私立第三新東京中学校
第二百五十六話・真っ白なレースと真紅の薔薇
薄暗い部屋。
無機質で人間味に欠けた様子は、実用主義を信奉する彼らしかったかもしれない。
無論彼はその部屋の用途を知っている。
であるからこそ、周りの様子には気を留めることもなく、そのまま硬質的な椅
子に腰掛けると、彼にしか扱えない専用の端末にとあるパスを入力した・・・
「何だ?私は一日に二度君と言葉を交わすほど、寛容な男ではないよ。」
「そんなことはどうでもいい。」
ホログラフが別の男の姿を生み出す。
だが、彼は不愉快そうに端末に向かったまま背後の男に顔を向けようとはしな
かった。
ホログラフの男はプライド高く、こんな態度を自分に採られれば烈火のごとく
怒りを燃え上がらせるのだが、今はそんなことを言っている場合でもないらし
く、性急にそう言った。
「どうでもいい訳はないな。私にとっては重要な問題だよ。」
ホログラフの男が話を早く進めたいと痛切に願っていると知りながらも、その
男を心底嫌う彼は、わざとだらだら話をした。そしてホログラフの男もそんな
彼の心理状態を十分悟りながら、それでも彼をなだめて会話を成立させねばな
らないと言う現状にかなり苛立っていた。
「・・・・とにかく議長からのメッセージだ。」
「議長から?いつから君は議長のメッセンジャーなどに成り下がったのかな?
君ほどの大人物が?」
彼はその男を嘲弄していた。
しかし、彼の指摘は事実であり、それを否定できないと言う現実がホログラフ
の男を一層追いつめていた。
「私は丁度議長と言葉を交わしていただけだ!!」
「だからついでにメッセンジャーも引き受けたと言う訳かね?」
「・・・・そうだ。」
「君らしくもないな。いったいどうしたのだ?」
「・・・・言うな。」
「その君の運んできたメッセージと言うのが、君の人形をも私の指揮下に置け、
と言うことかな?それなら納得出来るが・・・・」
「ふざけるのも程々にしろ。この私の専用回線が一番速いからこそ、議長は大
事を私に託したのだ。それに私がメッセンジャーを務めれば、機密保持は完全
だ。」
ホログラフの男は少し彼の必要以上の嘲りにも慣れてきたのか、やや落ち着き
を取り戻してそう答えた。だが、男を愚弄することに至上の喜びと楽しみを覚
える彼は、これで勘弁してやるつもりもなかった。
「自分を慰めて、虚しいと思わないか?」
「うるさい。これは事実だ!!」
「そうかい?それにしてもわざわざ君自身が出向くこともあるまいに。」
「それほど重要なメッセージなのだ。」
「・・・・」
彼は男の様子に少し重大性を感じて、話を聞いてやろうかと思った。
ホログラフの男は少々身構えてはじめてこちらを向いた彼を見て、畏まって議
長の彼にメッセージを伝える。
「・・・・お前の人形、その動向は逐一把握しているな?」
「無論。」
まるでホログラフの男は消え、そこに彼らの指導者たる議長が現前したかのよ
うに、二人は重々しく言葉を交わした。
「ならば今、何が起こっているかわかっているはずだ。」
「ああ。」
「議長からのご命令を伝える。」
「・・・・・」
ホログラフの男の言葉で、彼は椅子から立ちあがり、いつもは曲がり気味の背
筋を伸ばして、議長の指示事項を待ち構えた。
「・・・・人形『渚カヲル』を用い、碇ゲンドウを消せ。」
スーパーに着いた僕達。
アスカは買い物かごを載せたカートにだらしなくもたれ掛かりながら、熱心に
品物を選ぶ綾波に声をかけた。
「ねぇ、レイ?」
「なに、アスカ?」
綾波は白菜を手に持って鮮度をチェックしながら、アスカに振り返ることなく
言葉を返した。いつもならばそんな対応をされれば頭をつかんで振り向かせる
くらいのアスカであったが、今は少し綾波と顔を合わせにくいのか、そのまま
静かに綾波の背中に語り掛けた。
「・・・さっきのあれ、何なのよ?」
「あれって?」
綾波はアスカの問いを聞き返すと、それとは別に白菜の鮮度に納得したのか、
それをアスカの乗るカートのかごにそっと入れた。アスカは唐突に綾波がこっ
ちを向いたことに驚いたものの、何事もなく綾波が野菜の棚に顔を戻したのを
見て、少しほっとしてそのまま続けて言葉を発する。
「ほら、さっきのアンタの言葉よ。目覚めるだとか種だとかさぁ・・・」
「・・・・」
「何とか言いなさいよ。アタシはアンタがシンジの前じゃ言いにくいだろうと
思ったから、わざわざ愛しのシンジと別れてアンタと二人っきりで買い物する
ことにしたんだからさぁ。」
「・・・・だからなの?」
「そうなのよ!!だから答えなさい!!」
「・・・何を?」
「だ・か・ら!!アンタのさっきの言葉の意味よ!!このアタシに何度も言わ
せないでよね!!」
アスカはちゃんと自分の相手をしようとしない綾波にいつもの苛立ちを見せて、
少々公共の場にしては大きすぎる声を発した。すると綾波はアスカの問いには
答えようとせずに、まるで駄々をこねる子供をたしなめる母親のようにアスカ
に注意を促した。
「アスカ、声が大きいわ。」
綾波はそう言いながらも、手にはほうれん草を二把手に取りそれらを見比べて
いる。わざとなのかそれとも本気でそう言う態度を見せているのかわからない
ものの、どっちにしてもアスカには腹立たしいことで、とうとう綾波の肩をつ
かんでぐいと自分の方を向かせた。
「アタシの顔を見なさいよ。それとも見れない訳?」
「・・・・そんなことないわ。」
「なら、アタシの目を見て答えなさい。アンタの言葉、何を意味しているのか
を。」
「・・・・私、何かアスカに言った?」
「この期に及んではぐらかす気!?アタシを馬鹿にするんじゃないわよ!!」
「アスカ、声が・・・・」
「ごまかすな!!」
「・・・・・」
アスカはまだ声の大きさなどで逃げようとする綾波の耳に大声でそう言った。
すると綾波もアスカの決意の固さ、単なる興味本位でないことを知って、その
態度を一変させた。
アスカも綾波の瞳の輝き具合に違いが現れたことにすぐさま気付き、自分も綾
波に対する態度を変えてやさしくこう言った。
「ごめんね、レイ。でも、アタシ、気になるのよ・・・・」
「そう・・・・」
「だから、アタシに教えてよ。アンタの知ってることを・・・・」
「・・・・ごめんなさい。」
「なに?やっぱりアタシには言えない?」
「ううん、そうじゃないの。私だってアスカのことが好き。だから碇君とは違
う意味で、全てを分かち合いたいと思ってる・・・」
綾波はアスカに謝ると、小さな声でそう言った。
アスカは綾波の言葉と採っている態度が正反対なことに疑問を抱き、綾波を問
いただす。
「どういうこと?そう思ってるんなら言えるはずじゃない。」
「・・・・言いたいの。でも、言えないの。」
「は?だから、どうして言えないのよ?言えないにも理由ってもんがあるでし
ょ?」
「・・・・私も知らないの。だから、私は言えないの。」
「は!?益々わかんないわねぇ。どうして知らないことが言えたのよ?そして
今になって言えなくなる訳?」
綾波の答えはアスカの疑問を更に深める形となった。
だが、どういう訳か綾波自身にもよくわかっていないようで、アスカに済まな
そうに答えた。
「ごめんなさい、アスカ。私はただ、感じるだけなの。何かが動き始めている
と言うことだけしか。でも、私はそれが何なのか、はっきりとアスカに答える
ことは出来ない。それは私の知っている事象ではないから・・・・」
「・・・感じてる、ねぇ・・・まだよくわかんないけど、アンタが一枚噛んで
ることじゃない訳ね?」
アスカは首をかしげながらも、少しだけ綾波の言葉に納得出来る部分を見つけ
たのか、自分の中でまとめてそう言った。すると綾波はそんなアスカを更に惑
わすことになると言うのに、小さくそれを否定した。
「・・・それも私にはわからないわ。でも、私達は常に問題の中心にあるの。
全てが終わったように見えても、それは始まりにしか過ぎないわ。」
「・・・・どういうことよ?」
「人類補完計画。」
「は?」
「それが当初の最終目的。でも・・・・」
「でも、なんなのよ?」
アスカは自分の知らなかった事実に近付いていると言うこの展開にぐいぐいと
引きずり込まれていた。アスカはエヴァに乗っていた時は常に勝利を収め自分
がナンバーワンになることしか考えていなかったが、エヴァに乗らなくなり僕
達との同居生活を続けていく中で、今まで自分がしてきたことの意味について、
色々と考えるようになった。特にエヴァや使徒などの持つ意味については強い
興味を覚えた。しかし、いくら考えてもわかるはずもなく、人に聞いたとして
も誰も自分には教えてなどくれないと言う気持ちがアスカの心の中にはあった。
だからアスカは口をつぐんで、そんな自分の密かな思索などおくびにも出さな
かったのだが、今、綾波レイと言う存在を得て、アスカの眠りかけていた思い
は急速に膨らみ始めたのだ。
「それの意味すらも、変わり始めていったの。」
「・・・・」
「既に今、委員会と碇理事長の関係は破綻しているわ。」
「・・・どっちが変わったの?」
アスカは多くを語り過ぎている綾波に、そのことを気付かせぬようにそっと訊
ねた。綾波もそんな自分を知ってか知らずか、穏やかにアスカの問いに答えた。
「私にはわからないわ。そもそも、私はそれぞれがどういう形で人類を補完す
るのか、それを知らないの。」
「そうなんだ・・・じゃあ、そもそも人類を補完するってどういうことなの?
方法は異なっていたにしても、目指す道は同じだから、協力したんでしょ?」
「人類を補完すること・・・・それはヒトと言う破綻し始めた種を存続させる
こと。」
「破綻?どこが破綻し始めてるって言うのよ?確かに物騒な世の中だけど、治
安だってセカンドインパクトを境に良くなって来てるし、むしろいい方向に向
かってるんじゃないの?」
「それも私にはわからないわ。でも、そう考える人も居るんでしょう?」
「まあ、人それぞれだからね。」
「そう。私は今を幸せに感じてる。だから他人にそれをいじられたくはない。」
綾波の心からの言葉に、アスカは軽く微笑んでそれに応える。
「アタシもアンタと同じね。アタシの人生はアタシのものだもん。たとえそれ
が何であろうと、自分の手で描きたいからね。」
アスカの言い回しに少し興味を覚えたのか、綾波はそっとアスカに訊ねる。
「アスカの描きたいもの、それってなに?」
「・・・・真っ白なレースと、真紅の薔薇。」
「え?」
「ふふっ、アンタにはわかんないかもね?でも、アタシにわかればそれでいい
の。これは秘密の暗号なんだから。」
「・・・・アスカの意地悪。」
「アタシは意地悪なのよ。知らなかったとは言わさないわよ。」
アスカはそう言うと、おどけてカートを押して綾波から逃げ出した。
「教えてなんかあげないわよーだ!!」
「待って!!」
「待てと言われて大人しく待つアスカ様じゃないわよ!!捕まえてご覧なさい!!」
アスカはけらけらと笑いながら走り出す。
かなり傍迷惑な話だが、綾波はクスっと笑うとアスカを追いかけて走り始めた。
「捕まえたら絶対に教えてもらうわ!!私は諦めなんて知らないから!!」
子供のようにスーパーの中ではしゃぐ二人。
僕は苦々しい顔をしていたけれど、何だか自分でも加わってみたいような、そ
んな気さえしていた。色んな大人の現実、しがらみを忘れ、子供に戻って・・・
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