私立第三新東京中学校
第二百九十三話・情けない奴
「どうかな・・・?」
僕は傍らのアスカに呼びかける。
「わかんないわよ。でも、あんまり苦しそうって感じじゃないみたいね・・・」
「うん・・・・」
アスカにそう言われても、僕は不安を拭い去ることが出来なかった。
綾波が突然倒れたため、僕とアスカは急遽立ち聞きの計画を断念して、二人で
綾波を寝室に運ぶとベッドに横たわらせた。
取り敢えずアスカの手によって綾波はパジャマに着替えさせられて、今こうし
て静かに寝息を立てている。
「伊吹先生か洞木さんでも呼んだ方がいいかな・・・?」
僕はやはり心配だった。
アスカがついていてくれるとは言っても、アスカは医者じゃない。
14歳にして既に大学を卒業しているエリートとは言え、出来ることと出来な
いことがあるのは当然だった。
しかし、そんな僕の不安をよそに、アスカは綾波の眠りを妨げない様に小さな
声で僕に答えた。
「必要ないわよ、別に・・・・」
「で、でもさぁ・・・」
「取り敢えず今は落ち着いてるんだしさ・・・いいと思わない?」
「・・・僕にはわからないよ・・・でも、倒れたんだから、やっぱり危ないん
じゃないの?」
「酔いつぶれて倒れたくらいで危険だって言うんなら、盛り場と言う盛り場に
は必ず一、二軒は病院が必要ね。」
アスカは皮肉っぽくそう言った。
確かにアスカの言うこともわかったけれど、でも、僕としてはそこらの酔漢と
綾波と同一視することなど出来ようはずもなかった。
「そ、それはそうだけど・・・でも、綾波はまだ中学生なんだよ。未成年なん
だからやっぱり・・・・」
「アンタ、他の連中を呼んだら、大事になるだろうって頭は働かないの?」
「えっ・・・?」
「だから、それこそ急性アルコール中毒とか言い出して、レイは病院送り間違
いなしよ。別にアタシ達がそれを勝手にしたんなら、職員室でこってりと油を
絞られるだけかもしれないけど、一緒に数人の教師がいるってのにこんな事態
になったら・・・」
「停職処分・・・とか?」
「充分に有り得る話ね。」
「そ、そうか・・・そうだよね。僕、ちょっと短慮だったかも・・・?」
「まあ、いいのよ、別に。そのためにアタシがいるんだしさ。アンタが考えな
しにふらついて、あっちにごつん、こっちにごつん、なんてしない様に、アタ
シは常に目を光らせておくのよ。」
「ご、ごめん・・・・」
「だからいいんだってば。アンタのいつもうだうだ考えることが趣味なように、
アタシもシンジいじめと共に趣味の一つなのよ。おわかり?」
アスカはいつも僕を教え諭してくれる調子でそう言ってきた。
こういう時のアスカのイントネーションは一種独特なものがある。
まあ、自分は偉いんだぞ、って感じと言えばわかりやすいんだけど、完全にそ
れだけとも言えないのがまた微妙なところだった。
「う、うん。おわかりだけど・・・・でも、何だか情けないね。」
実際そうだった。
それを認めてしまうと、自分が愚か者だと認めてしまっているようで・・・
別に僕は自分のことを賢いだなんて露程も思ってやしないけれど、でも、はっ
きりと愚か者と言い切られると言うのも、それはそれでやっぱり気になること
であった。
「情けないかもしれないけどさ・・・いいんじゃない、それで?」
「どうして?男だったらやっぱりトウジみたいにびしっとさ・・・」
「それはあいつらしいとこでしょ?ヒカリが好きな、さ。でも、アタシが好き
なのは、そんな情けないシンジだから・・・・」
「・・・・よくわからないよ。アスカが僕を好き、ってのはいいとしても、そ
の理由が情けないからってのは・・・・」
綾波だったら、とにかく僕が好きだから、って言い張るかもしれない。
しかし、アスカは綾波じゃない。
アスカは頭がいいせいか結構理論派だから、自分の感情には明確な理由をつけ
たがる。まあ、それが上手く行っていないこともしばしばだけれど、それでも
そんなやり方は実にアスカらしいと言う感じで、僕は好意的に受け止めていた。
「まあ、情けないだけじゃ駄目よね。でも、シンジの場合、情けないから、情
けないってわかってるから、それだけ頑張ってるし、人にもやさしいでしょ?」
「・・・・そんなもんかなぁ・・・?」
「そんなもんなのよ。少なくともアタシが言う以上、アンタの言う主観的な見
解よりは間違いなく客観的な意見だと思わない?」
「それもそうだね、うん・・・・」
やっぱりこういうのではアスカには一生かかっても勝てないだろう。
アスカの言う通り、僕って情けないから・・・
そして、しばらく会話は途絶えた。
二人とも、ただじっと綾波の様子を見つめていた。
どのくらい時間が経っただろうか?
僕はなんとなくアスカに訊ねてみる。
「アスカ・・・?」
「何、シンジ?」
「アスカってさ・・・色々知ってるんでしょ?」
「色々って?」
「ほら・・・たとえば今みたいに綾波が倒れたとして、その救急の処置とか・・・」
「まあね・・・少なくともアンタよりは知ってるわよ。」
「そうだよね・・・・で、アスカの目から見て、綾波の容体はどうかな・・・?」
「容体って・・・そんな大層なもんじゃないんじゃない?」
「そ、そうなの?」
「多分・・・・」
そう答えたアスカにはいつもの自信は見られなかった。
多分、骨折だとか切り傷の応急処置には詳しくとも、酔っ払いの扱いにまでは
精通していないのかもしれない。
と言うよりも精通している方が不思議だと言えた。
でも、そんなアスカが僕にそっと話し掛けてくる。
「でもさ・・・」
「何、アスカ?」
「アンタも見たでしょ、あの渚をさ・・・?」
「・・・見たって?」
「ほら、スーパーで・・・・」
「あ・・・・」
思い出した。
渚さんが謝罪する代わりにATフィールドで片腕を切り裂いたことを。
そして僕は、すぐにアスカが何を言いたいのかを察してしまった。
「レイも・・・同じなんでしょ、あいつと・・・・」
「・・・・やめようよ、その話はさ・・・・」
「・・・・・・逃げるの?」
そう言ったアスカの声は、小さかったが厳しいものだった。
アスカだって僕の気持ちなど嫌になるほどわかっているだろうし、そんな僕の
気持ちを誰よりも理解し、納得してくれるのもまたアスカのはずだった。
しかし、アスカは僕を逃がさない。
綾波が使徒の能力を備えると言う事実は、変えようのない現実だったからだ。
それが如何に辛いものであったとしても、その現実を否定することは、綾波自
体を否定することにもつながる。
アスカは現実に立ち向かう強さを秘めていた。
いや、強くあろうと努力していた。
そして、それが僕とアスカの違いであり、僕がアスカに憧れる所以だと思った。
「・・・わかったよ。逃げない。」
「うん・・・だからさ、多分レイは平気よ。」
「認めたくはないけどね・・・・」
綾波が平気だとわかるのはほっとすることであったが、その原因を考えるとよ
り心苦しくなった。
「でも、認めなくちゃならないのよ、シンジ・・・・」
「・・・・・アスカは恐くないの、もう?」
「恐いわよ。恐いに決まってるじゃない。でも、レイだから・・・アタシ達の
レイだからさ・・・・シンジも一緒に、こうして傍にいてくれるからさ・・・・」
「アスカ・・・・」
寄り添うようにぎゅっと僕のシャツの袖を掴んでくるアスカ。
僕はそんなアスカを見て、そっとその手に自分の手を添えた。
「・・・レイ、いつ頃眼を覚ますかな・・・?」
「さぁ・・・僕には何とも。」
「だよね・・・・」
「みんなを呼ばないにしても、僕達がいなくなって心配してないかな?」
僕はやや現実に目を向けられるようになって、アスカにそう訊ねた。
アスカが少しだけ現実から離れ始めていこうとした矢先にこれなのだから、我
ながら訳がわからない。
やっぱり僕は、こういう感じになった方が冷静に物事を考えられるのだろうか・・・?
「平気なんじゃない?取り敢えずリツコ達の話が終わるまではさ・・・」
「綾波、それまでに眼を覚ましてくれればいいけど・・・・」
「どうして?」
「だって・・・・」
「いいじゃない、このままだって。朝まで寝かせてあげましょうよ。みんなだ
ってレイが相当飲んでたの、知ってるだろうし・・・・」
「うん・・・でも、やっぱり寂しいよ。綾波がいないと・・・・」
それが僕の本音だった。
綾波がこうして、まあ、自業自得と言えなくもないけど酔い潰れて寝ているの
に、僕達がそれを放っておいて宴会を楽しむなんて嫌だった。
特に僕は綾波に悲しい思いをさせてしまった。
だから、今は綾波の傍にいてあげたい。
しかし、僕がそう思っているとアスカはいきなりこう言ってきた。
「だから、一緒にいましょ、レイが眼を覚ますまで・・・・」
「えっ?」
「一応レイは病人なのよ。誰かの看護が必要だと思わない?」
アスカはそう言って微笑む。
僕もアスカの言いたいことがわかって、笑みを返してみせた。
「そうだね・・・うん、アスカの言う通りだよ。」
「だから、看護役はアタシとシンジ。それで決まりでいいわね?」
「もちろんだよ。至極当然の配役だよね。」
「そうそう、アンタもわかってきたじゃない。」
「何だか最近そればっかり言われてる気がするよ・・・・」
「でも、実際は変わってないのよね。アンタってそこに行き着くまでが遅くって・・・」
アスカの言う通りだった。
僕は何だかんだ言いながらも、アスカの先導があってようやく理解にまで達す
ることが出来る。
そう思うと、やっぱり僕は情けないと言わざるを得ないだろう。
「そうだね・・・やっぱり情けないや、僕。」
僕はそう言って情けない表情をする。
僕くらい情けない奴も、世の中には珍しいかも・・・?
「だから、そんなシンジがいいんだってば。」
アスカはそう言うと、掴んでいたシャツの袖をさらにぐいっと引っ張った。
「あ、伸びちゃうって、アスカ・・・」
「伸びたらその分、アンタが大きくなればいいだけの話よ・・・・」
「そ、そんな無茶苦茶な・・・・」
「そこがアタシの売り。違う?」
「・・・・」
そこまではっきりと断言されてしまうと、僕も返す言葉がない。
しかし、無茶苦茶なところもアスカの魅力のうちの一つだと言おうとすれば、
そう言えなくもなかった。
「シンジ・・・?」
「な、何、アスカ?」
「情けないシンジに聞くけどね・・・・」
僕にそっと話し掛けてきたアスカは、そうわざわざ但し書きをつけてきた。
「う、うん・・・・」
「ここで・・・キスしたいって言ったら・・・・怒るかな・・・?」
「・・・・・うん・・・やっぱりね・・・・」
いくらアスカでも、それだけは出来なかった。
綾波も眠っているとは言え、それは誠実さに欠けた行為だろう。
「そうよね・・・ちぇっ、いい雰囲気なのに・・・・」
「ごめんね・・・・」
そう舌打ちをするアスカは、何だかかわいかった。
「眠ってても、やっぱりこいつはアタシの邪魔をするのよね・・・・」
「・・・・だね。」
僕は軽く笑って応える。
しかし、それ以上突っ込んだことが口に出せないところが、僕の微妙な立場を
よく表しているだろう。
そしてそんな僕をよそにアスカは綾波のほっぺたを人差し指で突っつきながら
こう言う。
「ったく、こんなにほっぺたぷにぷにさせちゃってさ・・・叩き起こしてやろ
うかしら?」
「ア、アスカ・・・それはあんまりだよ・・・・」
「する訳ないでしょ。冗談に決まってんじゃない。」
アスカはそう言いつつも、綾波のほっぺたをぷにぷにすることをやめなかった。
それを見た僕は少し心配になってアスカに言う。
「そんなことして・・・綾波が起きちゃわない?」
するとアスカは少し意地悪い笑みを見せて僕に答えた。
「レイが起きちゃって、何か都合の悪いことでもあるの、シンジ君は?」
「えっ・・・?」
「起きた方がいいんじゃない?起きたらまたみんなのところに行けるんだし・・・」
「そ、そうだね・・・・」
「それともシンジは・・・・」
「・・・・」
「アタシともう少し、こうしていたい?」
「・・・・意地悪だね、アスカって・・・・」
「意地悪なのも、アタシの魅力なのよ・・・わかってるくせに・・・・」
アスカはそう言うと、僕の身体に寄りかかってきた。
そして僕は・・・そのままただ、じっとしていた。
やっぱり僕は、情けない奴だった。
そしてアスカは、そんな僕の魅力を楽しんでいるのだろう。
ほら、こうして今みたいにして・・・・
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