私立第三新東京中学校

第二百七十二話・輝いていた時代


カツカツカツ・・・・

間断なく僕の耳に入ってくる革靴の音。

「・・・・」

僕と綾波、そして何故かアスカ達と歩調を合わせようとしなかった山岸さんは
並んで歩いていた。しかし、この三人の間には、ひとことも会話は成立しなか
った・・・・

アスカ達は意気揚々と残り少ない道を足早に進んでいった。
見えないところまで行ってしまった訳ではないが、その明るそうに喋っている
内容まではもう聞き取れなくなっていた。

そして僕は、ずっと視線を感じていた。
後ろからの視線。
そう、僕達、と言うより僕の背後にいるのはただひとり、渚さんだけであった・・・

「・・・・」

綾波は何も言わなかった。
綾波は僕とは違って、渚さんの言葉を直接聞いていた。
だから敢えて何も言わなかった。
でも、僕は渚さんの言葉が聞きたくて、何度か後ろを振り返ろうとしたのだが・・・
出来なかった。

さっきの渚さんの言葉、それがどういう意味なのか、綾波の話を聞いている以
上僕にもおおよその見当はつく。だからこそ、僕は渚さんを見れなかったのか
もしれない。彼女が選んだ、彼女の道を想うと・・・・・
渚さん自身のことを想えば、僕は間違いなく止めただろう。
しかし、それは彼女自身が選んだことだ。
その決意の程が如何様なものかを想えば、僕がどうこう言う権利はないだろう。
彼女は全てを知った上で、その結果がどうなるものかと言うことを全て認識し
た上で、決断を下したのだ。
だから僕は彼女を哀れまない。
哀れみなど、彼女にとっては無礼以外の何物でもないだろう。
同情も必要ない。
彼女は同情されるような人間ではないのだから。
むしろ僕は彼女を尊敬する。
彼女の強さは、そんな尊敬に値するべきものだと思った。

だが彼女の人としての幸せを思うと・・・・だから僕は何も言えなかったのだ。


マンションが見えた。
やけに長く感じた道程もようやく終わりを迎えた。

「シンジー、とっとと来なさいよ!!」

アスカが手を振って僕達を呼ぶ。
いつもと変わらぬ様子を見せるアスカは、僕を落ち着かせてくれた。
アスカにも色々思うことはあると思う。
でも、それを表に出さずに明るく振る舞うと言うことは・・・僕の考え過ぎか
もしれなかったが、アスカの思いやりのように思えてならなかった。

「わかったよ、アスカ!!」

大きな声で僕は応える。
そして小走りに坂道を登り始めた・・・・



「もう・・・遅いじゃないのよ、シンジ。」
「ご、ごめんごめん・・・・」
「ったく、アンタはいつまで経ってもトロいんだから・・・・」

アスカはぶつくさと言う。
しかし、僕の視線に入ってきたものは・・・・見覚えのある、真っ赤な車。
そう、それは紛れもなく、ミサトさんの愛車だった。

「それよりアスカ、ミサトさん、もう来てんの?」
「らしいわね。どっかほっつき歩いてるみたいだけど・・・・」

アスカはそう言ってキョロキョロと辺りを見回す。
しかし、辺りにミサトさんのいる気配はない。

「もう中入っちゃってるんじゃないの?」
「まさかぁ?」

アスカは僕の意見に、そんなことは有り得ないという感じで答えた。

「ど、どうして?そんなおかしくもないと思うけど・・・・」
「だって、中に入れるのはおじさまがいる時だけでしょ?おじさまには一応電
話しておいたんだけど、あのおじさまと二人っきりになるのなんて・・・・」

アスカはそんなシチュエーションを想像して、顔をしかめる。
僕達三人の中では一番父さんに接しているアスカであったが、やはりとっつき
にくいと言うかなんと言うか、とにかくあまりよく思っていないようであった。
そして僕はそんなアスカを見て苦笑する。

「そ、それもそうだね。ミサトさんもいくら上司とは言え・・・・」
「冬月校長くらいでしょ、おじさまと長時間二人っきりでも平気なのって・・・」
「そうだね。うん・・・・」

僕はアスカと意見が一致して、なんだかちょっとうれしくなった。
そしてアスカも僕と同じ気持ちなのか、その笑いにも幾分別のものが混じる。
ちょっとした心の触れ合い。
大した事じゃないかもしれないが、些細なことだからこそ、妙にうれしかった
のかもしれなかった・・・・

だが、そんな会話を交わしていると、マンションのガラス張りの自動ドアが開
いて・・・当のミサトさんが姿を現した。

「おっそいじゃないのよ、アンタ達。」
「あ、ミサトさん・・・」
「ミサト!!」

驚いて僕とアスカは声を上げる。
するとミサトさんはいつもの快活さで僕達に接した。

「ったく、ゲストをこんなに待たせるなんて・・・・待ってる間、ビールが恋
しくってしょうがなかったわよ。」
「仕方ないじゃない。だってミサトは車なんだから。」
「・・・それも暴走。」

謝らずにミサトさんに反論するアスカ。
そしてそれにぼそっと付け加える僕。
アスカは爆笑し、ミサトさんは・・・・

「シ、シンちゃん、あなたって子は・・・・アタシと一緒の頃は、もっと素直
でいい子だと思ったのに・・・・」
「あら、シンジは今でも素直でいい子よ。ただ、ちょっと遠ざかってみて、現
実を見れる目を持ったんじゃないかしら?」

しれっと言うアスカ。
相手が綾波でないなら、言い合いでは誰にも負けないだろうと思われるアスカ
であった。アスカはいつも綾波にしてやられっぱなしなだけに、久々の勝利を
予感して淡々としたその口調にも何だか熱がこもっているように感じられてな
らなかった。

「ちょ、ちょっとアスカ・・・・」
「アタシは現実を述べたまでよ。大体どれだけアタシがミサトの暴走に苦しめ
られたことか・・・」
「そ、それはアスカが弱すぎんのよ。シンちゃんだってレイだって、文句一つ
言わなかったじゃない。」
「言えなかったのよ。あんまり気持ち悪いもんだから・・・・」

アスカはそう言うと、ミサトさんの運転を思い出したのか、顔をしかめてみせ
た。するとミサトさんは・・・・

「でも、碇理事長は平気だったわよ。」
「えっ、父さん!?」

僕は驚きの余り大きな声を上げてしまった。
あの父さんがミサトさんの車に乗ったことがあったなんて・・・・僕にはとて
も信じられないことであった。

「ちょうど偶然校長室に用事があってね、二人を乗っけてきたのよ。」
「う、嘘・・・・」

アスカも驚きの声を漏らす。
僕に至っては新たな事実を前にして、驚きの声すらも出なかった。
そして僕とアスカの両名を愕然とさせたことにちょっといい気になったのか、
意地悪そうな笑みを見せながら更に語ってくれた。

「まあ、アタシとしてはマヤちゃんでも乗っけてあげようかと思ってたんだけ
ど、あの男二人組が誘ったみたいだから・・・・校長も理事長も足がないみた
いだったし、ちょっち込み入った話もあったのよね〜。」
「そ、そう・・・・でも、よくおじさまや校長先生がミサトの車に乗る気にな
ったわねぇ・・・」
「ま、校長はあんまりいい顔してなかったし、ここに着いた時なんて青い顔し
てたけどね・・・・っておっと、違う違う、とにかくあの司令はタフね。顔色
一つ変えずに平気にアタシと話してたわ。」
「父さんらしい・・・・かな?」
「まあ、だからアタシは二人を乗せる手前、寄り道してお酒を買い込んでくる
ことも出来なかったって訳よ。一応日向君達には頼んどいたんだけど・・・・
何時来るかわかんないしね。ここには理事長の高そうなお酒はあっても、ビー
ルは置いてないみたいだし・・・よければちょーっち、買い出しに行きたいん
だけど・・・・」

ミサトさんは僕達の上手に立ったと思って、ちょっと個人的な申し出を述べて
みる。しかし・・・当然のごとく、アスカがそれを許す訳がなかった。

「駄目よ。」
「ど、どうして!?」
「アンタ、買えば飲むじゃない。飲酒運転は法律で禁じられてるのよ。知らな
い?」
「し、知ってるわよ!!アタシを馬鹿にしないで!!こう見えてもれっきとし
た中学教師なんだから・・・・」
「だから?教師だろうがなんだろうが、そんなの関係ないわよ。」
「と、とにかく・・・・飲酒運転なんかしないから・・・・」
「信用できないわねぇ。それよりも後で買ってくるってわかってるのにそれで
も買いに行こうって事は・・・・我慢できないアル中って事でしょ?」
「ア、アル中って・・・・」
「もしそうでないならここでアタシ達の手伝いをすること。いいわね?」

完全にアスカのペースだ。
流石はアスカと言った感じで僕はにこにこしながら見ていたのだが・・・・
アスカには敵わぬと思ったのか、ミサトさんは甘い声を出して僕にねだった。

「シンちゃ〜ん、シンちゃんからもアスカに言ってよ。アタシとシンちゃん
の仲なんだしさぁ・・・」
「どういう仲よ?」

ちょっとむっとしてアスカが訊ねる。
するとミサトさんは活路を見出したのか、ここぞとばかりに言い立てた。

「い・ろ・い・ろ。アスカは知らないことよねー。」
「知らないって・・・・」
「だって、アスカが来る前とか、アスカが入院してた時のこととか・・・」
「アンタ、シンジに変なことしてないでしょうねぇ?」
「変なこと?する訳ないじゃないのぉ。」

ミサトさんはアスカの言葉を否定する。
しかし、そんな言葉とは裏腹に、ミサトさんの表情はまるでそれは嘘だと言っ
ているようなにやにや笑いであった。

「いたいけなシンジをその毒牙にかけようとしたでしょ?だからシンジは女嫌
いになって・・・」
「あら、シンちゃんは女嫌いなの?アタシの前ではいつでもかわいい男の子だ
ったけど・・・」
「く・・・・」
「そうか・・・やっぱりシンちゃんはアタシのことが忘れられなくって・・・・」

意地悪いミサトさん。
はじめはアスカが手出ししたんだから自業自得と言えばそれまでだったが、僕
はちょっとアスカが可哀想になってミサトさんをたしなめた。

「ミサトさん・・・・もうその位にしてあげて下さい。アスカが可哀想すぎま
す。」
「シンちゃん・・・・」
「ビールならミサトさんが来た時の為にって、何本か買い置きしてあるんです。
ちょっと言い出すきっかけがつかめませんでしたが・・・・」

するとミサトさんは全てを忘れたかのように元気よく言って僕の手を取った。

「もう、それを早く言いなさいよ!!さ、行こ行こ!!」

ミサトさんはころっと態度を一変させると、僕の手を引いてマンションの中に
入って行った。僕はアスカを慰めたかったけど、ビールを求めるミサトさんの
パワーに圧倒されて、ただ引きずられていった。


「おじゃましまーす。」

僕の後ろでトウジ達の声が聞こえる。
それから靴を脱ぐ音、その他諸々のバタバタした物音が、僕にみんなの存在を
感じさせてくれた。まあ、僕の方はそれどころではなかったのだが・・・・

「どこ!?どこなのよ、もう!!じれったいわねぇ!!」
「そ、そんなに急がなくっても、ビールは逃げたりしませんよ、ミサトさん。」
「逃げなくっても追いかけるのが、アタシの信条なのよ!!」
「・・・・ほ、ほら、そこですよ。そこの棚に取り敢えず数本、しまってあり
ますから・・・」

僕のその言葉を聞くと、ミサトさんは僕の手を放り出して、慌てて戸棚を開く。
そして愛しの缶ビールを発見すると、缶の口が埃っぽいかどうかも確認せずに、
プルトップを開け、その口の中に流し込んだ。

「ぷっは〜!!やっぱ喉が渇いた時のビールはさいこーねっ!!生き返るわ、
ほんとに!!」

もうミサトさんは傍目も気にせず一気に一本空にすると、大きく息をついて満
足げにそう言った。そして僕達はそんなミサトさんは呆れつつ、白い目で見て
いた。

「・・・・なにが喉が渇いた時、よ・・・・渇いてなくてもそう言う癖して・・・」

先程ミサトさんにしてやられたアスカは、完全に軽蔑したような感じでそうこ
ぼした。僕はそんなアスカを見て苦笑しながらこう言った。

「まあまあ・・・ミサトさんらしくっていいじゃない。」
「ミサトらしすぎるから、アタシは軽蔑するんじゃない。ったく、いつまで経
ってもこの馬鹿女は・・・・」

しかし、アスカはそう言いつつも、その表情は何だか穏やかだった。

「アスカ・・・・」

きっと僕にだけでなく、アスカにとってもミサトさんのミサトさんらしさは懐
かしく、慕わしいものだったに違いない。口ではそう言っていても、アスカの
目が、完全にそれを裏切っていたのだ。

どっかと床に腰を下ろして、おつまみもなしにビールを痛飲するミサトさん。
そして洞木さんと山岸さんは、黙ってスーパーで買ってきた品物を次々と大き
な冷蔵庫にしまっていった。
そんな中、僕とアスカはじっとミサトさんがビールを嗜む光景を眺めていた。
そしてしばらくしてミサトさんが早くも三本目を空けた時、僕は静かにこう言
った。

「一気に飲むのはそれくらいにしておかないと、日向さん達が来るまで持ちま
せんよ。それよりすぐにおつまみ何か作りますから、ちょっと待ってて下さい。」

僕はそう言って愛用のエプロンを手に取ると、台所へと向かった。

よくこうしてミサトさんのおつまみ、作ってたっけ・・・・

僕は昔を思い出しながら、エプロンを身に着けた。
懐かしい、そしてもう戻ってこない昔。
僕はあの時に戻りたいなんて思わない。
でも、こうして時々懐かしむのも悪くない・・・僕はそう思えてならなかった。
僕とミサトさんとアスカ。それから綾波も加わって・・・・
楽しかった。
無論今の生活も楽しい。
でも、短かったけど輝いていた時代だった。
そして僕はその時に戻ったような気がして、自然と頬が緩んだ。

「シンちゃ〜ん!!頼むわね〜、いつもの奴!!」
「はいはい、わかってますよ、ミサトさん!!」

後ろから僕の背中に投げ掛けられる、少し酔っ払い始めたミサトさんの声。
僕はかつての生活を思い出し、やっぱりミサトさんはミサトさんだと思うので
あった・・・・


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