私立第三新東京中学校
第二百八十三話・寂しさに震える夜には
「・・・・・」
「・・・凄いな、やっぱ。」
「俺達は、噂で聞いてるだけだからな。」
「ああ。葛城先生とかは日常茶飯事なのかもしれないけど・・・・」
「そうだな。当てられっぱなしなんだろうな、可哀想に・・・」
「いや、そうでもないだろ。お前には悪いけど葛城さんにはほら、加持先生が
いるから・・・・」
「ん?俺のことがどうかしたか?」
「い、いえ、何でもありませんよ、加持先生。」
「そうか?いや、それにしてもなかなか最近の中学生も大胆なもんだな。みん
なの前でこうして平気で抱き合えるんだから・・・・」
「そうですね。俺達もシンジ君達に比べたら、もうおじさんなんでしょうかね?」
「まだ若いのに何言ってるんだ、日向君。君も彼女がそばにいれば、あんなも
んじゃないのか?」
「・・・・いえ、私は・・・・彼女なんていませんから。」
「そうか・・・・そいつは済まなかったな。」
「いえ、いいんですよ。加持先生が悪い訳じゃありませんから・・・・」
「それよりも静かにしていましょうよ。あんまりうるさくしてると、気付いち
ゃうかもしれませんよ。」
「おっと、そうだな。滅多に直接お目に掛かれないような光景だし、しっかり
見物しておかないとな。」
僕はアスカの胸の中にいた。
しかし、その時は周りのことなど全く気付く様子も無く、ただアスカに抱かれ
ていた。それはアスカにとってだけでなく、僕にとってもよかったことなのか
もしれない。
僕はとかく人目を気にし過ぎている。
だからそんな他人の視線を恐れるかのように逃げ続け、そして誰かを傷つけて
きた。無論、そんな僕の逃げで反対に傷つかずに済んだ人もいると思う。しか
し、それは僕の逃げの口実であって、どっちにしても誰かを傷つけずにはいら
れないのだ。だから、人を傷つけずにはいられないのなら、逃げではなく真っ
直ぐに進んで行った結果として人を傷つける方がいいと思う。
しかし、今の僕の状態は、考えてしていることではない。これは単に勢いの問
題であって、大抵後から考えが回ってくる。
そして、今がそんな感じだ。ただアスカを感じていればいいのに、こうして余
裕が出てくるとまた色々考えてしまう。アスカがそれを知れば、烈火のごとく
怒り出すかもしれないが・・・・
僕はそう思って、少しアスカに見えないところでほくそえんだ。だが、そんな
時、僕はようやく周囲の様子に気がついて・・・・心臓が止まるかと思った。
みんながみんな、自分達のことにとらわれて僕達のことなど放っておいてくれ
るかと思っていたのに、まるで酒の肴にしているといわんばかりに、じっくり
と眺めていたのだ。
「ア、アスカっ!!」
僕は慌てて小声でアスカに呼びかける。
するとアスカはちょっぴり興を殺がれたのか、うるさそうに僕に応えた。
「なによ・・・少し黙ってて。」
あんまりと言えばあんまりな返答。
しかし、こっちの方がアスカらしくていいと思ってしまう僕は、もう完全に終
わっている状態なのだろうか。ともかくそれはそれとして、このまま納得して
終わらせてしまう訳にも行かない。僕はアスカが機嫌を損ねるのも致し方ない
と思い、重ねて訴えた。
「アスカ・・・みんな、僕達のこと見てるよ。」
僕がそう言うと、アスカは呆れたように僕に答えた。
「アンタ・・・・今ごろ気付いたの?」
「えっ?って事はアスカは・・・・」
「アタシははじめっから気付いてたわよ。でも、アンタが人目を気にしないほ
どアタシに集中してくれてたとはねぇ・・・・」
「ア、アスカ・・・と、とにかくもうやめようよ。みんな見てるんだし・・・」
「い・や!!」
アスカはきっぱりそう言うと、僕を抱き締めるというよりも逃がさないように
腕の力を強めた。
「ア、アスカ・・・後生だから・・・・」
「これをいい機会に、アタシとアンタの関係をみんなに見せておくのよ。」
「そ、そんな、僕をいじめないでさぁ・・・・」
僕は困ったようにアスカに懇願する。するとアスカはつまらなそうに僕にひと
こと訊ねた。
「・・・そんなに人に見られるのが嫌なの?」
「う、うん・・・アスカは平気なの?」
「平気よ。当たり前じゃない。」
「・・・アスカは平気でも、僕は平気じゃないんだよね。」
情けなく僕は言う。するとアスカもようやくわかってくれたのか、しょうがな
いといった感じでこう言ってくれた。
「ったく、しょうがないわねぇ・・・・」
そしてアスカは顔を上げて言う。
「こら!!アンタ達、こっち見てんじゃないわよ!!」
「え、えっ!?」
「人のラブシーン見てるの、そんなに楽しい!?」
アスカはみんなに対してそう訴えたのだ。
僕は人目につくからもうやめようと言っていたのに・・・ちょっと考えが甘す
ぎたかもしれなかった。
そして他のみんなも、いきなりアスカにそんなことを言われて戸惑ってしまっ
ている。まあ、確かにそうだろう。言ってみれば僕達の方が見られてしまうよ
うな場所にいるのだから、アスカの言い分が理不尽なのは言うまでもない。そ
れをみんなに悩ませるところまでこぎつけてしまうところが、アスカの凄いと
ころだと言えるだろう。
だが、そんななかアスカに気圧されない人も数人いた。
そしてそんななかでアスカに返事をしたのは・・・加持さんだった。
「ああ、楽しいよ、アスカちゃん。」
「加持さん・・・・」
流石大人の貫禄といったところか、アスカもそこまで加持さんに開き直られる
とどうしてよいのかわからなくなって、言葉を詰まらせてしまった。
「人と人とが愛し合う姿、それはいいもんだよ。そう思わないかい?」
「ううん、加持さんの言う通りね。でも、このバカシンジが・・・・」
「まあ、そんなにシンジ君を責めるなよ。シンジ君だってそれを大切なことな
んだって理解してるから、大事にしたいんだと思うけどな。」
「そう・・・なのかな?」
「ああ。大切なものだからこそ、一番綺麗なものだからこそ価値があるんだ。
アスカちゃんは価値があるから人にも見せた方がいいって思うかもしれないけ
ど、反対に価値があるから誰にも見せず、二人だけのものにしておきたいって
考える人もいるんじゃないかな・・・?」
「・・・・」
僕はそんな加持さんの言葉を聞いていて、かなり恥ずかしくなってしまった。
そんな大層なことを考えていた訳でもなく、ただ恥ずかしいからと言うだけに
過ぎなかったから、もしここで僕に振られたらどうしようかと、真剣に悩み始
めてしまう体たらくだ。
そしてアスカは加持さんの言葉がまさに真実とでも言わんばかりにそれに耳を
傾けていた。
「だから、今回はまた改めてということで・・・・な?」
「そ、それもそうね・・・・こんな場所じゃ、ムードの欠片もないんだし・・・」
アスカはそう言って僕を解放してくれた。
解放と言っても、加持さんとの会話の時点で既にアスカの腕は完全に緩んでい
たのだ。しかし、そんなアスカの不意をつくようにしても、却ってごたごたす
るだけに決まっていると思った僕は敢えて大人しくしていたのだ。
「ほら、これでいいんでしょ?ったく・・・・」
「あ、う、うん、ごめんね、アスカ・・・・」
「いいのよ。もう・・・・」
アスカは加持さんの説得に完全に誤解して、ちょっとしおらしい様子を見せた。
そして何だか気恥ずかしいのか、僕のところから離れて遠巻きに見ていた洞木
さん達のところに行ってしまった。
「・・・・」
残された僕。
しかし、そんな僕に加持さんが話し掛けてきた。
「よぅ、シンジ君。元気そうだな。」
「か、加持さん・・・・あ、あの、さっきは済みませんでした。」
「いやいや、シンジ君は言わば俺の生徒のだからな。ああいう時にはああいう
風にあしらうもんだ。」
「そ、そうですか・・・・」
僕はちょっと残念そうな表情を見せてしまった。
加持さんの言う「あしらう」ということも、その必要性も僕は充分理解してい
た。しかし、それは何だかアスカを騙すようで嫌だったのだ。ただでさえ人を
騙すという行為には抵抗があるのに、その相手がアスカと、そして自分自身な
んて・・・・
だが、そんな僕に対して、加持さんは静かにこう言った。
「わかっているさ、シンジ君の気持ち・・・・」
「加持さん・・・・」
「真面目だからな、シンジ君は。そこが俺とは違うところだ。」
「・・・・」
「だから、さっきはシンジ君の代わりにこの俺が言ってあげたんだよ。俺でも
なけりゃああは言えなかっただろうし、シンジ君もちょっと可哀想だったから
な・・・・」
「済みません、加持さん・・・僕、加持さんがそこまで考えているとは・・・」
「いや、いいってことだよ。それに、俺が出来るのはここまでだしな。もうひ
とりのお姫様はいたく御立腹の様子だから、そっちのほうはシンジ君の手腕に
任せるとするよ。」
加持さんはちょっとふざけてそう言うと、僕のそばから離れて行ってしまった。
そして僕は、加持さんの言葉が何を意味しているのか痛いほど理解していたの
で、恐る恐る振り返ってみた。すると案の定そこには・・・・
「碇君・・・・」
「あ、綾波・・・・」
ただそれだけ。
綾波は僕の名前を呼んだだけで、それ以上何も言おうとしなかった。
そして二人の間にしばしの沈黙が流れる。
「・・・・」
「・・・・」
綾波は不思議と無表情だった。
そして僕はそれが昔の「人形」と称されていた綾波を思い起こしてしまって、
少し胸が痛くなった。そんなことはないと信じつつも、心のどこかで今のアス
カとの行為がまた綾波を人形に戻してしまったのではないかと。
そしてそう思って僕は改めて気付かされる。
僕はなんだか危険な綱渡りをし続けているのだと・・・・
こうして僕の不安がいっぱいに膨らんだ時、綾波は突然表情を変えた。
口にはなにも出さなかったが、まるで小さい子供を叱り付けるような感じだった。
僕はそんな綾波の顔を見ると、安堵すると同時に深く綾波に済まなく思った。
「・・・ごめん、綾波・・・・」
「いいの、碇君。」
綾波はようやく口を開いてくれた。
そして何故か今の表情とは裏腹に、その言葉は僕の罪を咎めるものではなかった。
「どうして・・・?」
「私にも、碇君の気持ち、わかるから。」
「えっ?僕の気持ちって?」
残念ながら、僕には綾波が何を思っているのかわからなかった。
そしてそのことがアスカとの開きを感じさせてしまって、僕はなんだか複雑な
心境になった。
「人に抱かれるのって、やっぱり気持ちいいから。碇君に抱き締められると嬉
しいのは当然だけど、アスカや葛城先生に抱き締められた時だって、同じとま
では行かないけれど心地よかったから・・・・」
「・・・・そうだね。人はやっぱり、人の温もりを求めているのかもしれない。」
確かに綾波の言う通りだった。
特別な想いがある相手は当然としても、そうでないにしても人の胸に抱かれる
というのはとても落ち着くことだった。
「セカンドインパクトがあって、今の日本はこの常夏の気候になったわ。だか
ら、太陽が出ている時は嫌になるほど暑い。でも、日が沈むと・・・一気に気
温は下がって、寒さを感じるの。別に肌寒いとか言う訳じゃないんだけれど、
暗くなって、誰もいなくって、寂しくって・・・・」
「綾波・・・・」
「だから、人は互いに温めあうのかもしれない。そして自分を温めてくれる人
を探すの。」
「・・・・」
「でも、私は作られた人。人だけど、造られし存在。だから温めてくれる人を
探すことなんて知らなかった・・・・」
「・・・・」
「そんな時、碇君がいてくれたの。碇君は私に、人と人とは温めあうことで夜
の寂しさを乗り越えることを教えてくれたわ。そして私が寂しくなった時には、
いつも抱き締めてくれた・・・・」
「・・・・」
「碇君、また私を温めてくれる?私が寂しくなった時、私が寒さを感じた時・・・」
「綾波・・・・」
僕は何と答えてよいのかわからなかった。
確かに僕はことある毎に綾波を抱き締めていたかもしれない。
そして、それで綾波が救われていたことも・・・・
だが、人を救う為に抱き締めるのか?
僕はアスカとの会話を思い返していた。
でも、僕は決して綾波が嫌いな訳でもなければ、同情だけで付き合っている訳
でもない。やっぱり綾波が好きだから・・・・僕は最低な奴だ。
「・・・・」
「綾波。僕達はクラスメイトであって、仲間であって、親友であって、家族で
あって、そして・・・・」
「うん。」
その「そして」の後に何が続くのか、綾波は敢えて追求しようとはしなかった。
恋人同士でないことは、僕も綾波もわかっている。
だが、今まで挙げただけの関係以上のものが僕達には間違いなくあった。
それが何なのか、僕には上手く言葉で説明できなかったが、とにかくそれの存
在が綾波と僕を支えていたのだ。
「だから・・・・辛くなったら僕のところにおいで。いつでも綾波の為に、ち
ょっと情けないけど僕のこの胸を貸すからさ・・・・」
「・・・ありがとう、碇君。私、碇君のその言葉が聞きたかったのかもしれな
い・・・」
綾波には何もなかった。
綾波は僕を守るということに縋って生きていたが、最早それが綾波にとってよ
いことではないと理解した今は、それを捨てて自由に生きている。
しかし、反対に綾波に確固とした確証が消えてしまったのも確かだった。
綾波は別に僕を疑っている訳でもない。
ただ、自分が寂しさに震える時、僕がそばにいてくれるという証が欲しかった
のかもしれない。
綾波はずっと、あのコンクリートに囲まれた一室で過ごしてきたのだ。
寂しさに震える夜も、ただ自分の胸を掻き抱いて・・・・
僕はそういう時、音楽を聴いて誤魔化していた。
アスカは・・・どうだったのか知らない。
しかし、誰しもそういう時というのが必ず存在していることは確かだと思う。
だから誰かにいつもそばにいて欲しい。
そうなった時、自分を抱き締めてくれる誰かが・・・
そして僕は思った。
人が人を想い、恋慕う気持ちというのはなんと複雑なことかと・・・・
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