私立第三新東京中学校

第二百九十七話・二人がかり



「・・・つまんないわね。」

ぼそっとアスカが呟く。
しばらく上機嫌だったアスカも、やはり無為な時を過ごすのは慣れていないの
だろう。その表情は、わずかに不満の色を見せはじめていた。

「じゃあ、戻る?」

僕は傍らに座るアスカにそう提案する。
ちょっぴり、意地悪そうな色の瞳で。

「当然、アンタも一緒でしょ?」
「いや、綾波を置いては行けないよ。だから、アスカだけ。」
「・・・嫌な奴ね、アンタって。」
「まあね。」

いつもの僕らしくもなくそう言って、僕はアスカから綾波に視線を移す。
綾波の呼吸はゆっくりとそして深く、断続的に繰り返されている。
どうみても完全に熟睡していて、簡単には目覚めそうもなかった。

「眠い。」

意地悪い僕をよそに、ぼそっとアスカが言う。
見てみると、今になってアルコールが回り始めてきたらしく、わずかに目をと
ろんとさせていた。

「寝てもいいんだよ。肩、貸してあげるから。」
「有り難いけど・・・まだいいわよ。」
「どうして?」
「アンタ、寝ないでしょ?」
「うん、まあね。」
「だからよ。しゃくじゃない。」
「僕より先に寝ちゃうのが?」
「アンタとレイを、二人っきりにさせておくのが、よ。」

アスカはそんなことを堂々と言ってのけた。
しかし、それはアスカの気にし過ぎってもんだと思う。
現に綾波はこうして眠っているんだし、いくらアスカが寝たからってそれを二
人っきりだなんて・・・・でも、その辺がアスカらしいと言えばアスカらしい。
僕は別段悪い気もせず、アスカに応えて言う。

「じゃあ、アスカが寝たら、僕もすぐ寝るから。」
「信じられないわね。」

アスカがぴしゃりと言い放つ。
その言葉には一片の迷いもなかった。
僕も流石にちょっとがくっと来てアスカに訊ねた。

「そ、そこまではっきり言う?」
「言うわよ。アタシ、こう見えても誰よりもアンタのこと、知ってるつもりだ
から。無論、シンジ自身よりもずっとね。」

そう言ってアスカはにやりと笑ってみせる。
それにしても僕よりもこの僕を知ってるだなんて、如何にもアスカらしい自信だ。
でも、それがあながち嘘だとも言えないところが、アスカの凄いところなのか
もしれない。実際、僕自身気付かないようなことまで僕に色々指摘してくれるし・・・・

「で、知ってるから、どうして信じられないって言う訳?」
「アンタがレイを放って置いて寝るような男じゃないからよ。いくら眠くって
も自分で無理矢理瞼をこじ開けてでも起きてるんじゃないの?」
「さ、流石にそこまでは・・・」
「でも、似たようなもんでしょ?」
「そ、それは・・・」
「ほら、図星。馬鹿の典型ね。」

しれっと言うアスカ。
全く人をよくここまで馬鹿馬鹿と言えるもんだ。
でもまあ、これがアスカの口癖なんだし、その「馬鹿」にも色んな種類の「馬鹿」
があることを僕は知っていた。

「いいだろ、別に今更馬鹿って言わなくっても・・・」
「駄目よ。こうしてはっきり口にしてあげないと、馬鹿はすぐ忘れるんだから。」
「そんな、僕だって鶏じゃないんだし・・・」
「そう?似たようなもんだと思うけど、アタシは。」
「ア、アスカ・・・」

何を言っても無駄っぽい。
でも、やっぱり僕は馬鹿だから、敢えて抵抗してみせるんだよな。
アスカには敵わないって、今までの経験で嫌ってほど知ってるのに・・・

「綾波、起きてくれればいいのに・・・・」
「どうして?」
「僕を弁護してくれるだろうから。」
「弁護されたいの、シンジは?」
「うん。アスカには一人じゃ敵わないと思って。」
「・・・・男の癖に。」

アスカは気に食わなそうに小さくそう言った。
僕はそんなアスカを見て、ちょっと言い過ぎだったと思った。
やっぱりなんだかんだと言いつつも、アスカは僕をからかっている時が一番輝
いている。だから、そんなアスカの瞳の火を消すのも、この僕の言葉なんだ。

「ごめん・・・ちょっと、言い過ぎたよ。」
「案外、あっさり認めるんだ・・・シンジは?」
「うん。僕も、馬鹿じゃないから。」
「こだわるのね。」
「うん、馬鹿だから。」
「・・・・バカシンジ。」

アスカはそう言うと、指先で僕のおでこを突っつく。
そして僕は、そんなアスカに同じことを返すかと思わせて、おもむろに綾波の
おでこを突っついてみせた。
アスカは僕の行動を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「はぁ!?」
「びっくりした?」
「そんなのびっくりしないわよ。ったく、呆れてものも言えないわ・・・」

アスカはそう言うと、わざわざ僕から視線を逸らして、部屋のカーテンを見つめた。
カーテンがどうと言うより、僕の反対側にそれがあったと言うだけなんだろう。

「でも・・・・」
「何よ?」
「やっぱり綾波、起きればいいのに・・・・」
「しつこいわね、アンタも。」
「でも、折角みんなで集まっての宴会なのに・・・こうして三人で座ってるの
なんて、いつでも出来ると思って・・・」

僕の言葉に正当性を感じたのか、アスカも態度を軟化させて応えた。

「・・・・それもそうね。」
「うん。僕とかアスカはそうでもないかもしれないけど、綾波ってあんまりこ
ういうの、したことないだろうし・・・」
「でも、これからもっともっと、出来るじゃない。」
「確かにそうだよ。でも、やっぱり楽しいことは一回でも多い方がいいし。」
「まあ、そうね。じゃあ、起こしてみる?多分、起こそうと思えば起こせると
思うわよ。」
「綾波、喜んでくれるかな・・・?」

僕はちょっと不安そうに訊ねる。
するとアスカは優しくこう言ってくれた。

「喜んでくれるわよ。だってアンタがレイのことを想って、決めたことなんだしさ。」
「・・・そうかな?」
「そうよ、この・・・色男。」
「やめてよアスカ・・・」
「事実よ、事実。」

楽しそうに言うアスカ。
でも、アスカも僕の決断を受け入れてくれる。
それを思うと、何だか嬉しかった。
アスカ自身から言えば、間違いなくまだ綾波が寝ていた方がいいはずなのに。
まあ、そんなことをアスカに言おうものなら、自惚れだって殴られるだろうけど。
実際自惚れなんだろうし。

「じゃあ・・・綾波、起こすよ。いいね?」
「くどい。」
「ごめん・・・」

僕はそう謝ると、綾波の身体に手をかけて揺さぶった。

「綾波、綾波・・・起きて・・・」
「・・・駄目ね。」

僕の様子を見て、ひとことアスカが言う。
僕はそんなアスカに視線を向けると、ひとつ訊ねてみることにした。

「どうして?」
「甘すぎるのよ、シンジは。もっとこう・・・」

アスカはそう言って、殴るようなポーズをしてみせる。
僕はそのアスカの仕種を見て、慌ててこう言った。

「ちょ、ちょっとアスカ、いきなり殴るのはやっぱり・・・」
「レイを起こしたいんじゃないの?」

面白そうにアスカが応える。
僕はなんとなく、からかわれているような気がした。

「そ、そりゃあ起こしたいけどさぁ・・・でも、そこまではね、ちょっと・・・」
「じゃあ、シンジの代わりにこのアタシが殴ってあげようか?そしたらアンタ
の胸も痛まないだろうし・・・」
「そういう問題じゃないって。」
「そう?」
「そうなのっ!!もう、アスカは・・・からかうのはやめてよ。」

僕はそう言うと、アスカにこれ以上聞くのはやめて、自分の手で綾波を起こそ
うと思った。

「だから、そんなんじゃ駄目だって言ってるのに・・・・」

いまだにアスカはそんなことを言っている。
僕はそれを敢えて無視して、綾波を揺さぶり続けた。
しかし・・・そんな僕の努力虚しく、綾波は一向に目覚めようとはしなかった。

「綾波・・・おかしいなぁ、やっぱりまだ、寝てなきゃ駄目なのかな・・・?」
「だから、生ぬるいのよ。げしげしっと二、三発殴ってやらないと。」
「却下。」
「時には荒療治も効果的なのよ、シンジ。」
「そんなことしてまで綾波を起こしたくない。」
「ったく・・・甘いんだか優しすぎるんだか・・・・」

アスカはそう言うと、おもむろに身を乗り出して、綾波の鼻をつまんだ。

「ちょ、ちょっとアスカっ!!」
「黙ってて。」
「で、でも・・・そんなことしたら、死んじゃうよ・・・」
「死なないわよ。」
「どうしてそんな事言えるのさ?」
「だってアンタの時は死ななかったから。」
「って、アスカ・・・」
「いいじゃない、別に。こうしてちゃんと生きてるんだし、実際アンタは全然
気付かなかったんでしょ?」
「そ、そりゃまあ、そうかもしれないけど・・・・」

でも、無茶苦茶だ。
全く、相手が僕ならともかく、綾波に対してまで同じことを敢行しようとする
なんて、アスカらしいと言うかなんと言うか・・・僕は呆れて物も言えなかった。
そして僕がそんなことを考えている一方で、アスカは綾波のつまんだ鼻から手
を離すと、今度は手の平で軽くぺちぺちとほっぺたを叩き始めた。

「ほら、レイ・・・シンジが起きて欲しいってさ。」
「ア、アスカ・・・」
「シンジは馬鹿だからアンタを起こせないけど、代わりにアタシが起こすわよ。ほら・・・・」

そしてぺちぺちをやめると、今度は両手でほっぺたをつまんで左右に引っ張った。

「い、痛いよ、アスカ・・・」
「何言ってんの、アンタのほっぺじゃないくせに。」
「当たり前だよ。でも、綾波が・・・」
「だから痛いから起きるのよ。どうせアンタ、こんなこと出来ないでしょ?」
「うっ・・・」

図星だ。
やっぱりアスカじゃないと、今の綾波を起こすのは無理かもしれない。
まあ、そこまでして綾波を起こす必要がないように、今では思えてきたけど。

「レイ、レイ・・・それとも王子様のキスじゃなきゃ目覚めないって言うの?」
「ア、アスカぁ・・・」
「でも、駄目よ。それだけはあげない。アタシだって、我慢してたんだから。
アンタがここでこうして寝てるって理由でね。ったく、シンジと二人っきりだ
ったら、シンジだって拒んだりしなかったのに・・・」
「・・・・」

そんなアスカの綾波に対する呼び掛けは、何故かこの僕に向けられているよう
な気がした。
別に、アスカは僕を咎めている訳じゃないと思う。
でも、ちょっぴり拗ねてたんだ。
アスカにとっては折角の二人っきりのシチュエーションなのに、こうして綾波
がいるだけで、それはまた違うものへと変わる。
それはアスカだってしょうがないとわかっていたけど、でも、理論だけじゃ量
れないのが人の心だ。だからアスカも、こんなことを言わずにはいられなかっ
たんだろうと思えた。

「・・んっ・・・」

わずかに綾波が声を上げた。
目覚めの時は近いように、僕には見えた。

「ほら、起きなさいよ!!アタシもシンジも、悔しいけどアンタの事、好きな
んだからね!!」
「・・・・」

綾波の顔が歪む。
もう、完全な眠りの状態からは解放されていた。
そしてそれをアスカも悟ったのか、弄んでいた綾波のほっぺたから手を離して、
僕がしたのと同じように綾波を揺さぶり始めた。

「・・んっ・・・ア・・・アスカ・・・?」
「おはよ、レイ。どう、気分は最悪?」

綾波は目覚めた。
そんな綾波に、アスカはなかなか愉快な事を言ってのける。
そして半分寝ぼけている綾波はこうアスカに応えた。

「ええ、最悪・・・頭痛い。」
「自業自得ね。今度から日本酒はやめて他のにしたらどう?」
「嫌。」
「ったく・・・いつもながら頑固ね。でも、そこがレイらしいけど。」
「ありがと、アスカ。」

クスっと笑うアスカに綾波がひとことお礼を言った。
その言葉は何だか自然で、綺麗だった。
そしてそんな綾波にアスカは呼びかける。

「はいはい。でも気持ち悪いとこ悪いけど、もっと気持ち悪くなってもらうわよ。」
「・・・どういうこと?」
「シンジがね、アンタと一緒にお酒が飲みたいんだって。」
「碇君が・・・?」
「ちょ、ちょっとアスカ!!」

僕は勝手にそんな話にさせられて、慌てて口を挟んだ。
しかし、さも愉快そうにアスカが僕に言った。

「駄目よ。シンジには潰れるまで飲んでもらうんだから。」
「嫌だよ、お酒嫌いだし。」

すると、それを聞いた綾波が僕の目をじっと見つめてこう言う。

「・・・・私のお酒が飲めないの、碇君は?」
「あ、綾波・・・・」
「絡み酒ね。流石はレイ。」

何が流石だ。
もう・・・こんなことなら綾波を起こさなきゃよかった。
でも、もう手遅れである事を示すかのように、綾波が繰り返して言う。

「碇君がお酒、嫌なら・・・代わりにキスしてあげる。」
「あ、綾波・・・もしかしてまだ酔ってる?」
「ええ、多分。」
「・・・・」

呆れ返って訊ねた僕に、しれっと綾波は肯定してみせる。
僕はそんな綾波を見て、もう何も言えなかった。

「お酒とキス・・・碇君はどっちがいい?」
「酒にしときなさい、シンジ。キスを選んだら、アタシが無理矢理アンタに死
ぬまで飲ませるわよ。」
「ア、アスカ・・・」
「両方でも私はいいわ。むしろ、そっちの方が嬉しい・・・」

アスカと綾波、二人がかりだ。
一体僕はどうしたらいいんだろう・・・?
しかしわかりきっている事がひとつある。
それは、やっぱり僕は絶対に潰れるまでお酒を飲まされる運命にあるってことだ・・・


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