私立第三新東京中学校

第二百九十九話・毒蜘蛛


モノリスが高くそびえる。
黒を基調にしたそこは、会談の為の疑似空間だった。

「・・・で、どうするつもりだ?」

男の言葉は重い。
素っ気無い口調も、相手に畏怖を感じさせていた。

「そ、それは・・・はい、間違いなく。」
「何が間違いなくなのだ?説明したまえ。」
「そ、それは・・・」

相手の男は明らかにうろたえていた。
普段から落ち着きのないところがあったものの、特にこの会談の席では緊張せ
ずにいられなかった。

「それは・・・なんだ?議長の質問だぞ。すぐに答えたらどうだ?」

完全にゆとりを無くした男。
その鼻の尖った男に議長の言葉を勝手に代弁したのは、他ならぬ彼の宿敵とも
言うべき男だった。

「な、なにをっ!!」
「だから、答えるんだよ、これからどうやって自分の失態を償うのかを。」
「くっ・・・」

完全に男には勝ち目がなかった。
敵の失態に愉悦の表情を浮かべながら自慢げに話す男には吐き気すらもよおし
たが、それ以上に自分のこれからのことには戦慄を覚えた。
それを証明するが如く、先程からずっと男の足は震えが止まらなかった。

「もういい。事実が重要だ。」

二人の口論を遮るように、議長が口を挟んで言った。
普段なら黙認している彼も、外見では感じられない動揺を覚えているのだろう。
確かに彼にとっては、男の犯した失態は看過できるものではなかったのだ。

「で、では、どうなさります?」

議長の言葉に、ころっと態度を変える男。
自分の敵が最早風前の灯火な以上、彼が恐れるのはただ議長だけだった。

「そうだな・・・まず、今の失態を元に戻せるかどうかだが・・・?」

男の言葉に多少眉をひそめたものの、それ以上不快感を形では表さなかった。
議長はこんな自分の同胞・・・いや、自分の配下の者に嫌悪感を抱いていた。

自分では何も出来ない男。
委員会の首長たるキール議長の顔色を窺うことしか能がない。
しかし、今となっては彼が議長の手駒だったのだ。
無論、ものになりそうな男は他にもいる。
だが、そんな人物は大抵格が伴っていなかった。
少なくともこの男は一国の国家元首に近かった男であり、議長もそれを見込ん
で自分の仲間に引き入れた。
男は議長の力でずっと届かなかった頂点に登りつめ、その恩を忠誠という形で
誓う。
しかし、それは明らかに打算に裏打ちされた忠誠でしかなかった。

そして今、議長は彼らを恐怖で支配している。
議長が一度手を動かすだけで、彼らの名声は地に落ちるばかりか、その生命す
らも全く保証出来なかった。
だからこそ、尖り鼻の男も恐怖を感じているのだが・・・

ともかく、少なくとも自分の手駒には崇高な計画の為に身命を賭してくれるよ
うなものはいないと、議長は思っていた。
だから、議長が熱を込めて語っても、誰も真剣に耳を貸さない。
議長も次第にその無意味を悟り、この委員会も彼の意思を伝え、徹底させる場
と化していた。

命令は絶対だ。
それが揺らいだことはない。
そう、あの男以外には・・・・


「も、勿論全て元の状態に!!」

尖り鼻の男が場を乱す大声で訴えた。
彼にとっては自分の進退を問う重要な説明だったのだが、議長にとっては更に
嫌悪感を増大させるだけだった。
が、黙っている訳にも行かない。
議長は彼らの主であり、導き手なのだ。
だからこそ、愚か者には言い含めてやる必要がある。
彼はそういう立場でもあったのだった。

「全て・・・とはどういう事かね?」
「そ、それは・・・赤木博士もカヲルもこちらに引き戻します!!」
「可能なのか?」
「そ、それは・・・はいっ、間違いなく。」
「その根拠は?」
「そ、そ・・・」

男は明らかに失態を重ねていた。
もう、今となってはとり返しがつかないのだ。
リツコさんが委員会を、この男から去る時、渚さんのクローンは全て破棄して
来た。
それはリツコさんも渚さんにはまだ知らせていない。
しかし、渚さんにとってはこれで綾波と同じく唯一の存在となったのだった。
これがリツコさんの無言の感謝の表われであり、渚さんへの愛の形であったの
かもしれない。
無論、綾波のクローンを破壊した時とは全く違っていたが・・・

「つまり、不可能なのだな?」
「い、いえ、善処致します!!」
「善処なら、他の者にも出来る。自分の無能を証明してしまった以上、私がこ
のまま無能者を使用し続けると思うか?」
「そ、それは・・・お願い致します。この私めに失地回復の機会をっ!!」

もう、男は必至だった。
明らかに、議長に無能者の烙印を押されてしまった。
議長はここにいる面々を無能者だと見下していたが、はっきりとそう発言した
ことは一度としてなかった。だからこそ、身に余る権力を味わって増長してい
たのかもしれないが・・・それは議長の失敗だったのかもしれない。

だが、もう元に戻すことは出来ない。
議長も、ただ目的の為に邁進するのみ。
まもなく審判の時、目醒めの時は訪れる。
その時、一体誰が勝利するのか・・・それは誰にもわからない。
ただ、議長はそれが自分であることを望み、今まで動き続けてきたのだった。

そして、議長が決を下す。
迷いは微塵もなかった。

「お前にフィフスの細胞を与えたのは失敗だったようだな。碇がさぞかし私を
笑っていることだろう。」
「で、では、私は・・・」
「私は二度同じ過ちは繰り返さない。消えろ。」

そう、議長が言った瞬間、男の背後のモノリスが消滅した。
そして、それと同時に尖り鼻の男は絶叫を残して掻き消えた。
それはあくまでホログラムにしか過ぎなかったが、その場の誰も、彼が同じ運
命を辿っているだろうということを確信していた。


そして、再び沈黙が戻る。
モノリスのあった場所は、空虚さと共にこれと同じことが自らの身にも降りか
かってくるかもしれないとここにいる男達に戦慄を覚えさせた。

だが、一人だけ違った男がいた。
それは、尖り鼻の男のライバルと目されていた男だった。
彼は面々の沈黙を破り、議長に向かって言葉を発した。

「議長・・・・」

男はそれ以上何も言わない。
自ら名乗り出るのではなく、議長に直接自分を選ばせる必要があったのだ。
そう、最早議長の頼れる人物は自分だけだと、皆に知らしめる為に・・・・

「うむ・・・」

議長も愚か者ではない。
男の意図くらい、すぐに察した。
相手の手に乗るのは不本意だったが、それ以外に手がなかった。
渚さんを失った今、男が開発していた人形しか残されていないのだ。

「もうひとつの人形・・・それしか我らには残されてはいないということか・・・」
「・・・・」
「カヲルを使って我らが推し進めようとしていた計画、それをお前の人形で成
功させることが出来るか?」
「・・・・はい、必ずや。」

答えて男は軽く頭を下げる。
もう、自分に敵はいなかった。
議長すら恐れるに足る者ではないとすら思い始めていた。
それは大いなる自惚れだったが、男がそう思うのも無理はなかった。
今現在力を駆使出来る人形は三人。
その二人が僕達の元にあり、そして残る一人は・・・男の手にあったからだ。

そして、議長が口を開いて言う。

「では、君にあの男の仕事を引き継いでもらうことにしよう。いいか?」
「畏まりました。必ずや我々の使命、成し遂げてご覧に入れます。私と私の造
り上げた人形、霧島マナによって・・・・」

この発言で、会談は唐突に終わりを告げた。





「・・・あたまいたい・・・・」

頭を押さえながらアスカがリビングに現れる。
その頭痛の元凶は他ならぬアスカとミサトさんだったが、アスカは自ら反省し
ようとする訳もない。後で来る二日酔いは辛いかもしれないけれど、本当に昨
日は充実した一夜だったから。
僕はそう思いながら、昨日のことを思い出しふと表情を崩すと、アスカに水の
入ったコップを差し出した。

「はい、水。」
「ん・・・ありがと、シンジ。」
「うん。でも、平気?」
「・・・駄目。」
「でもまあ、起きられたじゃない。だから平気。」

あまり誉められた話じゃないけど、アスカがこうだと僕も軽口を叩きやすい。
僕が勝手にそう言うと、アスカはじろっと僕を見て応じた。

「そう言うアンタはどうなのよ?アタシとレイ、二人がかりで死ぬほど飲ませ
たはずだけど・・・」
「まあ、なんとか。僕も頭痛するけど、起きて結構経つからいい加減慣れてき
たよ。」
「慣れねぇ・・・結構便利に出来てんのね、アンタの身体。」
「うん。」

確かに結構便利な身体かもしれない。
みんながしんどいしんどいって言う二日酔いも割と抜けやすいみたいだし・・・
アスカも朝食を食べればそのうちよくなるだろうけど、そう言っても聞きそう
にないのがまたアスカだった。

そしてそんな時、キッチンで僕と一緒に料理していたリツコさんが二人の会話
を聞き付けてやってくる。

「おはよう、アスカ。」
「・・・・冗談?」

朝の挨拶をしたリツコさん。
しかし、その姿を見たアスカは、こめかみに手をやりながら小さくそう言った。
流石のリツコさんもそこまではっきり言われてピクっと来たが、少なくともこ
れからの同居人の一人であるアスカと付き合いっていく為には、これは越えな
ければならないハードルのひとつだった。

「朝から辛辣ね、アスカ。でも、冗談じゃないわよ、本気。」
「まあ、案外リツコも料理くらいするかもしれないしね。ミサトが大人の女の
典型って訳じゃないだろうし。」
「ミサトと一緒にしてもらいたくはないわね。」
「そこのところは謝るわよ。でも、うちには良く出来た奥様が一人いるのよ。
だから、別にこんなことしてもらわなくってもいいから。」

つまり、余計なことはするなとアスカは言いたい訳だ。
まあ、アスカのことを弁護するなら、リツコさんが邪魔だというより、僕の料
理を食べたいというだけだろう。
しかし、そんなことをリツコさんが察するはずもなく、じろっとアスカを見つ
めて訊ねた。

「奥様?」
「そうよ。ほら、碇シンジってのがここに・・・」

そう言ってアスカは僕を指差す。
奥様って言われるのはちょっと・・・と思ったけれど、まあ、料理を作る人、
という意味では合っているかも?
だから僕も敢えてアスカに突っ込みを入れようとはせずに、沈黙を守って成り
行きを見守った。

そしてリツコさんも僕と同じでそのアスカの意見を否定しようというつもりも
ない。しかし、アスカに反論してやりたいと思ったのは事実で、ちょっと嫌み
っぽく言った。

「まあ、シンジ君ならいい奥様になれるわね。だから私も、そんなシンジ君に
料理を教えてもらおうと思って・・・」
「・・・何ですって?」
「だから、料理を教えて・・・」
「シンジっ!!」

アスカはその事実を聞くと、リツコさんの発言など容赦なく遮って僕に詰め寄
った。僕もアスカの言いたい事くらいはわかっていたから、ちょっと引き気味
になってアスカに応えた。

「な、何かな・・・?」
「何かなじゃないわよっ!!これはどういう・・・いたた・・・」
「だ、だから無理しない方がいいって。ほら、座って座って。」

やっぱりアスカが二日酔いだと楽でいい。
僕はうやむやにしつつアスカをテーブルの方に押しやって座らせた。

「い、いい加減になさいよ。アタシの話はまだ終わってないのよ。」
「はいはい。リツコさんが料理を教えて欲しいって言ったから教えたあげただ
け。それだけだよ、アスカ。」
「そんなことわかってるわよ。それ以上だとしたら、ただじゃ済まないって事
くらいアンタだってわかってるでしょ?」

発言に迫力はあっても、やっぱり響く頭を気にしつつ喋るアスカにいつもの迫
力はほとんどない。
僕もそんなアスカをかわしつつ、テーブルの上を整え始めた。

「はいはい。アスカは怖いからね。だから僕も行動には細心の注意を払ってる
んだよ。」
「怖いってどういうことよ?」
「っと、おはよ、綾波。調子はどう?」

怖くなくても手には負えない。
そんな時、丁度都合よく綾波が起き出してきた。
普段の綾波ならもっと早くに起きて僕を手伝ってくれるのだが、流石に今日は
そんなことも言っていられなかったのかもしれない。
いつもの癖のある髪を更にはねさせて、綾波は僕の挨拶に答えた。

「おはよう、碇君。何とか・・・平気みたい。」
「そ、そう?それにしてはかなりしんどそうだけど・・・」

綾波の顔はいつも血色がない。
だから、顔色で調子が悪いかどうかなんて判断するのはほとんど不可能に等し
かったけど、それでも表情でかなり辛そうなのが見て取れた。
僕が心配の声を投げかけると、綾波がちょっとだけ本音を漏らして答えて言う。

「うん・・・でも、そのうちよくなるだろうから。」
「そ、そんなこと言ってちゃ駄目だよ。昨日だって倒れちゃったんだし・・・」

僕がそう言うと、もう一人の当事者たるアスカが僕の言葉に賛同して綾波に忠
告の言葉をかけた。

「そうそう。いい迷惑だったわよ、レイ。お酒はもっと加減をわきまえなくっ
ちゃ。いい?」
「・・・あなたに言われたくはないわね、アスカ。」
「ふんっ、倒れたアンタに言われても何とも感じないわよーだ。」

アスカはいつもと変わらぬ綾波の言葉にも気にすることなく、いーっと顔をし
かめて答えた。
そんな光景を見ると、この二人はお似合いにも見える。
本当に色々あったけど・・・でも、結果がよければ全てよし。
リツコさんもこんな僕達三人のやり取りを見て何か感じるところがあったのか、
そっとこう呟いた。

「私もカヲルも・・・ここにいれば、こんな風になれるのかしら・・・?」

それはリツコさんの独り言。
しかし、僕はそれを耳に入れてしまった。

「リツコさん・・・」
「あら、シンジ君、聞かれちゃったかしら?」
「ええ、済みません・・・」
「いいのよ、気にしなくって。あなたなら私の言いたい事、わかってくれるで
しょうしね。」

リツコさんはそう言って微かに笑うと、僕の謝罪を受け入れた。
そして今度は独り言ではなく、僕だけに向かって小さく呟く。

「それよりも・・・カヲルは・・・・・」
「リツコさん・・・」
「あの子の心は乱れているわ。これが人になれた時に来る衝撃なのかもしれな
いけれど。」
「・・・・」

僕は何も言えなかった。
ただ、リツコさんの言いたい事はわかる。
僕も、綾波が人になる過程を一通り見てきたから・・・

「だからシンジ君・・・カヲルを支えてあげて。あなたには迷惑な話かもしれ
ない。でも・・・私にはあの子の全てを支える自信がないの。あの子は・・・・」
「・・・・」
「ごめんなさいね、シンジ君。何だか変なこと口走って。でも、全て忘れて。
私も・・・ちょっと人の親になった時の衝撃・・・そんなものを感じているの
かもしれないから・・・」

確かにリツコさんらしくない。
でも、これから変わろうとするにはいい兆しだった。
リツコさんを変えるのは渚さんと・・・そして父さんの役目だ。
だから、僕が何かしようというのはお門違いなのかもしれない。
でも、それとは別にリツコさんはもう僕達と家族な訳で、それも僕は大切にし
たい。
そして渚さんも・・・みんなみんな同じ屋根の下に暮らす家族だ。
たとえ、それが力を持っていようと持っていなくとも・・・・





リノリウムの床がほのかに光る。
会談後、男は真っ先に自分の国の所有する・・・いや、自分の物である研究施
設に赴いた。

「・・・そして子蜘蛛は親の巣から放たれる。新たな毒を撒き散らす為に。」

男は常軌を逸していたが、その目は、その言葉は力強かった。
それは自分の勝利を確信してのことなのかもしれない。

男は扉に据え付けられたマイクロカメラに顔を近づける。
網膜認証を終え、更に声紋認証を行った。

「私だ。」

厳重な警備。
明らかに、誰も信用していなかった。
しかし、その用心深さが彼をここまでやって来させたのだった。

危険を冒し、秘密裡に強化人間を製造する。
それが議長に知られれば、どんなことになるかもわからない。
無論、議長はそのくらい独自の諜報網で既に知っていたことだろう。
だから、これは言わば賭けだった。
そして男は勝利を収め、今ここにこうしている。
最大のライバルというべき男はもうこの世にはいない。
自分の敗北など、感じたこともなかった。


わずかに音を立て、扉が開く。
そして部屋の中に男を収めると、再び扉は静かに閉ざされた。

「・・・・」

中は薄暗い。
人間を模したものに最低限の紫外線は必要だ。
しかし、眩しい光は必要ない。
男はそう思い、敢えてそうした。

「私だ。」

再び。
部屋の片隅で座っていたそれは、その言葉で初めて男が入ってきたことに気付
いた素振りを見せた。

「・・・なにかしら?」
「仕事だ。」
「ここから出られるの?」
「無論だ。」

男は少女に感情を与えなかった。
しかし、それ以上に演技を叩き込んだ。

「うれしいっ!!」
「やめろ、マナ。」

男は少女の言葉に嫌悪感を露にして言う。
自分が造り出したものとは言え、好きか嫌いかは別物だ。

「・・・・はい。申し訳ありませんでした。」
「それでいい。毒蜘蛛は毒蜘蛛らしく振る舞っていればいいのだ。」

男は少女に便宜上の名前を与えていた。
それに慣れさせる為に時折その名で呼んでいたが、それ以外はいつも彼女のこ
とを「蜘蛛」と呼んでいた。

男を誑かし、毒を撒き散らすもの。
そしてその銀糸で雁字搦めにするのだ。
男の宿敵は自分とは違うやり方で計画を遂行しようとしたが、男には明らかに
それが不愉快だった。

「互いに噛み合わせろ。そしてその血が、覚醒を生む。」

男はそう信じていた。
そしてそのための道具として彼女を造り上げた。
だから、男の冷酷な性格を持ってしても酷いと思えるようなことさえ敢えてし
てきた。

そしてその結果がこれ。
不完全な他の人形とは違い、完全に自分の言うことを聞く人形だった。
男は惚れ惚れと彼女を眺め、そしてそっとその手を伸ばした。

「・・・教えてある通りだ。わかっているな。」
「はい・・・」
「服を身に纏え。そして、お前の巣を作るのだ。」

男が命じる。
しかし、少女はか細い声で男に訊ねた。

「でも・・・私の巣はここです。」

確かにその通りだった。
少女が男に逆らえないというだけでなく、唯一の入口である扉は男にしか開く
ことが出来なかった。
だが、そうと知っていて男は敢えて命じる。

「ここは私の巣だ。お前の巣ではない。今のお前なら・・・ここから巣立つこ
とが出来るだろう?だから・・・やれ。」

そして、僅かな間隙。
それは鳥が初めて母鳥の巣から飛び立つような、そんな瞬間だろうか?
だが、男はそんな余韻に浸ったりはしない。
男には現実こそが大切だったのだ。

「わかりました。では・・・」

そう言って、少女は軽く扉に向かって右手を掲げる。
それと同時に、室内の空気が変わる。
空調設備が生み出したものとは別の流れが生じ始めた。
そして、少女の見開いた双眸が輝きを増しながらその彩りを変える。
黒から茶褐色、そして深紅へと・・・・


そして、扉は轟音と共に内側から打ち破られた。
科学の粋を結集して強化された人形たる彼女には、このようなことは児戯にも
等しい。
彼女は全く息を乱すこともなく命じられたことを遂行し終えると、男に振り返
って訊ねた。

「・・・これで宜しいのでしょうか?」
「ああ。では、行け。お前は今日から一匹の毒蜘蛛、霧島マナとなるのだ。」
「はいっ!!」

まるで別人のような明るい返事。
そう、それは男が作り出した一人の女子中学生「霧島マナ」という偶像だった。
そして、少女は完璧にそれをこなす。
その中に感情は全くなかった。
ただ、人のものを大きく凌駕した力と共に、演技の光で輝く瞳があるだけだったのだ・・・・


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