私立第三新東京中学校

第二百八十一話・お酒を飲む訳


「こんにちはー!!」
「おじゃましまーす!!」

日も完全に沈んでしばらくした頃、ようやく他の面々も姿を現した。

「よう、皆さんおそろいで・・・」

加持さんも学校以外では久し振りだ。
どうも僕達がここに引っ越してからというもの、加持さんと言葉を交わすこと
は激減していた。
きっとミサトさんがいてこその僕達なんだろうな、と漠然と思いながらも、僕
はひたすらに手を動かし続けた。

「よく来てくれたわね、アンタ達。歓迎するわ。」

一応この宴会の主催者と言う事もあってか、アスカは立ち上がってみんなを出
迎えた。まあ、口調はいつもの不敵なものではあったが、最悪だった時は他人
など目もくれないような状態だったので、それを知るみんなはこれをアスカが
元気な証拠だと思って敢えて何も言わなかった。

「しっかしまだ宵の口だってのに、盛り上がってるなぁ・・・」

惨々たる有り様を見て日向さんが驚きの言葉を漏らす。
こうなるきっかけはミサトさんだったが、そのミサトさんはもう大分落ち着い
て飲んでおり、主な元凶はトウジとケンスケ、それからアスカだった。

「まあ、何と言ってもまだ中学生だからな。大人の時間よりも早いのさ。」

何だか悟ったように言葉を返す青葉さん。
バンドをやっているという事もあってか、夜遅いのが普通で日向さんよりも色
々慣れているんだろう。
そしてそんな青葉さんよりも遊び人の加持さんは、如何にもといった感じでう
なずいてこう言った。

「そうだな。子供たちはさっさとベッドに送り込んで、大人の時間を楽しむと
しようか。」

だが、妙に盛り上がる男三人衆を尻目に、唯一の華、伊吹先生はあまり元気が
なかった。

「・・・どうしたんだい、マヤちゃん?」

心配そうに訊ねる日向さん。
しかしそんな日向さんの問いに答えたのは、隣にいた青葉さんだった。

「赤木先生だろ?やっぱりみんな集まるのにあの人だけいないと・・・」
「ああ・・・・」

思い出したように呟く日向さん。
そんなやり取りを聞いた僕達であったが、果たして何と言って良いものか・・・?
渚さんの発言にも確証はなかったし、変に期待させてそれが実現しなかったら
余計に可哀想だと思った。

「ほら、アンタ達もこっちに来なさいよ!!それより差し入れはちゃんと買っ
てきたの!?」

立ち上がって出迎えたアスカとは対照的に、ミサトさんは座ったまま元気よく
呼びかけた。
日向さんはミサトさんの姿を見て少しうれしそうに返事を返す。

「当然ですよ、葛城先生。もう飲んでも飲みきれないくらいのビールを買って
きましたよ。」
「まあ、葛城の奴はうわばみだからな。こんな程度じゃ足りないかも知れんぞ。」

からかうように加持さんが言う。
まあ、見てみれば缶ビールが大量に入ったと思しき袋を、男三人衆は両手にそ
れぞれ持っている。
流石のミサトさんもあの量なら十分酔いつぶれるだろうと思ったが、軽口を叩
く加持さんも宴会には相応しい存在だと思えて、横から割り込むような真似は
しなかった。

「加持!!なに日向君に吹き込んでんのよ!!」
「いやなに、葛城の習性についてほんの少々レクチャーを・・・・」
「とぼけるんじゃない!!もう、アンタってば目を離すとすぐこれなんだから・・・
さっさとこっちに来なさい!!」
「へいへい、わかりましたよ・・・・」

ぼやきながらミサトさんの命令に従う加持さん。
しかし、ミサトさんの気持ちもみんなにはバレバレというかなんと言うか、あ
まり可哀想だとも酷いとも感じなかった。
そして余った日向さん達。
どうしようかという感じで顔を見合わせた時、アスカがこう言い出した。

「ほら、アンタ達の場所はここ。まあ、適当に座って飲み食いしててよ。」
「ああ、わかったよ、アスカちゃん。」
「大したイベントがある訳じゃないし、せいぜいが料理自慢のシンジ達のご馳
走をたらふく食べられるってくらいだけどね。」
「それだけで充分だよ、アスカちゃん。」

日向さんは笑って答える。
そしてそんな日向さんに相づちを打つように青葉さんが言った。

「そうだな。うまい料理にうまい酒。それから語り合える仲間がいるなら、も
う何も要らないじゃないか。」
「うまいこと言うな、お前・・・・」

感嘆する日向さん。
まあ、青葉さんは自称ミュージシャンなんだから、芸術家みたいな感性を持っ
ていたとしても不思議はなかった。

「そうか?あ、そうそう、俺のギターを聴かせてやってもいいな。弾き語りと
か・・・」
「・・・・それは遠慮しておく。」
「ど、どうして?お前、この前俺のギター、褒めてくれたじゃないか。」
「いや、確かにお前のギターは悪くないよ。しかし場所が場所だしなぁ・・・」

そう言うと日向さんは辺りを見回す。
確かに日向さんがそう思うのも無理はない、あまりに混沌とした状態だった。

「・・・・」
「お前、オットセイだのアザラシだのに、唄ってやりたいと思うか?」
「・・・・お前の言う通りだ。今日は止めにしておこう。」
「賢明な判断だな。じゃあ座るとするか。」

そして日向さん達はアスカに示された場所に腰を下ろした。



「さ、みんな集まったことだし、乾杯しましょ!!」

アスカが音頭を取って言う。
この時ばかりは僕や山岸さん、洞木さんも料理を作る手を止めてみんなの元へ
集まった。

「あの・・・碇君のお父さん達は・・・?」

少し気になったのか、山岸さんがそう訊ねる。
するとアスカは元気よく答えた。

「アンタバカ!?堅苦しいおっさん連中なんていいのよ!!まあ、来る者拒ま
ずってスタンスで、来たら歓迎してやればいいこと。わざわざ呼ぶ必要もない
んじゃない?」
「そうですか・・・?」
「それともアンタ、一緒に騒いで欲しいと思って言ってるの?」
「・・・・ええ、出来れば皆さんで・・・・」

そう言う山岸さんに白い目でアスカが訊ねた。

「・・・アンタ、シンジのお父さんって見たことあんの?」
「い、いえ、ありませんけど、だからこそご挨拶しておいた方が・・・」
「だったら渚みたいに訪ねて行くことね。まあアタシから言わせれば、行かな
い方がいいってとこだけど。」
「・・・・恐いんですか?」
「恐いわよ。何考えてるかわかんないとこあるし・・・まあ、そんな悪人でも
ないんだけど、外見では損してるわね、おじさま。」
「・・・・」

アスカの言葉を聞いて、かなり躊躇する山岸さん。
そしてその意見だけでは決めかねるのか、僕に向かって救いの視線を求めてきた。

「・・・僕もアスカに同意見だな。」
「碇君も・・・」
「うん。やっぱり今でも父さんは苦手だし、僕よりもアスカの方が上手く付き
合ってるくらいだよ。」

僕はそう言って苦笑いを浮かべる。
これは事実で、僕とアスカを比べると、アスカの方が父さんの子供みたいに感
じられた。まあ、アスカは父さんのことを実の父親になることを想定して色々
上手に振る舞っているんだろうけど、僕はそんなに器用には出来なかった。
大体上手く付き合っているように見えるアスカでさえ父さんについてはそう言
っているのであるから、それが掛け値なしのところなんだろう。

演技上手なアスカ。
でも僕は演技なんて下手だった。
下手だったから上手く付き合えなかったけど・・・・それでも良かったのかも
しれない。
実の父親に演技して接するなんて僕は嫌だった。
自分の大切な人だからこそ、そんなごまかしだけの付き合いなんて嫌だったんだ。
僕は今でも父さんのことをはっきりと好きだなんて言える自信がない。
でも、それが真実だった。
だからその通り振る舞っても来たし、好きになろうと努力もした。
まだその結果は出ていないけど、でもいつかは・・・・
だから僕は演技なんてしない。
そのいつか来る日の為に・・・・



未成年はめいめいの好きな飲み物を、そして大人達はビールを片手にした。
それぞれ乾杯の準備を整えた訳だが、それを見てアスカが止めた。

「こら、どうして烏龍茶なのよ!?」
「おいおいアスカちゃん、一応俺達は教師なんだぞ。それを目の前にして・・・」

どこから入手してきたのか、アスカは自分では鮮やかなカクテルを手にしている。
そしてそんなアスカに加持さんは困ったような表情で言った。
しかし、アスカはらしくもない加持さんの言葉にほっぺたを膨らませる。

「むー、加持さんらしくない!!」
「らしくないって・・・」
「加持さんならわかってくれると思ったのに!!」
「ははは・・・それならミサトだろ?ミサトはバッカスの申し子みたいなもん
だし・・・・」
「ミサトじゃつまんないから加持さんなの!!」

加持さんも加持さんなら、アスカもアスカだ。
ミサトさんもそうまで言われるとちょっとむっとしたのかアスカに注意した。

「アスカ!!何よ、その言い方は?」
「だって事実なんだもーん!!」
「ったく、アタシのことを何だと思ってんのよ・・・・」
「酔っ払い。生活無能者。」
「アスカ!!」
「と、とにかくかんぱーい!!」

缶ビールを握り締めるミサトさんから逃げるように、アスカは慌てて乾杯の合
図をした。

「乾杯!!」
「かんぱーい!!」
「ったく、ごまかして・・・」

ミサトさんはそう言いつつも、景気よくビールをあおった。
特に追加のビールが来たことで、大分気楽に飲めると思ったに違いない。

そして勢いで乾杯を終え、取り敢えず全員腰を下ろそうとした。
が、またもやアスカが止めに入る。

「ちょっと待って、まだ座んないで。」
「どうしたの、アスカ?」
「全員アルコールじゃなきゃ駄目。」
「ま、まだそれにこだわってんの?」
「当たり前でしょ、シンジ。さ、アンタも手伝って・・・・」
「い、いいけど・・・」

僕はそう言うと、適当にそこらにあったビールを手にしてみんなに配る。
トウジとケンスケは楽しそうに受け取り、缶の口を開けた。
そしてそれを横目で見ながら困ったように洞木さんも続く。
山岸さんは・・・・あまり嬉しそうではなかったけれど、それでも付き合いと
言うものを十分わきまえているのか、黙って缶を手にした。
だが、綾波は・・・・

「綾波?」
「ビール、苦手だから・・・・」
「そ、そう・・・じゃあ、やっぱり烏龍茶?」
「ううん、これ・・・」

綾波はいつのまにか、冷酒を手にしていた。
僕はそれを見て呆れるように言う。

「ははは・・・綾波、結構酒豪だもんね。」
「そう?」
「そうだよ。結構アルコール度数きついんだよ、それ。」
「でも、苦くないから・・・・碇君もどう?」
「い、いや、僕は遠慮しておくよ・・・・」
「そう・・・・」

綾波はそう言って、乾杯前なのに早くもその冷酒を口にしていた。
僕はそんな綾波に興味深そうに訊ねた。

「・・・どう?」
「おいし・・・」
「そ、そう、よかったね・・・・」
「碇君が一緒だと、もっとおいしいんだけど・・・・」
「・・・ごめんね、付き合えなくって・・・・」
「ううん、気にしないで。」

綾波はそう言うとまたくいっと杯を傾けた。
やっぱり綾波はなんだかんだ言いつつも酒好きだ。
こんな日本酒を平気で飲むなんて・・・・もしかしたらアスカよりも強いかも
しれない。

僕がそんなことを考えながら綾波を見ていると、横からアスカが声をかけてきた。

「最後はアンタの番よ、シンジ・・・・」
「あ、アスカ・・・・」
「シンジは何がお好み?色々あるけど・・・・」
「お好みって・・・お酒は好きじゃないな。」
「そうかもね?アンタ、無理矢理飲ませた時でもない限り、まず飲まないし・・・」
「うん・・・・」
「じゃあ、これ、飲みなさいよ。」
「これって・・・?」

アスカの飲んでいるものを指差す。
それは綺麗なカクテルだった。

「ジュースみたいなもんよ。甘いし、炭酸も入ってるから・・・」
「そ、そう・・・?」
「少なくとも、ワインよりは飲み易いわね。」
「それなら・・・」
「飲む?」

アスカは僕の顔を覗き込むようにしてひとこと訊ねる。
僕はそんなアスカにどきっとして慌てて返事をした。

「え、あ、うん、そうするよ、アスカ。」
「じゃあ、はい、これ。」

アスカはそう言うと、自分の持っていたグラスを僕に渡した。
そしてそれとは別に自分の分を新しく用意する。
僕はちょっとしたことを気にしながらも、黙ってアスカのことを待った。



「じゃあ、改めてかんぱーい!!」

再び杯が交わされる。
いや、杯は綾波だけか。
缶ビールとコップと、それからひとつの杯が入り乱れての賑やかな乾杯だった。

ざわつくみんな。
だが、そんなどさくさに紛れてアスカが僕の耳元に口を近づけてきた。

「シンジ、たまには酔っ払っちゃいなさいよ・・・・」
「えっ?」
「料理の方はヒカリと山岸に任せてさ・・・・」
「で、でも・・・・」
「たまには息抜きも必要でしょ?」
「そうかもしれないけど・・・・」
「アタシに酔っ払ったシンジ、見せてよ。ほっぺたを真っ赤にして、結構かわ
いいかもよ?」

アスカはからかうように言う。
僕はそんなアスカに恥ずかしそうに応えた。

「な、何言ってんだよ、アスカ・・・」
「とにかく今日はアタシの傍で・・・ね?シンジをこき使う奴なんて、誰もい
ないんだし・・・」

ねだるようなアスカの眼。
もしかしたらもう既に結構飲んでいるのかもしれない。
改めてみると、心なしか顔は赤いし・・・・

「まあ、誰も何も言わなかったらね・・・・」

ごまかすようにそう答える僕。
僕をこき使う奴・・・・実は今日だけはいるのだ。
僕は山岸さんに約束させられてしまったのだから・・・・

「アタシが言わせなければいいじゃない。」
「そう?」
「そうよ!!もう決定!!ほら、飲んで飲んで・・・・」

アスカは僕にお酒を勧める。
僕は勧められるがままに飲み・・・・
そして何だか少しだけ、大人がお酒を飲む訳を、理解出来たような気がした・・・


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