私立第三新東京中学校

第三百四話・子供から大人へ



「おはよう、みんな。」
「よっ、おはよう。」
「おはようございます・・・」
「・・・おはようさん。」

いつもの場所。
そして、いつもの時間。
メンバーは一人増えたけど、それはいいこと。

「ん、トウジ、元気ないね。」

誰よりも人一倍元気なトウジ。
しかし、今朝は一番寡黙な山岸さんよりも元気がなかった。

「昨日調子に乗りすぎたのよ、碇君。」
「やっぱり。」
「しゃあないやろ、いいんちょー。」

詳しく語らずともお互いに納得する僕と洞木さん。
だが、トウジは軽く頭に手をやりながらも減らず口を叩いた。

「何がしゃあないのよ、鈴原?」
「しゃあないもんはしゃあないんや。」
「答えになってないわよ、鈴原。」
「うるさいわ。男には酒を飲まなけりゃならん時っちゅうのもあるんや。」
「二十歳過ぎならそう言ってもいいけど、鈴原はまだ中学生じゃない。そんな
こと言う資格もないんじゃないの?」
「うっ・・・」
「ほらほら、だから自分の非を認めなさい。」
「・・・悔しいのう、シンジよ。自分の気持ち、ようやっとわかったで。」
「ははは・・・そう?」

なんだか、下手なことを言えない状況だ。
トウジが何を示唆しようとしているかは、僕だけでなく洞木さんも理解してい
る。
でも、それ以上に洞木さんは知っているはずだった。
どうして昨晩、トウジがお酒をあんなに飲んだのかを。
確かにトウジだけでなく、みんな昨日ははしゃぎすぎていた。
まあ、それはああいう席なんだし、そうなっても誰も責めたりしないと思う。
でも、僕は知っている。
綾波が僕達と一緒に戻ってきた後、トウジは誰よりも綾波のお酒を飲んでいた
ということに。

それは、綾波の気持ちを察するのと同時に、これ以上綾波に飲ませるのはよく
ないと言う気持ちがあったからだと思う。
そんな気遣いをされていた綾波はいまいちよくわかっていなかったようだが、
ずっとトウジの傍にいた洞木さんなら、容易に察することが出来ただろう。
洞木さんの目は、常にトウジに向けられていたのだから・・・・

「何言ってるのよ、鈴原。碇君は鈴原と違ってずーっと紳士的よ。」
「な、なんやて?わいは別に自分が紳士だなんてちーっとも思っとりゃせんが、
なんやいいんちょーの今の言い方、勘に障るで。」
「それはやっぱり鈴原が気にしてる証拠よ。コンプレックスでもあるの?」
「な、な・・・・」

洞木さんの言葉に、ただでさえ二日酔いのせいで悪くなっているトウジの顔色
が更に変化して行く。
トウジはあまり饒舌な方だとは言い難いけれど、それでも言葉を詰まらせるこ
となどは少なく、物事ははっきりと口にするタイプだ。
洞木さんはちょっとふざけるつもりだったんだろうけど、少し度が過ぎてしま
ったようで、トウジの反応を見たら更に言葉を畳み掛けることは出来なくなっ
ていた。
しかし、洞木さんも一度口に出してしまった以上、そう簡単に撤回することも
出来ない有り様だ。洞木さんは明らかに自分の放言を後悔しつつも、何も言え
ずに口を閉ざしながら、何とも言えない複雑な表情を僕達みんなの目の前に晒
していた。

「コンプレックス?あるに決まってんじゃない。」
「えっ!?」

こんな、何とも手を出しにくい雰囲気に敢えて乗り込んできたのは、やっぱり
と言うか、洞木さんの第一の親友たるアスカだった。
だが、時としてアスカのフォローは自爆することを知っている洞木さんは、如
何にも堂々と口を差し挟んできたアスカに向かって遠慮がちな声でこう言った。

「ア、アスカちょっと・・・」
「ヒカリは黙ってて。えーっと鈴原だって、第三新東京中学名物、三馬鹿の一
翼を担う、怪人ジャージ男、だって言うコンプレックスはあるわよ。」
「プッ!!怪人ジャージ男って・・・」
「わ、笑うなシンジっ!!それでもお前は男か!?」

アスカの表現に、思わず吹き出さずにはいられなかった。
トウジは流石に自分のことなので笑ってもいられなかったが、明らかに調子を
崩されたのは事実だった。
そしてそんな僕達の反応を確認したアスカは、改めて会話を続けた。

「だって、ただいっつもジャージを着てるってだけで、他二名の変人と同類に
扱われてんのよ。やっぱり気にしちゃうわよ。違う?」
「お、おぅ・・・」

トウジが予期していたアスカの言葉と、実際アスカが口にした言葉は、内容的
には全く正反対のものだったんだろう。
どっちかと言うと僕達の中でも犬猿の仲的なアスカとトウジなだけに、トウジ
もアスカに派手にこき下ろされると思って身構えても当然だ。
しかし、現実にはアスカは思いも寄らぬ方向性からトウジをフォローした訳で、
さしものトウジもいつものようにアスカに突っかかることも出来ずに、完全に
アスカのペースに乗せられてしまっていた。

「それにシンジが紳士だなんてとんでもない。こいつは単なるマイナス思考の
バカ。俯いて鬱々してるのを紳士と見間違えちゃ駄目よ、ヒカリ。」
「え、えっと・・・・」

トウジと同じく、洞木さんも返答に困る話をアスカに振られて、完全に困った
ような顔をしている。
僕のことが馬鹿にされるのを黙って見ていられない綾波が、横でかなり不愉快
な顔をしていたが、綾波もアスカの意図を汲み取っていたので、敢えて口を挟
まずに唇を噛み締めていた。

「鈴原なんて、わいは男の中の男や〜とか言ってバックに磯と波飛沫を求める
ような奴なんだから、シンジみたいな男の腐ったのみたいなのと一緒にされた
ら心外じゃない。だからほら、ヒカリも謝った謝った。」
「あ、う、うん・・・ごめん鈴原、あたし・・・」
「あ、いや・・・気にすんなや、いいんちょー。わいも悪かった。すまんな。」

いつのまにやらアスカ主導の元、二人の和解が為された。
アスカの有無を言わさぬ勢いに完全に押されていたトウジと洞木さんだったが、
二人とも考える時間を与えられればお互いに自分の非を認めることが出来る訳
で、無意味な不和状態がアスカによって解消されて、二人とも少しほっとした
表情をしていた。

そして、この一連のやり取りを見ていた山岸さんが誰に言うでもなくそっと呟
いた声が、割とすぐ傍にいた僕の耳に入ってきた。

「やっぱり惣流さんって凄い・・・・」
「だね、山岸さん。」
「あっ、碇君・・・今の、聞いてました?」

僕が相づちを打つと、山岸さんは驚いた顔をして僕の顔を見て訊ねる。
アスカ研究家の第一人者を勝手に自称する僕は、少し嬉しくなって笑顔で応え
てみせた。

「うん。そんな大きな声じゃなかったけど、近かったからね。」
「な、何だか恥ずかしいです・・・・」
「ごめんね、独り言を盗み聞きしちゃったみたいで。」
「あ、べ、別に碇君が悪い訳じゃ・・・」
「聞かれたくないことを耳に入れるだけなら不可抗力かもしれないけど、聞い
ちゃったことを知られるのはちょっとね。まあ、正直だ、って言って自分を慰
めることくらいは出来るかもしれないけど・・・」
「そんな・・・私は別に、気にしてませんから・・・」
「うんうん。まあ、僕もアスカを誉めるのは恥ずかしいことじゃないと思うよ。
やっぱりいつも傍で見てても、こういう時のアスカの手腕はほんとに見事の一
言に尽きるからね。」
「ええ・・・本当に。」

何となく、気まずくなりそうな僕と山岸さんだったけど、何とか路線変更して
普通に話が出来そうな状態に戻った。
まあ、これもアスカの教育の賜物、とでも言えるだろうか?
ともかく、以前の口下手な僕からしてみれば、別人のような成長ぶりだろう。
そもそも、アスカや綾波、ネルフや学校のみんなと出会うまで、僕は人とのコ
ミュニケーションを殆ど取らない少年だった。
しかし、そんな僕は荒波にも似た大人の世界にいきなり放り出され、独りで自
分の殻に閉じこもっていることなど出来なくさせられたのだ。
無論、いきなり訳のわからないロボットに乗せられ、今まで以上に自閉的な自
分でいようとしたというのも事実だ。
だが、それまでの僕がいた環境なら、そんな僕をそっとしておいてくれたのに、
この第三新東京市のみんなはそうじゃなかった。
自分の殻に閉じこもっていた僕を、路傍の石の如く無視して行くのではなく、
僕の殻を、そしてその中身を、触れようと理解しようとしてくれた。
初めはそれを鬱陶しく感じたこともあったけど、今はそうじゃない。
僕はみんなを、本当に嬉しく思っている。
僕を、そして世界を取り巻く全てのみんなを・・・


「以前はともかく、今のアスカは口は悪くてもちゃんとそれを理解してるから
ね。自分が人にどういう風に見られてるかをちゃんと考え、それを上手く活か
してる。なかなか普通に出来ることじゃないよ。」
「大人・・・って言うんでしょうか?惣流さんは既に外国で大学も卒業してる
って言う話ですし・・・」
「まあ、それは本当だけど・・・学力とはまた別のものだよ。」
「ええ、わかってます。でも、大学で学ぶと言うことは、大人の世界で学ぶ、
即ち大人の社会で生活すると言うことだと思うんです。私達はまだ義務教育で
すから、大人に保護された子供の社会しか知りませんからね。」
「なるほど・・・確かに山岸さんの言う通りかもしれないね。あんまりアスカ
は昔のことを聞かれるのは好きじゃないみたいだから、僕もその辺は良く知ら
ないけど・・・」

僕は山岸さんの言葉に納得しながら、かなり興味深くその話を聞いていた。
そもそも、情けない話だけれど、僕が大人と子供の違いと言うものを認識出来
るのは、金銭的なものや知識的なもの、それから肉体的なものだ。
しかし、山岸さんはそれらとは全く別の意味で、アスカの大人っぽさを語ろう
としている。そして僕も改めて考えてみるとまさにその通りで、僕とアスカの
違いの根本的な部分はここにあるのではないだろうかとさえ思えてしまうのだ
った。

「それは多分、惣流さんが大人だからだと思います。」
「どういうこと?」
「つまり、大人って童心に憧れを感じるじゃないですか。大人の世界を知って
しまうと、そこが如何にも無味乾燥で面白くもなんともないでしょうから。惣
流さんも今の自分の生活に充実を感じているんでしょう。だからこそ、つまら
ない過去を語っても面白くないと感じるんでしょうね。」

山岸さんはそう言うと、僕に向かってにこっと微笑んでくれた。
しかし、山岸さんのその微笑みは、大人の世界とは対極に位置する子供の微笑
みなのだろうか?

中学三年生は微妙な年頃とよく言われる。
所謂、大人と子供の中間と言う奴だ。
実際、肉体的には子供を産むことが出来、窮極的な見地に立てばもう大人だと
も言える。
しかし、今さっき山岸さんが言ったように、僕達が置かれているのはあくまで
子供の世界でしかなくて・・・

アスカは山岸さんと違って、大人の世界を知っている。
そしてチルドレンたる僕と綾波も、言わばエヴァを通じて大人の世界を垣間見
ていると言えよう。
更にまた、委員会の道具として生を受けた渚さんも・・・

山岸さんは知らないが、アスカが過去を語りたがらない理由、僕にはなんとな
くわかる。だからと言っていちいち山岸さんに説明したりはしないけど、大人
と子供の違いと言う点では、山岸さんの話は大いに考えさせられるところがあ
った。

子供の顔をして、大人の言葉を告げる。
反対に身体は大人なのに、やっていることは子供のままだったりもする。
それは不安定だと見る人も多いかもしれない。
でも、だからこそ面白い。
大人には大人の、そして子供には子供のいい面悪い面がある。
だから、大人の悪い面と子供の悪い面を併せ持つ人がいるかもしれないけど、
反対に大人と子供、双方のいい面を併せ持つことだって出来るだろう。

つまり、僕達は今、可能性の時代にいる。
今、何を考え何をするかで、これから完全な大人へとなる僕達の大人の形が形
成されると考えられるだろう。
子供から大人へ、卵から鶏になる過程の中で僕達は・・・・

アスカはそれを、きちんと示している。
そして綾波もまた。
トウジやケンスケ、洞木さんも、それぞれの信念を貫き、自分らしい大人へと
成長を続けている。
そんなみんなの中で、この僕はどうなんだろうか?
それを思うと、少しだけ、心が重くなった。

「やっぱり子供は・・・・」
「何ですか?」
「子供は、いつの日か大人にならなくちゃ駄目なのかな?」

僕は何となく、心のままに目の前の山岸さんにそう訊ねる。
山岸さんも、僕の口調が変わったことに気付いたのだろう。僅かに瞳を大きく
見開いたものの、すぐに普通に戻ってこう答えた。

「私は・・・大人と子供の明確な線引きなんてないと思います。ただ、自分が
かつての自分を振り返ってみて、そして初めて自分が子供でない存在、大人で
あると言うことに気付くんだと思います。」
「そう・・・」
「ええ。それに、人が客観的に判断する場合もありますよね。例えば今の惣流
さんみたいに。」
「うん、そうだね、山岸さん。」
「だから・・・私も言っておきますね、碇君。」
「えっ、何を?」
「私も、大人だと思ってますよ、碇君のこと。大人なのは何も、惣流さんだけ
じゃありませんから。」
「や、山岸さん・・・」

驚く僕。
そして山岸さんは、さっきと同じ微笑みを僕に向けていた。
でも、この僕が・・・大人?
山岸さんは一体何を見たらそう思えるんだろう?
しかし、そう思いつつも、今の山岸さんは絶対にお世辞や誤魔化しで言ったの
ではないと言うことくらい、僕には容易に察することが出来た。

山岸さんがレンズ越しに見た、今の僕、碇シンジ。
それは色眼鏡で見ているかもしれない。
でも、この山岸さんがそう見たのだと言う事実は変わらなかった。

そして僕はふと思う。
山岸さんが僕を見るこの瞳、真摯な瞳は、果たして子供のものなのだろうか、
それとも大人のものなのだろうかと言うことを・・・・


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