私立第三新東京中学校

第二百七十九話・アスカの想い、アスカの願い


何かが変わり始めていた。
時はとどまることを知らない。
そして、全ては変わらずにいることを許さなかった。

人は変革を求め、また反対に今の状態にしがみつきもする。
だが、それは得てして自分の思い通りには行かないものだ。
意識してそれを操れるのは、ごく少数の人間に過ぎない。

意志の強さ、運命すらも捻じ曲げてしまう実行力。
自分の人生を自分の手の平で自在に操り、また人をも同じように操る。
それはまさしく選ばれし人間だった。

選ばれし人間?
いや、選ばれるのではない。
自分で名乗りをあげなければ、そうはなれないのだ・・・・


僕は今、「変わる」ということに執着していた。
変わると変える。
受動と能動。
しかし、同じ変革だった。
綾波に変えてもらおうとする僕。
そして自ら変わろうと思ったのは・・・・

誰しも変わりたいはずだ。
たとえ今が幸せの絶頂だと感じたとしても、人の欲望は尽きない。
これは欲望というよりも本能的なものなのかもしれないが、とにかく人は常に
前を向いて生きてきた。
いや、前を向いていなければ人ではなかった。

何が人で、何が人でないのか・・・?
それを考えると、事は簡単なように思えた。
自ら人たろうと思い、前を見つめる。
クローンだろうと使徒だろうと、果てはエヴァンゲリオンだろうと、人になろ
うと思えば人になれるのだ。
それとは反対に、人が人であることをやめようと思えば、それもまた簡単なこ
とだった。

肉体による死とは別に、心の死もまた存在する。
自らを直視することが出来ず、全てに対して心を閉ざす。
そうすれば自分が自分でいられた。
しかし、それは自分ではあっても人ではなかった。

そして、そんないい例が存在した。
僕でありアスカであり綾波だった。
みんな自分ではあったけれど、人ではなかった。
だから、常に何かが欠けていると感じていた。

欠けているものを埋める。
補完。
そう、補完だ。
心の穴を埋め、人の心で満たす。
人はそれぞれ自分の手でそれを行ってきた。
無論一人では出来ずに他人の手を借りて補完した者もある。
人は弱いから、だから集まりつどい、お互いの補完を手伝いあう。
それが自然だった。
僕は綾波が変わるをの手伝い、アスカが変わるのに手助けをした。

しかし、それは僕の手で行ったのではない。
僕はほんのちょっと後押しをしただけだ。
それはほんのちょっとだけ。
でも、みなそれを待ち望んでいた。

きっかけ。
運命の歯車を押し出すのは誰か?
その誰かが、自分の運命の人。
それは生きているうちに何人かいるかもしれない。
しかし、それはいつにおいても一番大切な人だった。

移り行く時。
人の愛が永遠に続かないのは、時が動き、運命の人が変わるからなのだろうか?

だから今が大事なんだ。
永遠でないとわかっているからこそ、今をかけがえのないものに感じるのだ。

みんなの運命の人は誰?
アスカの運命の人、そして綾波の運命の人。
きっと二人は感じている。
それが僕なのだと。
でもまた、それが永遠でないことも、心のどこかで感じている。

人は弱い。
永遠でないとわかっていてもそれを永遠のものに留めたいと思う。
だから人は行動する。
今を大切に生き、未来にそれを活かす為に。

では・・・僕は何だ?
他人は他人だ。
自分の思い通りにはならない。
自分の意志に従わせようと思っても、やはり最後にはその人間の意思が左右する。
従うか、従わないか。
そんな単純な二者択一。
でも、全ては結局イエスかノーしかないんだ。

自分で決め、自分で行動する。
何を言おうとそれしかないんだ。
人のせいだと自己弁護出来たとしても、所詮はごまかしに過ぎない。

そして僕も自分で決め、自分で行動する。
運命とは何か?
生きることとは何か?
人とは何なのか・・・?

綾波が見つめる。
アスカが顔をしかめる。
いつもの日常。
変わらぬ毎日。
しかし、変わり行く毎日。

こうしてみんなで集まって騒ぐ。
宴。
どうしてこんな成り行きになったのかすら、もはやよく憶えていない。

ざわめき。
しかし、何故か僕には静かに感じてならなかった。
まだ前哨戦だというにもかかわらず、新しい山岸さんの料理を迎えてみんなは
賑やかにやっていた。

しかし、心の奥底で何かが引っかかっている。
それは僕だけではない。
アスカも綾波も、渚さんも・・・・

不完全な僕達。
補完を求める僕達。
でも、それを行うのは自分達だ。
ただ、きっかけを求めているだけだった・・・・

きっかけは求めてもやってこない。
しかし、きっかけは自ら手を伸ばしてきた。
綾波、そしてアスカという形を取って。


「・・・碇君?」

山岸さんが僕を心配そうな目で見つめる。

「あ、山岸さん・・・・何か用?」
「いえ、用って言う程のことではないんですけど・・・・」
「何かな?遠慮せずに言ってみてよ。」

僕は微笑みながらそう言う。
不思議と乾いた透き通るような微笑み。
もしかしたら、かつてのカヲル君もこんな風に笑っていたのかもしれない。

「え、ええ・・・お口に合いませんでしたか?」

山岸さんは僕から遠ざかるように訊ねてくる。
きっと今の僕に、山岸さんは違和感を感じているのだろう。

「そんなことはないよ。おいしいよ、山岸さん。」

また微笑み。
偽りではない。
これが僕の本心なんだ。
でも、何故かいつもと違った。
今の僕は山岸さんではなく、どこか遠くを見つめていたのかもしれない。

「そ、そうですか・・・?ならいいんですけど・・・・」

山岸さんは大人しい娘だ。
自分から口を出すようなことも少ない。
そう言う人間は得てして観察上手になるものだ。
そして山岸さんにもそれは当てはまっていた。

しかし、山岸さんは何も言わない。
これが自分の役目ではないことを感覚で知っているから。



「・・・・碇君?」
「綾波・・・・」

やはり綾波だった。
綾波は感性に優れている。
山岸さんは会話によって悟ったが、綾波は雰囲気を肌で感じ、そして会話を聞
いて確信を抱いた。

「何を見ているの、碇君?」
「何って・・・?」
「今の碇君は現実を見ていないわ。」
「・・・・そうかもしれない・・・・・」

そうかもしれない。
今の僕は、現実ではなく未来を・・・・

「考えることはいいことよ。でも、考えてもどうしようもないことだって存在
するわ。」

確かにそうだ。
僕だってわかっている。

「駄目よ!!駄目駄目!!シンジのどろーんとした思考は半分趣味みたいなも
のなんだから!!」

アスカが綾波に言う。
情けない話だが、アスカの言う通りだった。
しかし、そう思った僕に対して綾波はそう思わなかったのかアスカにきっぱり
と言った。

「だから変えるのよ。そして私が変えてみせる。」

淡々とした中にも強い意志。
綾波の瞳は真紅だったにもかかわらず、青白く燃えているような気がした。
そしてアスカはたじろぐ。
綾波の炎を目の当たりにして。

「私はアスカのようには諦めない。碇君がこのままでいいなんて思わない。」
「そ、そりゃあ、アタシだって・・・・」
「アスカはどう思う?碇君が幸せを享受する権利を持たないと思う?」
「そ、そんな訳ないじゃない!!で、でもどうして急にそんなことを言うのよ!?」

アスカは綾波の言いたい事がわかっていなかった。
しかし、僕は綾波が何を言いたいか、手に取るようにわかった。

「このままじゃ、いつまで経っても碇君は幸せになれないからよ!!」

綾波はまるで叱責するかのようにアスカに言った。
そしてアスカは自分が悪いなどと思っていないにもかかわらず、何故かそれが
自分に対する言葉であるように感じた。

「・・・・・アタシだって・・・・アタシだってわかってるわよ、そんなこと
くらい、アンタに言われなくたって・・・・」
「ならどうしてアスカ、あなたは碇君を変えてあげようとしないの?碇君の背
中を押してあげようとしないの?」

綾波の言葉は、さっき僕が考えていた内容にぴったりと符合していた。
僕はそれを不思議な心地よさで捉えながらも、次のアスカの言葉に衝撃を覚えた。

「アタシはいつでもシンジの顔が見ていたいからよ!!」

背中を押すという綾波の言葉は例えに過ぎない。
しかし、それに応じたアスカの言葉は何故か真に迫っていた。

「アタシはアンタみたいに聖人君子にはなれないのよ!!そう、シンジやアン
タみたいにはね!!」
「アスカ・・・・」
「所詮アタシには人を支えてやる生き方なんて出来ないのよ!!だからアタシ
は横に立ってやるの!!並んで歩いてやるの!!」
「・・・・」
「そして遅れたら、ついてこれなさそうだったら引っ張ってやるのよ!!ずっ
とずっとそうして、そしてアタシの人生を一緒に歩むの!!これがアタシ、惣
流・アスカ・ラングレーなの!!わかった!?」

僕だけでなく、珍しいことに綾波までもが魂を抜かれたような顔をしていた。
そしてアスカは燃えていた。
青白く燃えていた綾波とは対照的に、真っ赤な真紅に燃えて・・・・

「アタシはシンジを選んだ!!そしてアタシと一緒に生きることがアタシ自身
の幸せであり喜びであり、またシンジにも同じ物が与えられるような気がした
の!!アタシの幸せについてこれないと思ったらアタシは選びやしないわ!!
アタシと全てを共有できると感じたから、アタシはシンジを選んだのよ!!」

そしてアスカの心の叫びを聞いた綾波は、静かにこう言った。

「そう・・・・それがアスカ、あなたのやり方なのね・・・?」
「そうよ!!レイ、アンタとは違うの。どうしてだかわかる?」
「・・・・わからないわ。」
「アタシとアンタは別人だからなのよ。どう、言われてみれば簡単でしょ?」
「・・・そうね。私とあなたは別人だもの・・・・」
「だからアタシはアンタの意見を否定するつもりは更々ないわ。むしろアンタ
が人真似でない自分の思想を持ったって事を喜んでるくらい。」
「・・・・」
「アタシとアンタは別人。だから結局は違う道を歩むの。無論、家族なんだか
ら家族として一緒の道を歩んでるけどね・・・・」
「わかるわ、アスカの言うこと。」

こんな会話の中でも二人は家族だということを忘れてはいなかった。
そして深刻な表情の中にも、どこか喜びを滲ませていた。

「でも、結局は自分の道に帰るの。いつまでもアタシ達は一緒にいられない。
まあ、長く一緒にいられるかもしれないけど、流石に死ぬ時はねぇ・・・」
「・・・・・」
「だけどね、レイ。これが重要なことなの。アタシは誰とも最後まで一緒にい
られないってわかってるけど、でもやっぱり最後まで一緒にいたいって思う相
手もいるのよ。」
「・・・碇君のことね?」
「そうよ。だからアタシはシンジが勝手にどこかに行っちゃわないように、背
中を押すんじゃなくって手を取るの。そして引っ張ってやるのよ、アタシの人
生に。」

綾波はアスカの言葉に納得した風を見せていたが、でも何か引っかかるところ
があったのかひとこと訊ねた。

「じゃあ、碇君の人生はどうなるの?」
「アタシの人生とひとつになるのよ。」

アスカはそれにきっぱりと答えた。
すると綾波は更に訊ねる。

「あなたの人生とひとつになって、それで碇君は幸せになれるの?」

綾波の問いは深刻だった。
しかし、そんな綾波に対してアスカは一転してあっけらかんと答えた。

「そんなのわっかるわけないじゃないのよ!!」
「で、でも・・・・」
「それこそ考えたって仕方ないことなんじゃない?未来がどう動くかなんて誰
にもわかんないんだしさ。」
「・・・・」
「でも、アタシは思う訳よ。アタシの人生とシンジの人生がひとつになれば、
もっともっと楽しいんだろうなーって。」
「・・・・」
「だからアタシはそれを信じて行動する。間違いかもしれないけど、まあ、間
違いだった時には笑って謝るしかないわね。」

そう言うアスカは清々しく見えた。
さっきまでのこだわりを感じていたアスカとはまるで別人のように思えた。
そして綾波もどうやらそれを感じたらしい。

「アタシは自分勝手な自分とシンジに尽くしてるアンタを比較して情けなく思
うこともあった。でもね、やっぱり最後には自分しかいないんだなって思えた
の。そう思うと自分をごまかしてるよりも、したいようにするのが一番なんじ
ゃないかって。」
「・・・・」
「それに、アタシと一緒にいてシンジが不幸になるとこなんてどうやっても想
像できないしね。だからアタシは自分の欲望に素直に生きることにした。それ
がシンジの為にならないんならアタシだって考えちゃうけど、そんなこともな
いんだしね。」
「・・・・」

アスカの言葉に聞き入る僕と綾波。
しかし、アスカは自分がいつのまにか一人で語っていたことに気がつくと、ち
ょっと恥ずかしく思ったのかそれをごまかすようにこう言った。

「まあ、そんなに難しい顔しないでよ、アンタ達。考えるよりも感じることの
方が大事な時だってあるんだからさ。」
「・・・・そうだね、アスカ。アスカの言う通りかもしれない・・・・」
「でも、アタシはシンジの趣味を奪ったりはしないから安心してよね。シンジ
はぼけぼけと考え、そしてアタシはそんなシンジがふらふらーっとどこかに行
っちゃわないようにちゃんと導いてあげるから。」

アスカはそういうとクスっと笑う。
僕もそんなアスカに少し気持ちがほぐれたのか、ちょっと軽口を叩いてみた。

「そのぼけぼけってのはないんじゃない、アスカ?」
「あらそう?でもさっきのアンタ、まさにぼけぼけーっとしてたわよ。」
「う、嘘?」

僕はなんとなくアスカの言い分が正しいように思えていたけれど、思わずそん
な言葉が口を衝いて出た。
すると綾波がしれっと僕に向かって言う。

「嘘じゃないわよ、碇君。まさにアスカの言うようにぼけぼけっとしてた。」
「あ、綾波まで・・・・」
「ね、シンジ?レイもそう言ってるじゃない。大人しくお縄についたらどう?」
「お、お縄って・・・・どうしてそう来るんだよ?」
「縄ででも縛っておかなきゃ、アンタはまたすぐどこかに行っちゃうからね!!」

それはアスカの冗談だった。
そのはずだった。
しかし、冗談の中にも真実があることを知っていた。
僕も綾波も、そしてアスカも。

僕達三人、それぞれにそれぞれの道がある。
そしてそれは重なり合ったりすれ違ったりしながらも、ひとつにはならない。
でも、限りなくひとつに近くなることを夢見て・・・・

それがアスカの想い、アスカの願いだった・・・・・


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