうな。 私はそう、心の中で思った。 「で、お昼ご飯、どうする?」 そんな私に、碇君は尋ねてきた。 「碇君は何がいい?私は碇君の好きなものがいいから。」 私はいつものように、素直な気持ちを碇君にぶつけた。 でも、いつもとは違って、やっぱり声は明るいものだった。 「だから・・・そういうのは駄目だっていったろう?綾波も、自分の主張をも っと出さなくちゃ・・・・」 今日何をするかっていう話をした時と同じように、碇君に注意された。 「ごめんなさい・・・・」 私は反省して謝ったけれど、心の奥底では、たとえ注意であっても、碇君に気 にしてもらい、声をかけられているということ自体に喜びを感じている自分が いた。 私の謝る声に、もしかしたらそういう感情が出てしまっていたかもしれないけ れど、碇君はそれに気付いた様子も無く私にこう言った。 「とにかく、綾波も考えて。そうだ、話をするって言うのは僕が考えた事だか ら、今度は綾波の決めたものにしよう。どう、それで?」 「私が・・・・決めたもの?」 「そうだよ。綾波自身が決めたもの。僕が今何を食べたいとか、何を作ってみ たいとか、そういうヒントは一切なし。綾波の頭の中から出てくるものだけで 決めるんだよ。」 碇君は私に微笑みかけながら、そう言ってくれた。 でも、碇君の微笑みとは裏腹に、私にとっては難しい注文だった。 私は今までずっと、命令に従う事に慣らされていたし、それが終わっても、私 の中に命令の代わりに碇君という存在が出来て、私は碇君が好きな事、喜んで くれるものばかりを考えていた。だから、私には自分の嗜好というものが乏し く、私の選択は人に影響されるものが大であった。 「・・・・・」 私が考え込んでしまうと、碇君はじっと私を見守っていてくれた。 そして、私を急かすことなく、私が自分自身の手で答えを導き出すまで、黙っ て私を見つめたまま待っていてくれた。 私はそんな碇君の、私を思いやってくれるやさしい心に触れて、碇君の期待に 応えなくちゃ、という想いが自分の中で膨らんできた。そして、そんな想いが、 私に力を貸してくれた。私の記憶から浮かび上がってきたひとつのもの、私は それを、碇君に告げた。 「ホットケーキ・・・・がいい。」 「ホットケーキ?」 「うん。碇君が前に、私に作ってくれたのと同じ、甘くてやわらかいホットケ ーキ。」 私の中の、ホットケーキの記憶。 それは、疎外感を感じると共に、碇君のやさしさを感じた記憶だった。 今日みたいな天気のいい日曜日のお昼。 葛城先生の提案で、お昼ご飯はお好み焼きをみんなでする事になった。 でも、肉も魚介類も食べられない私には、寂しいものだった。碇君は私だけの ために、私が食べられないものを除いたお好み焼きを別に作ってくれた。 私はそんな碇君の心遣いをうれしく受け止めたんだけど、やっぱり入ってて当 然のものが入っていない料理は、おいしいものになるはずがなかった。 私は碇君の好意を無にしないためにも、そんなことは顔に出さないようにして いた。でも、いつのまにかそれが出てしまっていたのか、それとも碇君が自分 自身で気付いた事なのかわからなかったけど、碇君は何も言わずに、私のため に一枚だけホットケーキを焼いてくれた。 私はうれしかった。そして、その一枚だけのホットケーキが、とってもおいし く感じた。それは碇君の心のように、あまくて、あったかかった・・・・・ あの人も、私と同じホットケーキを碇君に求めたけど、碇君は作らなかった。 それが碇君の私に対する想いだった。私だけに作る事によって、私の感じた疎 外感をなくすように・・・・ 私はそれを感じると、更にうれしくなった。 そして私は、その一枚だけのホットケーキを大事に大事に、少しずつ食べたの だった・・・・ 私の記憶と同じものは、碇君の記憶にも残っていた。 はじめは驚いた碇君も、すぐに私の考えた事に気がついて、こう答えてくれた。 「わかったよ、綾波。じゃあ、ホットプレートを出して、二人でホットケーキ を作ろう。」 「うん!!」 こうして、私と碇君は、ホットケーキを作る事になった。 碇君がボウルに粉を入れて、牛乳を加える。 私がそのボウルを受け取って、丁寧に粉を混ぜていく。 その間に、碇君はホットプレートを用意し、食器や蜂蜜、バターなどを手際よ くテーブルに配置した。 私は手を動かしながらも、そんな碇君の様子をじっと見つめていた。 碇君も時々そんな私の視線に応えたり、私の仕事の様子を確認するために、側 に来て固さを調整してくれた。 私の動作も、碇君の動作も、本当に自然だった。 無駄な動きなどひとつもなくて、碇君と私の息が、ぴったりと合っている事を 感じた。私はそれを感じると、またうれしくなってきて、いつのまにか笑みが こぼれていた。 「準備はこれでいいね?」 テーブルについた碇君が、私に確認を取る。 もちろん私には問題など何もなかったので、大きくうなずいて答えた。 「うん、碇君。」 「じゃあ、はじめるよ・・・・」 碇君はそう言うと、ボウルを手に取ってホットケーキの素を熱くなったホット プレートに流し込んだ。 取り敢えず碇君は、二つ分流し込むと、ボウルをテーブルの上に戻した。 さっきのソファーの時とは違って、碇君は私の正面に座っていた。 ほんとなら、今度も碇君には私の隣に座って欲しかったんだけど、あんまり碇 君を困らせて嫌われたくないので、こうした方がやりやすいという碇君の意見 をそのまま受け入れた。 でも、残念なんだけど、私にはもうひとつ、それを埋めるに十分なうれしいこ とがあった。それは、碇君の手元にはボウルが、そして私の手元には・・・・ フライ返しがあったこと。 つまり、碇君と私が協力しないと、ホットケーキは作る事が出来ない。 そして、碇君は私を信頼して、ホットケーキをひっくり返すという大事な役目 を任せてくれた。私はその事がうれしくて、ホットケーキをひっくり返すのが 待ち遠しくて、しっかりと両手にフライ返しを握り締めていた。 ホットケーキの表面に、ぽつぽつと泡が出てくる。 碇君はそれを見て、私に言った。 「綾波、そろそろひっくり返してみて。」 「うん。任せて、碇君。」 私はそう碇君に応えると、もうひとつと比べてほんの少しだけ大きい方、碇君 にあげる方に、フライ返しを持つ手を伸ばした。 別に私はフライ返しでものをひっくり返すのははじめてじゃなかったけど、何 だかこの時は緊張してしまっていた。 「慎重にね・・・・」 碇君がそんな私を励ますように、声をかけてくれた。 この時の私は、碇君の顔を見ている余裕はなかったけど、私を思いやってくれ る碇君のやさしい表情は、私の頭の中に鮮明に浮かび上がってきて、私を元気 付けていてくれた。 「えい。」 私は掛け声を掛けると、勢いよくホットケーキをひっくり返す。 もちろん結果はうまく行った。 「きれいに出来たね、綾波。」 「うん!!」 「じゃあ、もう一枚の方も・・・・」 こうして喜ぶ暇も無く、私は自分の分のホットケーキもひっくり返した。 自分の分になると、碇君の時とは違って、失敗しても構わなかったので、私は さっきとは打って変わってあっけなくひっくり返せた。 そして、そのままフライ返しでぱたぱたとホットケーキを押し付ける。 碇君は私がホットケーキに集中しているのを見ると、いつでも使えるようにバ ターと蜂蜜の蓋を開けた。 少しして、もう一度二枚ともひっくり返す。 ホットケーキは、きれいな小麦色に焼けていた。 「碇君、このくらいでもういい?」 私は碇君に確認を取る。 「うん。もう十分お皿に取ってもいいね。」 「じゃあ碇君、お皿を貸して。」 私がそう言うと、碇君は自分の手元にあったお皿を私に差し出した。 私はそのままそのお皿にホットケーキを載せてもよかったんだろうけど、そう しないで自分の手でお皿を受け取ると、碇君のホットケーキを載せた。 そして、碇君のお皿を手に持ったまま、自分のホットケーキもテーブルの上に 置いてある自分のお皿に載せた。 「綾波、ありがとう。」 「うん。」 「で、僕のお皿なんだけど・・・・」 碇君が何を言いたいのか、私にはわかっていた。 でも、私はそんな碇君にこう言ったのだ。 「碇君のホットケーキには、私がバターと蜂蜜を塗ってあげる。」 「そ、そう?」 碇君はちょっとびっくりしたみたいだけど、私がどうしてお皿を渡そうとしな かったのか、ようやくわかったようだ。 「うん。だから、碇君はちょっと待ってて。」 「う、うん。ありがとう、綾波。」 碇君がそう言ったので、私は碇君のホットケーキにバターを塗りはじめた。 碇君はする事が無くなって手持ち無沙汰になったのか、ティーカップを手に取 ると、紅茶をすすっている。私はそんな碇君の様子を横目で確認しながら、丁 寧に手早く蜂蜜も塗った。 「はい、碇君。食べてみて。」 私は全部塗り終わると、碇君に向かってお皿を差し出した。 「ありがとう、綾波。」 碇君はそう言って、私の手からお皿を受け取った。そして、フォークとナイフ を使ってホットケーキを切ると、口の中に運んだ。 「どう、碇君?」 「おいしいよ、とっても。」 「よかった、碇君がそう言ってくれて・・・・」 「綾波も食べなよ。って、綾波はまだ自分の分に蜂蜜を塗ってなかったんだね。 じゃあ、今度は僕が、綾波の分に塗ってあげるから。」 「え・・・?」 「遠慮しないで。さあ。」 碇君は、私の方に手を差し出している。 私は碇君のに塗ってあげる事しか考えてなかったけど、まさか碇君が私のため に塗ってくれるなんて・・・ 私は驚きながらも、碇君に向かって自分のお皿を差し出していた。 「お願いします。」 私が碇君にそう言うと、碇君は黙ってそれを受け取った。微笑みと共に・・・ 私と碇君の立場は、さっきと全くの反対になった。 私もする事がなくなって、手持ち無沙汰になったので、別にのどが渇いてた訳 じゃないけど、碇君を真似してティーカップを手に取り、口を近づけた。が・・・ 「あ・・・・」 紅茶の香りが、いつもの紅茶とは違っていたので、私は思わず声をあげた。 すると碇君が、そんな私に向かって手を動かしながら教えてくれる。 「アップルティーだよ。いい香りでしょ?」 「うん・・・・」 私は、鼻をアップルティーの香りに、耳を碇君の言葉に委ねて、それを味わっ た。 「綾波がここに来てからは一度も飲んだ事なかったかも知れないけど、うちに はいろんなものがあるんだよ。」 「・・・・おいしい・・・・」 「気に入った、綾波は?」 「うん・・・・」 「確かにさっきのジャスミンティーもおいしいけど、こっちの方が飲みやすい かもね?あっちは一種独特だから・・・・」 「うん・・・・」 私は何だか、このアップルティーが気に入ってしまって、碇君の言葉にも満足 に返事が出来なかった。 しかし、碇君はそんな私に文句ひとつ言わずに、蜂蜜を塗り終えた私のホット ケーキを差し出してくれた。 「はい、綾波。一緒に食べるともっとおいしいよ。」 「ありがとう、碇君・・・・」 私は碇君の手からお皿を受け取ると、早速ホットケーキをひとくち食べてみた。 「どう、綾波?」 「・・・・甘くておいしい・・・・」 「よかった。前に作ったのと、同じ味かな?」 碇君はさりげなく、以前の話を持ち出して来た。 そして私はそんな碇君に向かって答える。 「ううん、同じじゃない。前よりも、ずっとおいしい気がする。」 「そう・・・・じゃあ、それはアップルティーのおかげかな?」 「・・・そうかもしれない。どうして碇君は、今日私にいろんなお茶を出して くれたの?」 私は少し疑問に思って、そっと碇君に尋ねてみた。 すると碇君は、私に向かってこう答える。 「いつもおんなじじゃ、つまんないだろう?だから、時々こうして、珍しいも のを飲んでみるんだよ。」 「・・・でも、あの人がいる時でもよかったはずなのに・・・・」 私がそう言うと、碇君は軽く笑みを浮かべながら私に答えてくれた。 「綾波には、いつもおいしいお茶をいれてもらってるからね。だから、今日は ちょっとその恩返しがしたくなったんだよ。偶然ジャスミンティーも買ってき た事だしね。」 「そうだったんだ・・・・ありがとう、碇君。」 「いや、こちらこそ。いつもおいしいお茶をありがとう、綾波。」 「・・・・これからも、おいしいお茶、碇君にいれてあげるから・・・・」 私は碇君に言った。 すると碇君は、黙って私に微笑んでくれた。 そして、ティーカップを手に取ると、アップルティーを楽しんだ。 私もそんな碇君を見て、同じようにティーカップを手にする。 私は碇君を見つめながら、アップルティーの甘酸っぱい香りに浸った。 すると碇君も、私の事を見てくれた。 そして、二人で微笑みを交わした。 二人の間に言葉はないけど、碇君と私は、同じものを感じている。 私は今まで以上に、碇君と通じ合っているような気がした。 幸せな甘い香りに包まれて、碇君と私はここにいる。 私はこの時、永遠に時が止まればいいと思った・・・・・

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