私立第三新東京中学校

第三百三話・真実



「・・・・つまんない。」

アスカがかわいく口を尖らせて言う。
ちょっと、綾波と長く話をし過ぎたようだ。
しかも「二人のルール」なんて、結果的に変なことになってしまって・・・
別にあらかじめ考えていた事ではないにしても、アスカにとっては僕の意図な
ど関係なかった。

「ご、ごめん、アスカ。ちょっと真剣な話してたもんだから・・・」
「ふーんっだ。真剣な話を慌ただしい朝の登校時間にして欲しくないわね。す
るならもっと暇な時にしたらどう?」

アスカの機嫌は直らない。
実際のところは登校時間と言えど早目に出てきていることもあって、時間的に
は割と余裕がある。まあ、僕達のことだから何事もなく学校に到着すると言う
保証など全くないので、こうして早めにマンションを出てくるのだ。
早くに到着しておきたいと言うのは僕の性格から来ているから、アスカも僕が
そこまで考えているとは思っていないだろうが、僕も何も考えていない訳じゃ
ない。
でもまあ、それは僕の自己弁護であり、別にアスカにそこまでの深読みを期待
したりはしない。だから、ちょっと苦笑いを浮かべながらアスカをなだめよう
とした。

「ごめんごめん、まあ、そうすることにするよ。ほら、アスカが言うように、
この景色をゆっくり楽しめたら、と思ってこうして早目に出てきてるんだしさ。」
「・・・ずるいわね、アンタ・・・・」
「うん。でも、この景色に勘弁してよ。」

僕は笑って言う。
アスカの機嫌は悪いけど、心が病んでいる訳じゃない。
だから、笑顔を持って接すれば、ちゃんと伝わるはずだった。

「勘弁・・・・はしないけど、貸しにしといたげるわ。」
「感謝感謝。そうだ、肩車でもしてあげようか?」
「ふざけないで。ったく、昨日の夜加持さんに何か言われたの?」
「あ、いや、そう言う訳じゃなく・・・ごめん、ちょっとはしゃぎ過ぎたみた
い。」

どうしてはしゃぐのか、自分にもよくわからない。
でも、僕らしくないと言うのは、まさしくその通りだったかもしれない。
まあ、何となくアスカの気持ちも穏やかになって、結果としてはいい。

「・・・私は、して欲しい。」
「レ、レイっ!!シンジはアンタになんてひとっことも言ってないわよ!!」

僕達の会話を聞いて、綾波がぼそっと呟く。
それをいち早く聞きとめたアスカがわずかに声を高めてこう言った。
しかし、綾波はそんなアスカの叱責に近い言葉にも全く動じることなく、いつ
ものように応えて言う。

「わかってるわ。私はアスカみたいに、何でも自分の都合のいいように考えた
りしないもの。」
「な、なんですって!?」
「私の言葉はただの願望。無理強いじゃないわ。」
「ア、アタシだってそうよ。」
「どうだか?」
「くくっ・・・むかつく女ね、アンタ。」
「誉め言葉と捉えておくわね、アスカ。」

綾波はそう言って、如何にもわざとらしくアスカにぺこりと頭を下げる。
流石にアスカもここまでされるとその低い沸点にあっさりと達して、今にも噛
み付きそうな形相で綾波を睨み付けた。
しかし、綾波もこんなアスカは毎日のように見ているから完全に慣れっこにな
ってしまって、涼しい顔をしてアスカの怒気を受け流していた。
こうして、日課とも言える、アスカと綾波の喧嘩が始まるのだ・・・・


「・・・大変だね、シンジ君も。」
「ほんっとにそうだよ。全く・・・」

やれやれと言った感で僕に声をかけてきたのは、このメンバーではもう唯一寡
黙と言ってもいい渚さんだった。
渚さんは僕達三人の軽口に加わるようなことはせずに、ずっとどこかを見てい
た。そんな渚さんの視線がどちらに向いていたかまでは流石に僕も確認してい
なかったが、彼女は彼女なりにこの状況を楽しんでいるようだと言うことは見
て取れた。それだからこそ僕も敢えて渚さんが会話に加わるように誘導したり
はしなかったのだが・・・少し話をしたいと思っていたのもまた事実だった。
実際、昨日の夜僕達の上に降りかかった様々なことの中でも、やっぱり渚さん
に関することが一番大きいように思えたからだ。

「僕もよく登校を共にさせてもらっていたけど、僕が顔を出すと矛先はこっち
に向いてきたりしたからね。実際、僕は君たちの敵だった訳だし・・・」
「うん・・・僕はずっと渚さんのこと、信じてきたけど、やっぱり敵だったん
だって知っちゃうと、ちょっと情けないかな。」
「どうしてだい?」
「いや、綾波やアスカの行動を押さえていたのはこの僕だし、今は渚さんも僕
達の味方だけど、あの時はそうじゃなかったんだから・・・僕は自分の間違い
を二人に押し付けてたって事になるよね。」

結果的には何事もなかったが、現実は僕の判断ミスと言うことになる。
判断と言うか・・・実際渚さんには疑う点が多々あったが、それ以上に渚さん
を信じたいと言う僕の私情の方が強かった、それだけのことだ。
でも、そのことでみんなを危険に晒してしまったことは事実。
あの昨日のスーパー前での出来事は、まだ僕の脳裏に焼き付いていた。

「確かに・・・それは否めない事実だね。」
「うん。だから、今こうして考えて見ると、謝っておいた方がいいかな?」
「二人にかい?」
「うん。」
「やめておいた方がいい・・・と、僕は思うな。」
「やっぱり?」
「ああ。さっきのレイのことがあるしね。方向性は違えども、余計なことにな
らないとも限らない。だろう?」
「僕もそう思うよ、渚さん。それに・・・・」

僕はそう言いかけてちらりと二人に視線を向ける。

「あんまり近寄りたいような雰囲気でもないしね。」
「全く。」
「だから、ちょっと僕の相手をしてくれると嬉しいな、渚さん。」
「こちらこそ・・・喜んで。」

渚さんが静かな笑みを浮かべて言う。
まるで、何もかもわかっている、と言うような表情だった。
それは如何にも渚さんらしかったけれど・・・僕は知っている。
渚さんは渚さんで、沢山のものを背負っているのだと言うことを。

「じゃあ・・・色々聞いて、いい?」
「言えることならね、喜んで答えさせていただくよ。」
「有り難う。なら・・・」

僕が言い出そうとすると、それを遮るようにして渚さんが言った。

「これからのことだろう、シンジ君?」
「う、うん・・・まあ、簡単に言えば。」
「言えることは少ないよ。それでもいいなら・・・・」

しかし、渚さんの表情はそう言いつつも固い。
渚さんの求めるこれからのことと、僕が知ろうとしているこれからのこととは、
明らかに大きな開きがあった。
渚さんもそれを悟っているからこそ、快く全てを語ると言うわけには行かない
のだろう。

そもそも、渚さんの生まれてきた今までの経緯というものは、やはり不幸の産
物でしか他ならない。それは委員会と、そしてリツコさんの邪な科学力によっ
て使徒の複製を作り上げようとした結果だった。
つまりは綾波が忌み嫌った「人形」ということで、僕達はそんな綾波が本当の
人間になれるようにどれだけ尽力したことか・・・・
だから、綾波と言う存在を知っているからこそ、僕は渚さんの気持ちがわかる。
やはり渚さんはこれから幸せに満ちた人生を送るべきだった。

「いや・・・やっぱりいいよ、渚さん。」
「どうしてだい?」
「それよりも、渚さんのこと、色々教えてよ。好きなものとか、趣味とか。」
「・・・意地の悪い事を言うね、シンジ君は。」

僕が話を逸らそうとしてそう訊ねると、渚さんは僅かに眉をひそめて僕に言っ
た。

「意地が悪い?」
「そうさ。今までの僕にプライベートなんてあったと思うかい?」
「あっ・・・」
「まあ、別にいいよ、シンジ君にも悪意があったわけじゃないだろうから。」
「ご、ごめん。じゃあ・・・渚さんの考え方とか。これならいいでしょ?」
「考え方ね・・・・」

何とか失態を切り抜けられた。
渚さんは僕の問いに僅かに考えるような様子を見せている。
実際、本当に誰かの操り人形だとしたら、自分の考えなど持たないだろう。
しかし、渚さんはそうではないと主張するかのように自分の考えを持つ。
自分で自分なりに考えて、そして自分の道を決めるということは、自分の人生
を歩もうと決意した渚さんにとっては、必要不可欠なことだったのだ。

「やっぱり難しいね。幅が広すぎるよ。」
「う、うん、そうだと思うけど・・・」
「でも、シンジ君の求めていることはわかるよ。やっぱり傍にいて、そしてこ
れから一緒に寝食を共にするのだから、お互いを理解しておきたいと思うのは
当然のことだと僕も思う。」
「まあ、言うなれば転校生に色々質問しまくるような心境かな?」
「なるほど、言い得て妙、だね。」
「だからまあ、渚さんもそんなに難しく考えないでよ。例えばこれからの決意
表明、みたいなものでもいいからさ。」

その時、僕はそんなに深く考えてそう言ったわけじゃなかった。
ただ何となく、自分の口からそう出てきて・・・ただそれだけだったんだ。
しかし、渚さんは僕の言葉をそのようには受け止めなかった。
決意、と言う言葉は渚さんには予想以上に重い言葉だったのだ。

「・・・わかったよ、シンジ君。」
「うん。」
「やっぱり君が心配してくれる気持ち、よくわかるよ。そしてまた、僕のこと
を気遣ってくれる優しさも。しかし、来るかどうかわからないものを無闇に恐
れるのは臆病者の為すことだが、来るとわかっているものに備えておくのは賢
者の為すことだ。」
「え、な、なぎ・・・」
「これからの生活を平凡な、しかし幸せなものにしたいという気持ち、この短
い期間の間に僕の中に芽生えてしまった。そして、それがごく自然な事だって
言うのもよくわかる。何故なら、今までの僕は異常な環境に置かれていたから。
でも、僕には力がある。僕だけにしか持ち得ない力が。それは綾波レイとは違
い、僕にとっては忌み嫌われるべきものじゃない。僕は自分の存在価値が力を
駆使することだと言うことを認識しているつもりだ。だからシンジ君・・・」
「な、何だい・・・?」

僕は、渚さんに圧倒されていた。
僕の何気ない一言が、渚さんに言葉の奔流を引き起こしてしまった。
しかし、もう止められない。
今、渚さんの言葉を遮ることは、渚さんの考え、渚さんの決意を否定すること
だった。
それは即ち、人間になろうとしている彼女自身をも否定すること。
だから、たとえそれが渚さんの幸せには繋がらないと思えたとしても、ともか
く僕には最後までそれを聞く責任があったのだ。

「これから間違いなく、シンジ君達の身に直接的な攻撃があることだろう。そ
してそれは最早、回避し得る段階ではない。僕の裏切りが、彼らの不安と焦り
を更に呼んだ。もう様々な手妻を弄している余裕はないんだよ。」
「う、うん・・・」
「僕は綾波レイに、そして自分自身に誓ったんだ、僕が君達を守るって。だか
ら僕の幸せなんて、それらが全て済んだ後でも構わない。」
「べ、別に幸せなんていらない、って言う訳じゃないんだよね・・・?」
「もちろん。僕は幸せになるつもりだよ、シンジ君。そして、みんなのことも
幸せにしたい。それが・・・人間ってものじゃないかな?」
「そうかもね。幸せに貪欲になるのも、悪いことじゃないよ。」

僕はそう言って、くすっと笑って見せた。
幸せに貪欲なこと。
アスカも綾波も、今では幸せに貪欲だ。
ただ、自分の利己心を考えるだけではなく、幸せになること。
そして、幸せの意味を自分に、周囲に問い始めているのだ。
僕もそれを傍で見ていて、少しずつ理解し始めている。

だから、幸せに貪欲なことは罪じゃない。
だって、人をそのせいで不幸にしても、それは幸せとは言えないから。
そして今渚さんが言ったように、幸せになろうと足掻き続けるのは人間の性だ
ろう。足掻いて足掻いて、そして幸せを見つけられずに今あるもので手を打っ
てしまうんだ。
でも、僕はまだ中学生だ。
人生に見切りをつけるには早すぎる。
いつもいつも夢を見続けて・・・そうあるべきだった。

「だから僕は、大切なものは後に取っておく主義なのかもしれないな。」
「だね。その気持ち、よくわかるよ。」
「ありがとう、シンジ君。じゃあ、僕のしたいことも・・・」
「駄目だって言っても、するんだろう、どうせ?」
「まあね。」
「ったく、どうして僕の周りには頑固なのばっかりが集まるんだろ?」
「それはね、中心にいる君、シンジ君が一番の頑固者だからだよ。」
「な、渚さん・・・」
「いい意味で、君が絶対に自分の信念を枉げないから、みんな君に惹かれるん
だと思うな、僕は。だから、君のその頑固さを、大切にし続けて欲しい。」
「な、何だかからかわれてるんだか何なんだか・・・」

僕はそう言って少しぼやいて見せた。
頑固だってのはよく冗談混じりにアスカとかに誉められたりはするけど、こう
して面と向かって、しかも渚さんに誉められるとは流石の僕も予想外だった。

でも、そんな渚さんが初めて見せる違った一面に、僕はほっと胸を撫で下ろし
ていたのも事実だった。
渚さんの話がこのまま自虐的にエスカレートしていくのは、僕にとってあまり
好ましいとは思えなかったからだ。
だが、そんな風に僕が油断した隙に、渚さんが表情を厳しく改めてこう言った。

「だから、僕はシンジ君の頑固も守りたい。力を持つ異能者なんて僕以外には
必要ないんだ。必要以上の力を持つことは、間違いなく破滅に繋がる。それは
当然のことなんだよ、シンジ君。だから僕は・・・全てを阻止しなければなら
ない。そう、委員会の野望も、君の父親、ゲンドウ氏の思惑も・・・」
「と、父さん・・・?」
「君はどうしてこのいがみ合う両者が直接対峙しようとしないのか、わかるか
い?」
「いや・・・」

いきなりそんなことを言われても無理な話だった。
それに僕は渚さんと違って、少しも事情に通じていない。
ただ、僕達が渦中に巻き込まれているだけで・・・

だが、渚さんも若干興奮しているようだった。
この僕達を取り巻く「謎」と言うものの一端にでも触れられれば・・・そんな
気持ちが、僕の中に沸き起こり始めていた。

「それは、大まかな意味では両者が求めるものは一致しているからだ。だから
こそ、かつての協力関係があったのだと言わざるを得ない。」
「・・・・」
「ゲンドウ氏の父親としての一面も彼の真実だろう。でも、油断しては行けな
い。彼は今でも、目的のためには手段を選ばぬ男だということを・・・・」

・・・もう、何も言えなかった。
今ではもう、謎なんてどうでもいいとさえ感じる。
父さんとアスカとのほのぼのしたやり取り。
でも、それは父さんがいい父親に変わったのではなく、それもまた父さんの一
部であって、特別に感じたのは僕が今まで見たことがないというだけだったの
だ。

だから僕は・・・まだ父さんを恐れ続けなければならないのだろうか?
そんなの信じたくない。
ようやく少しずつだけれど、親子の関係を取り戻せそうだったのに。
でもでも・・・今の渚さんの言葉は、悔しいけれど真実を告げているように思
えてならなかった。
やはり碇ゲンドウは、今でも碇ゲンドウのままなのだと・・・


続きを読む

戻る