私立第三新東京中学校

第三百一話・大人のかわいさ



「たまにはいいな、こういうのも・・・」

誰に言うでもなく、冬月校長がそう呟いた。
それはただ、今感じているものをただ口に出しただけだったが、自分の発言を
考えてみて、冬月校長は隣に座る父さんに言った。

「お前らしくもないとはずっと思っていたが、毎朝きちんと朝食を子供達と一
緒に摂ると言うのは、これが理由なのか、碇?」
「・・・食事中は黙っていたらどうだ、冬月。」

冬月校長は半ば父さんをからかいたかったのかもしれない。
しかし、当の父さんもそれを感じていたのかどうか、ともかくいつもと同じく
むっつりと応えた。
通常、僕とかだとこの返事で完全に諦めてしまうのだろうが、流石は父さんと
も付き合いの長い冬月校長、全く気にもせずにこう切り返した。

「それはアスカ君の受け売りか、碇?」
「・・・・」
「まあ、流石のお前もアスカ君には敵わないと言うことか。シンジ君も然り、
まさに似た者親子だな。」

それは完全に父さんをからかう発言だった。
しかし、実際のところ、その辺の話と言うのはみんなの興味をひくものでもあ
った。僕や綾波ならかなり人に遠慮する方だし、そんな生活に慣れ切っている
ところがある。
でも、相手がアスカとなると全く別物で、かたやわがまま大王、そして迎え撃
つは巌の如き父さんだ。この二人を組み合わせたら・・・僕や綾波は見慣れて
いるものの、他のみんなは全く知らないと言ってもいい。
無論、父さんが自分からプライベートについて語るはずもなく、結局のところ
は誰も知らないのだ。
そしてそれを鑑みてちょっと茶目っ気を出したのかどうか、あの父さんが冬月
校長の言葉に対してこう答えた。

「・・・アスカ君はいい子だからな。私も色々教えられている。」
「そうそう、アタシってちゃーんといい娘してるんだから。ねーおじさまっ!!」
「ああ、そうだな。」

父さんの発言にアスカが調子に乗って続ける。
そう、何故か父さんとアスカは意外にも仲良くやっているのだ。
僕からすると驚異に他ならないのだが、やっぱり冬月校長が言った通り、父さ
んも僕に似てアスカにだけは頭が上がらないのだろう。
そう思うとしっくり来るし、アスカに何か言われている時の父さんは、どう見
てもただの寡黙な父親でしかなかった。
僕はそんな父さんの一端が垣間見えて嬉しく思っていたが、その反面、寂しく
も感じていた。何故なら、それは僕に対してでなく、アスカに対しての姿なの
だから・・・

「でしょう?ほら、シンジ、今のおじさまの発言聞いた?アタシのこと、いい
娘だって。」
「う、うん・・・・」
「これも花嫁修業の賜物かしら?やっぱり義父に好かれるお嫁さんっていうの
も重要な点よね。」
「た、確かに・・・嫌われるよりいいよ、うん。」

何だかここまでアスカに自慢げに言われると僕も困ってしまう。
父さんに対するアスカの態度を疑いたくはないが、明らかにそれを演じている
アスカがいる事実は認めなければならない。
そしてそうやっているうちは、絶対に父さんもアスカが演じる「いい息子の嫁」
に対しての「いい義父」の顔しか見せないのも事実だ。
僕はここに来てから、極力父さんに対して演技を見せるのを避けていた。
やっぱり色々あったけど自分の父親なんだし、それに対して本当の自分を見せ
ないのは嫌だったからだ。

でも、それは僕の立場での話。
アスカの視点で見るとなると話はまた別だ。
だから、僕はアスカのしていることを咎めないし、却って嬉しく思ったりもす
る。やっぱり重い父さんの口を開かせるのは唯一アスカにしか出来ないことだ
ったし、周りで見ていても楽しかった。
明るさと言うのは朝食に限らず、食卓においては必要不可欠なもので、どっち
かと言うと陰にこもる僕や綾波にはなかなか生み出せない空気だ。
だからこそ、僕達にはアスカが欠かせない。
アスカがいなければきっと、この家庭はすぐに崩壊していたことだろう。

そんな考えて見るだに複雑な要素の多すぎる僕達だからこその僕の微妙な答え
だったけれど、そこまでは理解してもらえずに、アスカは不機嫌そうな顔をし
て僕に言った。

「なによ、それ?アンタ、ひょっとして妬んでる?」
「・・・そんなことない。」
「もう、無理しちゃって。アタシみたいに健全な親子関係を求めちゃってる癖
してさ。ったく、気取らないでいればいいのに・・・」

あんまり、この話には触れられたくない。
アスカには悪いけど、父さんと僕の関係にだけは口を挟んで欲しくはなかった。
僕は自分のことをアスカに色々話してはいるけれど、僕もあまり話していて楽
しい話題じゃないだけに、懇願されてやっと口に出すくらいだ。
だから、言ってしまえばアスカはあまりこの問題を理解していない。
僕、と言うよりも、アスカは知らないのだ、この父さんのことを・・・

「・・・やめてよ、アスカ。頼むからさ。」

そしてこれが、僕の出来る最大限の譲歩。
アスカは怒るかもしれないと思いつつも、これだけは譲れなかった。
だから「頼む」と言う以上の表現は僕には出来そうもなかった。
そして案の定、僕のそんなまるで逃げるような発言に食い下がってきた。

「ったく、今更何!?アタシもちょっと言い過ぎたかもしれないけど、それに
対する答えがこれ!?馬鹿にするんじゃないわよ!!」
「・・・・」

もっともだ。
だから、僕もアスカが怒るだろうと思っていたんだ。
二日酔いから来る頭痛も忘れて、アスカは朝から甲高い声をリビング中に響き
渡らせている。

明らかに非はアスカでなく僕にあった。
それがわかっているだけに、僕はアスカに対して弁解のしようもなく、ただう
つむいている。
僕としてもこんな態度を採るのは久し振りのような気がして、少しだけ驚きも
していた。
実際、僕は自分でも変わったと思っていた。
何事に対しても逃げないと心に誓い、常に実践していたと思う。
だからこそ、父さんからの逃げを認めず、僕はミサトさんのマンションからわ
ざわざここに引っ越してきたのだ。

そしてここに来てから数ヶ月、波乱はあれど概ね前進していた。
みんなが集まり、みんなで幸せになろうと望む。
僕にとってはまさに今が絶頂期だったのかもしれなかった。

しかし、今、ここで問題が露呈される。
僕達の平安はアスカの明るさと演技が作り出していたものであって、僕自身が
築き上げて来たものではないと言うことに。
人が与えてくれた幸せなんて、所詮は借り物にしか過ぎない。
だから、いつかあっけなく僕の手の平から滑り落ちていく。
そう、まるで今のように・・・・


「シンジっ!!」

アスカが僕を叱る。
アスカは僕が逃げたこと以上に、黙っていることが許せないのだ。
何か意見があれば言えばいい。
そして意見がないと言うのは、更に罪の上塗りをしているのと同じことだった。

僕もアスカの言いたい事がよくわかった。
だからこそ、何も言えなかった。
言っても言わなくても、僕は自分の卑怯さを浮き彫りにしているだけのような
気がしていた。
しかし、そんな時綾波が間に入る。

「アスカ・・・」
「何よ、意味なくシンジをかばう気!?そういうのを世間では甘やかすって言
うのよ!!」
「違うわ、アスカ。碇君だってわかってるから・・・」
「わかってるわよ、そんなことくらい!!だからアタシは一層・・・」
「アスカ。」

激昂するアスカ。
最早綾波の言葉も考えられないくらいなのかもしれない。
しかし、綾波は根気強くアスカの腕に片手を乗せて押さえた。
すると一度は止まらなかったアスカだが、二度目ともなると流石に違った。
綾波の呼びかけに、言葉以上の重みを感じたのだ。

「・・・何よ、レイ?」
「碇君を責めないで。反省している人間を責めても何の解決にもならないわ。」
「・・・アンタの言うこともわかるわよ、レイ。でもね、ちゃんと言ってやら
ないとわかってくれない事だってあるの。シンジだから、アタシ達の大好きな
シンジだから、強く言わなくても大丈夫だろうなんてのは、明らかに色恋に目
が曇ってる人間の考えそうなことよ。だから、アタシは自分だけでなくアンタ
にもそうなって欲しくない訳。わかるでしょ、レイ?」

アスカは僕だけでなく綾波をも教え諭す。
横で聞いていても、アスカの言葉には妙な説得力があった。
しかし、それは理屈。
アスカみたいな、本当に強い人間、僕が憧れるような人間だけが言える理想の
言葉だった。
そして一方の綾波は人間はそんなに強くはなれないと言うことを理解している。
だからこそ、僕をかばってくれているのだ。
一気に進めないならゆっくりでもいい、と・・・

強さの形の違い。
アスカも綾波も、それぞれ異なる強さを持っていた。
そしてきっと、二人に言わせるならば、この僕も強いと言うことなのだろう。
しかし、そのベクトルが違う以上、明らかに相容れない部分が生じてくる。
言うならば、今がその状態だった。

そしてそんな時、僕はどうしたらいいんだろう?
場違いにも二人が言い合っている間、僕はそんなことを考えていた。
だが、そんな僕の思考を激しく掻き乱す言葉が、思わぬ方向から発せられた。

「・・・お前も男なら、もっとしっかりしたらどうだ、シンジ?」
「と、父さん・・・」

それは、父さんの言葉だった。
そしてその事実に唖然とする僕に更にこう告げる。

「女は愛らしければいい。そう、例えばアスカ君のようにな。そして男は・・・
愛らしくなれないのだったら、他に何かあるだろう?」
「そうそう、おじさまの言う通りよ。ったく、シンジったら・・・」
「ちなみに私は男の子よりも女の子が欲しかった。それだけだ。」

父さんはそれだけ言うと、おもむろに脇にあった新聞を手に取り、まるで顔を
隠すかのように広げて読み始めた。
そして父さんの言葉を反芻している僕をよそに、アスカがそんな父さんをたし
なめて言う。

「もう、食事中に新聞読むのは厳禁だってあれほど言ったでしょう、おじさまっ!!」
「・・・少しだけだ。」
「少しもいっぱいも駄目なんですっ!!」
「・・・・」

父さんはアスカの注意に若干の抵抗の色を見せたものの、重ねて咎められると
あっさりと黙って新聞をまた元のところに戻した。
これはうちでは毎朝のように繰り返されている儀式。
父さんがアスカの隙を見ては新聞を広げ、アスカはそれに気付いては父さんが
やめるまで大きな声を出し続ける。
こうして、毎朝の食卓は賑やかなものへとなっていたのだった。

そして・・・・

「・・・どうしたらいいと思う、綾波?」

取り残された僕。
そして綾波。
僕は綾波に向かって情けない声でそう訊ねた。
すると綾波は僕に答えて言う。

「別に・・・早く食べて片付けましょう。どうせ私達の仕事なんだから・・・」
「だね。全く、後のことを考えない人達は困るよ。」
「そうね、碇君。」

こうして、結局は問題はうやむやになってしまった。
でも、あの時の父さんの言葉・・・もしかしたら、あんなことを言われたのは
初めてかもしれない。
僕は半ば感動しつつ、胸の中でそれをしっかりと噛み締めた。
さっきみたいな言葉があれば、僕も何とかなるかもしれない、と・・・・

一方、黙って聞いていたリツコさんがそっと隣に座るこれまただんまりの渚さ
んに言う。

「だから、私は言ったのよ。あの人をかわいいって。」
「・・・よくわかりません。」
「わからなくていいのよ、カヲル。これは・・・そう、子供にはわからない、
大人のかわいさなんだから・・・・」

そう言って、リツコさんはわずかに微笑んで見せた。
そしてそんな発言を聞かされた渚さんはと言うと・・・理解出来ずに肯定も否
定もしかねているのか、整った眉をわずかにひそめて、その心情を表していた
のだった・・・・


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