私立第三新東京中学校

第二百七十五話・特別さの証明


「・・・・」

真っ赤な二人。
アスカの言葉でみんなはトウジと洞木さんのキスを見ないよう努めてはいたも
のの、その瞬間はほぼ全員が目撃していたのだし、目に見えない為余計に気に
なるところではあったのだ。
そして洞木さんを思ってそう言ったアスカも、二人のキスに興味がないどころ
か、誰よりもあったに違いない。アスカは自分から言い出したものの、内心で
は相当の葛藤があって・・・まあ、僕の憶測にしか過ぎないが、頭の中で色ん
な想像を巡らせていたのだろう。そしてそんなアスカや僕達のことがわかるか
ら、トウジも洞木さんも気恥かしいのだ。

そんな中、山岸さんが料理をする音だけが響く。
ミサトさんはもうビールの缶から手を放していたものの、山岸さんは料理を始
めた。トウジも洞木さんも、ミサトさんを責めるような素振りはもう見せなか
った。酔いによってほんの少し口を滑らせてしまったミサトさんの言動は、明
らかに過失であり、二人に悪意など微塵も感じていないことは、二人にとって
だけでなく、誰の目にも明白だったからだ。
しかし、二人が責めずとも、ミサトさんは自分を責めていた。
まだアルコールが抜けるとまでは行かないものの、その目はもう酔っ払いのも
のではなかった。ただじっと下を見つめ・・・・ひとことも口を利かなかった。
そして僕達も、そんなミサトさんにかけてあげる言葉を見出せずにいた。
ミサトさんが全面的に悪かったと言うことは、はっきりとした事実であったの
で、何を言って慰めようとも、それはごまかし以上のものには成り得ないのだ
から。
僕は結果としては悪くなかった今の展開で、こんなギスギスした雰囲気を生み
出してしまって、これからのことで少し不安を覚えた。
このまま他のみんなが集まったとして、楽しく宴会など出来るのだろうか?と。
そして僕は逃げる訳ではないものの・・・いや、現実には逃げようとしていた
のだろうが、少し考える為に、山岸さんの様子でも見ようと思い、腰を上げか
けた。しかし・・・・

「待ちなさいよ。」
「えっ?」

そんな僕の手を掴んで、アスカがとめた。
僕は周りのことなど全く見ていた素振りも見せていなかったアスカの突然の行
動に驚きを隠しきれなかった。

「あの娘を手伝おうと思ったんでしょ?」
「え、う、うん。まあ・・・・」

それだけではないものの、実際はそうだった。
そう言う気持ちも、僕の中になかった訳ではないのだから。

「ここにいなさいよ。」
「ど、どうして?」
「あの娘、アンタが手伝おうとしたら怒るわよ。」
「そ、そうかな・・・?」
「そうよ。アンタ、まだわかんないの?」

確かにアスカの言う通りかもしれなかった。
山岸さんは僕以上にこうと決めたら絶対に引かなそうな子だし、アスカの言う
のもよくわかった。

「い、いや・・・アスカの言う通りかもしれないね。」
「そうなのよ。だからアンタはここに座ってればいいの。おわかり?」
「う、うん。おわかり。」
「ったく・・・」

アスカはそう言いつつも、なんだか嬉しそうだった。
もしかしたら、僕とこうして会話出来るきっかけを持ててうれしいのかもしれ
ない。きっかけがないと会話も交わせないような僕とアスカの関係ではなかっ
たが、今の現状を思えば、いくら僕とアスカでも呑気に軽口を交わす訳にも行
かなかったからだ。
そして僕はアスカがそう思っていることに気付くと、自分もうれしくなった。
これで今のこの雰囲気を打破できるのではないかと思ったからだ。

「それよりアスカ?」
「なによ、シンジ?」

アスカの応えは素っ気無い。
しかし、その表情はそんなアスカを裏切っていた。

「いや・・・どうだった、僕の野菜炒め?」

なんだかどうでもいい質問。
こんな事しか思い浮かばない自分が少しだけ情けなかった。

「決まってんじゃない。そんなの愚問よ。」
「・・・・答えてよ。」
「い・や!!」

アスカはなんだか意固地になってる。
でも、こう言うやり取りを楽しんでいると言うことは、僕の目にもはっきりと
見て取れた。

「アスカ・・・・答えてくれないと、これからに反映させられないだろ?」
「嘘言うんじゃないわよ。」
「ど、どうしてさ?」
「アンタ、アタシが黙ってても、いっつも反映させてるじゃないのよ。」
「うっ・・・・」

アスカの言うのは事実だった。
僕は口で感想を聞いても普通の人はおいしいとしか言わないと言うことくらい
とっくに知っていたので、食べているその表情を観察することにしているのだ。
まあ、あんまり露骨にじろじろ見るのは問題なので、こうして食事しながらの
他愛ない会話をする最中に、僕はそうすることにしている。
そんなわずかな表情の変化と言うものは、本当に微妙なものではあるが、そこ
は慣れた僕とアスカ。微妙なものを読み取るのはお手のものだった。
だからアスカに直接訊ねずにアスカの好みを探り、そこで調整をかけていたの
だ。まさかアスカが気付いているとは思えなかったが、まあ、流石に日毎にた
だおいしいと言える中にも自分好みとなっていくと言うことに、気付かない方
がおかしいと言えば言えた。

「アンタが何も言わないから、アタシも黙ってるの。それじゃ駄目?」
「・・・・いや・・・駄目じゃないよ、アスカ。」
「言葉よりもはっきりと伝えられるものがある・・・それをアタシに示してく
れたのは、他ならぬシンジじゃないの。」
「・・・そうかもしれないね。」
「知れないね、じゃなくってそうなのよ。」

こう言うところはアスカらしい。
僕はちょっと幸せを感じて軽く笑った。

「ど、どうしてそこで笑う訳?」
「くくっ・・・アスカにはわからない?」
「わからないわよっ!!」
「嘘。わかるくせに・・・・」

アスカのお株を奪うような言い方。
自分でそう言いながら、どんどん面白くなっていった。

「アンタ、アタシを馬鹿にする気!?」
「そんなこと、僕がすると思う?」
「するわね!!アンタはそういう奴だから!!」
「そ、そういう奴って・・・・」
「でしょう!?わかってるくせに!!」

似たやり取りの繰り返し。
でも、それが楽しかった。
きっとアスカも僕とおんなじ思いだと思う。
僕もそれがわかっているから、わざわざ謝って中断しようとは思わなかった。

「そもそもアンタはわかってながら人を弄んでんのよ!!無条件に人にやさし
くすればいいってもんじゃないんだからね!!」
「じゃあ、人に冷たくすればいい訳?」

僕はノーと言う答えを期待してそう訊ねた。
しかしアスカはそんな僕などお見通しと言わんばかりにこう言った。

「そうよ!!アンタはアタシにだけやさしくしてればそれでいいのよ!!もう、
余計な奴にまでやさしさを振りまいたら、変に誤解する奴続出じゃない!!」

アスカはそう言って、ちらりと視線を横にやる。
その視線は・・・・真剣に料理に打ち込む山岸さんに向けられていた。
そして僕は・・・その相手が山岸さんであって、何故かほっとしていた。
だが、アスカの言葉が僕の胸に響いたのは事実で、僕には返す言葉がなかった。

「図星ってとこね、シンジ。」
「・・・・かもね。」
「アンタがアタシだけのものにならなきゃ駄目だなんてアタシは言わない。ア
タシ達の周りにも世界が広がってて、アタシ達もその一部なんだって事くらい、
アタシも承知してる。でもね、でも・・・・」
「・・・・」

アスカは真剣になり始める。
もうふざけた様子はかけらもなかった。
だから僕も、アスカの言葉に真剣に耳を傾ける。
それが今の僕に出来る、最大のことだったのだから。

「アンタがアタシの事、特別だって思ってくれてるなら、それをアタシは態度
で示して欲しい。確かにシンジは今言ったみたいに、アタシの好みをさりげな
く探してくれたりする。だからアタシがシンジの特別なんだって感じられるの。
でも、でも少なすぎるよ、シンジ。それだけじゃ、アタシのひとりよがりかも
しれないって思えるじゃない。」
「アスカ・・・・」
「アタシはやさしいシンジが好き。だからみんなにやさしくしてるシンジを咎
めるのも・・・ほら、今のは売り言葉に買い言葉って感じだったけどね・・・」
「うん、わかるよ、アスカ・・・・」
「でも、アタシに対するやさしさも、同じように見えてならないの。アタシに
対するやさしさが少ないって言う訳じゃない。反対に、アタシ以外の人に対す
るやさしさがあまりに大きすぎて・・・それがアタシの不安を掻き立てるのよ。」
「・・・・・」
「だから・・・シンジはどうしたらいいと思う?シンジがみんなに最大限のや
さしさで応えてるんだって事、アタシは肌で感じてる。だからアタシは身体と
身体の触れ合いでしか、その特別さを証明できないような気がして・・・・で
も、シンジも嫌かもしれないけど、アタシだって嫌なのよ、そういうの。もう
アタシもせっぱ詰まってる訳じゃないんだし、穏やかな幸せってものを求めて
も、悪くはないでしょ?」

アスカの問いは、僕には難しすぎたかもしれない。
アスカの言うこと、そのひとつひとつが僕には十分納得出来ることだった。
いや、もうアスカは僕のわからないことなんて何一つ言わないと思う。
アスカが僕になにかを伝えたいのであれば、それを完全に実行に移すのは、ア
スカなら可能なのとだと言えるのだから。
でも・・・・これは僕にだけでなく、アスカにとっても難しい問題だったのだ。

僕は今までやさしさが大きすぎるなんて考えたこともなかった。
人にやさしくすることは悪いことだなんて思えないから、僕は今まで精一杯や
ってきた。そしてアスカもそんな僕を否定しようとはしない。むしろ好意的に
受け止めていると思う。
しかし、アスカがそう思っていても、実際それがアスカを不安がらせている。
僕はアスカをそんな目には合わせたくない。
でも、今の自分を認めつつある自分もいたのだ。
だからジレンマだった。
アスカも十分すぎるほどそれがわかっているから、だから悩み、そして僕に訊
ねてきた。考えてみると、アスカがこうして僕にはっきりと訊ねるなんて、滅
多にないことかもしれない。つまり、それだけ難しいことなのだ。

そして、アスカが示した道として、身体のつながりがある。
今の言葉を聞いて、今までのアスカがどうして必要以上にそれを求めていたの
か、ようやくわかったような気がした。
身体の触れ合いでしか、自分が特別であると言うことを示せなかったからだ。
でも、今のアスカにとって、自分が特別であると言うことは、確固たるものと
なっている。だからこそ、それは必要ないと言えるのだろう。そして洞木さん
達がそういう態度を示していると言うことが、アスカの考えに一層拍車をかけ
たのに違いない。身体と身体の触れ合いなしに成立し、しかも自分以上の安定
さを見せていると言うことは、きっとアスカにとっては驚き以外のなにもので
もなかったろう。
そしてアスカはそんな洞木さんに感化されて、今の結論に至った。
身体のつながりでない、特別ななにかを、と。

だから僕はトウジのことを考えてみる。
トウジは・・・無条件に人にやさしい訳ではなかった。
確かにトウジも人にはやさしい。
でも、その大きさは明らかに洞木さんに対するものとは違って見えた。
だから洞木さんは自分がトウジにとって特別なものであると言うことを感じら
れるのだ。そしてトウジのそんなやり方は、僕も間違っていないと思う。
しかし、それはあくまでトウジだ。僕じゃない。
僕は僕なりの形を見つけなければならないのだ。
以前トウジの生き方に憧れた時期もあったが、今ではやはりそれは人真似に過
ぎないと言う認識がある。
そしてアスカもそれを知ってる。
今の僕を変えることなく、何かを見出したいのだ。
でも、僕にはすぐになどわからない。
だから僕は自分を不甲斐なく思いながらも、アスカに向かってこう答えた。

「ごめん・・・・少し考える時間をくれない?」
「わかってるわよ。アタシだって、アンタがすぐに答えを出せるなんて思うほ
ど、簡単な問題じゃないってわかってるからさ。」
「・・・・」
「アタシはただ、問題提起をしてみただけ。そして考えるのはこれからゆっく
りすればいいじゃない。」
「そうだね・・・うん・・・・」
「だから・・・一緒に考えよ?アタシにとっても、大事な問題なんだしさ。」
「ありがとう、アスカ・・・」
「そんな水臭い・・・・アタシとシンジの仲じゃない。気にしなくってもいい
わよ。それより・・・・」
「なに?」

アスカはそこでくちごもる。
心なしか、顔が赤くなっていくのがわかった。

「答えが出るまで・・・・ね?わかるでしょ?」
「・・・・・う、うん。」
「シンジが嫌がることはしないからさ。」
「わかってるよ。もう、僕も・・・何も嫌がらないから・・・・」
「・・・・・ほんとに?」
「ほ、ほんとだよ。」

アスカは少し落ち着いたのか、いつもの顔に戻る。
そして胡散臭いと言いたげな目で僕を見て・・・・

「信じられないわね。」
「し、信じてよ、アスカ。困ったなぁ・・・」
「アタシがコブラツイストかけても嫌がらないって言う訳?」
「コ、コブラツイストって・・・・」
「ふふっ、じょーだんよ、冗談!!」
「アスカぁ・・・」

冗談だってわかっていた。
でも、アスカにも僕にもこれが必要だった。
いつもと変わらぬ二人に戻るには、笑いを通してしかなかったのだ。
しかし、僕も、そしてアスカも忘れない。
笑ってごまかしたりなんてしない。
僕とアスカ、二人の間に大事な問題が残されていると言うことを・・・・


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