私立第三新東京中学校

第三百話・家族の不思議



「で、これはどういう趣向かね・・・?」

若干眉をひそめながら、冬月先生が僕に訊ねた。

酒に酔い潰れた他の面々は、加持さん達が責任を持って家に送り届けてくれる
と言ったけれど、その結果がどうなったのか、定かではない。
加持さんはミサトさんと飲むのに慣れているせいか、無理矢理の杯を上手くか
わす。そのためさほど酔ってなかったとは言え、アルコールが入っていたのは
明らかだった。
加持さん曰く、大昔にリツコさんに改造してもらった自動運転装置があるそう
だが、それもかなり怪しいものだ。
まあ、多分飲酒運転になるだろうが、僕は加持さんを信じていた。

ともかく、ここに暮らす者以外はいない。
そう、冬月校長以外は・・・・

「え、どういうって言われても・・・?」
「だから、私達が行かなかったからと言って、皆で大騒ぎして酒宴をしていた
と言うのかね?」
「そ、それは・・・」

冬月校長はここにいる。
仕事の話と称して父さんの部屋に来ることが多く、時折そのまま泊まって行っ
たりもする。その時はずっと顔を見せないことも多かったけれど、何故か朝食
だけは一緒に摂った。
それはやはり、父さんも朝食の時間を僕達と一緒に過ごすからなのだろうか?

「葛城先生はともかく赤木先生までがついていながら・・・」

冬月先生は呆れたような声でそう言うと、無関係の振りをして黙って味噌汁を
すすっているリツコさんを見た。
流石にリツコさんも自分の名前を出されては黙っている訳も行かず、ゆっくり
と椀を置いて冬月先生に答えた。

「校長先生、そんなことをおっしゃられては、葛城先生がどう思うことか・・・」
「葛城先生のことは関係ない。今は君の教師としての態度をだな・・・」
「私は教師である以前に一人の女ですわ。だから・・・時にはお酒を飲みたく
もなります。先生もわかっていただけるかとは思いますが・・・」
「君はいい、君は。だが、シンジ君やレイ君達はどうだ?」
「だから、昨晩は教師としての自分を忘れ、一人の女になっておりました。で
すから・・・」

流石はリツコさん。
知的に冬月先生のお小言をさらりとかわしてしまった。
僕はただ黙って感心していたが、傍らのアスカはそれを遠慮することなく口に
出した。

「やるわね、リツコも・・・」
「ええ、そうね。」

綾波もそんなアスカに応じる。
しかし、どうも朝の口論の決着を完全につけずに消化不良だったアスカがちょ
っかいで返した。

「何だか手口がアンタに似てんじゃない、レイ。」
「・・・・私は赤木博士に育てられたから・・・」
「いい参考?」
「ええ、今ではそう思うわ。」

この時、アスカは綾波の反論を期待していたのだろう。
ちょっとすれすれの駆け引きだったとは言え、もうアスカも退くことが出来な
い。僕はアスカの言葉に危険を感じつつも、黙ってじっと見守っていた。

「つまり、悪党ってことね?人をいたぶるにももっと典雅なやり方ってものが
あるって言うのにねぇ・・・」
「・・・あなた、自分が言ってる言葉の意味、わかってる?」
「わ、わかってるわよっ!!失礼ね!!」
「失礼なのはアスカ、あなたよ。私はともかく、赤木博士に謝ったら?」

綾波からしてみれば、勝手に自爆してくれるアスカは組しやすいのだろう。
それは周囲で見ていればはっきりと読み取ることが出来た。
しかし・・・リツコさんにとっては驚きだった。
ずっと綾波を憎しみ同様の感情で接してきたと言うのに、今ではいい参考だと
言うのだ。しかも、更にアスカに謝れと言う。
それはこれからの新居での生活に身構えていたリツコさんにとっては、意外以
外の何物でもなかったのだ。

「わ、わかったわよ、レイ。謝ればいいんでしょ、謝れば。」
「そうよ。あなたと喧嘩をしていたのはこの私。博士は関係ないわ。だから、
あなたが私を貶めるのは看過するけど、無関係の人を巻き込むのは感心出来な
いわね。」
「だ、だからわかったって言ってるでしょ?ったく、しつこいんだから・・・」
「なら、即実行ね。あなたのモットーでしょう、アスカ?」

結局、アスカは綾波のお説教に負けてリツコさんに謝ることになった。
まあ、綾波の言葉は理に適っていたし、アスカも無法者じゃない。
それが道理に適っていれば、たとえ喧嘩相手であろうと受け入れるのがアスカ
だった。それは到底素直とは表現出来ないものだったかもしれないけれど・・・・

「ってな訳で、謝るわ。ごめんなさいね、リツコ。」
「ま、まあ・・・別に謝るほどのことじゃないから。」

謝るアスカ。
それは謝ると言うにはあまりに不遜な態度だったけど、それでも謝罪の意は汲
み取れた。
そしてもう一方の謝罪を受けるリツコさん。
さっきまでの冬月先生をあしらっていた時とは嘘のように妙に動揺していた。
それを見たアスカはちょっといぶかしく思い、訊ねてみる。

「ん?どうしたのよ、何か不満?」
「え、そういう訳じゃないわよ。ただ・・・」
「ただ、何よ?すっきりしないわねぇ。」
「ただ、ちょっと驚いただけ。まさかアスカがレイに諭されて私に謝るなんて
思ってなかったから。」

結局口を濁したリツコさんも、アスカの言葉と自分の好奇心の二つの板挟みに
あっては口を開かざるを得ない。
そしてアスカもリツコさんの言葉を聞くと、にやりと笑って自慢げに言った。

「だから、アンタは時代遅れだって言うのよ、リツコ。もう事態は刻一刻と変
化していくんだから。」
「なっ・・・」
「昔のアタシは全然かわいくない駄目なアタシ。シンジに惚れちゃったら、や
っぱりアタシもかわいくならないとね。」
「・・・・で、その結果がこれ?」
「ま、そういうこと。リツコはどう思う?」
「どう思うって・・・いいとは思うけど。」
「でしょう?シンジ、こういうのに弱いのよ。それに案外してみると、悪いも
んでもないしね、素直になるって。」

アスカは素直と言う。
ちゃんと謝ることが素直と言うなら・・・アスカもリツコさんに悪いと思って
いたんだろう。そして、それは昔のアスカなら考えられない。多分、アスカは
そこまで意識してはいないと思う。だからそれだけに改めて認識させられて、
僕にとっても驚きだった。


「・・・二人とも、お味噌汁冷めるわよ。」

僕のそんな感慨を知ってか知らずか、綾波が二人にそう忠告する。
そして、綾波の言葉はそれだけにはとどまらず、さっきから完全に沈黙を保っ
ていた渚さんにも及んだ。

「で、あなたはどう、渚さん?」

たったそれだけ。
如何にも綾波らしい、素っ気無い発言だった。
しかし、その言葉の対象が渚さんだったところに重みがある。
少なくとも僕はその短い言葉の中に、綾波の想いを感じていた。

「・・・どう、とは?」
「だから、こうしてここにいること。そしてこの朝食の味よ。」
「・・・・」

綾波にそう言われた渚さんは、そのままそっと手元の味噌汁に視線を落とす。
それは朝食が始まる前、僕の口から集まった皆に僕とリツコさんの共同制作で
あることを告げられた。
綾波に言われるまでもなく、渚さんもその重みを認識している。
しかし、だからこそ、何も言えない。
それは仕方のないことだった。

「黙っていちゃ、わからないわ。」

だが、綾波も、そんな渚さんの想いを共有出来るはずなのに、敢えてそれを黙
って見過ごしてはいなかった。
きっと綾波は、言葉と言う形で表現することに、重要性を見出したのだろう。
それが今まで僕達と過ごしてきた綾波が出した結論だったのだ。

「・・・確かにそうだね、綾波レイ。」

渚さんは綾波に言われて、視線を下に向けたままそっと口を開いた。
しかし、綾波はそんな渚さんの台詞を聞きとがめて言う。

「それから、私のことをフルネームで呼ぶのはやめてくれない?他のみんなと
同じくレイって呼んで。」
「・・・何故?」
「私がそう思うから。それが嫌なら、あなたにはここから出ていってもらうわ。」

綾波がフルネームで呼ばれることを厭うと言うのは初耳だった。
しかし、それはいいとしても、それが嫌ならここから出て行けなんて・・・
綾波にしてはかなり無理矢理な発言だと思えた。

「・・・何か凄いわね、今日のレイ・・・」
「う、うん・・・どうしたんだろ、綾波?些細なことなのに・・・」
「でも、いい感じじゃない、シンジ?」
「えっ、どうして?」
「だって、アタシに似てきて。ちょっと激しさに欠けるのよね、あの娘。」
「は、ははは・・・」

それとはちょっと違う気もする。
でも、アスカの解釈はともかく、妙なところに拘る綾波の姿は新鮮であると同
時に、これでいいのだと僕に思わせるものがあった。

「・・・出て行くのは嫌だから、大人しく従うことにするよ、レイ。」
「そうよ、それでいいわ、渚さん。」
「・・・で、君は結局僕のことをそう呼ぶことに決めたのかい、レイ?」
「ええ。嫌なら変えるわ。」
「いや・・・別に嫌じゃない。それでいいよ。」
「なら、決まり。」
「でも、どうして?フルネームは嫌かい?」
「ええ。考えてみたらあなたもわかるわ。家族を呼ぶのに、フルネームで呼ぶ
人がいると思う?」
「・・・・家族・・・そう認めてくれるのかい、君は?」

綾波の口から家族と言う言葉を聞き、渚さんはわずかな動揺を見せた。
それは、感動と言う名前では表現し切れないものだろう。

温かい朝食、そして、賑やかな食卓。
それは日常の中に流れる当然のものだったけれど、だからこそそれを感じたこ
とのない人間にはあまりに貴重すぎた。
それは綾波や渚さんだけでなく、僕やアスカ、そしてここにいるほとんどがそ
うだったことだろう。

そして、だからこそ家族と言う言葉を重く感じる。
ここに集まったみんなは同じだ。
だから、敢えて何も言わなかった。
何かを言い出せば、きっと泣いてしまうだろうから・・・


「私もここで受け入れられたわ。だから、あなたも受け入れられるの。ここで、
私達に、私達の家族として。」
「・・・赤木博士は・・・・」
「無論、家族よ。多少のいざこざは過去にあったにしても、きっと乗り越えら
れる・・・そんな気がするの。私も、そうだったし・・・」

そう言って、綾波はそっと視線をアスカに、そして父さんに向けた。
以前の綾波にとっては、アスカも父さんも敵だったはずだ。
しかし、ここでこうして一緒に家族として暮らしている。
確かに毎日のように喧嘩もするし、言葉を通わせないこともある。
でも、家族と言う絆で結ばれていた。
だから、何でも許し合える。
家族と言う便宜上のものを取り去ってしまえばそんなことはない。
でも、何故か家族と言うだけで・・・僕には不思議でならなかった。
しかし、わからないにしてもそれが真実。
それは、僕達が家族であると言うことと同時に、変えることの出来ない事実だ
った。

「だから、私はこれが碇君の作ったものでなくてもおいしく食べるわ。碇君が
作ってくれたものが一番おいしいって言うのは変わらないけど、これは私の家
族が作ってくれたものだもの・・・」

そして、それを証明するように、綾波は味噌汁の椀に口をつけた。
皆、自分の味噌汁に視線を落とす。
それはただの何の変哲もない味噌汁。
でも、綾波が言うように特別だった。

「・・・ありがとう、レイ・・・・」

そっと、リツコさんの呟く声が聞こえた。
それが果たして綾波に届いているのか・・・だが、それも最早関係ない。
こうしてみんなで、朝の温かな空気に包まれているのだから・・・・


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