私立第三新東京中学校

第二百八十六話・大人同士の乾杯


「あ・・・・」

みんなの前に姿をあらわしたリツコさん。
僕達中学生連中は渚さんの話を聞いていたので、それほど意外に思うことも
なかったようだが、ミサトさんたちの驚きは尋常ではなかった。

「・・・・」

そして、リツコさんは声を出せずにいる。
確かに今までの経緯を鑑みれば、何を言ってよいのかわからなくなっても当
然だろう。
しかし、そんなリツコさんを支えるかのように、渚さんが斜め後ろに付き従
っていた。

決意もしたけれど、やっぱり人の心はそう強くもなれない。
特にリツコさんはずっとか弱い自分を鎧ってきただけに、今までのスタンス
を簡単には変えられなかったのかもしれない。
いや、言うならば、自分が変わると言うことを恐れていただけなのか・・・?

そして、そんなリツコさんにとって渚さんの存在は大きなものがあった。
リツコさんは絶対にそれを表面に出したりはしないけれど、渚さんだけはそ
のことを知っていた。
知っているから、渚さんはリツコさんのそばにいた。
リツコさんを守るナイトとして・・・・


走る沈黙。
皆が皆、息を呑んでリツコさんと渚さんを見ていた。
余裕のある表情をしているのは加持さんくらいなもので、リツコさんが来る
可能性を知らされていた僕達も、これからの成り行きに身動きが取れずにい
た。

そして、そんな中動く人間がひとり・・・・

「先輩・・・・」
「・・・マヤ・・・久し振りね。」

それは当然とも言うべきか、伊吹先生だった。
リツコさんの失踪を一番心配し、かつ悲しんでいたのは他ならぬ伊吹先生だ
ったからだ。

思わずつぶやく伊吹先生。
そしてリツコさんもそれにつられて初めてみんなの前で声を発した。
伊吹先生は思わぬ再会の衝撃に上手く言葉を発することが出来なかったが、
リツコさんの言葉を耳にして一気にその糸が切れた。

「先輩、先輩!!」

そしてリツコさんの胸に飛び込む。

「私、私、先輩のこと・・・・ずっと心配していたんですよ・・・・どうし
て・・・」
「・・・ごめんなさい、マヤ。心配かけて・・・・」
「いえ・・・いえ、いいんです。こうして先輩が戻ってきてくれたんですか
ら、私はそれだけで・・・・」
「ごめんね・・・・」

まるで子供のようにしゃくりあげながら泣く伊吹先生。
そして自分の胸に崩れ落ちて鳴咽するそんな伊吹先生をリツコさんは穏やか
な表情で見下ろしていた。

伊吹先生の行動で、みんなの緊張も解れた。
身近にビールの缶がなかったミサトさんは、いきなり加持さんの持っていた
ウイスキーのグラスをひったくると、ぐいっとあおった。

「おいおい、葛城・・・」
「アンタは黙ってて、加持。今いいとこなんだから・・・・」

呆れる加持さん。
しかしミサトさんは加持さんのほうをちらとも視線を向けることなく、食い
入るようにリツコさんと伊吹先生を見つめていた。


「やっぱええなぁ、感動的再会っちゅう奴やな。」

そして、こういうお涙頂戴的シーンには滅法弱いトウジは、柄にもなく目尻
を微かに震わせながら感無量と言う様子でそう言った。

「そうね・・・あたしも赤木先生のこと、心配だったし・・・」

トウジに合わせるようにそう言う洞木さん。
何だかトウジの感慨とは少しずれているような気もするが、トウジの感動を
共有したいと言う健気な想いは十分に感じられた。


「・・・・」

そんないい雰囲気の二人をよそに、ケンスケは独り黙っていた。
無論、視線はみんなと同じ方向を向いていたが、眼鏡のフレームに軽く手を
当てた姿は、妙に斜に構えている感じを与えた。

「・・・いいですよね、こういうのって?」

そう言ってケンスケに近づいたのは山岸さんだった。
山岸さんは割と周囲の雰囲気に敏感なところがあって、ケンスケの様子をい
ち早く察知しての行動だろう。

「そうだね・・・まあ、悪くないよ。」
「・・・それだけですか?」
「うん・・・俺は別に赤木先生のこと、そんなに気にしてなかったからさ・・・」
「そうですか・・・でも、私も赤木先生のこと、よく知らないんですよ。」
「そうなの?」
「ええ。いなくなるのは進級する前でしたし、二年の時は別の先生に教わっ
ていましたから・・・」
「そう・・・まあ、理科の教師は赤木先生だけじゃないからね。」
「私もいろいろ噂は耳にしていたんですけど・・・・」
「へぇ・・・どんな?」

ケンスケは目の前の光景よりも、山岸さんとの会話により興味を覚えたよう
で、姿勢を変えて山岸さんの方をちゃんと向いて訊ねた。
山岸さんはケンスケが自分との会話に集中しようとしたことを知ると、同じ
ように視線をケンスケに向けて答えた。

「いえ、その・・・・変わった先生だと・・・・」
「それだけ?」
「ええ・・・いえ、教科書から外れた授業をする人だって・・・」
「まあ、確かにそうだね。俺にとっては非常に興味深かったけど。」
「そうなんですか?ならどうして赤木先生のことには・・・・」

山岸さんは少し身を乗り出してケンスケに訊ねた。
するとケンスケは言いにくい様子で少しだけ視線を脇に逸らすと小さく呟いた。

「・・・・俺に・・・・俺に似てるからだよ・・・・・」
「似てるって・・・・相田君に?」
「そうさ。俺は赤木先生ほどじゃなかったにしても相当一つのことに入れ込
んでいる節があるから、だからわかるんだ、あの先生のこと・・・・」
「・・・・」
「俺は知ってるよ。シンジたちはそうじゃないにしても、俺がみんなからマ
ニアだのオタクだの言われて敬遠されてることを・・・・」
「そんな・・・・」
「いや、山岸さん、あんたは違うよ。あんたは礼儀正しくて優しいからな。
しかし、世の中あんたやシンジみたいな善人ばかりじゃない。偏見に凝り固
まっているのさ。」
「・・・・・」
「俺は俺なりに色々考えて今の俺でいるんだ。でも、それを本当にわかって
くれる人間なんてどうせ極僅かだろう?シンジだってそうさ。俺、相田ケン
スケと言う人間を認め、親友としてつきあってくれている。だが、俺の趣味
をどう見ている?あいつはいい奴だけど、俺の趣味に関しては精々変わった
奴だなとしか思っていないはずだよ。」
「・・・それは・・・・確かにそうかもしれません。」
「だろう?まあ、反対に俺は誰にでもわかること、誰にでも出来ることにな
んて何の価値も見出さないんだ。俺だけにってことは厳密には無理かもしれ
ないけど、俺だからこそ、っていう何かを求めているんだ。」
「・・・・凄いですね。相田君の考え、立派だと思います。」

手頃な聞き役を得たケンスケは、珍しく饒舌になっていた。
そして山岸さんもケンスケの心からの熱弁に不思議と心を動かされたのか、
真剣な眼差しではっきりとそう言った。

「ありがとう。山岸さんは真面目だからな・・・俺のこんな愚痴めいた話も、
ちゃんと聞いてくれて・・・・」
「いえ、いいお話だと思いました。私にも、少なからず共通する点だと思い
ましたから・・・」
「山岸さんにも?」
「ええ。私もほとんど料理マニアですからね。」

驚くケンスケに、山岸さんは軽く笑って答えた。
そして、ケンスケもそんな山岸さんの笑いにつられるように笑って応じる。

「ははは・・・マニアか・・・確かにそうかもしれないな。」
「ええ。料理って凄く一般的なものかもしれませんけど、コックにでもなる
のじゃなければそこまで自分を捧げたりしませんからね。」
「そうだね。分野は異なれ、注いだ情熱は俺と変わらないかもしれないし・・・」
「いいですよね、何かに打ち込めるって。」
「まったくまったく。俺達、結構話が合うかもしれないなぁ。」
「ええ。お互い込み入った話は無理かもしれませんけど、精神の基調は似通
っているのかもしれませんね。」

楽しそうに話を弾ませる二人。
ケンスケはアルコールも手伝ってか、妙に上機嫌になって山岸さんに申し出
た。

「今度、写真を撮らせてよ。俺、ちゃんと綺麗に撮るからさ。」
「ええ、喜んで。ならそのお返しと言っては何ですけど、私の作った料理、
食べてくれますか?」
「もう食っちゃってるけど・・・・よし、なら今ここで撮ろう!!」
「えっ!?」
「俺はこんな場でなくてもカメラの一台や二台は常備してるのさ。だからこ
そのマニアなんだよ。」
「凄いですね。私はそこまでは・・・」

感心する山岸さん。
ケンスケは鞄からカメラを取り出しながら、山岸さんに向かってこう言った。

「俺、山岸さんみたいなちゃんとした料理は出来ないけど、サバイバル料理
なら得意なんだ。キャンプにでも一緒に行ったときは力になるよ。」
「そうですか?ありがとうございます。私、そういうのって経験なくって・・・・」
「そう?じゃあ、今度一緒に遊びにでも行こう。いいよー、キャンプは。」
「ええ、今度是非・・・みんなで一緒に・・・・」

そして、そんなこんなしているうちにケンスケはカメラを準備し終えた。
しかし、そんな派手な行動をとっていれば嫌がおうにも気付くと言うもので、
トウジがケンスケに向かって言った。

「お!!ケンスケ、気が利くやないか!!再会を祝しての記念撮影かいな?」
「えっ?違うって。俺は山岸さんを・・・・」
「まあまあ、とにかくええから撮りいや。な!!」

ぽん!!と大きくケンスケの肩を叩くトウジ。
ケンスケは僅かに迷惑そうな顔をしたものの、トウジの言うことも至極もっ
ともだと思ったのか、しょうがないと返事をした。

「ったく・・・わかったよ、トウジ。じゃあ、その辺にみんなを並ばせて・・・・」
「よっしゃ!!わいに任せとき!!」

トウジは意気揚々と返事をして、場を仕切りにかかった。
こういう場合はトウジよりも洞木さんのほうが適任のような気もしたが、洞
木さんは敢えて出しゃばることもなく、大人しくトウジの様子を見ていた。
そして、そんな洞木さんを見とめたアスカがからかうようにそっとささやい
た。

「・・・ヒカリ、いい奥さんになれるわよ、きっと。」
「ア、アスカ!!もう、冗談は止めてよね!!」
「冗談じゃないってば。はっきり言って、若奥様、って感じがしたわよ。も
う、うらやましいったら、照れるやら・・・・」
「い、いい加減にしてよ!!それよりほら、並んで並んで・・・」
「はいはい。ご馳走様ご馳走様。」

真っ赤な顔をしたまま洞木さんは恥ずかしそうにアスカの背中を押しやる。
そしてそんなアスカはいかにも面白いものを見つけたと言うような表情で洞
木さんの様子を見ながら押されていた。


「いいわねぇ、若いって。」

そしてそんなアスカと洞木さんを見たミサトさんは、いつの間にやらビール
をゲットしてきて、まるですするようにちびちびと飲みながら感慨深げにそ
うつぶやいた。
するとそれを聞きとめた加持さんが、こっちはビールを見つけたミサトさん
にあっけなくグラスを返してもらった、いや押し付けられたのか、邪魔臭そ
うに両手にグラスを持ったままミサトさんの言葉に応えた。

「おいおい、俺達だってまだ若いだろう?俺はまだ青年のつもりだぞ。」
「何言ってんのよ。そんな無精髭生やして、オヤジじゃないって言う訳?」
「それは心外だな。俺のこの髭はいわば若いころからのポリシーで・・・」
「若いころから、って・・・アンタ、そんな台詞が出てくるところからして
もう若くないんじゃないの?」
「くっ、俺としたことが・・・・迂闊。」
「馬鹿ね。そんなに若いのがいい訳?」
「当然じゃないか。葛城は違うのか?普通の女性は年齢をサバ読んだりして、
兎角若く見られたいって思うのが普通だと思うけど・・・・」

加持さんは珍しく驚いて目を丸くしながらミサトさんに訊ねた。
するとミサトさんは不思議と穏やかな表情で加持さんに答えた。

「まあ、そういうところもあるわよ。でも、それは所詮偽りでしょ?他人は
騙せても、自分は騙せないわ・・・・」
「まあ、そりゃあ・・・な。」
「アタシは自分を誤魔化したくない。今の自分をちゃんと見つめたいと思っ
てるの。」
「なるほど・・・」
「それに、ただ若くってもしょうがないでしょ?この、成熟したオトナの魅
力ってものがわからなきゃ!!」
「・・・葛城の言うことにも一理あるな。確かに大人には大人の魅力っても
んがあるだろ。」
「でしょう?アタシ達は大人なんだからさぁ・・・・」
「そうだな・・・・」

そして加持さんは二つあったグラスのうち、片方を持ち上げるともう片方に
中身を全て移し替えた。そのかなり並々と水割りの入ったグラスをミサトさ
んの方に差し出す。

「・・・何なのよ?」

そんな加持さんの行動にいぶかしげな視線を向けて訊ねるミサトさん。
加持さんは困ったようにこう答えた。

「だから・・・乾杯のつもりなんだけどなぁ・・・・」
「・・・・アンタのそのグラスと、アタシのこの缶ビールと?」
「お、おかしいかなぁ?」
「あ、当たり前でしょ!!もう、馬鹿なんだから!!」
「そ、そうかぁ?そうでもないと思うけど・・・・」

ミサトさんは既に呆れるどころじゃなくなっていた。
しかし、加持さんはそれを認めずにひたすらとぼけたことを言っていた。
するとミサトさんはそんな加持さんにもう諦めを感じたのか、フッとため息
ついてこう言った。

「もう・・・しょうがないわね、アンタはいつまで経っても子供なんだから・・・」
「済まんな、葛城。俺、子供っぽくって・・・・」
「いいのよ・・・アタシ、アンタがそうだってわかってるんだから・・・・」

そしてミサトさんはすっとビールの缶を加持さんの方に差し出す。
不思議な大人同士の乾杯は、それ以上におかしな音を立てた。

「・・・変な音。」
「そうだな。大人と子供の乾杯だからかな?」
「・・・・何言ってんのよ・・・子供なのはアタシも同じでしょ・・・・」
「そっか・・・・そうだな・・・・」
「もう、それしか言えないの、アンタは?」
「すまん、俺、子供だから・・・・」
「もう・・・・いいから髭、剃んなさいよ・・・・」

そう言われた加持さんは、ただ困ったように顎に手をやるだけであった・・・


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