私立第三新東京中学校

第二百六十一話・メッセージ


「・・・・戻ろ、シンジ。」

アスカのこの一声で、僕達はスーパーに戻ることにした。
しかし、全てが氷解したかに思われた今も、なぜかぎこちない雰囲気は残り続
けていた。

「・・・・」

綾波はようやく自分の意見を受け入れてくれたことに満足し、幸せそうに僕に
そっと寄り添っている。触れ合う部分は全くないものの、ほとんどくっついて
いるという状況だけで、まるで空気を共有しているような気がして、僕は不思
議な気分がした。僕は最近心なしか綾波を意識するようになって、その事実が
綾波にも変化をもたらしているのかもしれない。
まるで刺々しかったアスカが柔らかさを備えて落ち着いた雰囲気を醸し出せる
ようになったように、綾波も変わっていったのだ。

そして僕の真後ろには山岸さんが控えている。
山岸さんは綾波と同じくらい真剣に僕をたしなめてくれたにもかかわらず、僕
がみんなの意見を受け入れると、速やかにいつもの山岸さんへと戻った。それ
はまるで何事もなかったかのように・・・
だが、今回の件で僕の中の山岸さんも少しだけ変わった。
僕に真剣に忠告してくれた山岸さん。
それは愛を囁かれると言うことよりも、僕にとっては心に響くことであった。
また、それと共にここを出る前の山岸さんの言葉・・・これも僕には引っかか
っていた。自分のことを知ってもらいたいと言う気持ちは、僕にもわからない
でもない。誰も自分のことを知らないと言うことは、たとえ大勢の友人たちに
囲まれていたとしても、言い様のない孤独感に苛まれると言うことすら有り得
るのだ。それは自分の対人関係が形だけのものであると言うことを示している
かのように・・・
だが、それを言い出せば、多くの人が他人とは希薄な関係しか持っていないと
言えるのではないだろうか?つまり、それに、自分が孤独な存在であると言う
ことに気付くかどうかが問題であって・・・僕も山岸さんも、少し敏感すぎる
のかもしれなかった。だが、それを嘆いてみても、そんな自分は変わらない。
だからただ人との触れ合いを求めて・・・そして傷付け合うのだ。きっと僕が
持っているように、山岸さんにもたくさんの傷があるはずだった。僕が自分の
殻の中に逃げたように、山岸さんは料理に逃げて・・・料理することを逃げだ
とは思いたくなかったが、山岸さんのことを考えてみると、それが如何にも正
しいことのように、僕には思えてならなかった。

そしてアスカは・・・・そんな静かな二人に対して、この沈んだ場を盛り上げ
ようと努力をはじめた。

「シンジ、アンタ、何買ったのよ?」
「え?」
「だ・か・ら、買い物よ、買い物!!」
「ああ・・・・」
「ああってねぇ・・・アタシの言いたいことがわかったなら、答えればいいじ
ゃない。」
「で、でも、いっぱいあり過ぎてねぇ・・・・」
「そうかもしれないけど!!とにかくその中でも挙げられるものがあるでしょ?」
「そうだね。ええと・・・・」

アスカの言葉で、僕は買い物について考えを向けた。
確かに色んな物は買ったかもしれなかったが、特にわざわざ挙げるような特別
なものはない。いつも買う食材、いつも買う調味料・・・まあ、僕が手を出し
ていないものなど、そうそうないと言えばお終いなのだが・・・

「えと・・・野菜と肉と、魚。」
「・・・・アンタバカぁ!?」
「え、ど、どうしてさ?」
「そんな大雑把に言ったって、アタシにどうしろって言うのよ。」
「い、いや・・・どうもしなくていいよ、うん。」

そう僕が呑気に言った時・・・有無を言わさずアスカのげんこつが、僕の頭上
に降り注いだ。

「い、いてっ!!な、なにすんだよ、アスカ!?」
「アタシを馬鹿にしてる訳ぇ、アンタって奴は!?」
「そ、そんなつもりは・・・・」
「アタシはどうかしたくて言ったの!!それをどうもしなくていいなんて・・・
アタシに殺して下さいって言ってるようなもんじゃない。」
「ははは・・・」

僕から乾いた笑いがこぼれる。
確かにアスカの言う通りであって、僕の言ったことは何と間抜けなことか・・・
しかし、そんな時綾波がひとこと僕に向かって言った。

「・・・私、碇君の料理、楽しみにしてるから・・・・」
「あ、綾波・・・・」
「・・・・それだけ。」

綾波はそう言うと、軽くうつむいて僕から顔を隠した。
僕は狐につままれたような感じになってしまって、呆然と綾波のことを見つめ
ていた。だが、そんな僕の耳元に、悪魔的な囁きが聞こえた。

「・・・レイって可愛いわよねぇ・・・シンジぃ?」
「ア、アスカ・・・?」
「アタシとは違って、仕種が女の子女の子してるって言うか・・・アンタ、こ
ういうのが好みなんでしょ?」
「うっ・・・・」
「ほら、図星。どうせアタシは猛々しいですよーだ!!」
「そ、そんな事ないって、アスカ。」

僕はアスカの言葉にうろたえつつ、それを否定してみせた。
だが、そんな僕の言葉を聞いたアスカは、なぜか恐い顔をして僕をにらむと、
げんこつを固めて僕にひとこと言った。

「・・・殺すわよ、シンジ。」
「ど、どうしてさ、アスカ!?」
「アタシが猛々しくないなら、どう言うのを猛々しいって言うのよ!?シンジ
を頭からバリバリとかじり出すような奴でもないと、そう言えないって言うの!?」
「そ、そんな・・・・」
「アタシは猛々しいのよ!!下手にアタシを慰めようと思って、ごまかそうと
しないでよね!!」
「アスカ・・・・」

僕は一人で崩壊し出すアスカに、何と言ってよいのかわからなくなってしまっ
た。だが、そんな時、アスカは僕にこう言った。

「アタシは猛々しい。アタシ自身それを認めてるの。そして・・・アタシはそ
んな自分を認めてるのよ。」
「・・・・」
「確かにレイみたいに可愛いのって、羨ましいわよ。アタシもそうなれたらい
いなって思う・・・・」
「・・・・」
「でもね、シンジ?」

アスカはそう言って、僕の瞳を覗き込む。
僕は自分を偽らないアスカの瞳が、僕のそれよりもずっと澄んで輝いてるよう
な気がして恥かしく思った。確かに僕の言動はごまかしだらけかもしれない。
そしてそれは物事を真剣に考えている人にとっては、腹立たしいこと以外の何
物でもないだろう。

「アタシはシンジを殴れる自分を誇りに思ってさえいるの。」
「えっ?」
「駄目だと思った時には、いくら最愛の人であっても、それを止めるために手
をあげることが出来る・・・それって愛の形としては、いい形なんじゃない?」
「・・・・そうかもしれないね。」
「そしてそれだけがアタシだけに出来ることなの。シンジを抱き締めるのも、
シンジにキスするのも、そしてシンジにお説教するのだって、レイでも出来る
ことだわ。でも、でも、レイはシンジを殴れない。そしてそれがアタシとレイ
の違い。アンタがそれをどう思うのかわからないけど・・・アタシはアンタを
殴れる自分を誇りに思ってるわ。」
「アスカ・・・」

確かにアスカの言う通りかもしれない。
綾波は絶対に僕を殴ったりはしないが、アスカなら迷わず僕を殴ってくれるだ
ろう。先程のように、僕の間違いを言葉ではなく、身体で教えるために・・・
身体で解らせるなんて前時代的だと言う人もいるかもしれないが、言葉は耳で
受け取るメッセージであるように、ビンタはほっぺたで受け取るメッセージな
のだ。僕はアスカに出会った時から、数え切れないほどアスカのビンタの洗礼
を受けてきたけど、今でははっきりとアスカの手の平の感触から、アスカが何
を思っているのか、そしてアスカが何を僕に伝えたいのかが、僕の中に流れ込
んでくる。はじめはただ殴られて痛いだけだと思っていた僕も、アスカを知る
ようになって、アスカの痛み、苦しみ、悲しみ、喜びを知るようになって、ア
スカがどうして僕を殴るのか、それを理解できるようになった。
僕はアスカが言うように馬鹿で鈍感だから、言葉だけじゃ理解できない時もあ
る。そう、さっきの僕のように・・・・
実際のところ、僕の目を覚ましてくれたのは、アスカの痛烈なビンタだった。
多分それがなければ、僕はまだ頑ななままだったかもしれない。それを思うと、
アスカの言うように、ビンタできると言うことは素晴らしいことであった。
そしてそんなアスカだからこそ、僕は綾波よりもアスカが好きだと言えるのか
もしれない。
確かに綾波は可愛い。
女の子のことなんてよくわからない僕でさえ、それははっきりと断言できる。
無論アスカも可愛いと断言できるのだが、一般的な目で見るなら、一見粗暴で
すぐ人を殴るアスカよりも、大人しくて控えめに自分の想いを訴えかけてくる
綾波の方が可愛らしいと思うに違いない。僕もそんな綾波に魅かれているとこ
ろがあるのだが、でも、アスカとは違う。
アスカの可愛さは誰にでもわかる可愛さではなくて・・・そう、僕にしかわか
らない、僕にしかわかるようにしてくれない可愛さなのだ。そしてアスカは間
違いなく僕にだけそれを見せようとしてくれている。綾波の可愛さはケンスケ
をも惹きつけたが、アスカの可愛さは僕以外の誰も近づけない。それは僕にだ
け向けられた、アスカのメッセージなのだ。

「・・・・アスカ?」
「なに、シンジ?」
「その・・・・僕も、アスカを殴っていいかな?」
「はぁ!?」
「い、いや・・・・」
「アンタ、レディのアタシを殴る気!?」
「い、いや、別にアスカを痛めつけようとか、そう言う意図は更々なくって・・・」
「当然よ。あったら殺すわ。」
「あ、いや、だからつまり・・・・」

僕は困ったようにアスカに視線を送る。
するとアスカは、僕に向かって満面に笑みを浮かべながらこう言う。

「ふふっ、わかってるわよ、シンジ。アンタの言いたい事くらい・・・」
「アスカ・・・」
「でもね、シンジ?」
「なに?」
「同じ身体でわからせるにも、男と女では自ずからやり方が違うのよ。」
「・・・・そ、それもそうだね。」
「女は殴られても平気なようには出来てないの。男とは違ってね。」
「うん・・・・」
「アタシはビンタって言う形でアンタにメッセージを伝えてるわ。」
「うん。」
「じゃあ、アンタはどういう形で、アタシにメッセージを伝えてくれるの?」
「・・・・」
「わからない?」
「うん。」
「考えなさい。」
「う、うん。」
「五分だけ、待ってあげるわよ。」
「あ、ありがと。」

そして僕は考え出した。
でも、答えはわかっているのだ。
アスカにも僕にも、その答えははっきりとしている。
だが、言い出せない。
僕も、そしてアスカも・・・・
言葉で伝えられないから、だから身体で伝えるんだ。
そして今がその時であって・・・・
アスカは待ってる。
僕のメッセージを。
だから僕は、そんなアスカを痛いほど理解してるから、だから・・・・
僕はいきなりアスカを抱き締めた。

「・・・・上出来よ、シンジ。」
「うん・・・・」

アスカは驚かない。
当然だ。
アスカは僕の答えを知っていたから。
そして僕がこうすることも・・・・
僕がしないということなんて、アスカは微塵も感じていなかった。
それだけ二人は理解しあっていた。
ビンタとキスを繰り返して、メッセージを伝え合って、そして今の僕達がある
のだ。
綾波もいる。
山岸さんもいる。
でも、アスカがここにいる。
アスカは何も言わないけど、でも、僕にメッセージを伝えてくれる。
だから僕は・・・そう、だから僕は、アスカが好きなんだ・・・・


続きを読む

戻る