私立第三新東京中学校

第二百七十四話・二人だけのキス


「シンジぃ〜、もっと作りなさいよ〜!!」

僕と綾波と山岸さん、三人で話をしていたところに、アスカから声がかかった。

「ちょ、ちょっとアスカ、これはアタシのおつまみでしょ?勝手に食べないで
よ。」
「いーじゃない、けちけちしなくたってさ。」

見てみると、アスカがいつのまにか持ち出した箸でミサトさんのおつまみを横
取りしている。アスカはミサトさんの言葉にも耳を貸さずに、反論しながらも
器用に箸を操って食べていた。

「んー、おいし!!やっぱシンジの野菜炒めは最高よね!!」

アスカは満足げにそう言う。
その顔も妙に至福に満ち溢れている。
アスカは結構濃い目の味付けが好きだったりするので、綾波が作る料理などに
は不満の声を漏らしたりすることも少なくない。まあ、僕はそんなアスカの為
に、綾波向けとミサトさん向けの中間、即ちアスカ向けの味付けをなるべくす
るように心がけていた。
まあ、中間だったらビールを嗜むミサトさんも、濃いのは苦手な綾波も大丈夫
なのではと言う安易な発想なのだが、そこには幾分僕自身の嗜好も含まれてい
た。言わば中間の味付けと言うのは、丁度いい味付けと言うのと同義であった
のだ。

「それもあるけど、それ以上にアタシから奪って食べるってとこに、アスカは
喜びを見出してんじゃないの?」

アスカの箸を阻止できないミサトさんは、缶ビール片手に横目で見ながらそう
言う。それはミサトさんの負け惜しみとも挑発ともとれたのだが、当のアスカ
は一向に気にした様子も見せずにミサトさんに応えた。

「まあね。ミサトから掠め取るなんて、ここしばらくする機会なかったから。」

確かにアスカの言葉は真実だった。
夕食前とかにみんなでリビングでくつろいでいる時、僕はミサトさんの為にこ
うして先んじて何か一品作ることが多かった。そういう時間と言うのはみんな
お腹が空き始めている時間だから、妙にそれがおいしそうに見えて・・・
当然アスカは自分の箸を持って来てつまみ出すし、僕はそんなアスカの為に少
しだけ多めに作るよう配慮したものだ。
今回もそういうつもりで作ったのだが、少し僕の考えは甘かったかもしれない。
お腹を空かせた仔狼は、アスカだけではなかったのだ。

「おう、ごっつうまそうな匂いやな。」

耐えかねたように万年空腹男のトウジがそう言った。
ビールには全く興味を示さないトウジだったが、この時間の肉野菜炒めと言う
のはトウジにとって暴力的な匂いを発していたのだろう。
まあ、今では洞木さん一筋のトウジも、気のいいお姉さん的なミサトさんに憧
れているのは今も同じで、だから欲しくともアスカのように奪うことはしなか
ったのだが、そんな我慢の時に横でアスカが平気な顔してつまみ食いしまくる
もんだから、もう黙って見ていられなくなったのだろう。

「鈴原・・・・」

困ったように洞木さんがつぶやく。
おいしい料理に目のないトウジを、洞木さんは別に悪く思っている訳ではない
のだが、こうしてみんなが集まる前に飲み食いを始めると言うのは、仕切り屋
の洞木委員長としては、あまり歓迎できることではなかったのだ。
しかしまあ、こんなトウジは日常茶飯事でもあるし、洞木さんも強く言うこと
は出来ずに、ただ自分は困っているのだぞ、とアピールすることによって、ト
ウジの自発的撤退を期待したのだ。
僕から言わせれば、ちょっとそれは甘いんじゃないかと言うところだが、そこ
は恋する乙女の性なのだろう・・・・

そしてそんな中、トウジを後ろ盾にしてアスカは僕への要求を強める。

「ほら、こう言うのはアタシだけじゃないんだから!!どうせ大した手間じゃ
ないんだし、どーんとあと一品、いや、二、三品は作っちゃいなさいよ!!材
料は有り余ってるんでしょ!?」
「そ、それはそうだけど・・・・もう、しょうがないなぁ・・・・」

僕としては洞木さんの意見と同じであったが、当然アスカのこんなわがままに
勝てる訳もなく、まさしく「しょうがない」と言う顔をしながら冷蔵庫に向か
おうとした。しかし・・・・

「あの・・・」
「あ、なに、山岸さん?」

そんな僕を遮って山岸さんが声を掛けてきた。

「今度は私が作っても宜しいですか?」
「えっ?山岸さんが?」
「はい。私、考えてみると皆さんに自分の料理を食べてもらったことなんてあ
りませんし・・・折角の機会ですから、味見、と言うことで、私に作らせて下
さい。」
「ぼ、僕は別に構わないけど・・・」

僕はそう言うと、ちらっとアスカの方を見た。
また僕の作ったのじゃなきゃ駄目だ、とかごねるかもしれないと思ったのだ。
しかし、そんな僕に向かってアスカは面倒臭そうに言った。

「もう、どっちだっていいわよ!!不満だったらまたシンジに作らせればいい
んだしさぁ!!」

アスカはそう言いながら、まるで子供みたいにお皿を箸で叩く。
そしていつのまにか自分の箸を確保して来たトウジまでもがアスカと同じよう
にお皿を叩いた。

「せやせや!!惣流の言う通りや!!どっちでもええから、さっさと作れ作れ!!」
「もう、鈴原もアスカも、お行儀悪いわよ!!」

流石の洞木さんも、行儀の悪さだけは我慢できなかったらしい。
トウジと、そしておまけにアスカも加えて少し強めにたしなめた。

「もう、ヒカリもかたいこと言わないの!!これは宴会で無礼講なのよ!!」

誰も無礼講だと言った覚えはないが、アスカは躊躇なくそう言って洞木さんに
反論した。そしてどういう訳かアスカとは対立関係にあるミサトさんまでもが
それに賛同して言った。

「そうよ、ヒカリちゃん。そーんなつっぱらかってるようじゃ駄目駄目。彼氏
に嫌われちゃうわよぉ。」

いつのまにか呼び方が「ヒカリちゃん」になっているミサトさん。
すきっ腹に缶ビール三本一気飲みすれば、流石のミサトさんでも酔いが回るら
しい。まあ、顔はほんの桜色、と言う感じで、外見上はほろ酔い加減と言うよ
うにしか見えなかったが、その言葉はほんの少しのやり取りの間で完全に酔っ
払いのものと化していた。
しかし、当の洞木さんはそんな呼び方がどうのと言うよりも、「彼氏」と言う
言葉に敏感に反応してしまった。まあ、その「彼氏」が自分のすぐ傍にいるの
だから、やむを得ないのかもしれなかったが・・・・

「・・・・」

洞木さんは顔を真っ赤にすると、ちらっとトウジの方を見た。
そしてトウジは・・・・アスカとは違って、洞木さんの言葉でふざけるのをぴ
たっと止めていた。更に洞木さんと同じように、ミサトさんの言葉に少し意識
してしまって、洞木さんほどではないにしても、軽く頬を朱に染めていた。

だが、そんなちょっとした無言のやり取りは、酔っ払いにとっては格好のネタ
に他ならなかった。ミサトさんは普段の冷静さを欠いた様子で二人を冷やかし
た。

「もう、ふったりともかーいーんだからぁ!!」
「か、葛城先生、からかわないで下さい!!」

洞木さんは一層顔を赤くしてぴしゃりと言った。
だが、そんな自分にとって都合の悪い言葉は全く耳に入らなくなっているのか、
更にこっちはアルコールに顔を赤くしてからかい続けた。

「キス、しちゃいなさいよ。このアタシが検分したげるからさぁ・・・・」
「キ、キスって・・・・」

今度は困ったようにうつむいてしまう洞木さん。
二人はキスも済ませていないカップルではなかったものの、僕達の関係のアン
チテーゼとして、そう言うものは無意味だと考えていた。何もないからこそ必
要以上にそういうものを求め・・・・特にトウジも洞木さんも僕達を間近に見
ているだけに、そのような感が強いのかもしれない。
まあ、だからと言ってキスと言う行為が無意味なものだとは思っていなかった
だろうが、それこそアスカの言うように「愛のあるキス」が重要であり、人に
見せびらかすものではなかったのだ。二人の愛は、人に見せる必要性など全く
なかったのであるから・・・・

「やめて下さい、ミサト先生・・・・」

トウジは淡々と、しかし力強くミサトさんに言った。

「ヒカリを傷つける奴は、たとえ先生だろうとわいが許しません。」

トウジが洞木さんのことを「ヒカリ」と呼んだ。
もしかしたら、これは初めてのことかもしれない。
まあ、二人っきりの時には名前で呼び合っているのかもしれなかったが、そん
なプライベートに立ち入ったことのない僕にとっては、妙に衝撃を覚えさせる
出来事であった。

「す、鈴原君・・・・」

ミサトさんも酔いが一気に覚めたようにつぶやく。
しかし、トウジはそんなミサトさんに続けてこう言った。

「ヒカリを傷つけんで下さい。ヒカリは委員長やっとるし、わいなんかよりも
ずっとずっとしっかりしとる。せやけどなぁ・・・・」
「・・・・」
「せやけどヒカリは女なんや。男とは根本的にちゃうんや。強そうに見えてて
も、いや、強そうに見えてるからこそ、ほんまはか弱いんや。」
「・・・・」
「わいはヒカリを愛しとる。それは変わらへん。せやからわいは男としてヒカ
リを守るんや。それがわいに出来る、たったひとつのことやと思っとる・・・」

トウジはミサトさんに、いや、ここにいるみんなに対してか、それとも自分に
対してか・・・僕にはわからなかったが、はっきりと自分の想いを言葉として
形にした。
トウジがそういう思想の持ち主だとは知っていたが、その相手として洞木さん
がいると言うことを明確に僕達に示したのはこれがはじめてだった。
僕達は二人がそういう関係になったということは知っていたが、ここではっき
りと口に出されると、妙な感慨を覚えずにはいられなかった。

「鈴原・・・・」

しかし、僕達の感慨などとは及びもつかないと言ったような表情で、洞木さん
はトウジの名前を呼んだ。

「ヒカリ・・・・」

もう、「委員長」ではなくなっていた。

「名前・・・・呼んでくれたね。」

半分涙ぐみながら、洞木さんはうれしそうにトウジに言った。
だが、トウジはその話題には触れようとせずに洞木さんに謝った。

「すまんかったな・・・このわいがついていながら・・・・」
「ううん・・・・大した事じゃないから・・・・」
「せやけど・・・・」
「もう何も言わないで。あたし、今の鈴原の言葉を聞けただけで、それだけで
十分すぎるから・・・・」
「・・・・・」
「それよりも・・・・それよりもごめんね・・・・」
「えっ?」

洞木さんは急にトウジに謝る。
トウジはどうして急に自分が謝られたのかわからずに、驚きの声を発する。
だが、その答えはすぐに洞木さんによって与えられた・・・・

「ごめんね、折角鈴原がかばってくれたのに、あたし・・・・」

洞木さんはそう言うと、ついとトウジに顔を近づけて・・・・
そしてそっと唇を触れ合わせた。
キスをしたかった洞木さんの気持ち、僕にはよくわかる。
そしてトウジもそれが痛いほど伝わったのか、黙って洞木さんを引き寄せた。

「・・・ほら、見せもんじゃないのよ、アンタ達。あっち向いて・・・・」

二人のキスを見て、アスカがそうみんなに呼びかけた。
そしてアスカ自身もあさっての方向を見ている。
僕はそんなアスカの意見に従って視線を逸らした。
まさにアスカの思う通り、この二人のキスは、他人が見てもいいものではなか
ったのだから・・・・


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