私立第三新東京中学校
第二百九十話・謝罪
「・・・・何や、気に食わんな。」
ざわつく周囲とは正反対に、つまらなそうにトウジが言った。
「ど、どうしたの、鈴原?急にそんなこと言い出して?」
隣にいた洞木さんが、少しトウジらしくもないような台詞を耳にして驚いた。
「気に食わんもんは気に食わんのや。わからんのか、いいんちょーには?」
「・・・・うん・・・ごめん、わからないよ、鈴原。」
トウジの事がわからないと言うのは、洞木さんにとっては悲しい事だっただろ
う。しかし、それ以上に洞木さんは嘘をついても仕方のない事を知っていた。
「バラバラや。バラバラ。」
「えっ?バラバラ?」
「せや。みんなで集まるっちゅうたら、一大イベントや。いいんちょーもそう
思うやろ?」
「う、うん。だからあたしだってご馳走作りに精を出したんだし・・・」
「なら、こういう時にする特別な事ってもんがあってしかるべきやろう?なの
にみんな、いつもと変わらんやんか。」
「・・・そう言われてみればそうかもね。うん・・・・」
洞木さんはトウジが何を言いたいのかを理解して、うなずいて応えた。
その表情は少し嬉しそうで、ちょっとした不安も拭い去れたようだった。
「リツコさんが戻ってきたちゅうのに、なんやみんなで訳わからん話をごそご
そと・・・」
「そ、それはしょうがないよ。あたし達にはわからない難しい事が色々あるん
だろうしさ。」
「まあ、それはわいも大目にみたろ。せやけどな、シンジと惣流は二人でいつ
までもべたべたとしくさってからに・・・・」
「・・・気に食わない?」
「当たり前や!!わいらの前でやるような事やないやろ!?」
洞木さんの言葉が引き金になったように、トウジは少し大きな声でそう言った。
そして更に憤懣やるかたないという感じで、声を荒げて続ける。
「男女のことは慎ましくするもんや。人前でして恥ずかしくないんか、あいつ
らは?」
「しょ、しょうがないよ、鈴原。鈴原だってわかるでしょ、アスカ達の気持ち・・・」
「ああ、わかるわい。せやからわいも黙っとったんや。」
「・・・・」
アスカ贔屓、というか、トウジとの恋路が順調な洞木さんとしては、恋する者
の気持ちがよくわかるのか、トウジに反論してまで僕達を弁護しようとした。
そしてトウジも言われた相手が洞木さんだと言う事もあってか、不満の矛先を
向けられずにぶつくさとこぼした。
「鈴原・・・」
「わいもわかっとるんや。せやけどな、せやけど・・・・」
トウジはそう言うと、手近にあったグラスを手にとってあおる。
トウジは別に中身を確認していなかったが、中には飲み残されて生ぬるくなっ
たビールが六分目ほど入っていた。
洞木さんはそんなトウジを見て心配に思ったのか、そっと注意の言葉を投げか
ける。
「駄目だよ、鈴原。そんな飲み方しちゃ・・・・」
「・・・・酒でも飲まんとやっとられんのや。」
「・・・どうしたの、一体?」
何だか言葉で説明されただけではなさそうなトウジの苛立ち。
洞木さんもそれを強く感じて出来るだけトウジを刺激しないようにそっと訊ね
た。
するとトウジはやや据わった目をして小さく呟いた。
「・・・綾波や・・・・」
「・・・・」
「綾波かてわかっとるはずや。せやからあんな光景見せられても何一つ言わん。
それが綾波の選んだ道や。せやけどなぁ・・・・」
「わかるよ・・・鈴原の言いたい事。」
洞木さんはようやく合点がいったのか、トウジの発言を肯定してそう言った。
そしてそんな洞木さんの言葉で歯止めを失ったのか、トウジは続けてこう言っ
た。
「あいつらかて綾波の気持ち、わかっとるはずや。せやから綾波の事を思えば、
少なくとも綾波の前でいちゃつくような真似はせえへんやろ。とにかくわいな
ら絶対にせんけどな・・・・」
「・・・・しょうがないよ・・・・二人とも、鈴原じゃないんだから・・・」
それは洞木さんのトウジへのさりげない賛辞だった。
しかし、それはあまりにさりげなさ過ぎて、トウジには残念ながら伝わらなか
った。トウジはそんな洞木さんの言葉を聞き流すように自分の考えを語った。
「そんなの関係あらへん。何がよくて何が悪いかしかあらへんのや。まあ、そ
れがわいの価値観やから、あいつらのと違うのかも知れん。わいはそう思うか
ら、無理にわいの考えをあいつらに押し付けるつもりもあらへん。せやからわ
いは、気に食わんっちゅうだけなんや。」
トウジはそう言うと、再びぐいっと飲んだ。
確かにトウジの意見にも一理ある。いや、一理どころではないかもしれない。
しかし、トウジはそれを押し付けない。アルコールが入っていても、トウジに
はまだまだかなりの理性が残されていた。そして、今こうして飲んでいるのは、
まるでその理性の箍を外そうとでもしているかのような・・・・
トウジがお酒に強いかどうかなんてよく知らない。
しかし、少なくとも中学生には過ぎた摂取量だったと言わざるを得ない。
まあ、ここにいる面々は優に通常を超えた量を飲んでいるのだから、これはト
ウジだけに言えた事ではないが、ともかくみんな程度の差こそあれほどよく酔
っ払っていた事は間違いない事実だった。
謹厳実直な洞木さんでさえ、雰囲気に任せてお酒を飲まされ、頬を朱に染めて
いる。よくよく考えてみれば僕達の行為もアルコールの産物だと言う結論を出
してもおかしくなかったかもしれないが、トウジも洞木さんもそう言う見解を
持つに至らなかった事を鑑みると、やっぱり二人揃って酔っていたのであろう。
そしてトウジはただ愚痴っているだけでは済まずに、自分の居場所を失ったよ
うにぽつんと立ち尽くしている綾波に向かって呼びかけた。
「おい、綾波。ちょっとこっちへ来いや。」
何だか酔っ払いが絡んでいるみたいだ。
いや、トウジが言うなら体育館裏への呼び出しのようにも感じられたが、綾波
にそんな小暗い知識は備わっていなかったし、トウジの事も大切な友人として
受け止めていたので、全く躊躇する事なく呼ばれるがままに近寄ってきた。
「・・・何?」
綾波もそっけない。
綾波はお酒が入ると、どっちかと言うと饒舌になるよりも寡黙になるようだった。
まあ、お酒を飲むとその人の本性がわかるとも言うから、やっぱり綾波は基本
的にあまりしゃべらないタイプなのだろう。
「まあ、そんなとこで立っとらんでわいらと一緒に飲めや。」
「・・・別に構わないけど・・・・」
「そんな不景気な面すんなや。ほら、何がええんや?」
「・・・失礼ね、不景気なんて・・・・」
綾波は無遠慮なトウジの言葉に少し気を悪くしたのか、わずかにその整った眉
をひそめてそう言った。
だが、トウジはそんな綾波の反応など大して気にもせずに、これが景気いい面
構えなのだと言わんばかりに堂々と笑って言った。
「ならもっと楽しそうに笑ってみい。こういうのを景気いい面ちゅうんや。」
「・・・笑えばいいの?」
「せや。まあ、心の底から、っちゅうのが前提やけどな。」
「・・・・・」
トウジはそう言ったが、綾波は笑わなかった。
今の綾波は、トウジが察したように心の底から笑えるような、そんな状態では
なかったに違いない。作り笑いという手もあったが、綾波はそんな器用な人間
ではなかったし、そんな意味のない行為に価値など見出さなかっただろう。
そしてトウジもそんな綾波を見て、わずかに表情を引き締める。
「・・・まあ、とにかく飲めや。何がええんや、綾波?」
「・・・・日本酒。」
「さよか・・・綾波は酒豪やな。ま、一杯いったれや・・・・」
そう言ってトウジは綾波にお酌をする。
何だか反対のような気もしたが、不思議と自然に見えた。
そして綾波も男のトウジにお酌される事に何の抵抗も感じずに大人しく杯を受
けていた。
「・・・ありがと。」
綾波はぼそっとお礼の言葉を述べると、満たされた杯を傾ける。
そしてトウジは飲む綾波の姿を穏やかに見守りながら、何気に自分もグラスを
傾けた。
「・・・うまいか?」
「ええ・・・」
「さよか・・・・」
そう言ってトウジは空になった綾波の杯を再び冷酒で満たす。
「あなたも・・・飲む?」
「せやな。ほな、一杯だけ・・・」
綾波に勧められたトウジは、転がっていた手頃な杯を拾って綾波に差し出した。
「どうぞ・・・」
「おっとと、済まんな、綾波。」
「どういたしまして。」
綾波は丁寧な受け答えの後、自分の杯に口をつけた。
一方トウジは綾波のお酌を受けた後、思い出したように洞木さんに向かってこ
う言った。
「せや、いいんちょーも飲むか?」
「えっ?あたし?」
「他に誰がおるっちゅうんや?」
「え、う、うん・・・じゃあ、一杯だけ。ほんとに一杯だけだよ、鈴原。」
「わかっとるわい。わいのヒカリに無理はさせられんからな。」
「えっ!?」
それはトウジが無意識に言った言葉だった。
しかし、それだけに洞木さんにとっては驚きであり、うれしくもあった。
トウジはそんな自分の発した台詞の意味にすら全く気がついていない様子で、
ほとんど空になった今の瓶の代わりに新しい冷酒の封を切ると、真っ赤な顔を
した洞木さんに注いであげた。
「たまには日本酒もええやろ。」
「そ、そうね、鈴原。」
洞木さんの声は上ずっている。
きっとお酒どころではないのだろう。
しかし、トウジはそんな洞木さんの大きな変化にも全く気付く事なく、ただ洞
木さんが飲むのを待っていた。そして洞木さんはトウジが自分を待っている事
に気がつくと、慌てて冷酒を一気飲みしてみせた。
「おっ、いいんちょーもなかなかやるやないか。そういうことならもう一杯・・・」
「だ、駄目だよ、鈴原・・・あたし、これ以上飲んだら・・・」
「なにつまらんこと言うか?ええから飲め飲め。」
「あっ・・・・」
無理矢理トウジにお酌をされて、ようやく事態に気付く洞木さん。
さっきとは打って変わって冷静さを取り戻したのか、困った顔をしてトウジに
視線で助けを求めた。
するとトウジはいともあっけなく洞木さんに言った。
「まあ、無理に飲む事もあらへん。飲みたくなったら飲みや。」
「えっ?」
流石に洞木さんもそれには驚いた様子だったが、既にトウジの意識は洞木さん
から綾波に戻っていた。
「おいおい・・・」
見れば綾波は手酌で飲んでいる。
トウジもそれには呆れた様子で声を発した。
すると綾波はトウジに視線を向ける事なく小さな声でこう言った。
「飲まないと、やってられないもの・・・・」
「さ、さよか・・・」
「・・・・」
綾波はただうなずいて、そして杯を傾ける。
トウジはそんな綾波を見て小さく言った。
「・・・辛いんか、やっぱり・・・・?」
「・・・・辛くないと言えば、嘘になるわ・・・・」
そう言う綾波の声は、多量のアルコールを摂取しているにもかかわらず、お酒
のせいで頬を真っ赤に染め抜いているにもかかわらず、不思議と明晰だった。
「自棄酒か?」
「・・・・でも、おいしいから・・・・」
「さよか・・・」
「・・・・」
「・・・すまんな、綾波・・・・」
「どうして謝るの?」
突然謝罪の言葉を口にしたトウジ。
流石に綾波もそれは予期していなかったのか、顔を上げてトウジを見やった。
刹那、綾波の視線とトウジの視線が一つになる。
だが、トウジはさりげなく視線を下に向けてこう綾波に答えた。
「・・・わいは綾波の親友や。そして、シンジと惣流の親友でもある。それだ
けや・・・・」
「そう・・・・」
「親友は・・・何のためにいると思う、綾波?」
「・・・・さぁ、わからないわ。口では上手く説明できない・・・・」
「そうかも知れんな・・・」
「・・・・」
そして会話は途切れる。
洞木さんも、この二人の不思議な雰囲気に、口を挟む事が出来ずにいた。
沈黙の中、綾波はお酒を飲む。
そしてそれに付き添うようにトウジも・・・・
小さな杯が飲み干された時、トウジはそっと綾波に語る。
「わいはな、綾波・・・・」
「・・・・」
「わいには何も出来ん。ただこうして、一緒に飲んでやるくらいや・・・」
「・・・それでもいい・・・・私も独りじゃないから・・・・」
「すまんな・・・」
「・・・・」
「すまん・・・・」
ただ、トウジは謝っていた。
そして、綾波も何故かトウジの謝罪を拒もうとはしなかった。
冷酒の発する微かな甘い香りがたゆたう中、瓶の中身は減って行く。
不思議な空気に包まれながら、トウジと綾波はお酒を酌み交わし続けたのだった・・・
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