私立第三新東京中学校

第二百八十七話・苦みと現実


ドタバタした記念撮影も済ませ、僕達は再びだらりとした状態に戻った。
しかし、さっきまでと違うのは、やはりここにリツコさんがいることだろう。
確かにリツコさんが戻ってきて、色々話も尽きないと言うのもあったのだが、
それ以前にリツコさんが来る前は特にこれと言った核になり得る話題がなかっ
たと言うのも事実だった。

僕達の仲間として新たに加わった山岸さんもいたのだが、彼女はそう口数の多
いほうでもないし、喋るよりも料理を作っていることのほうを好んだ。山岸さ
ん自身が積極的にキッチンに立つのだし、それをわざわざ押しとどめると言う
のも失礼なことなので、みんなは山岸さんのしたいようにさせて、こっちに来
たときにだけ声をかけることにしていた。
まあ、僕や洞木さん、綾波に関しては、一緒に料理をしながら楽しく会話をし
ていたんだけど・・・


「ほらほらぁ、駆け付け三杯って言うじゃないの!!リツコもぐいっと飲んで
飲んで!!」
「もう・・・相変わらずね、ミサト。」

目はまだ正気を保っているものの、かなり酔いの回っている体のミサトさんが、
リツコさんが腰を下ろすや否や早速缶ビールを押し付ける。
だが、リツコさんも返した言葉の通り、そんなミサトさんに慣れているのか、
ともかくそれほど嫌そうな様子も見せずにすんなりビールを受け取ると、いい
音をさせて口を開けた。

そしてリツコさんはミサトさんに促されるままあおるようにビールを喉に流し
込んだ。
それは酒豪のミサトさんも感心するくらいにいい飲みっぷりで、如何にもリツ
コさんに似つかわしからぬその様子に、みんな目を丸くしてその様子を眺めて
いた。

「リツコ、アンタ・・・・」
「このくらいじゃなくちゃね。さぁ、ミサトも飲んだらどう?」

驚くミサトさん。
しかし、当のリツコさんは平気な顔をしてミサトさんにビールを勧めた。

「えぇ、飲むけど・・・・」

ミサトさんは釈然としない様子だったが、リツコさんに言われた通りにしっか
りとビールだけは飲んでいた。
そしてリツコさんはそんなミサトさんの様子を穏やかな目で見守る。
それを見た僕は、そっと一言リツコさんにこう言った。

「・・・・戻ってきたんですね、リツコさん・・・・」
「・・・ええ・・・・」

僕の方を向いて応えてくれたリツコさんは、本当に帰ってきたと言う感じだった。

不本意ながらも自分の場所から去ったリツコさん。
失ったときには感じなかったその痛みも、それを取り戻したときにそれが如何
に大きなものだったかを知るのかもしれない。
自分は孤独なんだと勝手に決め付け、いや、決め付けようとしていたリツコさ
んだったが、こうしてみんなに囲まれてビールを飲むことがどれほど楽しいこ
とだったのかを思い出し、その感触に浸っているのだろう。


そして、バラバラに飲んだり食べたり喋ったりしていた僕達は、リツコさんを
取り囲むような形で一つになった。
洞木さんや綾波、山岸さんたちも、さすがにこれだけ料理が食い散らかされた
まま大量に残されている光景を見て、これ以上作ろうと言う気にはならなかっ
たので、みんなのもとへと戻っていた。

「でも、先輩が帰ってきてくれて本当によかったです。やっぱり先輩がいない
と・・・学校も寂しいですからね。」

嬉しさを満面に湛えて伊吹先生がそう言う。
伊吹先生はリツコさんが顔を見せる前までは本当にお義理程度にしかお酒も飲
んでいなかったのだが、リツコさんが戻ってきたことで気が昂ぶっているのか、
景気よくグラスを傾けてはアルコールで頬を朱に染めていた。

「そうかしら・・・別に私がいなくたって、ちゃんとやってこれたんでしょう?」

リツコさんは他のみんなに対する態度とは違ってかわいい後輩に対する感じで
そう言った。
伊吹先生もかつてのリツコさんが変わらずに戻ってきてくれたことを感じて、
嬉しそうに反論した。

「そんな、そういう問題じゃありませんよ、先輩。確かに授業くらいなら先輩
なしでも・・・それはもちろん大変でしたけど、それでもなんとかやれました。
だからこれからのことについて心配は要らないんですけど・・・でも、そうじ
ゃないんですよ。」
「じゃあ、どういうことなの、マヤ?」
「ええと・・・口に出して表現するのは難しいんですけど・・・・とにかく私
達はみんな揃ってこその仲間だと思うんです。だから先輩が欠けただけで・・・」
「・・・・」
「えっと・・・む、難しいですね、やっぱり。ほらほら、黙って聞いてないで
先輩も飲んで下さいよぉ。」

伊吹先生は自分の気持ちを上手く表現出来ないのを誤魔化そうとリツコさんに
更にビールを勧めた。
リツコさんは促されるままに缶に口をつけたが、ひとくち口にしてから伊吹先
生に言う。

「それよりマヤ?そんなに飲んで大丈夫なの?あなた、お酒強いほうじゃない
のに・・・・」
「平気ですっ!!先輩が帰ってきたって言うのに、飲まずにはいられませんよ!!」

伊吹先生は大きな声でそう言うと、自分の言葉を証明してみせるようにグラス
を手に持つとぐいっとあおった。
すると、それを見ていたミサトさんがはやし立てる。

「お、マヤちゃんもなかなかやるわねぇ!!ほら、アンタ達も女の子に負けて
ないで、飲んだ飲んだ!!」

ミサトさんはとにかく飲ませたいらしい。
本当に、こういう人間が一番宴会場では迷惑がられるタイプだろう。
まあ、その反面、場を盛り上げるには持ってこいなのかもしれないが・・・・


「おいおい葛城。俺達教師はいいとしても、これ以上子供たちに飲ませるのは
問題なんじゃないのか?」

酔っ払いモードを突き進むミサトさんに向かってそう苦言を呈したのは、不良
おとなの加持さんだった。
加持さんは結構だらしないところがあるにしても、どこまでなら大丈夫なのか
をちゃんとわきまえているところがあった。だから、ミサトさんが暴走を始め
るような時には、大抵加持さんがストップをかける役目を引き受けていたのだ。
その辺が、加持さんの偉いところであり、大人らしいところなのだ。

しかし、酔っ払いにはそんな常識めいた言葉は邪魔臭いだけだ。
ミサトさんはうるさそうに加持さんにこう言った。

「ったく、何言ってんのよ、加持!!ここまで飲ませといて、今更なこと言う
んじゃないわよ!!」
「今更じゃなくって、これ以上だとヤバイから・・・・」
「うるさい!!酔いつぶれちゃったら泊めてあげればいいんじゃない!!」
「おい・・・・ここはお前のマンションじゃないんだぞ・・・・」

加持さんは呆れたようにそう言った。
しかし、もうそんな加持さんの呟きはミサトさんの耳には入っておらずに、加
持さんを放っておいて手頃に近くにいた獲物・山岸さんに無理矢理ビールを勧
めていた。

「ほらほら、山岸さん?あなた、かわいいんだからもっと飲んで・・・飲んだ
らもっともっとかわいくなれるわよぉ。」

・・・無茶苦茶な論理である。
しかし、酔っ払いとは無茶苦茶なものなのだ。

「ええと、その・・・・」

実のところを言うと、ここにいる全員の中で一番お酒を飲んでいないのは山岸
さんである。僕の見ていた限りでは、山岸さんは乾杯の時にだけしか、しかも
ほんの口を付けるだけしか飲んでいないようだった。
まあ、それが健全な一般中学生としては当然なのだし、ミサトさんと付き合っ
ている僕達のほうが堕落しているのだろう。

しかし、とにかくそんな常識は酔っ払いには通用しないのだ。
困ったように返事に困る山岸さんであったが、ミサトさんの絡み酒に断り切れ
ずに苦いビールを口にさせられていた。

そしてそんな光景を見ながら、こちらは結構出来上がってきつつあるアスカが
ミサトさんを後押しするように山岸さんに言った。

「そうそう、ミサトの言う通りよ、山岸!!シンジだって酔っ払った女のほう
が好きなんだから!!ね、シンジぃ?」
「えっ・・・?」

いつの間にやら僕にまで話を振られる始末だ。
アスカは僕にしな垂れかかるようにとろんとした目をしてそう訊ねてきた。
そして僕はさっきの山岸さん状態になってしまって困ったような目で周りをき
ょろきょろ見渡す。
すると・・・・

「・・・アスカの言う通りなの、碇君?」

これまたいつのまにやら僕の間近にいた綾波と目が合ってしまった。
綾波は当然と言うか、大きすぎる嫌いのあるアスカの声を聞いていたらしく、
僕に小さく訊ねてきた。

「えっ?あ、綾波?そんな訳・・・・」

アスカと違って料理をしていた時間があったため、綾波はまだそれほど飲んで
はいない。しかし、飲んでいたものがこれまた問題であって、中学生が冷酒な
どを飲んでいればすぐに酔いが回るのは当然の成り行きだった。
今はまだ綾波もほろ酔い加減で頬を朱に染めてかわいい感じなだけであったが、
すぐにアスカと大して変わらなくなるであろうと言うことは、僕にも十分に察
しがついた。

「こら、シンジ!!浮気厳禁!!」
「な、何で浮気って・・・」

アスカも相当に酔っ払っているのか、綾波とちょっと話をしただけでこの有様だ。
しかし、酔って理性の箍を外したこれが、アスカの真実なのかもしれない。
普段は理性で抑えてはいるけれど、僕のことを信じ切ろうとはしているけれど、
綾波の僕に対する想いと、それに対する僕の気持ちについては、不安に感じる
ところが多分にあるに違いない。

だが、そんなアスカに負けじと綾波がぼそっとひとこと呟く。
無論、アスカに聞こえるように・・・・

「・・・浮気じゃないわ。純愛だもの。」
「あ、綾波ぃ!!」
「こら、レイ!!減らず口を叩くんじゃないわよ!!」

流石は綾波である。
言葉少ななのは変わらないが、いつの間にやら言葉巧者になっていた綾波は、
僕とアスカを驚かすに十分な台詞を口にしていた。
そして更に綾波は僕に向かってこう言う。

「碇君も一杯どう?」
「え、ああ、うん・・・・」

綾波が僕に対して冷酒用の小さなグラスを差し出す。
僕は茫然としながらも差し出されたそれを受け取った。

「さ、どうぞ・・・」
「あ、ありがと・・・」

僕が受け取ると、綾波はグラスに冷酒をなみなみ注いでくれる。
そして僕は一通りそれを眺め回してから、恐る恐る口にした。

「こら、シンジ!!レイの酒を飲むんじゃない!!」

アスカは大きな声で僕をぽかりと叩く。
僕はアスカのそれに一瞬むせたものの、何とか吐き出すことなく飲むことが出
来た。

「どう、おいし?」
「え、あ、うん・・・・苦くないし、僕にはこっちのほうがいいかな?」

それは僕の本心から出た言葉だった。
そしてそれが嬉しいらしく綾波は微笑みながら言う。

「そう・・・よかった、碇君がそう言ってくれて。」
「え、あ、うん・・・・」
「私も・・・これが一番好き。」

綾波はそう言うと、僕のことを上目遣いで見ながらくいっとひとくち飲んだ。

「そ、そうなんだ・・・・」
「ええ。だから・・・」

綾波が何かを言おうとした時、それを遮ってアスカが怒鳴るような声で割り込
んできた。

「シンジ!!アタシの酒も飲みなさいよね!!」
「えっ?」

半ば予想はしていたが、案の定アスカも自分のお酒を持ってきた。
だが・・・アスカはさっきまでカクテルのようなものを飲んでいたはずだった
が、今手にしているものはまごう事無き赤ワインだった。

「おじさま秘蔵のワインよ。ほら、飲んで飲んで・・・」
「うう・・・」

楽しそうに勧めるアスカ。
アスカ自身が飲んでいたグラスらしいので、別に僕に対する嫌がらせでもなん
でもなく純粋においしいから勧めているのだろう。
しかし・・・僕は知っているのだ。赤ワインは渋いということを。

僕は仕方なくアスカからグラスを受け取り口につける。
そしてアスカはそんな僕を興味津々の体で穴が空きそうなくらいじーっと凝視
していた。

「・・・しぶ・・・・」

やっぱり渋かった。
そしてそんな僕をからかうかのように、横で楽しそうに見ていたミサトさんが
口を出す。

「シンちゃんはおこさまだからねぇ!!アスカの熱愛と同じで赤ワインはまだ
ちょっち早いんじゃない!?」
「そ、そんな!?おいしいじゃない、これ!!」

アスカはミサトさんの言葉に、僕の手からグラスをひったくって飲んでみる。
綾波はそんなアスカの光景を眺めながらぼそっとこう言った。

「・・・私の愛なら、碇君は受け止められるのね・・・・」
「こら、レイ!!もう一度言ってみなさいよ!!」
「・・・私、しつこくないもの・・・・・」
「な、なんですってぇ!?」

誰、とは言わない綾波。
それが一層アスカの勘に障ったのか、怒りに任せて勢いよくアスカが立ち上が
った。
そして綾波はと言うと、アスカのことなど意に介した様子もなく澄ました顔を
して冷酒に口を付けていた。


「・・・先輩?」
「なに、マヤ?」
「いいですよね、こういうのって?」
「・・・そうね・・・・」

お酒を飲むでもなく、グラスを口につけたまま言う伊吹先生。
そしてリツコさんは静かにそんな伊吹先生に応えた。

「これからも、ずっとこうだといいですね。」
「そうね。」
「今がこうしてずっと続いてくれたらなーってそう思うんです、私。無理なこ
となんですけどね。」
「・・・・」

胸元にグラスをあてて、伊吹先生は照れた様子でそう言う。
リツコさんは黙ったまま、伊吹先生の言葉を聞いていた。

「今、とっても幸せです。でも、だからってそれに満足していちゃ行けません
よね。もっともっと幸せになって・・・・一緒に頑張りましょうね、先輩!!」
「・・・・そうね・・・・幸せに・・・・」

少し前の渚さんとの会話を思い出してリツコさんは伊吹先生の言葉に応じる。
そしてそのリツコさんの表情を見て、伊吹先生はくすっと笑ってこう言った。

「何だか先輩のそういう表情、随分と久し振りに見た気がします。」
「そう?」
「はい。もしかしたら、私が先輩のところに来た時に開いてもらった歓迎会以
来かもしれませんね。」
「・・・・そうかしら・・・?」
「ええ・・・・」
「・・・巡り巡って、そして最初に戻ってきたと言うことなのかしら?そして・・・」
「そして先輩は、ここにいるんですよ。こうして私の隣に。」
「マヤ・・・・」

そうひとこと呟くと、リツコさんは缶ビールに口を付けた。
ビールのほろ苦い味は、痛みと喜びのない交ぜになった現実を、リツコさんに
感じさせていてくれた・・・・


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