私立第三新東京中学校
第二百五十七話・再会
「碇君?」
「あ、なに、山岸さん?」
傍らの山岸さんが僕に声をかけてくる。買い物に気を取られていた僕は、少し
驚いたが、それを表に出さずに山岸さんの方に振り向いた。
「その・・・いいの?」
「え?いいのって、何が?」
「碇君が私達と一緒で・・・・」
山岸さんは気まずそうにそう言う。
僕は山岸さんが言おうとしていることをすぐに悟って、妙に納得したような様
子で答えた。
「ああ、アスカから言い出したことなんだよ。なにか綾波と二人で話があると
かで・・・」
「そう、綾波さんと・・・・」
「だから、山岸さんも気にすることなんてないよ。後でアスカに殴られるなん
て事も絶対ないんだし。」
僕は少しおかしそうにそう言う。
しかし、山岸さんはちょっとふざけるような気分ではなかったらしく、生真面
目に僕にこう言った。
「私は別に惣流さんに叩かれるとか、そんなつもりで言った訳じゃありません。」
「ご、ごめんごめん。それもそうだよね。」
僕は慌てて山岸さんに謝る。
だが、僕が思ったほど山岸さんは怒っていると言う訳でもなくて、なぜかうな
垂れて小さくこう言った。
「・・・違うんです。私、皆さんに嫌われてるみたいで・・・・」
「山岸さん・・・・」
「私、何か嫌われるようなことをしたでしょうか?私は人に白い目で見られる
ようなこと、したつもりありません。」
僕はそんな山岸さんの訴えかけるような問い掛けに、何と答えてよいのかわか
らなかった。すると僕の代わりに、渚さんがこう言った。
「それは、君がシンジ君に興味を持ち始めているからだよ。」
「・・・・・」
「君にもわかっているはずだ。惣流さんの感情が、嫉妬と言うなのものだと・・・」
「・・・・確かにそうかもしれません。でも、私は少しだけ碇君のことをあま
り見たことのない感じの男の子だなと思っただけで・・・・」
山岸さんは、自分がアスカの嫉妬の対象であることを知っているにもかかわら
ず、頑強にそれを否定しようとした。だが、そんな山岸さんの真実を暴くかの
ように、渚さんははっきりと山岸さんに告げた。
「それはつまり、シンジ君を特別視していると言うことだよ。そこから恋につ
ながるなんて、そう珍しいことじゃない。君がその他大勢と同じようにシンジ
君に接していたなら、たとえ今よりも会話の量が多かったとしても、惣流さん
は何も言わないだろう。ほら、洞木さんみたいに・・・・」
「で、でも・・・・」
「どうして君は認めようとしないんだ?そんなに人に特別の想いを抱く自分と
言うのが嫌なのか?」
渚さんは、ひたすら抵抗を続ける山岸さんに、珍しく不満の色を表に出して強
くそう問い詰めた。すると山岸さんは渚さんの言葉に強く反論するでもなく、
かと言って大人しく肯定する訳でもなく、小さくこう言った。
「そうじゃありません。違うんです。ただ・・・・」
「ただ、何だ?そんなに人に嫌われるのが怖いのか?惣流さんに嫌われたくな
いから、自分の想いをごまかすと言うのか?」
「・・・・・」
「そうなんだろう?人に嫌われたくないから人を好きにならない、そんなのは
人間として相応しいことではない。折角人としてのまっとうな生を受けながら、
どうしてその恩恵を放棄する?表面上の馴れ合いが、自分を幸せにするとでも
思っているのか?」
渚さんの言葉。
それは間違いなく山岸さん一人に向けられたものであった。
しかし、その言葉ひとつひとつが僕のことを指し示しているような気がして、
僕は氷の手で心臓をぎゅっとつかまれたような、そんな感覚に陥った。
そして更に、渚さんは人を想うことを、人間だけの恩恵だと言ったのだ。
感情を持って生まれた、人間と言う特別な種だけの特別の恩恵。
確かに渚さんの言う通りかもしれない。
人間以外の動物に、自分以外の他を愛する・・・・そういうのも存在するのか
もしれないが、人間の想いほど強くないと思う。
人間は動物のもつ本能とは違った意味で人を愛し、自分で選んだ相手との子孫
を残す。それは人にしか持ち得ないことであった。
そして渚さんは知っている。
自分が本当の人間ではないことに。
以前はいぶかしく想っていた渚さんの想いも、今ははっきりとそれが真実のも
のであることを断言できる。それはつまり、渚さんの想いが偽りではないかと
思えてしまうほど、かつての渚さんの愛は人としては不完全なものであったと
言えるのではないだろうか?
渚さんにとって人を愛すると言うことは、先天的に持ちあわせた感情ではない。
人と触れ合うことによって身につけた感情なのだ。
だから渚さんはそれが尊いものであることを誰よりも知っているのかもしれな
い。そしてそうだからこそ、そんな人としての大切な感情を認めようとしない
山岸さんが許せないのだろう。
しかし、それは僕にも当てはまることだ。
誰かを傷つけたくないから、人を愛さない。
山岸さんのように自分では否定しようとも、事実がそれを訴えている。
誰も傷つけたくないから、誰も選ばない。
自分でもそれが全てを傷つけると言うことを知っている。
だが、僕が選択した後のことを思えば、その痛みは微少なものだ。
だから僕はこの鈍い痛みを伴った調和の取れた世界に落ち着いていたいと言う、
そんな思いが・・・・
いや、違う!!
僕は選択した結果を恐れて選択しないのではない。
選択するほど強い想いを抱いていないのだ。
僕の想いが強いものならば、たとえ誰かを傷つけようと、僕は選択の道を選ぶ
だろう。何故なら僕は、そうすることが大切なことだと言うことを十分すぎる
ほど知っているから。
しかし僕は選択できない。
それに伴う痛みを埋めるほど、想いは強くないのだ。
そう考えると、山岸さんも僕と同じなのかもしれない。
アスカに嫌われることと、はじめて知りつつある特別な感情。
それを天秤にかければ、アスカに嫌われたくないと言う方が強いのだ。
だからこそ渚さんに頑強に抵抗して・・・・
僕は自分の似姿を見せられたような気がして、何だか少し辛くなった。
だが、僕がそんな想念に囚われていると、山岸さんは小さく渚さんに答えた。
「渚さんの言うこと・・・・少し違うと思います。」
「どこが?」
渚さんの口調はどこか冷たい。
ここまで言っても自分の言葉を拒み続ける山岸さんが気に食わないのだろう。
それを指し示すものとして、渚さんが常に見せていた微笑は掻き消え、冷酷な
視線で山岸さんを見つめていたからだ。
僕は今までにこんな渚さんの姿を見たことはなく、かなりの驚きと共にその成
り行きを見守ることにした。
「私は人と馴れ合うこと、悪い事だと思ってはいません。むしろ大切な事だと
思っています。」
「つまり、周りとの調和を最優先すると言うことか?」
「はっきり言えば、そうかもしれません。少なくとも今の私の状態では、それ
が一番だと思います。」
「特定の一個人を想うこと、君はそれを軽んじているのか?」
「違います。私もそんな相手がいるなら、そちらを選ぶと思います。それこそ
渚さんの言うように、周りとの調和を無視してでも・・・・」
山岸さんも少し興奮してきたのか、口調も少し強めに、渚さんにそう告げた。
渚さんは意外な言葉を聞かされたかのように、驚きを隠すことなく山岸さんに
言う。
「では、シンジ君よりも周りとの調和を優先するのか!?君はそれでもいいの
か!?」
「構いません。ちょっと人に対して興味を覚えたくらいで、その為に今の状態
をぶち壊すことなんて、私には出来ません。渚さん、あなたはどうなんですか?」
「僕・・・・」
「そう、あなたです。」
「・・・・僕には・・・僕には世界なんてなかった。僕には何もなかったから、
貪るようにそれを欲して・・・・僕以外の人の世界を傷つけていたのかもしれ
ない・・・・」
渚さんは反対に受けた山岸さんの問いに対して、身を切るような感じで答えの
言葉を漏らした。
そして渚さんはそう言うと、顔を上げて僕の方を見る。
「シンジ君、傷ついたかい?この僕のせいで・・・・」
「渚さん・・・・」
「僕の昔の想いは、彼女の感じている程度のものだったかもしれない。でも、
あの時の僕は真っ白だったんだ。ぽっかり空いた僕の心の中に、微かに君だけ
がいたんだ。だから僕はそれを無我夢中で膨らませていって・・・それが委員
会の狙いだったのかもしれない。君との記憶をほんのわずかに残し、それ以外
を無にすることによって・・・・」
「僕との記憶!?」
渚さんはただ、僕に対して自分の行動を説明したかっただけなのかもしれない。
しかし、渚さんの言葉の中の一片の言葉、それは全てを無にしてしまうほど、
僕には衝撃的なことだった。
「・・・・ああ。」
「じゃ、じゃあ・・・・」
「そうなんだよ、シンジ君。君だって大体の察しはついていただろう?」
「だ、だけど・・・・でも・・・・・」
「認めたくなかったのかい?自分が殺してしまった相手を?」
「あ、ああぁ・・・・・」
「安心して構わないよ。それは僕の記憶には残されてはいない。後に与えられ
た情報なんだ。僕の最初に持っていた君への記憶なんて、本当に他愛ないもの
さ。」
渚さんは僕を安心させようとそう説明する。
だが、言葉ではっきりと聞かされたと言う衝撃が、僕の中ですべてを無にして
行った。
「僕にとって君が大切な人であると言うこと、それくらいなものさ。僕にはそ
れ以外何も与えられていなかったから、君に初めて出会った時、君を特別な人
だと感じたんだ。」
「じゃ、じゃあ、君は、君は・・・・」
「僕は渚カヲル。フィフスチルドレンにして第十七使徒・渚カヲルから委員会
の手によって作られしクローンさ。」
「カ、カヲル君・・・・なんだね?」
「まあ、そうだね。君に合うよう、女性の身体に変えられてしまったけれど・・・」
驚きながら問いただす僕に、渚さんは軽く笑って答えた。
それは僕の興奮した気持ちを鎮めようとしたことなのかもしれなかったが、そ
んな事では治まるはずもなかった。
「ほ、本当なんだね?君がカヲル君なんだって・・・・」
「そうだよ、シンジ君。だから今度は本当に、僕のことをカヲル君って呼んで
欲しい。」
「う、うん。もちろんだよ、カヲル君。で、でも・・・・」
「どうしたんだい、シンジ君?」
「そ、その・・・・ごめん。君を、その・・・・」
「ああ、それなら気にしなくてもいいよ。むしろあれは彼の望んだことだった
んだ。違うかい?」
「・・・・違わないよ。でも・・・・」
「彼は君の手にかかってこの世から消えたかったんだ。まあ、僕、という存在
が残されてしまったけれどね。」
カヲル君は笑ってそう言う。
彼女の笑顔、それは見慣れたものであるはずなのに、真実を認識させられた今、
それが懐かしく、慕わしいものへと変わっていった。
「な、なら・・・・僕とまだ、友達でいてくれる・・・?」
「もちろんだよ、シンジ君。友達だって、親友だって、もちろんそれ以上だっ
て・・・・」
「カヲル君!!」
僕は思わずカヲル君に飛びつく。
最早彼女は僕にとって「渚さん」ではなく、かつての友、「カヲル君」であっ
た。
そしてカヲル君はやさしく僕を抱き締め返してくれた・・・・
僕の友達、渚カヲル。
ほんの一瞬の出会いと別れだったけど、僕の心にずっと残っていた。
そしてその別れのために、僕は常に心の中に微かな罪悪感を感じていた。
償うことも出来ない、その罪の意識に・・・・
でも、カヲル君はここにいる。
そして僕に微笑みかけてくれる。
彼女はかつてのカヲル君ではないと言うものの、カヲル君の遺志を継ぐもので
あった。僅かながらもカヲル君の記憶を持ち、カヲル君の姿を受け継いでいる。
だから、僕がしてしまった罪を償う相手は、このカヲル君なのだ。
果たせなかったことが、果たせるようになった。
その事実が、僕を舞い上がらせていた。
初号機で彼を握り潰した手の感触、僕は今でも忘れていない。
そしてその痛み、苦しみを思うと、いてもいられなくなったこともある。
でも、これからは・・・・
そう、これからは償う相手がいる。
このカヲル君に謝って、そして罪を償えばいい。
死者に対してその罪を償うことが出来ないが、もうその為にうなされることも
ないのだ。
「・・・ごめんよ、もっと早く言ってあげればよかったかな?」
「ううん、カヲル君が謝ることなんてないよ。悪いのはこの僕なんだから・・・」
「シンジ君・・・・」
カヲル君のシャツを濡らす。
でも、そう出来る自分が何だかうれしかった。
もうそんなこと、出来ないとずっと思っていたのだから・・・・
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